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2015年6月 6日 (土)

二千五百十八: 銀河鉄道999を見て_No.2

二千五百十七: 銀河鉄道999を見て』の続きです。

記事中の写真は、銀河鉄道999のテレビ版、映画版、そして、映画予告編からの写真です。
セリフは同映画からの引用です。

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私達がよく見かけたことのある、あのラスト・シーンについて書いてみます。
鉄郎とメーテルが別れる、あのシーンです。
この映画が恋愛映画でもあった事もわかります。

テレビ版も映画版も、終わりに近づくにつれ、鉄郎とメーテルの愛情が語られます。
しかし、メーテルは鉄郎との別れを選びます。

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鉄郎と別れて、自分の旅を選びます。

メーテルと鉄郎は愛し合っているようですが、なぜ、別れるのでしょうか。
メーテルは機械化人であり、かなり長生きをしているようです。
そうなると、彼等の愛が年齢の差によって、隔てられるのでしょうか。
そうではないようです。

一番の原因はメーテルは機械化人であり、鉄郎は生身の人間であることが、メーテルと鉄郎が愛し合ってはいけない理由のようです。
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一応、私達である生身の人間の男女の愛を書いてみます。
最近では、人間の性教育も比較的、低年齢に及んでいますから、多く知られたものですが、男女が愛し合い、SEXをして、子供を生みます。
ところが、機械化人には、このような男女の愛情があるでしょうか。
原作にも、テレビ版にも、映画版にも、機械化人同士の男女のSEXは無いようです。
機械化人の男女が肩を寄せ合うぐらいのシーンならあります。

しかし、何よりも、機械化人と機械化人がSEXをして、子供を生む事は設定にも無いようです。
むしろ、どう考えても、「機械化された身体」には、生殖の機能も無いし、また、「機械が機械を生む」というのは聞いたことがありません。

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(遠い将来に、ロボットが意志や感情を持っても、この件だけは克服できないポイントになり、何かの問題になるかもしれません。)

ですので、銀河鉄道999は、機械化人同士の男女の愛の無い世界である事がわかります。
男女の愛の無い世界だけでなく、子供が生まれません。
つまり、人が子供を愛する喜びも無くなっていきます。
男女の愛も冷め、子供への愛も無くなると、人は次第に友愛も兄弟愛も人類愛も失っていくでしょう。
人が愛を無くす結果、機械帝国に何が生まれているかというと、退屈と支配です。
機械帝国は表面上は、最新の機械とまばゆいばかりの照明に照らされています。
しかし、実質は、愛の無い世界である事がわかります。
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メーテルの場合を見てみます。
映画のセリフを引用します。

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●メーテル:
私の身体は鉄郎のお母さんの身体。
私は鉄郎のお母さんの若い時の姿の生き写し。
私は人の姿をした影。
こうやって、もらった身体が歳を取れば、また一つ別の身体を移し変える。
果てしない時間の中を旅してきたの。

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★鉄郎:
それで母さんに似てたのか、、、
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つまり、メーテルの身体は鉄郎の母のクローンであった事が推測できます。
メーテルの父親にドクター・バンと言われる存在がいます。
このドクター・バンの心はペンダントの中に入っており、常にメーテルが携帯しています。
おそらく、メーテルの心自体もペンダントのようなものの中に入っていて、それが鉄郎の母のクローン体の中に埋め込まれていると予想できます。
そして、多分、メーテルの心が自分の着ている鉄郎の母のクローン体を自由自在に操作するのでしょう。

この状態だと、あまり詳しくは書きませんが、鉄郎とメーテルの間の恋愛を多くの人が見て、やはり「悲劇の恋愛だ」と感じるかも知れません。
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メーテルが自らの女性の愛を男性である鉄郎に向けても、その男女の愛は、私達で言うならば、「慕う」という段階に留まる事がわかります。

ここまで書くに、読者の方も感じるかも知れませんが、私達である生身の人間と機械化人との間に生じる恋愛の結果に残酷なものを感じる人もいるかもしれません。

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私達である生身の人間から見たら、機械化人の愛は冷め、やがて、人間愛も薄れていくのですから、その世界にはゾッとするものを感じるかもしれません。
生身である人間から見たら、メーテルの鉄郎への愛は、「慕う」という段階で終了です。
ですから、鉄郎の考えている恋愛とは全く違ったスタイルです。

私達から見たら、彼等の恋愛の完結した状態だと、ずっとそのまま劇のように鉄郎とメーテルが旅を続けているだけなのです。

私にしては、何とも、残酷なものを感じますが。
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ですから、劇中で現れる機械化人の何人かは生身の身体に戻る事を切望しています。
冥王星の墓守であるシャドウとか、ガラスのクレアもそうです。
つまり、人間が機械化人になって得られるものは、不老不死のボディですが、失うものは人間の愛なのでしょう。

なので、劇中では成功者である筈の機械化人の悲しみと苦しみが、逆に色濃く描かれています。
これが銀河鉄道999のもう一つの特色です。

これらの事を考えていると、「人間は機械化人になるべきではない」と考える人も出てくるでしょう。
鉄郎のように。
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結局、メーテルは達せられない愛を感じてか、鉄郎と一緒にいる事を選ばず、代わりに旅を選びます。

メーテルの願いもあってか、劇場版のラストでは、メーテルは「冥王星に保存している自分の生身の身体を取り戻したい」と、鉄郎に言います。

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もし、メーテルが以前の自分の生身の身体を取り戻して、鉄郎の元に訪れたとしたら、それは新たな希望ある恋愛の始まりとなるのでしょうか。

ですから、人がこの映画のラストを見るに、「この映画は悲劇の恋愛映画だ」と感じるか、「未来に希望を託したハッピー・エンド予定の恋愛映画だ」と感じるかは、個々の視聴者にゆだねられているでしょう。

映画版では、そのシーンは無いのですが、テレビ版の最終回で初めてメーテルは涙を流します。
それまでのメーテルは悲しい事や苦しい事を感じても、重い眼差しで鉄郎を見るだけでした。
機械の身体で涙を流せば、その身体の何処かが錆びるのかも知れません。
だから、メーテルは泣かなかったのかもしれません。
しかし、最終回でメーテルの流した涙の意味は語られませんでした。
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結局、この銀河鉄道999のテーマも愛情であった事がわかります。
人間の身体を機械化しても、それにより愛を失っていく人々が描かれ、また、失いかけている愛を取り戻そうとしている人々が描かれている事に気が付きます。
列車の汽笛と共に。

映画 銀河鉄道999 特報・劇場用予告篇
https://www.youtube.com/watch?v=URj_F-MIna4


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★鉄郎:

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どうしても行くのか、、、

●メーテル:
私は時の流れの中を旅してきた女。
でも、昔の身体に戻るために、、、

★鉄郎:
じゃ、やっぱり冥王星へ、、、
俺、待ってるよ、、、
もう、会えないのか、、、

●メーテル:
いつか私が帰って来て、あなたの側にいても、あなたは私に気が付かないでしょうね。

私はあなたの思い出の中にだけいる女。
私はあなたの少年の日の心の中にいた、青春の幻影。

★鉄郎:

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メーテル、、、メーテル、、、

●メーテル:
鉄郎、、、

★鉄郎:
メーテル、、、メーテル、、、メーテル、、、メーテル、、、メーテル、、、
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                                        坂本  誠

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