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2015年1月16日 (金)

二千三百七十八: 彼等のシステムを考える_No.4

二千三百七十四:彼等のシステムを考える_No.3』の続きです。

前段では、所有について書きましたが、今回も所有について書きます。
ですから、前回の続きとなります。
一緒によく考えて見ましょう。
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■⑥:所有_No.2

前回で書いた事を要約すれば、

  「お金の無いような昔の世界で、『所有』と言う行いを実行するには、宣言さえすれば良かった」

という事です。

ですから、ある読者の方は以下のように言われるかもしれません。

  「坂本さん、それはかなり昔の世界の話です。ですが、現代は違っています」

と言われる方もいるかもしれません。
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しかし、現代社会でも、私達は「宣言をするだけで所有する人々」を意外によく見かけています。
例えば、ある国の内部が荒れている場合があります。
すると、外国がその荒れている国を見て、

  「これではいけない。私達がその国に行って、平定しよう」

と、言いながら、その国に兵隊を送り込み、その国の内部を武力で無理矢理、平定するように見せかけます。
しかし、その後、その兵隊達を駐留させ、その国を半植民地化させている光景を見ていると思います。

つまり、その国の何らかの資源が欲しいため、武力を持って押しかけ、かつ、あからさまに、「私達はこの国(領土)を所有した」とは言いませんが、「私達は、この国の内部を平定してあげた」と、いかにも感謝の心を向けてもらうように言い回しを変えつつ、その国(領土)の暗黙の所有を宣言する光景を見ているかも知れません。

つまり、現代社会でも、上手いように言い回しを変えながら、何かを所有する際には、ただ「宣言」だけをしている光景を人々は見ていると思います。

ですから、現代でも何かを所有する際に、ただ、「宣言」だけを行っている場合もあるのです。
お金の無いような昔の話ではありません。
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そして、自分の国の内部での学校教育に用いられる歴史の教科書には、

  「ある国の内部が荒れていたので、私達がその国の内部に行って、平定あるいは併合した」

と、後世から見たら、いかにも善事が行われたかのような雰囲気で自国の歴史の教科書を、そのように書かせるわけです。
ですから、世界の他の国々でも、そのような事が現に行われているので、当事者の国から、

  「歴史の捏造を教科書に書かないで下さい」

と、クレームがよく来るようです。
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つまり、所有という私達の見慣れた行いが、元を探れば、略奪の精神から来ている事がわかるでしょう。
また、その略奪の精神をよく見てみると、「他人より威張りたい」とか「他人を支配したい」という心から来ている事に人は気付くと思います。
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また、前回でも書きましたが、以下の件もおかしいことに気が付くと思います。

例えば、お金の無い時代でも、何らかの土地とか山を所有していた人がいたとします。
そのような人々が、

  「私は昔から、この土地に住んでいる。だから、この土地は私のものだ」

というのもおかしい話に感じると思います。
まず、第一に考えられるのは、「昔から、あなた達の先祖がその土地に住んでいるということが、あなたがそれらの所有権を持つの許可することになるのですか?」と、私達は考えるでしょう。

また、アメリカ大陸にはネイティブ・インディアン達が住んでいましたが、ヨーロッパから来た白人にアメリカ大陸を略奪されました。
この話を考えても、「昔からアメリカ大陸に住んでいたインディアン達の方が所有権があって、後からヨーロッパから来た白人達が所有権を奪い取ったのか?」となると、段々、「昔からその土地に住んでいれば、その土地の所有を宣言して良いのか?」という疑問に行き当たると思います。
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それに、日頃の私達の生活を見回して見ます。

鉛筆とか、何かの電化製品とか、日用品とかでも、普通の人はお金を出して、買って、それらを所有します。
しかし、そうやって手に入れた「所有物」も、いつの日にか必ず手放す時が来ます。
どんなものにも製品の限界がありますし、また、人が死ぬ時にはそれらを天国に持っていけない事は明らかです。

つまり、私達が日頃、手にしているノートとかカバンとか、その他の一切のものも、いつの日にか、私達は「所有権」を手放します。
だから、しっかり、これらを見ていると、以下のように感じると思います。

  「どんな所有物でさえも、私達は借りているだけだ。だから、ある時間が経ったら、それらを廃棄したり、手放さないといけない。だから、『所有』という行いは一切無く、ただ長い時間か短い時間だけ、私達はそれらの物資を借りているだけだ」

と。

(以下、新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千三百七十四:彼等のシステムを考える_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no3-473e.html

『二千三百七十一:彼等のシステムを考える_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no2-bc53.html

『二千三百六十九:彼等のシステムを考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/post-c4de.html

 

                                        坂本  誠

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