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2015年1月

2015年1月30日 (金)

二千三百九十一: 電磁波対策を考える_No.12

二千百七十四:電磁波対策を考える_No.11』の続きです。
また、この段は『二千三百九十:飲料水を考える』の続きでもあります。

健康問題を考えているのか、それとも、省エネ問題を考えているのか、よくわからないのですが、どちらにも関係してくると思われる記事が続いています。
ですから、前段『二千三百九十:飲料水を考える』の続きにもなります。

私は以前に、電磁波をシャットする物質としてアルミホイルを挙げました。
そして、オルゴナイトと呼ばれる水晶とレジンを使用したものを紹介しました。
しかし、前段『二千三百九十:飲料水を考える』の流れからのものも紹介させてください。
やはり、私も携帯電話やパソコンを使っているので、電磁波の事を考える機会があるからです。

以前にも紹介した文献『水は答えを知っている(江本勝 著、サンマーク出版)』から引用します。
私の気になった部分には、アンダーラインを引かせていただきました。
氷の結晶ですから写真も同書から引用します。

P1300147


写真をクリックすれば画像が大きくなります。

概略を書くと、水の氷の結晶が作られる際の対照実験をしています。

電磁波を発生する電化製品として、テレビ、パソコン、携帯電話、電子レンジが使われています。
そして、2種類の水が使用されています。
一つは「愛・感謝」の文字を見せた水です。
そして、もう一つの水には何も見せられていません。

この2種類の水を電磁波に当てながら、氷の結晶を作ります。
写真もよく見て頂きたいのですが、「愛・感謝」の文字を見せた水は氷の結晶が作られます。
しかし、何も見せない水だと、氷の結晶が出来ません。


ですから、同書には、「電磁波はやっぱり怖い」と書かれてあります。
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しかし、彼の研究結果を信じるならば、以下の電磁波対策が出来る事に気がつきます。

「愛・感謝」の文字が彫られた携帯電話やスマホのストラップを手に入れます。

P1300149_2


そして、携帯電話やスマホのストラップとして、それを付けるのです。
同様に、テレビ、パソコン、電子レンジの近くとか、それらに見せるような感じで「愛・感謝」の文字を書いた何かを貼っておくのです。
こうすれば、水が氷となる時に結晶を作るくらいだから、彼の研究結果を信じるならば、電磁波対策をしている事になります。
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しかし、同書では、「電磁波をどれぐらいの時間、当てたか」と言う事はわかりません。
ですが、研究結果を信じるならば、電磁波そのものは消えないまでも、人体に対して、電磁波対策をしている事になるでしょう。

電磁波の照射時間まではわからないので、かなり詳しい内容に踏み込むとなると、氷を扱うような実験室の中で、顕微鏡を備えて実験しないといけないでしょう。
ここまでは、ちょっと私も備えないかと思っています。

ですから、この実験のさらに詳しい内容を知りたければ、彼の残した施設に問い合わせないといけないかと思います。
さらに電磁波の測定もしないといけないでしょうから。

しかし、彼の研究結果を信じるならば、少なくとも、私達はまた一つ簡易的な電磁波対策アイテムを手に入れた事になります。
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また、電磁波にせよ、氷の結晶にせよ、共通している事があります。
それは、通常、人間の目に見えない世界だと言うことです。
そして、目には見えませんが、特殊な感じで追求すると、このように、やはり同じく目に見えない変化があったということです。

ですから、今まで私達は、そのような目に見えない世界の変化には気付きにくかったのですが、このようにして、それらを確認できるようになると、これまた人の間で何がしかの変化が起きると言う事に気がつきます。

(以下、新ブログ『光と輝き』からの電磁波に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
==========================
『二千百七十四:電磁波対策を考える_No.11』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/09/_no11-1517.html

『二千百五十九:電磁波を考える_No.10』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/08/_no10-482f.html

 

                                        坂本  誠

二千三百九十: 飲料水を考える

※:
シンクロニシティがありましたので、ここに書いておきます。
私がこの記事を書いていたのは昨日(2015/1/29)です。
今日、この記事を掲載しようとしていたら、ブログ『InDeep』様の2015/1/30記事、『「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないかと」と思わせる日本をめぐる様々な統計グラフや、それと同じ曲線を描くいくつかの統計』記事中に、「日本の水道の浄水場での「塩素」の投入量の推移を示したもの」がありました。

Photo


概略を書きますと、戦後、米国の指導により、日本の上水道の浄化のために塩素による消毒・殺菌が行われるようになりました。
丁度、その頃から、アトピー性皮膚炎の患者や癌患者が増えているが、関係があるかもしれない、という内容でした。
シンクロ内容を書いておきました。
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以前、『二千三百四十二: 飲料水の作り方』で「綺麗な川の上流の水をそのまま飲む」という手合いのエッセイを書きました。
これなども、「水道代の節約」というよりも、私の方では健康問題から、水道水に価値を見出せなくなったところです。
理由を書きます。

知っている人も多いかも知れませんが、氷の結晶の撮影で有名な江本勝さんの研究結果を知ったからでした。
手短に書くと、日本の水道水は塩素で消毒、殺菌されています。
その結果、日本の水道水で氷の結晶を作ろうと思っても、全く、その水は結晶を作らないそうです。
なので、私は、「日本の水道水は人体に悪いのではないのか?」と考えました。

以前にも紹介した文献『水は答えを知っている(江本勝 著、サンマーク出版)』から引用します。
私の気になった部分には、アンダーラインを引かせていただきました。


まず私は、町の水道水を見くらべてみることにしました。
東京の水道水は全滅でした。
きれいな結晶が、まったくといっていいほど撮れないのです。
日本の水道水は、消毒のために塩素が使われています。
塩素による消毒は、自然の水がもっている美しい構造を完膚なきまでに壊してしまうのです。

これに対して自然水は、どこの土地のものであっても、とても美しい結晶を見せてくれました。
湧き水、地下水、氷河、自然が残っている川の上流(生活廃水が流れ込む下流では、きれいな結晶は見られませんでした)、世界のどの地域をとっても、大いなる自然の原理にのっとった水は、きれいな結晶をつくるのです。

(以下、『水の結晶 | 株式会社 I.H.M.』より写真を引用)
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●水の結晶 | 株式会社 I.H.M.
http://hado.com/watercrystal/

Wc11

Wc21

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また、江本さんの研究によると、水はCDやテープレコーダーのように情報を蓄積できます。
水道の水が氷の結晶を作らないと言う事は、水に良い情報が蓄積(転写)されておらず、悪い情報が転写されていると考えられます。

塩素の情報も、文献を引用しておきます。
私の気になった部分には、アンダーラインを引かせていただきました。

(以下、『塩素 wikipedia』より引用)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%B4%A0

塩素分子は常温常圧では特有の臭いを持つ黄緑色の気体で、毒性と腐食性を持つ。

強い漂白・殺菌作用をもつため、パルプや衣類の漂白剤や、水道水やプールの殺菌剤として使用される。

人体・環境への影響
消毒

塩素は水道水の消毒に使用されており、水道法の規定で、各家庭の蛇口で1リットル当たり0.1 mg以上の濃度を保つように規定されている。
一方、有機物と塩素が反応することにより、塩素臭(カルキ臭)が発生するほか[9]発癌性が疑われるトリハロメタンを生成するといわれ、同様に塩素で汚水処理を行うと水路に塩素化有機物が流れ出てしまうのではないかという懸念の声もある。
ただし、コレラなどの病気がほとんどの国で駆逐されたのは塩素を含んだ水道水のおかげでもある。
近年は水道水の高度処理が進み、塩素臭は以前に比べて弱まっている[9]。

最終更新 2015年1月3日 (土) 22:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

上記の情報から考えて、私は過去のある時点から、スーパー・マーケットで売られている水を買うようになりました。
スーパー・マーケットだと、「日本の名水」等と書かれて、売られている安価な水があります。
ですから、かなり以前から「安全な水」とか「正しい水」を捜し求めていたのです。

「節約」という行為は主に「お金が出るか、出ないか」を考慮しています。
しかし、このエッセイの水の件だと、上記のような情報により、私の方で、あまり水道水に価値を置かなくなったのです。
結果、水道水を遠慮するようなスタイルになりましたが、主に健康問題の視点から水道水を遠慮したくなったのです。

なので、「節約」という「お金の支出を減らそう」という考えよりも、「安全な水を手に入れたい」というのが発端の動機となって、今に至っています。
ですから、これなども「エネルギーの変換」とか「新しいもの」や「質の違ったもの」への「移行」と言えるわけです。
あるいは、「見方が変わった」と言えるでしょうか。
結果として、「節約」が起きたように見えますが、それはおまけ的に(付随的に)起きた事だと言えます。

(以下、新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千三百五十三:飲料水の作り方_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/12/_no3-308d.html

『二千三百五十:飲料水の作り方_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/12/_no2-e13a.html

『二千三百四十二: 飲料水の作り方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/12/post-4a74.html

 

                                        坂本  誠

2015年1月29日 (木)

二千三百八十九: エネルギーの変換と省エネと節約を考える

省エネと節約について、私の考えを書きます。

以前、私はこの手の分野の話題の事を「節約」という表現をしていました。
しかし、最近では「省エネ」という言い方をしています。

どうも、私の考えたりしている事は「節約」という言い方がふさわしくないのに気が付いたからです。
「節約」というのは、例えば、お金で言うなら、そのお金を全く使わない事を意味しています。
ところが、「省エネ」というのは、ちょっと節約とは違います。
例えば、「省エネ」というのは、日頃の生活の中で無駄になっている箇所を発見して、そのエネルギーを上手に省いたりする事です。

しかし、私の考えている「省エネ」とか「節約」というのは、これとも違う事に気が付きます。
何と表現していいのか難しいのですが、「エネルギーの変換」という表現が一番ぴったりのような気がします。

例えば、熱エネルギーを電気に変えたり、あるいは運動エネルギーを電気に変えたりする事は「エネルギーの変換」です。
火力発電所や車の中のエンジンがそのちからで、電気を作り、バッテリーに溜める事は「エネルギーの変換」です。
ですから、私も色々と考えているのですが、そこには、「省エネ」とか「節約」をしているという感じは無く、「エネルギーの変換」をしていると感じています。
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例えば、LED照明に変えていったら、家庭の電気代が安くなります。
しかし、家の中の多くの照明をLEDに変えていくのは、それだけ費用がかかります。
確かに、家の中の電気を使っているのは違いないのですが、同じ電気を使っているにしても、何か違うものを感じます。
白熱電球からLED照明というのは、同じ電気を使いますが、質の違う電気を使うような気がします。
LED照明にしても、「省エネ」とか「節約」とは、ちょっと違うものを感じます。
白熱電球からLED照明に変える事は、一番表現的に正しいと感じるのは、「エネルギーの変換」という表現です。
また、何か新しいものへの「移行」という気がします。

LED照明に変えると結果として、電気代を節約する事になります。
ですが、「お金を節約する」という意味ではなく、「新しいもの」や「質の違ったもの」への移行という感じが強いです。

また、「省エネ」というのは、余ったエネルギーを上手に省く事です。
結果として、節約するような感じになりますが、余ったエネルギーを省いて、その余ったエネルギーを何か他のエネルギーに変えて、どこかにそのエネルギーを流しているような気がします。
現実的な事は、余ったエネルギーを上手に省けば、その分だけ節約が出来、余ったそのお金を何か他のもっと有意義な事に使えるわけです。
私はそのように感じています。
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また、お金の無い世界が、この世のどこかにあると仮定します。
その世界でも、発電事業があり、人が火力発電や水力発電、あるいは原子力発電で電気を生産していると仮定します。
そのような世界でも、太陽光発電やLEDのように何か新しいものが出てきたとします。
すると、従来の発電では、かなり労力が必要とされていた箇所に無駄が発生してきます。
お金の無い世界でも、そのような事はあると考えられます。

例のように、新しいエネルギーとか新しい器具が作成されたら、それを応用する事によって、世間の流れが変わります。
昔は石炭が世界で大変使用されていましたが、現代ではほとんど使用されていないのと同じです。
ですから、「エネルギーの変換」とか「移行」と呼ばれるものは、「効率化」と言い換えてもいいです。
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また、新しいものの見方や考え方が違って来れば、人が価値を置いているものが違ってきます。
このような場合でも、古いものから新しいものへの移行が起きます。

例えば、お金について考えてみます。
私達の財布にはコインや紙幣があります。
世の中のコインや紙幣の総数はかなり多いでしょう。
コインには銅やニッケルやアルミニウムが多用されています。
もし、人間がお金を必要としない世界になったら、その分の銅やニッケルやアルミニウムは自動車とか飛行機に大量に使用されて、大量に自動車とか飛行機が生産されるでしょう。

そうなった結果、その世界ではお金の無い世界ですが、大変安価に多くの人々に自動車や飛行機が配布されるとか。
また、紙幣に使用されている紙の量も凄い量でしょうから、その分、書籍に回せたり、さらに多くの紙が多くの人々に安価に配布されると考えられます。

このように、新しいものの見方と考え方が出てくれば、「エネルギーの変換」とか「移行」と呼ばれるものが起きるでしょう。
私の考えているものは、こんな感じです。
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ですから、今後も、「省エネ」とか「節約」という表現をするかもしれませんが、あまり適当な表現が見当たらないので、この語を用いているだけだと思って下さい。
正確に表現するなら、上に書いたように、「エネルギーの変換」とか「移行」という言い方が正しいです。
ですから、今後も、この手の話題を書くかもしれませんが、「省エネ」とか「節約」という表現を見ても、あまり、「省エネ」とか「節約」という単語の本来の意味に取らないで下さるよう、お願いいたします。

 

                                        坂本  誠

2015年1月28日 (水)

二千三百八十八: 流星

           流星


      流星になって
      宇宙の中を駆け巡る。
      遥か下方に
      銀河系を眺めながら。

      気が付くと
      私は銀河の上に 浮かんでいる。
      銀河が
      闇夜に浮かぶ 光る雲のよう。

      私はスピードを上げて
      その雲に向かう。
      その雲を 一瞬で すり抜ける時
      私は 軽い心地良さを感じる。

      宇宙の暗闇を
      背景として
      私の ほほえみが
      仄かな軌跡を描きながら。

 

                                        坂本  誠

20110213201400

二千三百八十七: 洗濯機の省エネを考える_No.2

二千三百八十二:洗濯機の省エネを考える』の2段目です。

前の段では、主に洗濯機を2日に一回とか3日に一回のペースにすると、「すすぎ」工程での水量がかなり減り、水道代がかなりお得になると書きました。
水道代の事は書きましたが、洗濯機に使用する電気代の事を書いていませんでした。

私の家の洗濯機の取扱説明書を読むと、その洗濯機の電気消費量は「395W」でした。
つまり、約400ワットです。
この約400ワットを洗濯物の量によって、洗濯する時間は違うのですが、だいたい30分から40分ぐらい洗濯機を使っているでしょうか。
ですから、1日に1回洗濯機を回転させると、400w * 0.5(30分) = 200Wh(ワット・アワー)と考えます。
これを一ヶ月だと、200Wh * 30日 = 6kWh(キロ・ワット・アワー)でした。

ですから、これを二日に一回にすると、半分ですから3kWhです。
なので、洗濯機で洗濯する回数を減らすと、電気代も節約する事になります。

洗濯機の省エネを考えると、水道代と電気代の両方がお得になる事に気がつきました。
余ったお金は、何か他のもっと有意義な事に使います。

(以下、旧ブログ『悲喜憐偉』新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
==========================
『二千三百八十二:洗濯機の省エネを考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/post-351b.html

『二千三百七十六:節約話の続き』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/post-46c5.html

『二千三百:電話のモールス信号的な使い方を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/11/post-d4cd.html

『二千百三十三:網戸の治し方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/08/post-d98a.html

『二千百三十:水の活かし方_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/_no2-04f5.html

『二千百二十八:水の活かし方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-1e00.html

『二千百二十六: 冷蔵庫の活かし方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-9aaf.html

『二千百二十四:ハンダ付けを使った節約方法』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-02e7.html

『二千百二十一:蚊(か)の減らし方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-0637.html

『二千百十六:物資の活かし方を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-c79f.html

『二千百八:無農薬野菜を使った節約方法』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-e6e0.html

『二千百四: タッパについて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-fa56.html

『二千九十七:節約について_No.5』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/_no5-f913.html

『二千六十七:節約について_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/06/_no4-f4a9.html

『二千五十八: 節約と新しい発見』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/06/post-3c7f.html

『二千五十五:節約について_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/06/_no3-c5d4.html

『八百二十四:節約について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no2-1753.html

『二千九百二十九:節約について』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/02/post-83e0.html

『二千八百六:食器洗いの水の節約について』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/01/post-1403.html

『二千八百十九:経済的な事(改訂版)』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/01/post-6668.html

 

                                        坂本  誠

2015年1月27日 (火)

二千三百八十六: 中東地域での太陽光発電を考える

中東地域での太陽光発電を考える機会がありました。

中東のある国では原子力発電を進めたい国があるようです。
しかし、中東は砂漠地帯の多い国で、晴天の多い地域でしょう。
また、砂漠地帯が多いので、比較的に土地も空いていると思います。
ですから、そのような場所だと、太陽光発電が盛んに行えると思います。

また、技術的にも、太陽光発電は完成しているし、また、施工業者も多くいます。
ですから、中東地域の発電事情を考えると危険な原子力発電よりも、太陽光発電を行えば、安全も確保できるし、また、電力事業も安定するのではないでしょうか。
もちろん、コストの面でも原発よりもはるかに太陽光発電の方が安いので。

 

                                        坂本  誠

2015年1月25日 (日)

二千三百八十五: 朝の光

           朝の光


      朝の海から
      太陽が
      昇ってくる。

      空が青く輝き始める。
      空の青さが
      海を青く染めてゆく。

      太陽が
      青の色彩をも
      運んでいるかのようだ。

 

                                        坂本  誠

P9050146

二千三百八十四: 彼等の望みを考える

二千三百八十一:彼等のシステムを考える_No.5』の姉妹編です。

彼等の望みを考える機会がありました。
1万3000年、あるいは、それ以前から、人類支配を企んできた彼等です。
ですから、彼等が人類支配をするための作戦には、パターンがある事に気がついてきます。

『四百八十六:私の見かけたビデオについて_No.47』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no47-6032.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

上記のビデオでも紹介されていますが、9.11テロの事例がありました。
彼等の目的の一つに劇場型犯罪があることが知られています。
ボストン・マラソン爆弾事件でもそうでしたが、劇場型犯罪を自作自演して、多くの人々に問題を投げかけます。
そして、「私達がこの大きな問題を解決しよう」と言いながら、マスメディアを使って、戦争の正当化を狙ったりします。
彼等といえども、多くの人々の戦争の正当化を支持してくれないと、戦争に踏み込めないからです。

最近では、彼等に関する様々な資料があります。
要するに、今まで彼等は私達に長い事、彼等の望みを呑まされてきたわけです。
そして、本当の理由は多くの人々には隠蔽するのです。
ですから、彼等のパターンや望みや目的がわかってきたら、それらとは全て反対の事をした方が良いでしょう。

わかりやすく考えたら、「彼等が多くの人々に彼等の戦争行為の正当化を望んでいる」と気がついたら、全くこれとは反対の方向に行くわけです。
今まで長い事、私達は彼等の望みをそのまま受け入れてきた事がわかります。
ですから、今後は、常に彼等の望みとは全く反対の事をすれば、彼等から離れていくのが早くなる事に気がつくでしょう。
-----------------------------------
他にも、時と場合によって、彼等が多くの人々に要求している事項が変わってきます。
ですから、時と場合によって、「彼等の望みとは何か?」と考えて、常に私達は彼等の望みとは全く逆に歩んで行った方が良いでしょう。

 

                                        坂本  誠

2015年1月24日 (土)

二千三百八十三: 宇宙

           宇宙


      水の中に 一つの宇宙を感じる。
      水と宇宙は似ている。
      水のゆらめきが
      宇宙の放つエネルギーのゆらめきのよう。

      星の一つ一つが
      水の中の 一つ一つの生き物のよう。
      一つ一つの星が
      生き物のように 鼓動している。

      星々が
      宇宙という大海の中につかり
      一つ一つが 手を取り合って
      共に生きて 和をなしている。

      その一つ一つの星の上に
      さらに 
      多くの生き物が
      命を与えられている。

      その生き物の中にも
      さらに 多くの生き物が
      細胞として
      脈を打ち続けている。

      宇宙の極大のものから
      極小のものまで
      同じ波動を持つかのように
      ゆったりと脈動している。

      その脈動して
      流れ続ける
      血液そのものが
      温かい愛だ。

      大きな血管から
      小さな血管まで
      愛の血液が
      脈打ち 流れ続けている。

 

                                        坂本  誠

20110213200602

2015年1月23日 (金)

二千三百八十二: 洗濯機の省エネを考える

二千三百七十六:節約話の続き』の続きです。
洗濯機の省エネを考える機会がありました。

少なくとも、私の暮らしている国では、最近の洗濯は電気洗濯機が行っている家庭が多いと思います。
この洗濯機にも省エネできる機会はまだありそうです。

以前、私は、「洗濯機にお風呂の残り湯を使えば、経済的に水道代がお得になる」という感じのエッセイを書きました。
お風呂の残り湯を洗濯機の「洗い」の工程での水に使うわけです。

ところで、現代の洗濯機は「すすぎ」の工程がほとんど付いています。
この「すすぎ」の段階でも、かなりの水量を使う事に気が付きました。
例として、私の家庭にある洗濯機のデータを書きます。
私の家の洗濯機には、普通の「すすぎ」コースと「注水すすぎ」というコースがあります。
水量をその二つで比べてみます。

すすぎ  : 22~50リットル
注水すすぎ: 22~58リットル

つまり、普通の「すすぎ」コースだけでも「22~50リットル」の水を使用していました。
現代、数多くの洗濯機が売られています。
ですから、多くの洗濯機では、上記の水量が違っているかもしれません。
しかし、少なくとも、私の家の洗濯機では上記のように、多くの水を使っていました。

「すすぎ」には、さすがに、お風呂の残り湯は使えないようです。
しかし、上記の水量から考えて、例えば、洗濯を2日に1回にするとか。
あるいは、3日に1回とするとか。

このように間隔を置いて、洗濯をすると、洗濯機に使う水の使用量はかなり減ると考えられます。
結果、水道代がかなり経済的にお得になるでしょう。
水道代の余ったお金は、何か他のもっと有意義な事に使いましょう。

(以下、旧ブログ『悲喜憐偉』新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
==========================
『二千三百七十六:節約話の続き』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/post-46c5.html

『二千三百:電話のモールス信号的な使い方を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/11/post-d4cd.html

『二千百三十三:網戸の治し方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/08/post-d98a.html

『二千百三十:水の活かし方_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/_no2-04f5.html

『二千百二十八:水の活かし方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-1e00.html

『二千百二十六: 冷蔵庫の活かし方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-9aaf.html

『二千百二十四:ハンダ付けを使った節約方法』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-02e7.html

『二千百二十一:蚊(か)の減らし方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-0637.html

『二千百十六:物資の活かし方を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-c79f.html

『二千百八:無農薬野菜を使った節約方法』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-e6e0.html

『二千百四: タッパについて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-fa56.html

『二千九十七:節約について_No.5』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/_no5-f913.html

『二千六十七:節約について_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/06/_no4-f4a9.html

『二千五十八: 節約と新しい発見』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/06/post-3c7f.html

『二千五十五:節約について_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/06/_no3-c5d4.html

『八百二十四:節約について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no2-1753.html

『二千九百二十九:節約について』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/02/post-83e0.html

『二千八百六:食器洗いの水の節約について』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/01/post-1403.html

『二千八百十九:経済的な事(改訂版)』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/01/post-6668.html

 

                                        坂本  誠

2015年1月21日 (水)

二千三百八十一: 彼等のシステムを考える_No.5

最近のシリーズものの「彼等のシステムを考える」です。

今日は、金融編です。
お金の話は、このブログで多く紹介しているので、おさらいをしながら行きます。
一緒に分析してみましょう。
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■⑦:金融

まず、私達が身近に分析しやすい例から考えます。
「身近に」ですから、「戦術編」とも書けるでしょうか。
「戦術」とは、「小さな作戦レベル」という意味です。

(以下、「電通 - wikipedia」より引用)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E9%80%9A

戦略十訓

1970年代に電通PRが以下の戦略十訓を提唱した。
元のアイデアはヴァンス・パッカード著『浪費をつくり出す人々』(1960年)といわれる。

1. もっと使わせろ
2. 捨てさせろ
3. 無駄使いさせろ
4. 季節を忘れさせろ
5. 贈り物をさせろ
6. 組み合わせで買わせろ
7. きっかけを投じろ
8. 流行遅れにさせろ
9. 気安く買わせろ
10. 混乱をつくり出せ

最終更新 2014年6月22日 (日) 07:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

上の例から考えますに、ヴァンス・パッカードと呼ばれる人が資本主義について論じた本でしょうが、資本主義の紹介がされています。
上記に挙げた資本主義の骨子が私達になされている刷り込みと洗脳だと言えると思います。

1.もっと使わせろ」、「2.捨てさせろ」、「3.無駄使いさせろ」とあります。
つまり、彼等は私達に無駄遣いをさせようとしています。
当然、この骨子だと、あなたの財布のお金が少なくなります。
つまり、あなたは損をします。

あなたが金銭的に損をすれば、あなたは財布のお金を増やすために、さらにもっと労働しないといけません。
つまり、これで彼等がお金と言う道具を使い、私達が彼等の奴隷になる様が、あなたにもわかると思います。
ひたすら、あなたがお金を追わないといけなくなる構図になるので。

4.季節を忘れさせろ」、「5.贈り物をさせろ」、「6.組み合わせで買わせろ」、7.きっかけを投じろ」とあります。
現代は「プレゼント商戦の時代」とも言われています。
この「プレゼント商戦」の基本が資本主義で進められていた作戦だともわかります。
ですから、この状況でも、彼等の手に乗らず無駄遣いを止めた方が良いと思います。

「8.流行遅れにさせろ」、「9.気安く買わせろ」とあります。
ここから、現代のコマーシャル作戦もあなたが理解できるでしょう。
テレビのチャンネルを回すと、様々な物品のコマーシャルが流れます。
そして、それらの物品のモデル・チェンジのスピードを早くします。
すると、「流行遅れ」が生まれ、次に「流行遅れが起きている」と視聴者に思わせ、「気安く買わせろ」となるでしょう。
つまり、あなたは損をします。

また、マスメディアを使用し、上記のように、多くの人々を「比較」・「競争」の世界に誘い込んでいるのがわかります。
二千三百八十:主張について』でも幸福について書いたのですが、このような「比較」・「競争」の世界を作られると、私達の幸福感は減っていきます。
なぜならば、他人と「比較」・「競争」させられる事により、自分の幸福感に他人の意見とか他人の視線が入ってくるからです。

「競争に勝つ」というのは、これは幸福感とは違います。
ある人が競争などで勝つと、そこには幸福感ではなく、どことなく、「他人を制圧した」という優越感が出てくるでしょう。
つまり、これは幸福感ではありません。
つまり、彼等のシステム自体の根本に「比較」・「競争」という目的があるのです。
つまり、「本当の幸福な世界を作ろう」というのが、彼等の目的ではない事がわかります。
彼等が目指しているのは、常に戦いの世界である事がわかります。
その目標を私達の世界に導入しようとしている事が、あなたにもわかるでしょう。
ですから、本来、多くの人々は幸福を目指しているのですが、そうではなく、社会に出て極度の疲労感を感じるのはこのためだとわかります。

「10. 混乱をつくり出せ」とあります。
これも、多くの人々が彼等の心の奥底を見ることの出来た一瞬でしょう。
「10. 混乱をつくり出せ」については、説明する必要が無いでしょう。
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次に、「戦略編」です。
「戦略」とは、「大きな作戦レベル」という意味です。
例として、私がよく引用しているビデオを紹介しておきます。

『四百八十六:私の見かけたビデオについて_No.47』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no47-6032.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

スライヴ (THRIVE Japanese)
YouTube: スライヴ (THRIVE Japanese)

このビデオの中で、デービッド・アイクさんが、中央銀行支配の現代の経済システムについて語っています。
デービッド・アイクさんの説明を簡略に書かせて下さい。

まず、中央銀行が金融緩和や利子を下げることにより、市場(私達の経済社会の事)にお札やコインなどを配布して、多くの人々を喜ばせます。
幾らかの時間だけ、彼等は私達を喜ばせます。
これはお金を「アメ」として使う時です。
そして、次の段階では投資者達に一斉に株を捨てさせたり、あるいは、中央銀行主催で銀行の利子を高くします。
こうなると、株の暴落が起きたり、あるいは銀行の利子が高いので、その利子を払うために人々がお金をたくさん銀行に返す事によって、私達のお金が減ります。
ビデオ中では、デービッド・アイクさんは「釣り糸をたぐり寄せるように」と表現しています。
つまり、この段階だと、私達はお金に苦しみます。
これはお金を「ムチ」として使う時です。

このお金を「アメ」と「ムチ(鞭)」として代々彼等はお金を使ってきたのです。
このように「アメ」と「ムチ(鞭)」としてお金を私達の間に流すと、人々も気が付くと思うのですが、やがて、お金が精神的な麻薬になってくるのに気がつくでしょう。
お金が無い時に、人々はお金に苦しみます。
そして、ほんの一瞬だけ、人々にお金をやると、人々はお金を「大変素晴らしいものだ」と感じるからです。
普通の麻薬患者は麻薬の切れかけの際に苦しみますが、その時に麻薬を与えると、その麻薬患者はさらに麻薬をありがたがり、その麻薬を止められなくなります。
上の「麻薬」の単語を「お金」に入れ替えると、人はすっきりと理解できるでしょう。

このようにして、彼等は多くの人々にお金を崇めさせる風潮を作っていたことが理解できるでしょう。
拝金思想ですね。
そして、彼等自身はお金を無限に作って所有できるようにしています。
ですから、彼等自身はお金の制限もありませんから、物資所有の制限もありません。
逆に、私達にはお金の制限もあり、当然、物資所有の制限が出てきます。
このようにしてお金を使うことが、彼等の「人類奴隷化計画」の第一歩だったことがわかります。

人類支配の道具として、長い間、お金が使われてきたのですが、「お金を人類支配の道具としていることを多くの人々に悟らせないようにする」というのも、彼等の目的の一つだった事が、同上のビデオでもわかります。
そして、多くの人々がお金を崇めると、当然、多くの人々はお金の奴隷になります。
「多くの人々はお金の奴隷になった」と言う事は、お金は彼等の道具ですから、つまり、私達が彼等の奴隷にされたことがわかります。

そして、「全ての世界はお金だけだ」となると、そのお金を作る権利を持っているのは彼等ですから、当然、人類支配計画が進んだ事になります。
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確かに、私達はお金を使っていますが、これだと、彼等の策略にはまっている事になります。
ですから、彼等から離れるには、物資を大事にしたり、気安く捨てずに、必要でない物資が出来ても、どこかの知人にそれらを譲ってあげる、という方法が考えられます。

ですから、庶民である私達が行える手段としては、上記引用文献であるヴァンス・パッカード氏の残した資本主義の骨子と、全く逆の方向に行けば、彼等からは自然に離れていけるでしょう。

(以下、新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千三百七十八:彼等のシステムを考える_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no4-9eb6.html

『二千三百七十四:彼等のシステムを考える_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no3-473e.html

『二千三百七十一:彼等のシステムを考える_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no2-bc53.html

『二千三百六十九:彼等のシステムを考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/post-c4de.html

 

                                        坂本  誠

2015年1月19日 (月)

二千三百八十: 主張について

私達が生きている間に、主張を行わないといけない時がある。

その主張は、その時によって様々だ。
自分の生き方なり、何かの見ている事について自分の見解を語り、それらを多くの人に納得してもらいたい時がある。
それが主張だ。

多くの人に納得してもらいたいのだから、自分の語る内容は全て真実である事が望ましい。
この点は、『二千三百七十九:断言を行う人を見て』で書いたように、自分の発言が断言のように、全て真実である事がベストの状態だとわかる。
自分の語りたい主張を全て真実で語りたいのだが、しかし、私達でも、どうしても、その段階で調査が及ばなかったり、あるいは調べるちからがその時点では不足であり、また、その主張の論理に何かの不備を持っている時がある。
このような時、第三者がその主張に疑問を出した時、主張をする人はその疑問に正しい答えを与えられなかったりする。
また、どうしても、その段階で調べられなかったので、「その時点ではわかりませんでした」という補足が出て来て、自分の主張を完全なものに出来ない時がある。
これは誰にも経験があることだ。

だから、この場合は断言のように全てが真実ではない。
説得力が劣ってしまう時がある。
あるいは、自分の主張が完全な真実により全て固められていないのだから、自分の主張を完全なものにする事が出来ない。
だからと言って、自分が主張しなければいけない時に弱腰になる事は出来ない。

このような場合では、主張を語る際に、なるべく自分の心を誠意で固めておかなければいけない。

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自分の主張が心から出て、意志になり、脳を通って、口や手から自分の主張が出る。
自分の主張の源が心から出ているので、その心を誠意で固めておけば、口や手から出てくる自分の主張も誠意で固められている事になる。

だから、語る内容に誠意がこもっている。
だから、自らの主張に狂いや間違いが少なくなる。
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また、自分の主張に幾つかの間違いがある時がある。
これも全ての人が経験済みだ。

何かを主張する際に、「その主張に幾つかの間違いがあった」というケースと「その主張を述べる時に、あえて嘘をついた」というケースでは、全然、意味が違っている。
なぜならば、前者だと、その段階で調べる時間が無かったり、あるいは調べるちからが無かったかであるので、主張を行う人に誠意が無かったわけではない。

しかし、後者のケースだと、自分の主張の中に「事実と違う事がある」と、あらかじめ知っていたのに、あえて、その事実と違う事を自分の主張に入れるのだから、嘘をついた事になり、悪意があった事になる。
後者のケースだと、これはその主張を行う人に誠意が無い事になる。

だから、後者のケースの主張は、いつに日にか、人々に無視されるか正される。
なぜならば、事実と違っているのだから、後の人に事実との相違点を突かれるので、その主張は崩される。
ところが、前者のケースだと、その時点で調べはつかなかったのだけど、「その時点では、どうしてもわかりませんでした」という補足の説明が付く。
だから、その人の誠意が無かったわけではない。
また、誠意の元に「わかりませんでした」と言っているので、その人の誠意は失われなかったことになる。
------------------------------------
後者のケースの「その主張を述べる時に、あえて嘘をついた」というケースを考えると、これは実に世俗的な要素が多い事に人は気がつく。

何らかの主張、発表に嘘がある場合、その嘘を付いた原因を丁寧に人が見ていくと、以下の要素ばかりである事に人は気が付く。
その要素とは、権力、世間的な名誉とか名声、お金、あるいは、「自分はもっと人々の間で、評判が良くても良い筈だ」という欲の思いから、それらの嘘が出た事に人が気が付く。
あるいは、以前についた嘘が発覚しないために、嘘の上塗りをしている。

要するに、「嘘」というのは、私達の日頃の世俗的な欲求を満たすために嘘がつかれている。
言い換えれば、「他人が私をもっと素晴らしい人間であるとみなして欲しい」という欲求の現れが嘘だ。
だから、結局、そのような人間の幸せは、他人の参考意見で作られている事に気がつく。
噛み砕いて書くと、そのような人間の幸福とは、

  「私の幸福は、周囲の人の視線、あるいは、周囲の人の参考意見で作られている」。

だから、その人物の幸福とは、他人の参考意見で作られているので、全くその人の心の入っていない幸福だと言える。
言い換えると、そのような人物は幸福になれない。
なぜなら、周囲の人のちょっとした意見や、あるいは視線で、その人の幸福はコロコロと変わるから。
自分の周囲の人の数は多いのだから、その数多い人の数多い参考意見が、自分の幸福の物差しとなると、自分の幸福の物差しも数多く変わり、結局、そのような人は、他人の意見に数多く翻弄されている事になる。

さらに噛み砕いて書くと、その人間には自分の肉体の中に自分の心は入っておらず、数多い他人の心ばかりでその人の心が作られていることになる。
つまり、そのような人物は自分の心を他人に渡している事になる。
だから、そのような人物は幸福にはなれない。

ここから、

  「自分の幸福の物差しを作る際には、他人の参考意見を入れるのではなく、あくまで、自分の心の深奥から、独りで、にじみ出てくる良心とか、やすらぎによって、幸福の物差しを作る方が良い」

ということがわかる。

つまり、自分の幸福の物差しを作る時には、一切、目を閉じて、周囲の意見を全く取り入れずに、自らの心の奥底から自然に湧き出た感情から、その物差しを作れば良い事になる。
こうすると、世間的な風評によって、自分の幸福感が作られないからだ。
言い換えると、そのような幸福感覚は他人の意見に左右されにくい。

また、ここまで来ると、私達の周囲の世界とは、私達の内側にある本当の意味での良心とか安らぎとか愛情からかけ離れている事がわかる。
「この世は虚像だ」と誰かが言ったが、「これも本当だ」と、人がわかる。
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だから、私達が何かの主張や発表を行う際には、上と同じように、まず、自らの心の深奥からにじみ出る、一徹の曇りの無い純粋な良心とか、やすらぎを持って、それをベースにして、主張や発表を行えば、それらが自然に誠意で満たされている事になる。

当然、間違いの少ない主張や発表になり、また、論理の間違いの少ない主張や発表にもなる。
そして、場合によっては、気がついたら、完全な意味での主張や発表にもなっている時がある。
当然、完全な意味での主張や発表というのは、それらは真実のみで構成された断言である事に人は気がつく。

 

                                        坂本  誠

2015年1月18日 (日)

二千三百七十九: 断言を行う人を見て

断言を行う人を見て、感じる事がある。
この手の断言とは、その人にとって、もはや疑いも無く、曖昧な部分も完全に無く、真実だと知っている際に語る時の断言の場合だ。

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つまり、その人にとって、その語りたい内容は全て真実で作られている。
だから、その語る内容に全く疑いも無い。
語る時にも微塵(みじん)の不安も無い。
そして、語る際に一切の恐れも無い。

そして、背筋は伸びている。
腹の底から出るその人の言葉が他の人の心の奥底まで響く。
喋り方もよどみなく、はきはきと喋る。
そして、目も輝いている。

だから、私達が、この種の断言を行う人を見ると、その人が太古の昔から永遠の未来まで立ち尽くしている不動の巨岩を感じる。
あるいは、その人の言葉に鮮烈な光の矢を感じる。

断言を行う人が、そこまでの自信を持つには理由がある。
周囲の人が何か彼の言葉に疑問を感じて、彼に質問をしても、彼の語る内容は全て真実であり、そして、彼はその真実に従って、周囲の人々の全ての疑問をやがて解消できるからだ。
説明をする内容も全て真実で出来ているから、それらの説明を聞く方も真実を聞かされるので、やがて、彼の言葉を完全に納得するのだ。
だから、彼は断言できる。
だから、「ある人が何かの内容を断言できる」という場合は、その内容が全て真実で作られていて、かつ、その内容に曖昧な部分も一切無い事がわかる。
--------------------------------
私達でも、日々の生活の中で、断言ではなく、疑問を尋ねたり、意見を交わしたり、議論する事が出来る。
なぜかと言うと、日々の生活は私達にとって、一つの学習の場であるから、疑問や意見や議論が出てきても当然だから。
その疑問や意見や議論を交わす事が、私達の学習の一つなのだ。

しかし、私達でも、何かについて完全に断言できる時は、疑問や意見や議論をする場合ではない。
いかにして、その真実を人に説明するかが問題になる。
ところが、その説明自体も全て真実で作られているから、彼は真実を並べるだけになる。
だから、断言できる人は、やがて全ての人を納得させる事ができる。

このような場合、私達はその手の断言できる人に疑問を質問できるのだが、彼に斬りかかろうとする人がいるならば、そのような人は曲がった心とか、妬みの心情とか、その他のネガティブな心情から斬りかかろうとするのがわかる。

ここから私達は「真実ほど強いものは無い」とわかる。
なぜならば、真実と言うものは、本質的に曲げられるものではないのだから。
また、隠蔽できるものではないのだから。
また、真実を変える事は出来ないのだから。

だから、「断言する人」というのは、「真実を語る人」と言い換えられる。
道徳上でも間違いが無く、また、「語る内容の論理に一切間違いが無い」となると、その人の言葉は大きく聞こえる。
また、ちから強さを感じる。
--------------------------------
上の流れからわかるのだが、「嘘を語る人」というのは、逆に「弱い人」に見える。

「泥棒の足はいつも痺れている」とか「泥棒のお腹は壊れやすい」と聞いた事がある。
それは、泥棒が世間で言う、不道徳を行っているのを心が知っているため、そのやましさが身体に現れると聞いている。

上の泥棒と同じように、詐欺を行う人もそうだろう。
なぜならば、長い間、人々の間で、それらの行為は不道徳とされているから。
だから、どこか、心の奥底で、「これをしてはいけない」という正義の声が走るので、態度に弱々しさやびくついたものが出てくる。
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この手の断言というのは、既に間違いや曖昧なものが一切無い。
私達でも何かを断言したい時に、まだ、曖昧な部分が残っており、説明できない内容を持つ時がある。
それは、ここで論じたような「断言」の意味ではない。
まだ、曖昧な部分が残っていたので、考え直すと、これは「断言」とは言えない。
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しかし、完全な意味での「断言を行う人」というのを周囲の人が見ると、どこか、彼に「鋼鉄」を感じる。
あるいは、彼の雰囲気そのものに「真理」を感じる。

彼の断言内容を説明する言葉も、一種の断言だとわかる。
なぜならば、その説明の言葉も全て真実で出来ているのだから。
だから、彼の断言内容の全ての疑問を全て氷解できる。

また、その断言を行う人の語る内容を聞く時、真実ばかりを聞いているので、真実の美しさを感じる事が出来る。
「真実」というのは「正しい」と言う意味だ。
しかし、このような時、「正しい事は美しい事でもある」と、私達は腹で理解できる。

また、このような一瞬に、人は幸福を感じる。
なぜならば、人が「正しさ」の本当の意味を感じているから。
また、「正しさが、なぜ、正しくも美しく、きらめいているのか」と静かに洞察しているから。

 

                                        坂本  誠

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2015年1月16日 (金)

二千三百七十八: 彼等のシステムを考える_No.4

二千三百七十四:彼等のシステムを考える_No.3』の続きです。

前段では、所有について書きましたが、今回も所有について書きます。
ですから、前回の続きとなります。
一緒によく考えて見ましょう。
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■⑥:所有_No.2

前回で書いた事を要約すれば、

  「お金の無いような昔の世界で、『所有』と言う行いを実行するには、宣言さえすれば良かった」

という事です。

ですから、ある読者の方は以下のように言われるかもしれません。

  「坂本さん、それはかなり昔の世界の話です。ですが、現代は違っています」

と言われる方もいるかもしれません。
-------------------------
しかし、現代社会でも、私達は「宣言をするだけで所有する人々」を意外によく見かけています。
例えば、ある国の内部が荒れている場合があります。
すると、外国がその荒れている国を見て、

  「これではいけない。私達がその国に行って、平定しよう」

と、言いながら、その国に兵隊を送り込み、その国の内部を武力で無理矢理、平定するように見せかけます。
しかし、その後、その兵隊達を駐留させ、その国を半植民地化させている光景を見ていると思います。

つまり、その国の何らかの資源が欲しいため、武力を持って押しかけ、かつ、あからさまに、「私達はこの国(領土)を所有した」とは言いませんが、「私達は、この国の内部を平定してあげた」と、いかにも感謝の心を向けてもらうように言い回しを変えつつ、その国(領土)の暗黙の所有を宣言する光景を見ているかも知れません。

つまり、現代社会でも、上手いように言い回しを変えながら、何かを所有する際には、ただ「宣言」だけをしている光景を人々は見ていると思います。

ですから、現代でも何かを所有する際に、ただ、「宣言」だけを行っている場合もあるのです。
お金の無いような昔の話ではありません。
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そして、自分の国の内部での学校教育に用いられる歴史の教科書には、

  「ある国の内部が荒れていたので、私達がその国の内部に行って、平定あるいは併合した」

と、後世から見たら、いかにも善事が行われたかのような雰囲気で自国の歴史の教科書を、そのように書かせるわけです。
ですから、世界の他の国々でも、そのような事が現に行われているので、当事者の国から、

  「歴史の捏造を教科書に書かないで下さい」

と、クレームがよく来るようです。
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つまり、所有という私達の見慣れた行いが、元を探れば、略奪の精神から来ている事がわかるでしょう。
また、その略奪の精神をよく見てみると、「他人より威張りたい」とか「他人を支配したい」という心から来ている事に人は気付くと思います。
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また、前回でも書きましたが、以下の件もおかしいことに気が付くと思います。

例えば、お金の無い時代でも、何らかの土地とか山を所有していた人がいたとします。
そのような人々が、

  「私は昔から、この土地に住んでいる。だから、この土地は私のものだ」

というのもおかしい話に感じると思います。
まず、第一に考えられるのは、「昔から、あなた達の先祖がその土地に住んでいるということが、あなたがそれらの所有権を持つの許可することになるのですか?」と、私達は考えるでしょう。

また、アメリカ大陸にはネイティブ・インディアン達が住んでいましたが、ヨーロッパから来た白人にアメリカ大陸を略奪されました。
この話を考えても、「昔からアメリカ大陸に住んでいたインディアン達の方が所有権があって、後からヨーロッパから来た白人達が所有権を奪い取ったのか?」となると、段々、「昔からその土地に住んでいれば、その土地の所有を宣言して良いのか?」という疑問に行き当たると思います。
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それに、日頃の私達の生活を見回して見ます。

鉛筆とか、何かの電化製品とか、日用品とかでも、普通の人はお金を出して、買って、それらを所有します。
しかし、そうやって手に入れた「所有物」も、いつの日にか必ず手放す時が来ます。
どんなものにも製品の限界がありますし、また、人が死ぬ時にはそれらを天国に持っていけない事は明らかです。

つまり、私達が日頃、手にしているノートとかカバンとか、その他の一切のものも、いつの日にか、私達は「所有権」を手放します。
だから、しっかり、これらを見ていると、以下のように感じると思います。

  「どんな所有物でさえも、私達は借りているだけだ。だから、ある時間が経ったら、それらを廃棄したり、手放さないといけない。だから、『所有』という行いは一切無く、ただ長い時間か短い時間だけ、私達はそれらの物資を借りているだけだ」

と。

(以下、新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千三百七十四:彼等のシステムを考える_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no3-473e.html

『二千三百七十一:彼等のシステムを考える_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no2-bc53.html

『二千三百六十九:彼等のシステムを考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/post-c4de.html

 

                                        坂本  誠

二千三百七十七: 秘密保護法の矛盾について考える

秘密保護法の矛盾について考える機会がありました。
私は以下のように考えています。

私のブログでも、その内容によって、読者の方は

  「この内容って、秘密保護法に触れてるんじゃない?」

と、考える人もいるかと思います。

しかし、私としては、何が秘密指定なのかはわかりません。
それに、現在の多くの人々も何が秘密指定事項なのかわからないでしょう。

しかし、もし、仮に、私が秘密保護法で逮捕されたと仮定します。
すると、読者の方は以下の事に気が付くでしょう。

  「やっぱり、これらの内容は秘密指定事項だったんだ」

と。

つまり、その段階で秘密がばれます。
秘密保護法で、何かの秘密を守るつもりだったのでしょう。
しかし、その秘密を守るために逮捕した瞬間、その秘密がばれてしまう事に読者の方は気が付くでしょう。
つまり、秘密を守るための法律が何かの秘密を守ろうとしているのに、守る手段によって、それらの秘密がばれてしまうのです。

つまり、この法律に矛盾があることを人は知るでしょう。
秘密を守るための法律なのか、それとも、秘密を暴露するための法律なのか、よくわからなくなると思います。
つまり、このような矛盾したものが多くの人々に出された事にも気が付くと思います。

また、もし、私のブログでも、その気になる内容によって、それらが秘密指定されていたと仮定するならば、それらが事実であり、かつ、秘密指定された事になるでしょう。
それは何を意味するかと言うと、それらが国家のお墨付きで「公認されていた」と言う事になります。
私のブログの読者の方は、もし、それらの気になる事柄が秘密指定されていて、「国家公認の事柄だった」と知ると、どのような感じを抱くでしょうか。

 

                                        坂本  誠

2015年1月15日 (木)

二千三百七十六: 節約話の続き

以前から続いている節約話の続きです。

「節約話」ではなく、省エネ話として捉えて頂いた方が幸いです。
しかし、今日の話題は、あまり使えるケースが少ないかも知れませんが、ご紹介させてください。
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■①:塩による防虫

塩は殺虫剤としても使えます。
昔から塩は、食べ物に混ぜて、食べ物の保存用として使用されています。
つまり、こうすることによって、ばい菌の繁殖などを防いでいます。
ですから、塩には防虫効果があります。
砂糖は、逆に虫を引き寄せたりします。

また、人間も塩を取りすぎると、高血圧にもなりますので、塩の取り過ぎに注意しないといけません。
実際、塩が毒となってしまう証拠ですが、醤油の一升瓶をまるごと人間が飲むと、その人は死んでしまいます。
ですから、意外に塩には、このような毒性があります。
この塩の一面を使って、消毒したりするのです。
家の中で、虫の出やすい場所に塩をまいて置くとか。

塩だと飛んでいる虫に対しては殺虫剤にはならないかもしれません。
しかし、夏場を考えて見ます。
以前にも書いたのですが、夏場になると家の植木鉢を逆さまに置いた方が良いと思います。
植木鉢の中に雨水などが溜まると、蚊がやって来て、その植木鉢の中の溜まった水にボウフラという幼虫を生みつけて、そのボウフラがやがて蚊になります。
ですから、家の中の植木鉢は、出来るだけ逆さまに置いた方が良いことになります。

しかし、どうしても、水の溜まり場が家の中にあるケースもあります。
それは溝の中の溜まり水です。
このような溜まり水の中に、少々大目の塩を入れるわけです。
溜まり水が塩で一杯になると、蚊の幼虫のボウフラが生息できなくなったり、他の幼虫も生息出来なくなるでしょう。
このような場合を考えると、「飛んでいる虫に対しても、防虫効果があった」と言えるかもしれません。
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■②:家の中で反射材を使い明るくする

家の照明を考える時に、照明器具だけではまだ明るさが足りないと仮定します。
この場合、カーテンを白いものにしたり、あるいは、白い壁紙を壁に貼ったり、アルミホイルを壁に貼ることが考えられます。
逆に、黒いものを壁にかけたりすると、明るさが足りなくなる事がわかります。

これは黒い物体ほど、光を吸収しやすいからです。
逆に、白い物体は光を反射します。
ですから、部屋の中に白い物体や白いカーテンが多ければ、照明器具の光を反射して、部屋の明るさが増す事になります。
「熱線」も光の一種です。
ですから、白い物体を使ったり、白いカーテンを使ったり、あるいは、アルミホイルは反射材の一つですから、部屋の中に、そのような物質を多くすれば、温かくなったり、あるいは、明るさが増す事がわかります。

アルミホイルを壁に貼るかどうかは、個々の人の自由ですが、家の近くに携帯電話の電波塔が立っていれば、携帯電話の電磁波から身を守るため、部屋の中にアルミホイル箔を貼っても良いことになります。

実際、最近の家屋では、建築時に断熱材、防音材として、壁の中にアルミホイルを使用した断熱材、防音材が埋め込まれている事が多いです。
ですから、見栄えを良くするためには、壁の中にアルミホイルを入れるわけですが、出来ない人は個々の自由によって、壁にアルミホイルを貼っても良いかも知れません。
携帯電話の電波塔から発射されている電磁波からも身を守る事が出来るかと思います。

(以下、旧ブログ『悲喜憐偉』新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『千八十八:電磁波について_No.18』
●ケータイ放射線でDNAの二本鎖切断が証明されていた(米 上院公聴会)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/_no18-cb56.html
http://www.youtube.com/watch?v=8Yr6glIFL9o

ケータイ放射線でDNAの二本鎖切断が証明されていた(米 上院公聴会)
YouTube: ケータイ放射線でDNAの二本鎖切断が証明されていた(米 上院公聴会)


 

『九百三十四: 電磁波について_No.17』
●元英諜報部員が語るマイクロ波戦闘  Barrie Trower on Microwave warfare
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/02/_no17-d4c2.html
http://www.youtube.com/watch?v=hpfblQN2a-E

(※筆者注:このビデオは何者かに削除されたようです。)

(上記ビデオより抜粋して引用)
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誰かを始末するのが急ぎでない場合、この技術でビームを送れば、とても効果的なステルス兵器となります。
何度も実行されてきました。
記録もされています。
政府は気に食わない人々にビームを当てる事が出来ます。
ガン、乳癌、脳神経の病気など、かからせたい病気を何でも好きに選べます。
マイクロ波をビームするスーパー発信器があればできちまう。
例えば、世界の主要小麦供給国を経済破綻させたいと思ったとしますよね。
そしたら、電離層にマイクロ波ビームを当てるだけでいいんです。
電離層は地球全体を覆っている見えないイオンの雲です。
特定の角度で放たれた電磁波ビームが反射してその国へと落ちます。
その土地の小麦、牛や羊に向かって、マイクロ波ビームを当て続ければ、作物の免疫システムを痛めつけられます。
病気になって死ぬように・・・
生育を止められます。
そしてその国に経済破綻を引き起こせます。
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『百三十八: 『人口削減計画』等について_No.3』
●NASAの未来計画文書①
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/_no3-de9f.html
http://www.youtube.com/watch?v=z31ooPjx1T0

NASAの未来計画文書①
YouTube: NASAの未来計画文書①

(上記ビデオより抜粋して引用)
----------
●デボラ:
戦争状態の中ではどの様に周波数が使用される事になるかについても彼等は話しています。
「例えば、世界中にスマートメーターが配備されようとしています。
そこにはガスと水道メーターも含まれます。
ですが彼等は低周波使用について話をしています。マイクロ波です。
敵を標的とする周波数の使用について話しています。
私達が敵なのです。」
そして人口の100%がこの周波数に影響を受けると彼等は言っているのです。
、、、そして彼等が行っている事というのはこれらの周波数を使って私達の免疫システムを動かない様にしているのです。
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『百四十四:『人口削減計画』等について_No.5』
●NASAの未来計画文書③
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/_no5-0b84.html
http://www.youtube.com/watch?v=2Ww0U-TMGnE

NASAの未来計画文書③
YouTube: NASAの未来計画文書③

(上記ビデオより抜粋して引用)
----------
●デボラ:
「イギリス出身の科学者であるバリー・トラウアーによるシリーズが完結しています。」
「ワイヤレスに関する周波数の兵器化について話しています。」
「そして特にアメリカや他の国々でも広大に展開されている携帯電話タワーについてです。、、、そしてそれは携帯電話タワーなのです。」

■コブラ:
「教会の尖塔もそう(携帯電話タワー)なんですよね?」
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『二千三百:電話のモールス信号的な使い方を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/11/post-d4cd.html

『二千百三十三:網戸の治し方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/08/post-d98a.html

『二千百三十:水の活かし方_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/_no2-04f5.html

『二千百二十八:水の活かし方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-1e00.html

『二千百二十六: 冷蔵庫の活かし方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-9aaf.html

『二千百二十四:ハンダ付けを使った節約方法』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-02e7.html

『二千百二十一:蚊(か)の減らし方』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-0637.html

『二千百十六:物資の活かし方を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-c79f.html

『二千百八:無農薬野菜を使った節約方法』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-e6e0.html

『二千百四: タッパについて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-fa56.html

『二千九十七:節約について_No.5』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/_no5-f913.html

『二千六十七:節約について_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/06/_no4-f4a9.html

『二千五十八: 節約と新しい発見』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/06/post-3c7f.html

『二千五十五:節約について_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/06/_no3-c5d4.html

『八百二十四:節約について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no2-1753.html

『二千九百二十九:節約について』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/02/post-83e0.html

『二千八百六:食器洗いの水の節約について』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/01/post-1403.html

『二千八百十九:経済的な事(改訂版)』
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/01/post-6668.html

(上記記事より)
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先日、出版された本に以下のものがあります。
---------------------------------------------
『SHARE<共有>からビジネスを生みだす新戦略』

    レイチェル・ボッツマン 著
    ルー・ロジャース 著

    小林弘人 監修・解説
    関美和 訳
    NHK出版
---------------------------------------------
その中に、以下の例があります。
---------------------------------------------

  アメリカの半分の世帯(約5000万世帯)が電気ドリルを持っている。
  しかし、それらは、人間の一生の間に、一つの世帯で、合計して6分か13分しか使用されていない。

---------------------------------------------
だいたい、以上の例が紹介されてありました。
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                                        坂本  誠

2015年1月13日 (火)

二千三百七十五: ゆとり(独白)

最近、忙しくてブログの更新が遅れています。
どうか、ご了承ください。
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忙しい生活と言うのは張り合いがあるけれど、時には、ぐったりと休んでみたくなる。

20100724190827


休日の日に、しっかりと休んでみることにした。
休みの日というのは、ゆとりや安らぎを感じるものだ。
こんな日も大事だと思う。
忙しさを追い求めるだけだと、どこか片手落ちだ。

久しぶりに美術館に行ってみた。
私は美術館が好きなのだけど、あの静寂が漂う空間が好きだ。
静かな中に、人の声や靴音が幽かに響く。
余計に静かさを感じてしまう。
そんな場所だからか、私はいつも眠くなる。

「眠くなる」というのは、とても大事な事だと思う。
「眠れる人」というのは幸せだからだ。
だから、眠れない人というのは、たいてい、病人に見られてしまう。
だから、「人が眠れる」というのは幸せな事だと思う。

あまり、行った事の無い店に行って見た。
電化製品の店だけど、大きなスクリーンに「妖怪ウォッチ」のジバニャンが出ていた。
なんとなく微笑ましい。

家のある場所に取り付けられている電球をLED電球に変えてみることにした。
家に帰って、LED電球と古い電球の消費電力を比較してみた。
古い電球の消費電力は22ワットで、LED電球の方は1.2ワットだった。
つまり、家のその場所に取り付けられている照明器具の消費電力は22分の1になった。
「これは確かに科学技術の進歩だなあ」と、いまさらながら感じた。

「一日ゆっくりしてみる」と決めていたから、寝転んだ。
すると、我が家の猫が私の胸の上に乗って来て、胸の上で眠り始めた。
「眠る猫」というのも幸せだと思う。
「眠る人」の上に「眠る猫」がいる。
これだと、「幸せ * 幸せ」と言えるだろうか。

こんな些細(ささい)な事に気付くためには、やはり、ゆったりとして休む時も必要だと考えてしまった。

 

                                        坂本  誠

2015年1月11日 (日)

二千三百七十四: 彼等のシステムを考える_No.3

二千三百七十一:彼等のシステムを考える_No.2』の続きです。

前段と同様に、私達の社会で「常識」とされていて、私達が考える事がほぼタブー視されているものを考えて見ます。
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■⑥:所有

「所有」という人間のしきたりについて考えて見ます。
一緒によく考えて見ましょう。

「所有」というのは、「これは私の持ち物である」とか「これは誰それの持ち物である」という意味で使われています。
私達は日々、何気なく、「私はこれそれを所有している」と感じています。
特に意識する事も無いでしょう。

しかし、この所有という考えを考えて見ます。
私達でも、今この瞬間に目の前にあるものを見て、「これは私の持ち物だ」とか「これは誰それさんの持ち物だ」と意識していると思います。
これを再び、生まれたばかりのような目を持って見直すわけです。
--------------------------
例えば、ある人が、ある山に登って、そこでミカンとか柿とかを木から外して、それを市場に持ってきて、「これらは私が取ってきたものだから、私のものであり、だから、このように値段をつけて売っています」という人がいたとします。
このブログの読者の方は、どことなく変に感じないでしょうか。
普通に考えるならば、「あなたがそのミカンや柿を取って来る時に、その山の持ち主に断りましたか?」と、普通の人は考えるのではないでしょうか。
--------------------------
そして、ここまで来たら、次の事を考えて見ます。

  「そのミカンや柿のあった山の持ち主は、どうやって、その山を手に入れたのだろうか?」

と。

この疑問を山の持ち主に聞いてみると、

  「いや、私の祖先から譲ってもらいました」

のような返事が多いのではないでしょうか。
特に努力無く、「山を手に入れた」という人が多いのではないでしょうか。
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そして、ここまで来たら、次の事を考えて見ます。

  「その山が代々、先祖から譲られてきたのならば、その山を最初に所有物としたのは誰なのか? また、どのようにして、その山を自分のものとしたのだろうか?」

と。
ひょっとしたら、「その先祖が大金を出して、山を買っていた」というケースもあるでしょう。
しかし、それだと、さらに、その前に、「山を所有していた」という人物がいたことになります。
--------------------------
そして、ここまで来たら、次の事を考えて見ます。

  「お金の無い時代まで、さかのぼって考えると、一体、どうやって、ある人物がその山を所有した事になったのか?」

と。
ここまで来ると、読者の方も、「あれ? ホントだ。どうやって、山を所有したのだろう?」と考えるかもしれません。
--------------------------
その山の所有者、あるいは、何かの土地の所有者は、どうやって、それらを所有化したのでしょうか。
その延長線上で、「何かの所有者とは、どのように何かのものを所有できるのだろうか?」と、人は考えるでしょう。
--------------------------
これを突き詰めて考えていくと、以下の事がわかります。

アメリカ大陸の発見者であるコロンブスを思い出すでしょう。
彼は、ヨーロッパから何隻かの船で大西洋を渡り、近代のヨーロッパ人として、アメリカ大陸を見つけたので、「私がアメリカ大陸を発見した。だから、このアメリカ大陸は私のものと定める」とした事から、アメリカ大陸がヨーロッパ人のものとなったことがわかります。

他にも、大航海時代と呼ばれる時代に、単純に船で旅行していて、新しい島とか陸地を見つけたら、その場で、

  「私がこの土地を発見した。だから、この土地は私の国のものだ」

と、宣言したので、その土地の所有者となったことがわかります。

この「宣言」こそが、何かの土地や物の所有の根源だとわかるでしょう。
特に、何か高いお金を使って、手に入れたわけではないのです。

ただ、

  「この物(土地やその他の一切のものを含む)は、私のものだ」

と、宣言することこそが、「『所有』の始まりだ」と気がつくでしょう。
そこには、大金の交換も無く、ただ、ひたすら宣言しただけだった事がわかります。

そして、この方式が、そのまま今の時代まで受け継がれている事がわかるでしょう。
現代でも、海の上で最初に陸地を見つけた国が、その土地の所有権を主張していると思います。

そう、つまり、「所有」というものの考えには、そこには、大金の交換とか、一切含まれておらず、無条件に、ただ、「私のものだ」と宣言する事にあるのです。

つまり、「どこかの威張りたい、あるいは、他の人々を支配したい存在が、何かの土地にやって来て、一方的に所有権というものを宣言する」、これが「所有」という考え方の起源であることが私達にわかると思います。
--------------------------
アメリカのコロンブスに話を戻します。
彼が、「アメリカは私の国のものである」と宣言したので、以前からアメリカ大陸に住んでいたネイティブ・インディアン達も、税を納めさせる対象になりました。

アメリカのネイティブ・インディアン達が「所有」という考えを持っていなかった事は知られています。
「大地は全ての人のものである」という考えぐらいだったでしょうか。
ですから、ヨーロッパから来た白人達は、ネイティブ・インディアン達との交渉も無く、ヨーロッパから来た白人達が、ただひたすら、インディアンへの略奪、あるいは迫害があったことが知られています。
そして、ヨーロッパから来た白人達が無条件に、アメリカ大陸を奪った事が知られています。

つまり、ここまで来ると、「所有」というものの考えの奥底に「略奪」という感情が潜んでいることがわかると思います。

上にも書きましたが、初めて見た土地や島などを、ただ一方的に、「ここ(これ)は、私のものだ」と宣言する、その人のその感情を察してみると、その人に略奪の感情を多くの人々は感じるでしょう。

また、イスラム圏の国々も、「土地を所有する」という考えは、ほとんど無かった事が知られています。
現代になって、石油産業がイスラム圏の国々に入ってから、「土地の所有」という考えが広がった事が知られています。
--------------------------
そして、このような「所有」という考えが、領土問題になり、国境紛争等の争いの根源になっていることがわかるでしょう。
つまり、私達の世界では、戦争が多い事が知られていますが、その問題の根源に潜むものは、実に「所有」という考えである事が私達にわかります。
--------------------------
私達でも、どこか、見知らぬ土地や、見知らぬ星に行ったとします。
そして、その土地やその星に、何らかの先住民がいたと仮定します。
その先住民達は、「所有」という考えを持っていないかもしれません。

しかし、そのような場所に行って、

  「この土地(星)は、私のものだ。だから、これらの土地の産物は全て、私のものである。また、この土地自体が全て私のものであるので、土地の全ての人々は、私に税を納めよ」

と、この理屈が、今まで私達の世界に広げられ、そして、私達の「所有」という考えになっていることに気がつくでしょう。
==========================
もし仮に、アメリカ大陸が誰のものでもなく、地球のものであったと仮定します。
地球という星に人格があったら、そのように、「アメリカ大陸は私(地球)のものだ」と言えるのでしょうか。

ここでも、再び、次を考えて見ます。
地球に人格があると仮定して、その地球さんに、「アメリカ大陸は、あなた(地球)のものですか?」と聞いてみたと仮定します。
以下のような返事が返ってくるかもしれません。

  「私の身体を作っている元素は、私の身体(地球)を作る時、太陽系から貸してもらった。だから、私がアメリカ大陸を所有しているとは言い難い」

と、言うかも知れません。

さらに、次を考えて見ます。
太陽系に人格があると仮定して、その太陽系さんに、「アメリカ大陸は、あなた(太陽系)のものですか?」と聞いてみたと仮定します。
以下のような返事が返ってくるかもしれません。

  「私の太陽系を作っている元素は、私の身体(太陽系)を作る時、銀河系から貸してもらった。だから、私がアメリカ大陸を所有しているとは言い難い」

と、言うかも知れません。

さらに、次を考えて見ます。
銀河系に人格があると仮定して、(、、、以下、ほぼ似たような文章が続く)

  「、私の身体(銀河系)を作る時、宇宙から貸してもらった。、、、」

、、、、

さらに、次を考えて見ます。
宇宙に人格があると仮定して、(、、、以下、ほぼ似たような文章が続く)

  「、私の身体(宇宙)を作る時、私より上の高次存在から貸してもらった。、、、」

、、、、

さらに、次を、(、、、以下、省略)

つまり、「この世の全ての物は誰のものか?」という疑問を考えると、その答えは、「この世の全ての物は誰のものでも無い」という事になるのではないでしょうか。
--------------------------
ですから、今まで、上に書いてきた流れから、私達の間で常識となっている「所有」という考えに、一つの光が当たったことになるかと思います。

普通、私達の間では、「人のものを盗んではいけない。なぜならば、所有権というものがあるからだ」と言う事で、盗んではいけない事になっています。
しかし、それ以前に「所有」という考えの起源を考えて見ると、人は何か深いものを感じるかもしれません。

(以下、新ブログ『光と輝き』からの過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千三百七十一:彼等のシステムを考える_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/_no2-bc53.html

『二千三百六十九:彼等のシステムを考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/01/post-c4de.html

(以下、『あなたはどの星から来たのか?』(ファルス 著、ヒカルランド)より引用)
(筆者注:強調部は原文のまま)
-----------------------------------------
*地球に強い影響を与えているのはレプティリアン(爬虫類人)です

もちろん宇宙は広範なので、地球と似たような宇宙存在は他にもあります。

ヒューマノイド(人間)型も非ヒューマノイド型も多くいますが、おしなべてこの振動数で存在している種に特徴的な性質は、自我の振動数が強く、所有や競争の概念があるということです。

     :
    (中略)
     :

そのひずみの間にスーッと入り込んだのが、非ヒューマノイド型の生命体(レプティリアン種、通称レプ種)の侵食です。
そうしてあなたがたは、徐々に能力を制限されていくようになり、やがて囚われと制限のある世界の住人となることを選んでしまいました。
それは主に電磁波によるコントロールシステムを使って行われました。、、、

     :
    (中略)
     :

というのは、もともとヒューマノイド型は、非侵害・不可侵という思考システムで活動していたため、所有という概念もなく、ましてや戦闘や防御といった体制も持っていなかったのです。

     :
    (中略)
     :

現時空から見た計時測によると、今から31万2000年前に、あなたがたの遺伝子の組み換えが行われたのです。
地球人による科学ではそれをミッシング・リンク(失われた輪)と呼んでいます。

その部位は脳幹にあります。

Rコンプレックスといわれる爬虫類の部分に、彼らの遺伝子コードが組み込まれていくことで、あなたたちは恐怖や不安、縄張り意識、支配と隷属、競争、嫉妬といった遺伝子コードが活性化されたのでした。
-----------------------------------------
(引用終わり)

『二百十六:レプティリアンについて』
●REPTILIAN NEWBORN
(レプティリアンの赤ちゃんのビデオ)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/post-fbdf.html
http://reptilianisreal.blogspot.jp/2013/02/blog-post_370.html
https://www.youtube.com/watch?v=gQPlxUb-p2o

REPTILIAN NEWBORN
YouTube: REPTILIAN NEWBORN

 

 

                                        坂本  誠

2015年1月 8日 (木)

二千三百七十三: 鉱物

           鉱物


      もし
      鉱物が
      痛みを感じるならば

      人は
      戦争をしたり
      無駄な破壊をするだろうか。

 

                                        坂本  誠

二千三百七十二: 人間の遺伝子について考える

■:修正(2015/1/9)
2本のDNAで、「2重らせん」ですから、12本のDNAで、「12重らせん」が正解でした。
ですから、「6重らせん」を「12重らせん」に修正します。
--------------------------------------

九百八十九:DNAについて考える』の姉妹編です。

人間の遺伝子について考えています。
普通の人間の遺伝子(DNA)は、2重らせんであることが知られています。

ところが、生物学の一大不思議の一つがあります。
それは、人間のDNAですが、ジャンクDNAと呼ばれているものです。
要するに、人間のDNAが切断されており、役に立っていないDNAが人間の細胞の中に数多くあるのです。
生物学者達も、「なぜ、機能していないDNAがあるのか?」と、不思議がり、結論も出ないので、ほとんど学会で話題とされる事がありません。
また、「なぜ、人間のDNAが切断されたのか? いつ、どこで、何の理由で?」となり、ほとんど学会で話題とされる事がありません。

最近の話題では、「元々、人間のDNAは12本であり、つまり、12重らせんであった」と言われています。
この説が正しいと仮定します。
つまり、「元々の人間のDNAが12本であり、12重らせんを成しており、それが何かの機会で切断され、それらがジャンクDNAとなった」と考えるのが自然でしょう。

ですから、このように考えると、話のつじつまが合います。
そして、以下に紹介する記事の中に、DNAが4重らせんである人間がいた事が報告されています。

(以下、『InDeep』様、2013/1/22記事より引用)
------------------------------
●四重螺旋(らせん)構造の DNA が人間の体の中から見つかった
http://oka-jp.seesaa.net/article/314725948.html

Topdna1

------------------------------
(引用終わり)

(以下、『InDeep』様、2013/12/9記事より引用)
------------------------------
●瞑想と思考が「 DNA と細胞の構造そのものを変化させている」ことが初めて明らかになった …… という報道を訳しきれずに時間切れとなり
http://oka-jp.seesaa.net/article/382277665.html
------------------------------
(引用終わり)

(以下、『InDeep』様、2013/12/10記事より引用)
------------------------------
●私たちは考え方を変化させることと「潜在意識を知覚する」ことにより今より何百万倍もパワフルな生命存在になることができるかもしれない
http://oka-jp.seesaa.net/article/382352387.html

Dna2013121

(、、、前略、、、)

Researchers Finally Show How Mindfulness and Your Thoughts Can Induce Specific Molecular Changes To Your Genes
Waking Times 2013.12.05
研究者たちは、ついにマインドフルネスと思考により本人の遺伝子に特異的な分子変化を誘導する方法を示した
http://www.wakingtimes.com/2013/12/05/researchers-finally-show-mindfulness-thoughts-can-induce-specific-molecular-changes-genes/

精神のトレーニングや、あるいは意識の特定のモードを誘導することにより、有益な健康効果をもたらす可能性についての証拠が増え続けている中、科学者たちは、これらの精神のトレーニングや意識が身体にどのような物理的な影響を及ぼしているのかを理解しようとし続けている。

ウィスコンシン大学、そして、スペインとフランスの研究者たちによる新しい研究は、集中的なマインドフルネスの実践の後に体内で起きる特定の分子変化について、初めてその証拠を報告した。

研究では、集中的なマインドフルネスの実践をした瞑想の経験が豊富な被験者たちのグループと、瞑想的な訓練を受けていない被験者のグループを比較することでおこなわれた。

そして、マインドフルネスの実践の8時間後、瞑想者グループは、炎症誘発性遺伝子のレベルの低下を含めて、遺伝子調節機構のレベルの変化と遺伝子と分子の変化を示した。これらは、ストレスの多い状況からの早い物理的な回復と関係する。

ウィスコンシン大学の心理学と精神医学が専門であるウィリアム・デヴィッドソン( Richard J. Davidson )教授は「私たちの知る限り、今回の論文はマインドフルネス瞑想の実践と被験者内の遺伝子発現の急速な変化の関係を示した最初の研究論文です」と述べる。(、、、以下、省略)
------------------------------
(引用終わり)

ですから、4重らせんのDNAを持っている人間は、普通の人間の2倍の能力を持っていると考える事が出来ます。
ここからは疑似科学をも考えています。

通常、念力とか瞬間移動とかその他の超能力の話題があります。
ここで、このブログの読者の方は、上のジャンクDNAの話題と結びついてくると思います。

「人間には超能力と呼ばれるものがあるらしいが、その能力とはジャンクDNAの内部に秘められているのではないのか?」
と。

ですから、上の流れから、「私達の体内の全ての細胞の中のジャンクDNAを組み立てれば、いわゆる、超能力が発揮できるのではないのか?」と読者の方は考えるかもしれません。
そして、この場合には、私達は、いわゆる「超能力」という名称がふさわしくないのを感じるでしょう。
なぜならば、元々、人間の自然な能力として、備え付けられていたのですが、何かの機会によって、その能力が奪われたのならば、今までの私達は、何かの存在によって、能力を縮小されていた、とわかるからです。
ですから、「超能力」という言葉は妥当ではなく、「回復能力」とか「いったん、損なわれていた能力」という言い方の方が正しい事がわかります。
===========================================
そして、その「超能力(回復能力)」を回復した人間は、当然、他の人から見たら、スーパーマンのように見えるだけでしょう。
しかし、元々は、そのようなスーパーマンのような人間が、自然な姿だったと言えるでしょう。

ですから、上のように瞑想をし続けて、もし仮に人間のDNAを12本に組み合わせて、活動したら、その人間は2重らせんの人間よりも6倍の能力を持っていることが予想されます。

個人の自由もありますから、人によって、「そのような超能力を持ちたい」という人も出てくるかもしれません。
ただ、私が考えるに、その12本DNAを持った人間は、2重らせんの人間の持つ自己治癒能力を、はるかに超えていると想像しています。

普通、人間の遺伝子が損傷したら、これを治療する方法は、あまりありません。
強いて言うならば、遺伝子を損傷したら痛みのある病気となりますから、外科手術で、その部分を摘出する事が知られています。
その部分を摘出して、捨てるのだから、これは本当の意味での「治療」とは言えないかもしれません。

私が想像するに、12本DNAを持った人間は、そのような遺伝子修復の能力もあるのではないかと予想しています。
12本もDNAがありますから、DNAの別の箇所で損傷が起きても、別のDNAによって自己修復するのです。
ですから、難病と呼ばれるものもこれで治療できるのではないかと予想しています。

つまり、極端に病気になりにくい人間が現れる可能性があると考えられます。
ですから、もし瞑想のちからによって、12本DNAを獲得した人間は、かなり多くの能力を発揮できると予想されます。
(もっとも、それが従来の人間の自然な能力であったことになりますが。)

また、過去、以下の記事も紹介しました。

-----------
『九百七十六:私の見かけた情報_No.19』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/03/_no19-db8f.html
(以下、『InDeep』様、2014/3/17記事より文章と写真を引用)
●宇宙の粒子や空気を食べて生きていると主張するウクライナの「ブリザリアン(不食)」モデルの話から「松果体とエネルギー」にまで考えが飛躍してしまいました
http://oka-jp.seesaa.net/article/391713988.html

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つまり、食べる必要の無い人間の出現です。
これなども、「12本DNAを獲得した人間ならば、このような事態が起きても不思議は無いだろう」、と人は自然に考えるかもしれません。
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また、そのように、12本DNAを獲得した人間がこの私達の世界に出現しても、その変化に周囲の人はかなり気付きにくいことになります。
なぜならば、人間のDNAは体内にあります。
周囲の人々が、その12本DNAを獲得した人間を確認したければ、その人間の細胞を採取して、医療機関に研究用として提出して、研究者が顕微鏡で覗いてみて、遺伝子が12本あり、そして、その12本が12重らせんである事を確認しなければいけません。
かなり、手間がかかるからです。

ですから、この変化があったとしても、私達の人間社会では、この変化に非常に気付きにくい事がわかります。
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また、仮に、人間が従来の自然な遺伝子スタイルである12本DNAによる6重らせん構造を獲得しても、最初の生物界の不思議を解くのは難しいでしょう。
上にも書きましたが、「なぜ、12本DNAが切断されて、ジャンクDNAとして私達の体内に残されていたのか」という不思議です。

 

                                        坂本  誠

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