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2016年6月30日 (木)

二千九百四十:私達のゲームを考える

この記事は、問題提起のような記事となりました。

私達の間にあるゲームについて考える機会がありました。
私達の周囲を見回すと、将棋があったり、囲碁があったり、麻雀があったり、あるいは西洋社会ではチェスがあります。

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また、オセロに親しむ人々も多い事でしょう。

実際に、これらのゲームの愛好家の人数も、かなりの数に昇ると思います。
確かに、これらのゲームは面白くもあり、醍醐味も知られたものです。

しかし、これらのゲームに共通して言える事があります。
それは、「勝負を決める」という点です。
あまりにも、当然のようになっていますが、要するに勝ち負けを競うゲームです。

つまり、上で書いた競技ゲームは、優秀性が伝えられていますが、この「競争」をしているという点に着目をしました。

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私が、過去に考えたことなのですが、「なぜ、私達の社会では競争が当たり前となっているのか」という疑問を抱いた事がありました。
別に上に挙げたゲームでなくても、私達は学校や社会生活の中で競争ばかりをしている事に気が付いたからです。

この私の疑問に答えを得る事が出来たのが、以下のものでした。

(以下、『あなたはどの星から来たのか?』(ファルス著 ヒカルランド)から引用)
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そのひずみの間にスーッと入り込んだのが、非ヒューマノイド型の生命体(レプティリアン種、通称レプ種)の浸食です。
そうしてあなたがたは、徐々に能力を制限されていくようになり、やがて囚われと制限のある世界の住人となることを選んでしまいました。
それは主に電磁波によるコントロールシステムを使って行われました。

時を同じくして、幾度目かの大がかりな宇宙戦争もありました。
大別するとヒューマノイド型と、別宇宙(アナザーユニバース)から転生してきた非ヒューマノイド型との侵略戦争です。
この戦争においてはヒューマノイド型はとても不利でした。
というのは、もともとヒューマノイド型は、非侵害、不可侵という思考システムで活動していたため、所有という概念もなく、ましてや戦闘や防御といった体制も持っていなかったのです。
      :
    (中略)
      :
現時空から見た計時測によると、今から31万2000年前に、あなたがたの遺伝子組み換えが行われたのです。
地球人による科学ではそれをミッシング・リンク(失われた輪)と呼んでいます。

その部位は脳幹にあります。

Rコンプレックスといわれる爬虫類脳の部分に、彼らの遺伝子コードが組み込まれていくことで、あなたたちは恐怖や不安、縄張り意識、支配と隷属、競争、嫉妬といった遺伝子コードが活性化されたのでした。

それはいわば電磁波的な壁のようなもので、私たちはその壁をネットコントロール(網支配)と呼んでいます。
それはまるで漁師が目の細かい網で、そこにいる魚をすべてすくい取る網のように見えたからです。
      :
    (中略)
      :
というわけで、あなたがたの中にあるRコンプレックス部分の周波数を、まるごと認め、愛し、手放すことによって、その特性であった恐怖や混乱、支配、競争といった周波数帯と同調しなくなり、さらに高い周波数域である、愛と創造性に基づいた、高次のシステムと共振していくことが可能になることでしょう。
このことはいくら強調してもいいほどです。
      :
    (中略)
      :
今まで、あなたたちが創り出したと思っている社会や思考システムのほとんどは、彼らによる至高の雛形が具現化したものです。
それは大変な影響力を持ちました。
まるで、家に屈強な父親が一人いて家族を管理しているかのようです。

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(引用終わり)

「私達の社会は、なぜ、競争社会なのか?」という疑問に対する解答を見かけたのは、少なくとも、私にとってはこれだけでした。
ですから、上の引用文から考えると、31万2000年前からの宇宙人レプティリアンの社会風習が、地球人の社会スタイルに注入されたために、私達の社会は競争社会になったと考えられます。

ですから、将棋とか囲碁とかチェスとか麻雀とかも、競争しています。
あるいは、ゲームでなくても、スポーツも一種のゲーム化されているため、得点争いをしています。

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なので、「私達のよく見かける将棋なども、レプティリアンの文化が生み出した」と言えないでしょうか。

一般に、「私達が、あまりにも競争に没頭すると、私達の体内のレプティリアンの遺伝子が活性化してくる」とも聞いた事があります。

確かに、「レプティリアンが地球人を支配する」というのは、これは多くの人々は反対する事でしょう。

しかし、レプティリアン文化が生み出したと考えられる将棋とか囲碁とかチェスとか麻雀とか、その他のゲームでも、忌み嫌われて、忘れ去られるべきでしょうか?

勝ち負けを競うゲームですから、確かに、これらのゲームの世界でもピラミッド型の社会となり、次第に人々がレプティリアンの文化スタイルとなるかもしれません。
当然、ピラミッドの世界ですから、ゲームの勝者は幸福感を感じたりするでしょうが、ゲームの敗者はピラミッドの下にやられるので、不幸感覚が増えるかもしれません。

また、スポーツでも、ゲームとして点数を争うのが普通です。

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この点数を競わせる事により、今まで、それらの多くのゲームから「妙手」とか「名手」が生まれてきました。
あるいはスポーツの上でなら、「名プレー」と呼ばれるシーンも数多く生まれました。

この競争を競わせるゲームにおいて、人々をして、「素晴らしい(エクセレント)」と言わしめるものが数多くあったのです。

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私達がレプティリアンの文化を捨て去ろうとしたら、それは次第に、将棋とか囲碁とかの、優秀とされるゲームも人々が失う事になるでしょう。
なぜならば、私達の社会に存在するゲームの、そのほとんど全てが「競争」を行っているからです。

ですから、「私達の身の回りに数多く存在する、勝敗を競うゲームの未来は、どうなるのか?」という疑問が生じています。

レプティリアンの地球支配のためのピラミッド社会の創出には、私は反対します。
しかし、数多く生まれた、この、勝敗を競うゲームについて、私達、人間は、どのように接していくのかが、私もわからないところです。
元々、ゲームというのは、一人では出来ず、複数以上の人が存在するからこそ、それらのゲームが成り立つ事に気が付きます。
ですから、これらのゲームを愛好する多くの人々の意思によって、これらのゲームへの接し方や、存続が語り合われると思います。

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また、一つ、私が考えられない状況があります。
それは、この記事でも出てきているレプティリアンですけど、レプティリアンという宇宙人が存在しているので、当然、レプティリアン以外の、他の多くの宇宙人もいると思います。

それらの宇宙人には、彼等なりの文化があるのでしょう。
しかし、レプティリアン以外の、他の多くの宇宙人の文化スタイルは、とにかく、競争社会では無いと予想されます。
ですから、参考的に、「レプティリアン以外の、他の多くの宇宙人の娯楽には、どんなものがあるのだろう?」と、この記事の読者の方も想像すると思います。

つまり、このゲームの点において、私達の参考とする情報が足りないと感じるのです。

ですから、以下は、あくまで私の予想なのですが、競争の存在しない社会の娯楽ですから、そのような娯楽を考えるに、まずは、芸術活動を挙げられるでしょうか。
絵を描いたり、小説を書いたり、あるいは、音楽を作ったりするのが、レプティリアン以外の、他の多くの宇宙人の娯楽なのでしょうか?

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また、ひょっとしたら、「娯楽ゲーム」という概念すらも、存在していないかもしれません。

通常、私達の社会では、物資の生産活動は、仕事として捉えられている機会が多いです。
ですが、この「ものづくり」というのも、これも人々の喜びの一つである事がわかります。
「物資の生産活動」というのも、堅くて、苦しいような雰囲気を持った「仕事」というものではなく、自らの喜びの表現として、物資の生産に励む人々も多いわけです。

ですから、「仕事」つまり、「物資の生産活動」とか、その他多くのスタイルの仕事がありますが、これら自体も、一つの自らの喜びの表現として、「娯楽」という意味で、レプティリアン以外の他の多くの宇宙人は捉えているかもしれません。

ですが、何にせよ、「レプティリアン以外の他の多くの宇宙人の、さりげないライフ・スタイルは、どのようなものなのか?」という疑問が、私が書いたこの記事の、「勝敗を競うゲームは、どうあるべきか?」とか「どのように、新たな見方を使って、どのように感じるか?」という、疑問の答えを導いていくのではないかと感じています。

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もちろん、この記事は、あくまでも問題提起の形を得ている記事なので、何かの主張がメインである、という作文ではありません。


                                        坂本  誠

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