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2014年12月 7日 (日)

二千三百二十二: 余談と息抜きを考える

最近、あるジャンルの書物を読む機会がありました。
私の方でも知識を入手するために、本を読みます。

ちょっとした専門書だったのですが、読んでみたいジャンルの本で2冊の本がありました。
どちらかを選択する際に、ページをめくって、少しだけ中身を見ました。

そして、著者の日頃の生活とか思い出話が、ある程度、掲載されている本の方を選びました。
そして、その本を選んで正解だった思いました。

というのも、学生時代の授業を思い出しました。
ちょっと堅い科目の先生でも、教えるのが上手い先生と、そうではない先生がいます。
たいてい、教えるのが上手い先生というのは、思い出してみれば、授業時間内の息抜きの話があったので、くつろげて、授業に聞き入った事を思い出します。
その先生の昨日体験した話題とか、今、教えている授業の内容にまつわる自分の思い出とか。

そのような息抜きの話自体は、授業で教える本当のレッスンの内容とは関係ありません。
しかし、そのような先生は生徒達が、あまりに堅苦しくしさを感じさせないために、そのような息抜きの話を交えて、堅い授業を教えていたのに気が付きます。
一方、全くほとんど言って良いほど、余談の無い先生もいました。
ですから、私としては、堅苦しさばかりを感じて、あまりその授業に面白さを感じない事が多かったです。
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このような事も考えると、「息抜きの話の上手さ」とか「余談の面白さ」といったものの、面白い授業にさせるかどうかの材料になるのかもしれません。
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それと同じ事が、専門書と呼ばれるものにもあると思います。

私が手に入れなかった本の方は、固い内容が多いのですが、著者のその内容に対する日頃の思いとか語られていませんでした。
ないしは、それにまつわる余談とか、面白い感じの話題が無く、ひたすら教科書的でした。

ですが、私が手にした方の本は、それとは対照的に、少し肩のちからを抜きながら読める雰囲気になっていました。
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ですから、このようなことを考えると、著者の人の自分の書きたい内容にも、何気なく、さりげない思いが書かれていた方が、より受け入れやすいだろう、と感じました。

もっとも、「余談とか、著者のさりげない思いの全く書かれていない教科書的な本の方が素晴らしい」と感じる人もいるでしょう。
ですから、それは、選ぶ人の個々の自由になると思います。

 

                                        坂本  誠

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