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2014年4月 7日 (月)

千四十六: 読書感想文

私の方で幾分時間に余裕が出来まして、久しぶりに読書をする機会が出来ました。

「読書」と言っても、本屋に行って、新刊本を買ったわけではありません。
私の部屋の本棚にある、過去に買った本を眺めて、久しぶりにそれらを読んでみました。

夏目漱石の『夢十夜』と『硝子戸の中』でした。
以前、私は夏目漱石の『こころ』や、その他の作品も読んだものです。
しかし、私は夏目漱石の作品群の一つである『小品』と呼ばれる作品が好きでした。
小説だと、少し読むのに時間がかかるからです。

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(▲上記写真は、「夏目漱石 - wikipedia」より)

昔読んだ作品を、久しぶりに読むと面白いものがあると聞きます。
つまり、学生の頃に読んだ当時と、今、読むのでは、時間が経っているので、心境の変化があり、以前に読んだ作品でも、過去に与えられた影響とは違うものがあるからです。
これは私一人に言える事ではなく、私達の社会に対しても同じ事が言えるかもしれません。

社会の風潮が変われば、その社会風潮の下に生きている人はその当時の影響を受けます。
しかし、時代が変われば、時代の風潮も変わるからです。
ですから、世界の文学作品と言えども、時と場合によって重宝されたり、そうでなかったりします。
この辺も面白いものを感じます。
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久しぶりに『夢十夜』と『硝子戸の中』を読んでみると、何か新鮮なものを感じました。

『夢十夜』は夏目漱石の夢日記です。
また、『硝子戸の中』は夏目漱石の日記のような作品です。
しかし、日記を書くようでいながら、夏目漱石の生活していた当時の社会を彼の目で鋭く観察した作品として知られています。
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『夢十夜』は夏目漱石の見た夢を記しているだけです。
しかし、これが不思議な世界へと連れて行ってくれるのに気が付きます。
最近では、ファンタジー作品とかSF作品とかが同じ雰囲気を持っています。
そのような感じが『夢十夜』にはあります。
確かに、誰でも夢は見ますが、その夢というのは、やはり、ファンタジー作品とかSF作品を思い起こさせます。
ですから、夏目漱石のいた当時には、まだSFという言葉も無かったでしょう。
しかし、『夢十夜』を読むと、彼の心中には、既に彼独自のSFへの取り組みがあったと私は感じてしまいます。

黒澤明監督の作品に『夢』というものがあります。
黒澤明監督のこの『夢』という作品にも、各エピソードの前に「こんな夢を見た」という文字が表示されます。
『夢十夜』も、「こんな夢を見た」という出だしで始まります。
ですから、黒澤明監督も、夏目漱石の『夢十夜』を読み、『夢十夜』に影響された一人であることがわかります。
そして、黒澤明監督の『夢』も、夏目漱石の『夢十夜』の雰囲気に近いものを感じます。
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『硝子戸の中』という作品は、この作品を読んでいない人が初めて読むと、「『硝子戸の中』は日記作品なのだ」と感じるでしょう。
しかし、この作品の中に現れる彼の観察眼に読者は注目すると思います。
さりげない日常生活の中で、どのように、彼がそのさりげないものに対して、変わった見方、観察、そして、洞察をするかが描かれています。
また、彼独自に、新たな側面から光を当てて、その日常生活を見ていたりします。
その新しいような「見方」や「観察」、「洞察」に、夏目作品を好む人は面白さや好奇心を感じて、夏目作品を手に入れたりするようです。
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『夢十夜』も『硝子戸の中』も、平凡な日常の中に彼の新たな発見や洞察をしています。
SF作品だと、現実とは離れた世界を作り、その現実とSF世界との違いを人々は楽しみます。

しかし、夏目作品とかその他の純文学作品と言えるものは、ありふれた日常生活から変わった何かを作者は読者に差し出し、その面白さを読者に味わってもらうのです。
この辺が、純文学作品の醍醐味と言えます。
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夏目漱石の本名は、夏目金之助です。

ペン・ネームの方が夏目漱石です。
夏目漱石のファンはよく知っていますが、この「漱石(そうせき)」の由来も面白いものです。

以下は、Wikipedeiaからの引用です。
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夏目漱石 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3

漱石の名は、唐代の『晋書』にある故事「漱石枕流」(石に漱〔くちすす〕ぎ流れに枕す)から取ったもので、負け惜しみの強いこと、変わり者の例えである。
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(引用終わり)

つまり、歯磨き粉と歯ブラシで歯を磨くのではなく、石で歯を磨きます。
そして、眠る時は枕ではなく、水の流れを枕として寝ます。
これが「漱石」という彼のペン・ネームなのです。
このような変わった単語を、自分のペン・ネームにしたわけです。

ですから、周囲の人は彼に変わったものを感じたかもしれません。
しかし、そのペン・ネームでも、一旦定着してしまえば、あまり奇妙さは感じないものです。
このペン・ネームの響きも、どこか美しい響きに感じないでしょうか。
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夏目漱石は神経衰弱やうつ病を患っていたとも、よく言われています。
そして、その様子も報告されているようです。

しかし、現代の私達にとって、大事なのは彼の文体だと思います。
私が思うに、夏目漱石は飾らない文体を持っています。
あっさりした語り口調です。
そして、書いている文体に、わずらわしさや華奢(きゃしゃ)な雰囲気がありません。
文体に嘘が無く、さらさらと書いている事に気が付きます。

確かに、日常生活では何かがあったのかもしれませんが、一番大事なのは文体でしょう。
なぜならば、後世の多くの読者はその文体を持って彼の人となりを判断するからです。
どんな人でも、日常生活には、その人の生活の何かがあるからです。

逆を言えば、人の数だけ文体があります。
故人になった後に、その故人の後世の人々と接するのは、ただ文体があるのみだからです。
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それにしても、時間のある時に、本を片手に、純文学作品に込められた薫りなり、考えなり、雰囲気に触れる事は大事なように感じます。
一言で言えば、そのような読書は「心を豊かにする」と言えるでしょうか。
あくまで、「心を豊かにすることを学ぶ」とは私は言いません。
「学ぶ」では堅いような雰囲気があります。

緊張感も無く、本を読んで、「心を豊かにすることを感じつつ、一つずつ育ち、また、一つ一つ育てられてゆく」という雰囲気でしょうか。

私達は、もっと読書に向けるこのような一時を持った方が良いように感じます。
現代社会だと、「テストの成績が良い方が大事だ」とか「効率優先」とか「スピード第一」という雰囲気が、まだ、多く残されているように感じます。
これは左脳型社会の雰囲気だと思います。
効率優先のデジタル型社会であり、心や情操を貴ぶ社会とは言えないと私は感じます。

上記のような雰囲気だと、「心を豊かにする」という大事な作業を愛さなくなるように思えます。

ですから、分秒単位で生きる私達としては、ゆったりとして、心を豊かにする時間をもっと持つべきようなライフ・スタイルを作るべきではないかと感じました。
私達は心を豊かにする時代を作るべきだと思います。
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私が以前に読んだ本を読み返してみて、読書感想文を書きました。

 

                                        坂本  誠

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