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2014年9月16日 (火)

二千二百五: 「経済」という単語を見て

こんばんわ。

私達が普段使い慣れている「経済」という単語について考える機会がありました。
広辞苑第5版によりますと、

1:国を治め人民を救うこと。経国済民。政治。
2:人間の共同生活の基礎をなす財・サービス・の生産・分配・消費の行為・過程、並びにそれを通じて形成される人と人との社会関係の総体。転じて、金銭のやりくり。
3:費用・手間のかからないこと。倹約。

と説明されています。

1番は、中国の文献から来ており、「文中子礼楽」というものから来ているそうです。
2番は、主に英語「echonomy」の意味だそうです。

上の経済の説明からわかるとおり、「経済=お金」という考えは、ほぼ2番の説明から来ていることがわかります。
ところが、1番と3番の説明を読んでみると、そこにはあまり「経済=お金」という考えが無いことがわかります。

つまり、一般に、私達の間で、「経済」という意味は、主に「物資の流れによって、人々の暮らしが良いかどうかを表している言葉」と言えると思います。つまり、私が言わんとしているところは、「経済=お金ではない」ということです。
しかし、上の2番から、「経済≒お金」という捉え方も出来ます。

ですから、現代社会のように、「経済=お金」という考えが浸透してきたのは、資本主義を広めてきた西側文明だと人は感じるかもしれません。

江戸時代には、日本の都市部では小判というもののお金の概念があったけど、農村部には無かったことが知られています。
これについては、旧ブログ『悲喜憐偉』の「五百八:税について」の司馬遼太郎さんの文章からわかります。

この段では、司馬遼太郎さんの文章を引用しておきます。

街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。
維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。
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(引用終わり)

つまり、引用文から考えても、現在の「経済」という単語の意味合いは、私のブログでよく登場する彼等の考え方が広められたことに気が付くでしょう。
ですから、私が感じますに、私達が「経済、経済」という単語を使う時には、上の1番とか3番の意味も考えて使用しないといけないでしょう。
確かに、2番の意味も使えますが。

私達が「経済=お金」の意味を頭に思い浮かべずに、「経済=国を治め人民を救うこと」と頭に思い描きながら、「経済」という単語を使い始めれば、世の中の物資の流れ方も違ってくるのではないでしょうか。

 

                                        坂本  誠

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