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2016年2月20日 (土)

二千八百三十九: 北九州市について

たまには、私の住んでいる土地について書いてみたいと思います。
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時々、他の街に旅して、その土地の事を聞いたりする私です。
当然、その土地の人と話すのですが、ついでに私の住む街の事に付いても聞いてみたりします。

すると、私も驚くのですが、他の街の人は、北九州市の暴力団事件の事をよく知っています。
テレビや新聞でよく報道されるから、その人々は、よく北九州市の暴力団事件を知っているのです。
ですので、彼等が一様に言うには、

  「北九州市は暴力団で有名ですから、市民の人々は日々の日常生活で恐れを感じている事でしょう」

と。

この答えが多く返ってくるので、私自身も驚いてしまいます。
私もテレビや新聞などで、自分の住んでいる街の暴力団の報道を目にします。
確かに、北九州市の市民の間では、暴力団の件で悩んでいる人もいると思います。

しかし、暴力団の件で悩んでいる市民の数は、市民全体の数と比較したら、多めに見ても、0.05%以下ぐらいではないかと私は感じます。
残りの市民の99.5%以上は、日々安全に生活しているといえるのではないかと思います。

なぜならば、テレビや新聞で報道される暴力団関係のニュースを注意深く見るとわかります。
あのニュースで紹介される範囲は、北九州市の全体から見たら、0.01%以下ぐらいではないでしょうか。
北九州市の残りの99.9%以上の光景は、暴力団とは無縁の光景が広がっているからです。
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試しに、ある夕方に暴力団関係の一つのニュースが流れたとしましょう。
そのニュースにテレビが10分ぐらい報道したと仮定しましょう。

ところが、その日の24時間の残りの北九州市の全体の光景を想像してみてください。
北九州市のほんの一点のわずかな土地の10分ぐらいの動画映像が、一日の北九州市全体の光景を報じることは無理だと誰もが感じる事でしょう。
なので、北九州市の暴力団関係のニュースがテレビで10分ぐらい流れたら、インターネットの北九州市に住んでいるというブロガーのその日の日記や、あるいは、コミュニティ・サイト上の北九州市に住んでいる人の、その日の日記を、全部読んでみないと、本当の北九州市のその日の全体の光景はわからないことでしょう。

そして、多分、現実には、北九州市在住のブロガーの方の全てのその日の記事や、何らかのコミュニティ・サイトに登録している北九州市在住の人々のその日の日記を全部読むことは不可能でしょう。
しかし、誰もが予想するでしょうが、おそらく、上記の人々の、その日の日記には、暴力団とは無関係な記事が書かれていることでしょう。

ここから、私達がわかる重要な事があります。
それは以下の事です。

  「全国版や地方版のマスメディアでも、10分でも報道されたら、『その土地の雰囲気は、全て、その報道一色の雰囲気に染まっているのだ』と、多くの視聴者が受け取りがちである」

ということです。

現実には、テレビや新聞で報道された内容は、その土地のほんの一点の、わずかな時間に起きた事が報じられるケースが多いのです。
ですから、その土地全体の事件にならなかった平和な光景を、視聴者は受け取らずにいることがわかります。
もちろん、平和な光景というのは事件ではないので、報道される機会が少ないでしょう。

ですから、その土地の全体的な平和な雰囲気を多くの視聴者が受け取らず、全体から見たら、比較的小さいかと考えられる事件が全国的に大きく報道された事により、その土地の雰囲気が、他の土地の人々に歪曲されて伝わるのは、ちょっと問題を感じてしまいます。
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他の例を考えると、例えば、「今日は交通事故の多い日でした」と、マスメディアで報じられるケースです。

Photo


統計的にみたら、交通事故の多い日はあるでしょう。
例えば、雨の日です。

しかし、マスメディアで、「今日は交通事故の多い日でした」と報道されても、ある人がその報道を知って、家を出て、自分の周囲の道路を見回しても、交通事故を見かけないケースがほとんどでしょう。
つまり、その人にとっては、交通事故が多い日とは実感出来ないはずです。

つまり、「大きく報道されるか、されないか」によって、受け取る人の印象や実感はかなり違う事がわかります。
つまり、大きい報道か小さい報道かによって、受け取る人にとって印象や実感の誤認を起きる事がわかります。
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確かに、「その土地で何らかの事件が起きた」という事実報道がなされても、それは事実なので、事実報道の観点からみたら、誤報ではない事がわかります。
ただし、上に書いたように、「大きく報道されるか、されないか」によって、視聴者側のその土地に対する全体の雰囲気に対する誤認が起きる事がわかります。

マスメディアの側は、「私達は事実の事件などを報道します」というのが会社の方針としてやっているのですから、きちんとした仕事を行っている事がわかります。
また、有名なネット新聞にしても、同じ事をしている事が分かります。
また、事件や事故や災害を報じるのが、マスメディアの仕事ですから、それをしないと報道している事にならないこともわかります。

ですから、私達は情報に対する一つの教訓の得られるとわかります。
それは、

  「マスメディアであれ、それが他の何かの報道機関であれ、報じられた一つの情報の内容がその土地の全体の雰囲気を表しているわけではない」

と。

もし、その土地全体の雰囲気を知ろうとするならば、その土地に住む全ての人々の話を聞くか、それか上に挙げたように、その土地の人が発信したネット上の記事とか、あるいは、その土地の回覧板的な新聞を全部読むかです。
しかし、それをするには、かなり時間と手間がかかるかもしれません。
ですから、私達の情報に対する教訓の一つとしては、

  「何かの機関で報じられた一つの情報を見たり、読んだりしても、一歩心を引いて、ある程度の距離を置き、冷めた目で冷静に受け止める」

ではないかと感じます。
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長くなっていますが、要は、北九州市に住んでいるほとんどの市民は、「暴力団の事件なんて、まるで遠い外国で起きている事みたいだ」と感じていることです。
ですから、ほとんどの市民は、暴力団の事なんて、頭に全く無く、街を歩いています。
そして、何かの機会があって、北九州市の外に出てみて、北九州市以外の人と話して、北九州市の印象を聞いてみると、その北九州市以外の人は、「北九州市って、暴力団がいっぱいいるので、北九州市市民は恐怖の思いで一杯だろう」という、この印象の差が当記事の主題となっているわけです。
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しかし、上のように書いてきましたが、逆の例もある事が知られています。

例えば、何らかの一つの報道が報じられて、多くの人が驚くケースもありますが、現実は「その一つの報道は、実は、氷山の一角だった」というケースも、多いようだからです。

この場合は、私が上に書いたことと、逆の雰囲気になりますが、落ち着く先は似ています。
つまり、氷山の水面下には、まだまだ、その手の情報が多く眠っていた事になります。
ですから、「その一つの報道は、実は、氷山の一角だった」というケースだと、世の人々に知られていない情報が水面下に溢れかえっていた事になるので、これも、多くの人々が現実社会の全体の雰囲気を誤認していた事がわかります。
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本当は、風土記のような感じで、軽く街の雰囲気の紹介をしていきたかったのですが、次回からにしますね。


                                        坂本  誠

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