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2015年6月19日 (金)

二千五百三十六: 映画『地球(テラ)へ、、、』を見て_No.2

こんにちわ。
二千五百三十一:映画『地球(テラ)へ、、、』を見て」の続きです。

前回は、映画の冒頭だけのあらすじをご紹介して終わりました。

未来において地球の環境汚染が深刻になり、人類は植民星へ移住し、その星では、人類は全て試験管ベイビーで誕生するようになります。
そして、その試験管ベイビーの間から、「ミュウ」と呼ばれる超能力を持った新人類が生まれます。
試験管ベイビーである人類と、新人類「ミュウ」との間で行われている争いが、この映画の骨子です。

前回は、同映画の主人公であり、かつ、新人類「ミュウ」のリーダーとなるジョミー・マーキス・シンの登場を紹介しました。
今回は、敵方とされている人類側のリーダーとなる「キース・アニアン」についても書きます。
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『地球へED』
https://www.youtube.com/watch?v=jMXXNJbkGLk


YouTube: 地球へED

(筆者より:ビデオ保護がありますので、視聴されたい方は、直接、URLをブラウザのURLボックスに入れて、視聴して下さい。)

植民星では、全ての人類が試験管ベイビーで誕生していますから、この「キース・アニアンも試験管ベイビーだ」と、人は考えます。
ところが、同映画が進むにつれて、キースだけは試験管ベイビーでない事が明らかにされます。

普通の人々は、試験管の中で生まれて、その後、養父や養母に育てられます。
そして、14歳の時に目覚めの日を迎えます。
ですから、映画中の全ての人々は、14歳までの記憶も残存している事がわかります。
ところが、キースは試験管の中で生まれた後も、その後、試験管の中で機械の手によって育てられます。
そして、目覚めの日である14歳まで、人類を管理している大型コンピューターによって、教育されました。
ですから、キースには全く、14歳以前の記憶はありません。
なぜ、キースが大型コンピューターによって育てられたかというと、大型コンピューターはこのキースを人類側のリーダーとして設定しようという、キース誕生以前からの目的があったからです。

このような出生の秘密があったので、キース誕生の秘密を知った人間から、彼は「コンピューターのアンドロイド」として侮蔑されます。
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■シロイ:
だけど、面白い事がわかったぜ。
マザー・イライザの最愛のエリート、キース・アニアンの出生の秘密、、、

◆キース:
何!?

■シロイ:
見たんだ。
この目でお前の生まれた場所をな。
やっとわかったよ。
お前はこのステーションで、マザー・イライザに作られた実験体だ。
故郷も母親もあるわけが無い。
お前が14年間育ったのは、あのガラス・ケースだ!

◆キース:
言うな!

■シロイ:
お前はマザー・イライザのアンドロイドだ!
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ここで私は感じるのですが、この原稿を書いている今、試験管ベイビーという存在は、少なくとも私達の間で聞く事は無いでしょう。

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つまり、「私達の社会では試験管ベイビーはいない」ということです。

ですから、今の私達が試験管ベイビーを見たならば、悲しい雰囲気がありますが、「アンドロイドのような人間かもしれない」と感じるかもしれません。
ところが、同映画では、全ての人類は試験管ベイビーで誕生します。
つまり、彼等の世界では、その状態での出生自体がごく自然な状態だとわかります。
そのような世界だったら、私達が試験管ベイビーとして生まれても、何の違和感も感じないと思われます。

現代社会に住む私達の目から見たら、試験管ベイビーとして生まれた人も、14歳に至るまで、試験管の中でアンドロイドとして生育された人も、あまり違いを感じないかもしれません。

しかし、同映画のように、ごく普通の人は試験管ベイビーで出生するのは当然だけど、「14歳に至るまで、試験管の中で生育された人間」を見ると、同映画中の人々とは、かなり縁の遠い存在に見えるのでしょう。

私が思いますに、同映画のこの辺の描写は、私達の現代の科学文明社会に対する警鐘だと思います。
SF映画の中とは言え、遠い未来に劇中のようなドラマも想定できます。
ですから、SFアニメ映画とは言え、形を借りて、現代社会への警鐘を鳴らす事が出来る部分だと思います。
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そして、当然の事ながら、物語の中で、人類側の代表であるキース・アニアンと、ミュウ側の代表であるジョミー・マーキス・シンは戦うようになります。

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しかし、私はこの両者の戦いぶりを変に感じました。
この両者は戦うのですが、私が見ていて、彼等に激しい憎しみとか争いの中での激しい叫びを感じませんでした。
『地球へ、、、』は、アニメ版もあります。
私はそのアニメ版を見ていないのですが、少なくとも、同映画の中では、ジョミー・マーキス・シンとキース・アニアンの間に激しい憎しみという感情を感じません。

これが他の映画には無い特徴だったでしょうか。
普通、争いが絡んでいる映画だと、「両雄激突!」というシーンだと、その両者の激しい感情、激しい表情、激しい叫び声、あるいは、激しいまでのアクション・シーンが描かれます。
しかし、少なくとも私が同映画を見て、この「両雄激突」シーンに激しいものを感じないのです。

確かに、両者は戦うのですが、両者とも、どこか白けています。
私が同映画のそのような戦闘シーンを見て、彼等の心の中を想像してみると、「何で、我々は戦っているんだ?」という、ぼやきのセリフをつぶやきながら、戦っているように感じました。

それに見た感じ、ジョミーとキースは、どことなく、親しい友人同士のような雰囲気もあります。
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「本当の戦場とは、こんなものかも知れない」と、私は考えていました。

なぜならば、ある戦争のある戦場を頭に思い浮かべてみます。
ある兵士と、どこかの国の兵士が、その戦場で初対面します。

普通、考えてみるに、その二人の兵士の間に、個人的な憎しみの感情は無いからです。
もしかしたら、その二人の兵士が戦争中の戦場で出会わずに、どこかの酒場で出会ったら、意気投合して、一緒に楽しく酒を飲み始めた、というケースも想定できるからです。

確かに、その二人の兵士が過去の実生活においても知人であり、何らかの激しい喧嘩があったとしたら、確かにその個人的な過去の経験から、戦場で激しく戦う事も想定できます。
しかし、普通の戦争の戦場で戦う二人の兵士というのは、まずほとんどの場合、初対面だからです。
ですから、その二人の兵士が何らかの個人的な感情もあるわけが無いからです。
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ですから、戦争映画などで、「敵と見方の兵士が激しく憎み合っている」という光景は、どこか人造的に作られた光景だとわかります。

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もともと、どんな戦争でのどんな戦場においても、兵士が送り込まれるのですが、その兵士達を精神教育させているのは、上官からの戦場教育とか、あるいは、自国内部での戦争用報道によって、それらの兵士達がマインド・コントロールされている事に気が付きます。

つまり、上官からの戦場教育とか自国内部での戦争用報道によって、多くの兵士達や多くの国民の間に、「敵国の人間は私達にとって憎むべき存在なのだ」という雰囲気で、マインド・コントロールされている事に私達は気が付きます。

ですから、このマインド・コントロールの無い平和な時代だと、人々は洗脳されません。
ですから、上の仮想的な話のように、敵と味方の二人の兵士が、どこかの酒場で出会って、楽しく酒を交し合うというケースを考える事が出来ます。
しかし、一旦、戦争になると、上のように戦争教育が行われて、その二人の兵士も憎しみの心を掻き立てるようにマインド・コントロールされるかも知れませんから、戦場だと、その二人の兵士が憎み合いながら、戦う事も想像できます。
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ですから、私が見て、ジョミー・マーキス・シンとキース・アニアンの間の戦いを見て、「戦闘意欲の無い戦いを見た」という感想を持ちました。

これと同じように、現実社会の私達の戦争の戦場でも、戦争教育というマインド・コントロールが無ければ、多くの兵士達の戦いというものには、戦闘意欲の無い白けた戦いというものを多くの人は感じるのではないでしょうか。
そして、これこそが本当の真実の状態ではないでしょうか。

そうなると、私達にとって、本当の問題とは、やたらと戦争教育をしたがる政府の上の人々の心とか、「敵を憎みなさい」という感じの徹底的なマインド・コントロールこそが、真の問題だとは言えないでしょうか。
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ですから、この映画を見ていて、「人類とミュウとの戦争の黒幕とは誰なのか?」が次第に、私達にとっての興味・対象となってきます。

そして、このキースの特徴としては以下のものがあります。
人類側のリーダーにもなるキースですが、その心の中では、自分に指示を与える大型コンピューターに対して、常に疑問と不満ばかりを持っています。
この複雑な性格と複雑な立場が、この映画のラストを導きます。

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         『愛の惑星(プラネット)』  All We Need Is Love

作詞:竜真知子/作曲:ミッキー吉野/編曲:ミッキー吉野、岸本博/歌:ダ・カーポ

      ブルー・ホライズン 青い地平線
      この星の 朝は美しい
      生命(いのち)ある すべてのものに
      降り注ぐ この光

      ブルー・ホライズン おまえはめざめた
      この星の 本当の姿に
      悲しみに 疲れた胸に
      やすらぎが よみがえる今

        All we need is love
        All we need is love
        All we need is love
        はじめて 気づいた
        長くつらい 旅路の果て
        見つけた 愛の惑星(プラネット)

      ブルー・ホライズン 涙はいらない
      この星の 明日に誓って
      朝焼けの 大地は詩う
      限りない 愛の夜明けを

        All we need is love
        All we need is love
        All we need is love
        はじめて 気づいた
        はるか遠い 宇宙の果て
        見つけた 愛の惑星(プラネット)

        はるか遠い 宇宙の果て
        見つけた 愛の惑星(プラネット)
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                                        坂本  誠

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