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2015年1月 6日 (火)

二千三百六十九: 彼等のシステムを考える

今日は、久しぶりに彼等の絡んだ話題を書かせて下さい。

人類支配と人類の奴隷化作業を行い続けた彼等です。
ですから、私達の社会常識として、様々に彼等の慣習が、私達の社会常識になっている事がわかります。

ですから、日頃、「これは当然だ」とか「これは常識である」となっているものこそが彼等の常識である事がわかります。
なので、ある程度、「社会のタブー」とされている事も考えて見ます。

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■①:お金

一番、考えやすいのはお金です。
これは、私のブログにもかなり多く考えてきましたので、あまり、書き足す必要は無いかもしれません。
旧ブログ『悲喜憐偉』の「五百八:税について」も書きましたが、私がよく引用する司馬遼太郎さんの文章を引用します。
私の気になった部分には、アンダーラインを引かせて頂きました。

街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

P1060153


維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。
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(引用終わり)

つまり、明治時代の前の江戸時代には90%ぐらいが、日本の農村部でしたから、日本の約90%の人は、お金を見たことが無かった事がわかります。

現代社会で、お金を好きな人は多いと思います。
普通、私達は水を愛します。
それは、水が無ければ人は死ぬからでしょう。
ですから、死の恐怖から逃れる事が出来るので、人は水を愛するのかもしれません。

それと同じように、彼等は自分達の道具である「お金」を多くの人々に配布して、「お金は水である」という雰囲気を世に与えました。
ですから、「お金が無ければ、人は死ぬ」という恐怖感を彼等は私達に与えた事がわかります。
お金をたくさん持てば、この恐怖感を無くす事が出来るので、人はお金を愛すると思います。
ですから、この恐怖と安心感は彼等が作った人造の恐怖と言えるでしょう。
他にも、お金の事を書きましたが、長くなるので、お金についての過去記事をご覧ください。

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■②:学校

私達の間で、「学校」という制度があります。
この「学校に行く」というのは、私達の常識の間で「素晴らしい事だ」と言われています。
しかし、本当に、学校に行く事は素晴らしい事でしょうか。

彼等からしてみたら、多くの人間を奴隷にさせて、労働させなければいけません。
そのために、多くの人々に無理矢理知識を与えるために、学校があるのではないでしょうか。

そして、私達が学校を出て、社会人になると、学校で習った多くの知識を忘れます。
ですから、学校という常識も、もう一度、私達が全く新しいものを見るような感じで見てみても良いと思います。

また、学校は知識を教えてくれる場所でもありますが、同時に、人類支配を考え続けてきた彼等にとって、彼等のシステム常識を多くの人々に教え込む一大機関であると感じます。

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■③:結婚

結婚についても考えて見ます。
「結婚」というのは、男女二人が共同生活を営むの前提としています。
要するに、男女の愛情のスタイルの一つと言えるでしょう。

普通、結婚前の男女の付き合いには、第3者が口を挟まないのが常識だと思います。
なぜならば、ある人が、他の異性を好きになるのは自由だし、その好意を他の人々が口やかましく言う必要は無いからです。
誰が誰と付き合っても良いので。

しかし、恋愛生活ではなく、結婚について考えて見ます。
結婚をすると、その夫婦は、役所に結婚届を出さないといけません。
つまり、入籍と呼ばれる行為です。
そして、国家がその結婚した男女の間を、まるで管理しているように感じると思います。
普通の恋愛関係の男女で、お互いの愛情が冷めたならば、別れるのは比較的に簡単です。
しかし、結婚となると、入籍もしているし、普通で言うならば、離婚をする時は慰謝料の問題が発生している事がわかります。
つまり、結婚をすると、離婚しにくくなるのがわかります。

どうして、国家が二人の男女の間を取り持つような存在でないといけないのか、不思議を感じる人も出てくると思います。
恋愛生活の時には、第3者がその男女の間をとやかく言うことはありません。
しかし、結婚した後には、まるで「国家」というの名の第3者が、その男女の間を取り持ったり、とやかく言ってきている存在だと感じる人も出てくるでしょう。

どうして、国家が二人の男女の間を縛るような立場にあるのでしょうか。

私が思うに、籍などを入れていたり、子供が出来た時も、役所に出生届を出して、これも入籍させますが、これで人口管理が出来る事に気がつきます。
つまり、国家などが「頭数の把握」をしていると、多くの人間を管理しやすくなる事がわかります。
これも、巨大なピラミッド型の社会を構成して、人類支配しやすくしていると、私は考えます。

 

                                        坂本  誠

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