2018年6月17日 (日)

三千二百六十四: 詩の思い出_No.3

こんばんわ。

『三千二百五十三: 詩の思い出_No.2』の続きです。

今日は、時節がら、夏にちなんだ私の詩を集めてみました。

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      梅雨(つゆ)のアジサイ

    黒い雲が低く垂れこめる。
    僕等の気持を押しつぶすよう。

    その雲から大きな雨粒が降り注ぐ。
    僕等の意志をうがつよう。

    梅雨の日に カサを傾けて 
    天の頂きを見上げても そこには 澄みきった青空はない。

    だけど 道ばたには
    多くの青いアジサイが咲いている。

    アジサイは 彼等がつぼみの頃の
    五月晴れを吸収していたのか。

    梅雨の空の下で
    青いアジサイを見て 今はない青空を感じる。

    そのアジサイは
    黒い雲の下に降りてきた 小さな青空。

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この「梅雨のアジサイ」の正確な制作日がわかりませんが、2004年以前であることは確かです。

この原稿を書いている、ちょうど、今頃がアジサイの季節です。

20100524151030


アジサイを見ていて、美しいと思い、その美しさに春の青空を感じたのですね。

それが、この詩となりました。

やはり、梅雨の時期の曇り空と、地上のアジサイの色が対照的なのは、自然界の奏でる一つの不思議と言えないでしょうか。

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          まつり
          
          
    こぶし 突き出す。
    こぶし 突き上げる。
    あえて みこしの中の重い神 持ち上げる。
    男の顔 歪む。
    肩の皮 むける。
    その痛みは喜びか。
    暑い夏。
    汗の雨 降る。

    太鼓 打つ。
    荒れ狂う音 空に響く。
    雷神の如く。
    風神の如く。
    仁王の腕が伸びるが如く。
    渦巻く。

    こぶし 突く。
    突く。
    突き続ける。

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この詩の制作日は2014年3月23日となっています。
早春ですね。
早春ですが、どこか初夏の祭りを思い出して書いた記憶があります。

梅雨の終わりにかけて、夏祭りが始まる地域が多いものです。
まだ、梅雨が完全に明けきれない頃から、全国で夏祭りが始まります。

祭りのイメージと夏のイメージは、どこか、シンクロを感じさせます。

雷の多い季節に、勇壮な夏祭りがあるというのも、良いものですね。

秋や冬にもお祭りはありますが、やはり、一番ちから強さを感じるのは、夏祭りでしょうか。

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          夏の思い出
          
          
    晴れた日の
    白くて大きな雲を見ていると、
    子供の頃の夏を思い出す。

    流れ続ける水道の水に
    転がされ続けるスイカ。
    水の音にも転がされているようだ。

    幾つもの穴の開いた セミの羽。
    その穴から、幾つもの陽射が こぼれてくる。

    夏休みの思い出が よみがえってくる。

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この詩の制作日は2009年4月10日となっています。
この詩も春に書いてますね。
春から夏に向かうシーズンが一番夏を感じさせるからでしょうか。

20100817143537


夏本番になってしまうと、暑さのせいで、「早く秋が来てほしい」と願いますから、夏の真っ盛りには、夏の詩が出来ないように感じます。

ですから、制作日を調べてみると、夏本番の季節には、どこか涼を感じさせる秋の詩が多いかもしれません。

誰でも子供の頃に、夏休みの思い出を持つものですが、その思い出自体を、大事に感じるのは、少年期を過ぎてからかもしれません。

大人になってから、子供の頃の夏の思い出を偲ぶというのも、一興ではないでしょうか。

今から夏本番の季節に入って行くのですが、皆さんも、どうか、良い夏をお過ごしください。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百五十三:詩の思い出_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/05/_no2-2d26.html

              波紋

    僕は春の公園にいる。
    そこは深い水の底。
    空気と言う名の水の底。
    息の詰まることもなく、
    更に清冽な大気の水を吸う。

    散りゆく桜の花びらに、広げた両の手の人差し指で触れてみる。
    そこから波紋が広がる。
    宙に広がる波紋。
    僕は走る。
    次々と指が触れてゆくたびに、いくつも、いくつも、波紋ができてゆく。
    桜の花びらが両手の五指に触れるごとに
    空中に幾つもの波紋が重なり、広がってゆく。

    走るのをやめる。
    大きな息を吐く。
    大きな波紋になってゆく。
    春の深い水の底で。

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『三千百七十九:詩の思い出』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/09/post-6c15.html

          音

    雲海が やわらかく広がる朝
    一つの音が 宙を漂う。
    音は 翼を 羽ばたかせ、雲の上を 静かに舞う。
    穏やかな ほほえみを持って。

    羽毛のような 音の響きが 翼そのものか。
    音と音が 宙を 軽く すれ違う時
    触れ合う 彼等のその笑顔に
    暖かい 光を感じる。

    音が ほほえむ時
    音そのものが
    かすかに 光る。
    蛍のように。

    その淡い光が 音の周囲に
    きらめきわたる。
    芳香(ほうこう)が漂うかのように。
    また 虹のかけらが流れるかのように。

    竪琴(たてごと)に 触れる指と その絃(げん)から
    光と音が 靄(もや)のように にじみ出し
    春の せせらぎのように
    遠方(おちかた)に 流れていくかのように。

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『三千百五十五:詩作の思い出』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/.s/blog/2017/08/post-c72d.html

      愛と光

    愛が光となり、光が愛となり、
    光と愛が結ばれ合い、
    羽毛のように 触れ合い、
    お互いの中で響き合う。

    光と愛が 織(お)り合わされる中、
    速くもあり 遅くもある
    一つの やわらかな音楽が流れ続ける。

    その音楽に のせて
    光と愛が
    私達の胸に やって来る。
    一組の男と女のように。

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                                       坂本 誠

2018年6月13日 (水)

三千二百六十三: 『三千二百六十二:私の見かけたニュース_No.108』の追加記事

こんばんわ。

先日の私の記事『三千二百六十二:私の見かけたニュース_No.108』中で、御紹介した以下の記事

『千七十三: 三極委員会を説明したビデオを見て』
●CBS 三極委員会が世界を支配します #cbs #trilateral_commission
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/post-0c12.html
http://www.youtube.com/watch?v=0adJr56ydVU

で、御紹介したビデオは、なぜか今、削除されているようです。

削除された理由は知りませんが、私が見た時に、撮影していた写真がありますので、それを下に掲載しておきます。
これで、「私がそのビデオを見た」という証明にはなりますね。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせて頂きました。

『千七十三: 三極委員会を説明したビデオを見て』
●CBS 三極委員会が世界を支配します #cbs #trilateral_commission
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/post-0c12.html
http://www.youtube.com/watch?v=0adJr56ydVU



(上記ビデオより抜粋して引用)
(ビデオ途中で日本語による『日米欧三極委員会』の垂れ幕が上がる)
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Cbs__cbs_trilateral_commission


●女性キャスター:
最近、私達は大いにグループについて聞いて、そして合衆国政府を敵として見ます。
それは彼等が見る唯一の敵ではありません。
より重要な容疑者は三極委員会と呼ばれる私的グループです。
それはビジネスリーダー、学者と政治家の占有クラブです。
彼等は年に一回会合し、世界の問題を議論します。
しかし、アンソニー・メイソンは、ある人達はグループの協議事項がよりいっそう不吉であると感じていると報告します。

(中略)

■男性リポーター:
先月の遅くデンマークのコペンハーゲンで、ある排他的なクラブがその年次総会を開催しました。
デビッド・ロックフェラーとヘンリー・キッシンジャーはそのおよそ300人の影響力を持ったメンバーの中にいます。
しかし極右の何人かは、これが会合以上のものであったと言います。
彼等は三極委員会と呼ばれる秘密結社によって世界を支配することを陰謀の一部として見ます。

◆ジム・タッカー:
その陰謀は、エリートが世界全体を支配する一つの世界政府を持つ事です。
そして私達は世界政府に対しより大きな忠誠心を持ち、その次に全米のような自身の地域に対して持つでしょう。

(中略)

パット・ロバートソンの新世界秩序という本を読んでください。
一本の糸がホワイトハウスから国務省、三極委員会にまで走ります。

(中略)

国連はアメリカを乗っ取り、三極委員会が世界を支配するでしょう。
ただ彼等が言うその会員を見て下さい。
現在と以前のメンバーは、クリントン大統領、ブッシュとカーター、ブレジンスキー、クリストファー、キッシンジャーとショルツのような名前、ITT、ゼロックス、エクソンとネイションバンクの経営幹部を含みます。
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(引用終わり)

せっかくですから、これも何かの機会かも知れないので、私の方で三極委員会に関する幾つかの過去記事を思い出せましたので、それらを、『過去記事』中に掲載しておくことにします。


(以下、上記記事に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千八十五:日米欧三極委員会について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/07/post-5237.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E6%AC%A7%E4%B8%89%E6%A5%B5%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

(上記記事より)
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日米欧三極委員会 - wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E6%AC%A7%E4%B8%89%E6%A5%B5%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

日米欧三極委員会(にちべいおうさんきょくいいんかい、英: Trilateral Commission 略称TLC)とは日本・北米・ヨーロッパなどからの参加者が会談する私的組織であり、民間における非営利の政策協議グループである[1]。
現在の正式な日本語名称は「三極委員会」。

概要

1973年にデイビッド・ロックフェラー、ズビグネフ・ブレジンスキーらの働きにより[2]、「日米欧委員会」として発足した。

(、、、中略、、、)

最終更新 2014年5月18日 (日) 15:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

『七百十八:「666」の数字について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/12/666-1779.html

_666

(上記ロゴの翻訳)
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三極委員会(新世界秩序、【NWO】のシオニストの実体)666のロゴを含んでいます。
666を成しながら、そのロゴから切り離された、各々の矢は、一つの6をなしています。
米国を基礎として、デイビッド・ロックフェラーが、この組織をつくりました。
NWOにアメリカを柔弱にさせるためにです。
委員会のメンバー達は、上院議員、下院議員、クリントン大統領と彼の閣僚の多くのメンバー達を含んでいます。
その他の大統領達も、また、そのメンバーでもありました。
-----------
(引用と翻訳終わり)

『七百八十六:ディスクロージャーについて_No.46』
●元カナダ防衛大臣によるUFOエイリアン情報開示
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no46-ffce.html
http://www.youtube.com/watch?v=dpWPRd56D-0



(上記ビデオより抜粋)
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「それは私達が様々な種類の生命で一杯の宇宙に住んでいるという事です。」
「それは存在し、私達の運命を支配する同じ既得権益により秘密にされているのです。」
「外交問題評議会、ビルダーバーグのメンバー、三極委員会、国際銀行カルテル、石油カルテル、様々な諜報組織のメンバーおよび軍事政権の選ばれたメンバー達です。」
「彼等は共にアメリカのみならず、欧米世界の多くの影の政府となっているのです。」
「ゲームの目的は世界政府であり、秘密結社のメンバーが含まれていて、」
「誰からも選ばれていない人物であり、誰に対しても責任を持たない人物なのです。」
「そしてロックフェラー氏によると、計画は上手く進んでいるのです。」
---------------
(引用終わり)

『三百二十七:マスメディアとイルミナティについて』
●デヴィッド・ロックフェラー、1991年三極委員会での演説にて
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/post-4515.html
http://satehate.exblog.jp/12970581/

(筆者注:以下の原文は、赤字で掲載されています。)
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Photo

ほぼ40年にわたって、ワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、
タイムマガジン、そしてその他 偉大なる出版社の取締役が
我々のミーティングに参加してくれ、公表しないで
静かにしていてくれていたことに感謝している。
それらの年月の間、もし我々が世間の注目の明るい光の中に出ていたなら、
我々の計画を発展させることは不可能だったろう。
しかし世界は今さらに洗脳されて、
世界政府に向けて更新する準備は整っている。
その超国家的知的エリートと国際銀行家の支配力は、
確かに過去の世紀の国家が自分で決めていたやり方より望ましいものだ。

―デヴィッド・ロックフェラー
1991年三極委員会での演説にて
---------------
(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年6月12日 (火)

三千二百六十二: 私の見かけたニュース_No.108

こんばんわ。

久しぶりの『私の見かけたニュース』です。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせて頂きました。

(以下、『ParsToday(前Iran Japanese Radio)』、2018/6/7記事より引用)
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●アメリカCIAが、世界各国の81の選挙に干渉
http://parstoday.com/ja/news/world-i44978

アメリカのジェームズ・クラッパー元国家情報長官が、世界各国での81の選挙にCIAが干渉したことを明らかにしました。

ロシアのニュースチャンネル・ロシアトゥデイによりますと、クラッパー元長官は、「我々はこれまで、世界各国の選挙における不正行為に関与したり、他国の政権転覆の下地を整えたりしてきた」と語りました。

複数の調査から、世界の大国が1946年から2000年までの間に他国での117の選挙に関与したことが判明しており、中でもアメリカの干渉事例がもっとも多くなっています。
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(引用終わり)


(以下、上記記事を読みながら自然と思いだしていた過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千五百九十九:銀行制度についての種々の話題_No.11』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no11-48fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI


YouTube: スライヴ (THRIVE Japanese)

ビデオでは、1時間21分33秒近辺から紹介されています。
引用した文章と写真は、同ビデオからのものです。

(ジョン・パーキンス)
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Jhon_p_3

使った手法は多くありますが、もっともよく使った手法は、石油のように企業が欲しがる資源を持つ国に行って、世界銀行やその系列の組織から、その国への巨額の融資を手配すると言うものです。

しかし、貸し出された資金の大半は、その国でなく、ベクテルやハリーバートン、ジェネラル・モーターズ、ジェネラル・エレクトリックといった、米国企業の手に渡り、その国に強大なインフラを構築します。

富裕層のための発電所、高速道路、港、工業団地などで、貧困層はその恩恵をほとんど受けられません。
むしろ、貧困層は巨額な貸り入れの返済のツケを被ります。
教育、医療などの社会福祉に充てられるべき金が借金返済に充てられるのです。

意図的に、国に莫大な負債が残るようになっています。
すると、エコノミック・ヒットマンが、また行って、言うのです。
「こんなに借金があるのに、どのようにしても払ってもらうからな」。

反米の大統領が選出されると、すぐに行きます。

「おめでとうございます。私は大統領とご家族を大金持ちにして差し上げる事が出来ます。私達の方法に従えば、このポケットの数億ドルは大統領のものです。そうしないなら、もう一つのポケットには、貴方の名前入りの弾の入ったピストルが入っています。選挙公約を守って、我々を追い出そうとした時のためにね、、、アメリカの石油会社の安く石油を売るか、次の国連投票でアメリカに賛同するか、イラク等世界のどこかに、米軍を支援する部隊を送って下さい」。

このようにして世界帝国を築いたのですが、その事を実際に知っている人は、ほとんどいませんでした。
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(引用終わり)

『二百九十七: 私の見かけたビデオについて_No.33』
●初めて実行員が暴露した、アメリカの国際陰謀・工作秘史
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no33-6b51.html
https://www.youtube.com/watch?v=BhfCgO0ItY8



公開日: 2011/01/19 

(上記ビデオより抜粋引用)
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■字幕:
国家を征服しその国民を奴隷化するためには、二つの方法がある。一つは武力であり、もう一つは負債である。(John Adams 1735 - 1826)」
      :
     (中略)
      :
----- VENEZUELA 2002 -----

「、、、、エコノミック・ヒットマンの能力はこの間どんどん上がり続けましたがね・・・。、、、」

「ごく最近では1988年、ベネズエラでチャベスが大統領に勝利しました・・・、、、」
      :
     (中略)
      :
「このクーデターの起こし方は、カーミット・ルーズベルトがイランで行ったやり方と同じものです。」
「民衆をお金で買収してデモ行進をさせ、暴動を起こさせます。」
「『チャベスがとても不人気だ』と思わせるようなことを言わせながら起こすのです。」
「2,3千人の人をテレビの前に集めれば、国中が反対していると思わせることが可能です。」
「そしてそこからは、マッシュルームのように増加していくのです。」
      :
     (中略)
      :
----- IRAQ 2003 -----
「エコノミック・ヒットマンはサダム・フセインを買収することが出来なかったのです。、、、」
「何と言っても、フセインは以前、CIAのエージェントでしたからね・・・」
「前イラク大統領の暗殺のために雇われていたのです・・・失敗しましたが。」
「だから彼は私達のやり方を熟知していたのです。」
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(引用終わり)

『五百十三:News_No.371』
●米CIAが自民党に秘密資金を提供していたことを認めた
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/news_no371-b0bc.html
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1987.html

(上記記事より)
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米CIAが自民党に秘密資金を提供していたことを認めた
安倍晋三と自民党はCFR→CSISの書いた計画に沿って日本の売国政策を進めている

(共同通信 2006年7月19日)

【ワシントン18日共同】
米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にかけて、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るため、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者と、旧社会党右派を指すとみられる「左派穏健勢力」に秘密資金を提供、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。

同日刊行の国務省編さんの外交史料集に明記された。

同省の担当者は、
「日本政界への秘密工作を米政府として公式に認めたのは初めて」と共同通信に言明し た。

米ソ冷戦が本格化した当時、日本を反共の「とりで」にしようと、自民党への支援に加え、左派勢力を分断する露骨な内政干渉まで行った米秘密工作の実態が発覚。

日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる重要史実といえそうだ。
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(引用終わり)

『千七十三: 三極委員会を説明したビデオを見て』
●CBS 三極委員会が世界を支配します #cbs #trilateral_commission
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/post-0c12.html
http://www.youtube.com/watch?v=0adJr56ydVU



(上記ビデオより抜粋して引用)
(ビデオ途中で日本語による『日米欧三極委員会』の垂れ幕が上がる)
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●女性キャスター:
最近、私達は大いにグループについて聞いて、そして合衆国政府を敵として見ます。
それは彼等が見る唯一の敵ではありません。
より重要な容疑者は三極委員会と呼ばれる私的グループです。
それはビジネスリーダー、学者と政治家の占有クラブです。
彼等は年に一回会合し、世界の問題を議論します。
しかし、アンソニー・メイソンは、ある人達はグループの協議事項がよりいっそう不吉であると感じていると報告します。

(中略)

■男性リポーター:
先月の遅くデンマークのコペンハーゲンで、ある排他的なクラブがその年次総会を開催しました。
デビッド・ロックフェラーとヘンリー・キッシンジャーはそのおよそ300人の影響力を持ったメンバーの中にいます。
しかし極右の何人かは、これが会合以上のものであったと言います。
彼等は三極委員会と呼ばれる秘密結社によって世界を支配することを陰謀の一部として見ます。

◆ジム・タッカー:
その陰謀は、エリートが世界全体を支配する一つの世界政府を持つ事です。
そして私達は世界政府に対しより大きな忠誠心を持ち、その次に全米のような自身の地域に対して持つでしょう。

(中略)

パット・ロバートソンの新世界秩序という本を読んでください。
一本の糸がホワイトハウスから国務省、三極委員会にまで走ります。

(中略)

Photo

国連はアメリカを乗っ取り、三極委員会が世界を支配するでしょう。
ただ彼等が言うその会員を見て下さい。
現在と以前のメンバーは、クリントン大統領、ブッシュとカーター、ブレジンスキー、クリストファー、キッシンジャーとショルツのような名前、ITT、ゼロックス、エクソンとネイションバンクの経営幹部を含みます。
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(引用終わり)

『三千二百十:自分の気になった国内ニュースのまとめ版』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/01/post-9fed.html
(以下、『twitter』、リコ @riko0058様、2015年6月7日記事より写真引用)
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●ありゃりゃ 安倍晋三は完全に米国軍産複合体の犬だわ (*^_^*)
https://twitter.com/riko0058/status/607514963196788736

_

(※筆者注:同写真中の文章)
[原発の推進]
原子力は日本の包括的な安全保障に欠かせない要素を構成する。
・・・原子力研究開発での日米の協力は不可欠である。
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年6月 8日 (金)

三千二百六十一: 教育について

こんばんわ。

教育について思いついたことを書いてみます。

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■:義務教育について

「義務教育」というものが、全ての国民の幼少時代から、青少年時代にかけて、義務付けられています。
これなども、「強制教育」とも言い換えられると思います。

なぜならば、「義務」として課せられていると言うことは、当然ながら、その課題を、有無を言わさず、強制させることが出来るからです。
ある意味、スパルタ教育と言えるでしょう。

そして、この「義務教育とは、なぜ発生したのか?」と、人は不思議を感じるかもしれません。
なぜならば、「義務教育制度」というシステムは、江戸時代以前には、日本に存在していませんでした。
「寺子屋」と呼ばれる学問を教えてくれる場所があったので、勉強のしたい子供が自主的に、その「寺子屋」に行って、学ぶだけでした。
そして、さらに学問をしたい人は、日本の各地の「藩」が提供していた「藩校」と呼ばれる教育システムがあったので、そこに行って学んでいました。

ですから、「国内の全ての子供達に学を与えよう」という発想自体は、江戸時代以前の日本にはありませんでした。

この義務教育発祥の理由は、江戸時代から明治時代に変遷した、明治政府の意向であったことが知られています。

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そして、明治政府の意向が、現在に至る現行政府まで受け継がれています。

この、明治政府を設立した中心人物達の意向が、現在まで、色濃く日本に影響を与えています。

この、明治政府を設立した中心人物達というのは、その時の歴史を見ても、わかるように、江戸時代の鎖国制度を終わらせ、富国強兵策を打ち立て、この、富国強兵策を国の柱としたのです。

なぜ、富国強兵策が建てられたのかと言うと、当時のヨーロッパ諸国は、世界中に進出して、世界各地を植民地にしていきました。
そして、江戸時代の終わりごろになると、当時のヨーロッパ諸国のちからが、日本にも及んで来て、日本は、かなり圧力をかけられるようになります。

当時のイギリスと、長州藩(現在の山口県)が戦争をしたこともあります。
しかし、いずれも、日本の側は手痛い敗北を喫しています。
そして、日本の内側には、どんどん、西洋諸国の影響が現れ始めます。

最初、日本は「尊皇攘夷」と言って、「天皇を立てて、外国を打ち払おう」という思想がありました。
しかし、外国を打ち払うことは出来ず、逆に、西洋諸国の力強さに恐れを感じるようになります。

その結果、「日本は外国に侵略されたくない。日本も西洋諸国のように強大な軍事国家となって、日本を守ると共に、外国を制圧すれば、日本は守られるし、日本が諸外国を侵略して行けば、諸外国からも日本のための利益を上げられる筈だ」という思想になって行きます。

これが、江戸時代から明治時代にかけての、日本に現れた富国強兵策です。

この、富国強兵策というのは、つまりは、軍事国家の成立と、その発展を目指しています。
そのためには、一人でも、国民が豊富な知識を身に付けて、諸外国に負けないようにしないといけません。
現に、その倒されたくない西洋諸国の社会システムと見ると、「学校」と言って、多くの国民の子供達を強制的に学ばせています。
この社会システムを導入したのが、現在の日本の教育システムであることがわかります。

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富国強兵策というのは、これは日本の歴史だけではありません。
そして、この「富国強兵」という単語は、古代中国、戦国時代の中国の秦の時代に作られています。

当時の、中国大陸でも、近隣諸国と戦うために、国の全ての国民を導入してでも、「隣国に打ち勝つべし」という政治的な意見が出るようになりました。
その意向が、「富国強兵」という中国の故事成語を生みました。

中国の戦国時代の富国強兵策も、明治時代初期に国是として打ち出されていた富国強兵策と、ほぼ変わりがありません。

全国民のちからを使ってでも、隣国を倒そうとするのですから、国内の全国民に強制させる程の法律を作成して、それを実施させます。
この、中国の戦国時代は、約2000年前に終了していますが、世界史を見ても、この富国強兵策を国是とした、国は、そのほとんどが似た歩みをしています。

要するに、挙国を挙げてまで、隣国との戦争に打ち勝ちたいわけですから、そのためには、全国民を強制的に、富国強兵策に沿った政治内容を実施させないといけません。
そして、その結果、得をするのは、それらの富国強兵策を実行させた、ほんのわずかの為政者達が利益を上げます。

なぜならば、「富国強兵策を多くの国民に実行させた」ということは、その、富国強兵策に沿った政治内容を全国民が実行するので、そのパワーから生み出された、何らかの巨大な利益を、彼等が取得することが出来るからです。

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このような時代背景、国際背景、政治背景の下に、明治時代初期の国是が、ほんの一部の政治世界のトップの人々が決めていったわけですから、明治時代初期の政治の実効策というのは、非常に暗いものがあるとわかります。
現に、この明治時代初期の国是が、その後の、戦争国家の日本を進めて行ったからです。

ですから、これらのいきさつを知っていれば、現代にまでつらなっている、義務教育が一種の強制教育であるとも、人は、その理解を進めることが出来るでしょう。

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■:現代の教育精神について

次には、現代の教育精神について、感じたことを書いてみます。

上の『■:義務教育について』を読まれても、読者の方は感じたかもしれませんが、私は、教育システムの根本にも、良いものを感じません。

現在、いろんな学校でも、生徒達の発言として、テレビ等で報道されている言葉としては「私は、たくさん学んで、社会に貢献できる人に、将来、なるつもりです」という発言内容を、よく聞くでしょうか。

そして、それを教える教師側の発言としても、テレビ等で報道されている言葉としては「あなたたち(生徒達)は、一生懸命勉強して、多くの学を積みなさい。それが社会への貢献になるし、また、将来のあなたたち(生徒達)の役に立つから」という発言内容を、よく聞くでしょうか。

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私が感じているところのものを、素直に、あっさりと書かせてもらうのですが、ほとんど多くの学生達の勉学向上の動機とは、次のようなものではないでしょうか。

  「私が、現在、多くの学を積んでいる動機は、将来の私の生活において、多くの給与(お金)をもらうためです」

と。

というのも、私達の身の周りの状況を見ても、わかりやすいものがあります。

なぜならば、「より高い学校を卒業した」という証があれば、その人は、優先的に、多くの給与がもらえるように、社会的にセットされているからです。
「より高い学校を卒業した」という人であれば、成人社会に出てからの、いわゆる産業社会中の、多くの会社が、「より高給をその人に与えるように」と、社会的にセットされているからです。

ですから、この逆の状況を、社会の方が認定するような状況であるならば、その人には、社会に出てからの給与が、より低くセットされているので、これだと、世のほとんど全ての生徒が、「私は、私の将来の生活において、より多くのお金を得るために、現在、多くの学を積もうとしているところです」のような動機になっても、仕方ないものがあると思います。

「世のお金というものを、少額しか所有していない人」というのは、世の多くの人々の思い込みから考えてみれば、その人は「みすぼらしい雰囲気をまといながら、苦しい思いをして、死んでゆく」という認識がなされているからです。

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また、教える側の教師の方にしても、そのような事情があるでしょう。

例えば、Aという教師がいて、その他のB教師やC教師よりも、そのA教師の教え子たちのより多くが、進学校とか有名学校に進学した、とあるならば、その教師の昇進の査定道具の一つとなるでしょう。

もとより、現在の学校の、そのほとんどの教師が、現代の教育システムの下で、学を積んでいたのだから、それらの教師達も、幼少時代からの勉強の動機としては、「私が、現在、多くの学を積んでいる動機は、将来の私の生活において、多くの給与(お金)をもらうためです」というのが、ほとんどではなかったでしょうか。

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要は、現代の教育理念というものも、お金絡みであることが多いだろう、というものです。

教育に関して、多くの美辞麗句があります。
例えば、「青雲の志」とか「蛍の光、窓の雪」とかでしょうか。

しかし、私の感じる、現代の教育理念だと、それらの美辞麗句の下にも、お金に対する欲望が潜んでいるわけですから、それらの美辞麗句に対しても、いわば、「破れてボロボロになった、錦(にしき)の旗(はた)」というものを感じるでしょうか。

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というのも、次のようなケースを考えてみましょう。
「今現代で、将来の自分の取得できるであろう、給与の額を全く考えずに、今、目の前に広がっている勉強内容を、本当に真剣に学ぶことが出来るだろうか?」という、この問いを、自らに与えてみると、話はわかりやすくなってくるでしょう。

逆に、もし、現代の学校の中で、本当に、全く将来の自分の給与のことを考えずに、ひたすら、勉学を懸命に積んでいる生徒がいるとしたら、それこそ、かなり注目に値するでしょう。

しかし、そのような人が、全く正真正銘に、心の奥底から「将来の自分の給与の額を全く考慮していない」という状態であることが、誠心誠意、事実であることが優先されますが。

そのような人は、本当に純粋無垢の状態で、学を愛し、学を積んでいることになります。
そして、そのような人に対しては「学を積んでいる」という表現は至らないことがわかります。
そのような、純粋の動機で、知識を吸収しているのだから、「学を積んでいる」という堅い表現は合いません。
まるで、甘い空気を自然に吸うが如く、そのジャンルの学の知識を、抵抗無く吸い続けるのですから。

一般に「勉強をする」と言う表現は、他に遊びたい事柄があるのを、どこか、耐えながら、我慢して、勉強するのだから、嫌々ながら「勉強している」ということになります。

ですから、「勉強」という単語には、どこか、苦痛を匂わせる表現が込められています。
しかし、「自分は学んでいるつもりは一つも無く、ただ、自分の好むジャンルの知識を、甘い空気を吸い続けるが如く、その知を吸収しているのみです」という人の勉学を行っているスタイルについては、それは、もう「勉強」とか「勉学」と言った、苦痛を内蔵している単語を使ってでの、表現は至らないことがわかります。

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現代の報道に上る、しばしば、お金絡みの不祥事と共に報道される教育関係の事件を見ても、理解が進むかもしれませんが、「お金による悪い誘惑によって、神聖なる学の領域が精神的に蝕まれている」と感じる人は多いのではないでしょうか。

ですから、私達は、お金に対する認識を少しでも変えた方が良いと私は感じるのです。

なので、お金に関する話題とつながっていくのですが、お金に関する話題は、私の、このブログの「ビジネス・投資」のカテゴリーに、その多くを、豊富な資料と共に掲載しています。

冗長な部分や、重なりの部分も出てくるので、お金に関する話題の多くは、このブログの「ビジネス・投資」のカテゴリーを参照してください。

ここでは、幾つかの過去記事と資料を紹介程度に、『過去記事』の欄に掲載しておきます。
これらの資料を読んだだけでも、私達の社会にお金を広げようとしていた人々は、他の人々よりも威張りたかったか、人類支配したかったかが理解できると思います。
お金という道具の数値の違いによって、その数値が高ければ高い人ほど威張れるように、現在の人間社会を設定したでしょう。

私達、人間がお金という道具による拘束から、少しでも精神が解放されるであろうことを願います。


(以下、上記記事に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

Photo

 

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。
維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円、
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
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(引用終わり)

■②:
『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
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(引用終わり)

上記のように、大変な安価で、お札を中央銀行で製造でき、かつ、その中央銀行の所有者というのは、

■③:
(Wikipediaより、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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●日本銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C

日本銀行は、政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立する。
資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資する。
2010年(平成22年)3月末日時点における政府以外の出資者の内訳は、個人35.9%、金融機関2.4%、公共団体等0.2%、証券会社-%、その他法人6.5%となっている[1]。

最終更新 2014年6月19日 (木) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

『二千五百四十一: 銀行制度についての種々の話題_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/06/_no4-8a1f.html
(上記記事より抜粋引用)
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●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



ビデオの1時間00分06秒辺りからです。

●聞き手:
連邦準備銀行の議長とアメリカ合衆国大統領は、どのような関係が適切ですか?

Thrive_japanese__greenspan_2

■アラン・グリーンスパン(連邦準備銀行(FRB)、元議長):
まず第一に言う事は、連邦準備銀行(※筆者注:FRBのこと)は独立機関ですので、基本的に我々が行う措置をくつがえす事の出来る政府機関というのは存在しないのです。
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(引用終わり)

『二千五百八十三:銀行制度についての種々の話題_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no8-c8e8.html
●お金の問題点_0002.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=3ibrKBohE8o



『二千五百八十六:銀行制度についての種々の話題_No.10』
●「お金の問題点」の続き
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no10-9079.html
https://www.youtube.com/watch?v=T8DcvHSi-C8



(上記ビデオより抜粋引用)
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(村人達)
この村中かき集めても1000万円しかないのに、どうして1100万円払えるの?

と、村人が集まって言いました。


(銀行家)
みなさん、それは興味深い事ですね。
あなた方の生産効率はアップしませんでしたか?


(村人)
あなたはお金を作る事が出来るただ一人の人。
あなたは1000万円作っただけなのに、1100万円を要求している、、、
そんなの不可能だよ!


(村人達)
あなたがお金を取るので、この村にはお金が不足しています。
私達は必死で働いて利子を払っているけれど、ちっとも借金は減りません。


(銀行家)
もっとお金が欲しいんですかぁ?
でしたら、最近取得された物を担保にして、更に1000万円お貸ししますよ。


(村人)
まって、まって。
私達が一生懸命働いて、国は毎年発展するけれど、国の借金はますます増加する、、、


(銀行家)
国の文明化の程度は銀行への借金の大きさで測ることができるんですョ。
契約の神聖なる義務にのっとって、あなた方の資産を頂戴しましょうか?

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(引用終わり)

『二百五十三: News_No.298』
●「タイタニック号沈没」、「ケネディ暗殺」、背後にFRBの影
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no298-e74a.html
http://internetviking.at.webry.info/201107/article_8.html

以下の緑の文字の文章は、該当HPを読んで自分の書いた感想文の再掲載分。

詳細は、該当記事をご覧ください。
1963年6月4日 米国大統領J・F・ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令 第11110号が発令され、米国政府の公式に作ったお札が発行されました。
それは、2ドル札と5ドル札でした。

しかし、その後、大統領命令、第11110号の取り消しの無いまま、その米国政府が作った公式のお札が回収され、代わりに、大変よく似たFRBの印刷した大量のお札が、市場に出回りました。

▼2ドル札「政府発行券」

1376229826676131153161

▼2ドル札「FRB発行券」

137622983883613115762_2frb1

▼5ドル札「政府発行券」

13762298594671322128511

▼5ドル札「FRB発行券」

137622987167913221385_5frb11

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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年6月 4日 (月)

三千二百六十: 読書感想文、『読書について』を読んで

こんばんわ。

今回は、読書感想文を書いてみたいと思います。

読書した本とは、以下のものです。

  『読書について 他二篇』 ショウペンハウエル著、斎藤忍随 訳、岩波文庫

です。
掲載した写真も、上記の本の表紙です。

P6040176

 

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読書感想文に『読書について』という題材の本を持って来ました。

私自身が『読書について』という本についての読書感想文を書くわけですが、それに先立って、その題材自身が、ショウペンハウエル(1788-1860)という人が、読書一般について考えたことや感じたことを書き記した書物、というわけです。

ロシアの伝統工芸品の人形に「マトリョーシカ」というものがあります。
これは、人形の中に、それとそっくりな小型の人形が幾つか入っているものです。
当然ながら、その人形の中に進むにつれて、一番大きな人形のミニチュア・サイズのものが徐々に小さくなって、格納されています。

この記事は、なんとなく、その「マトリョーシカ」に似ていますね。

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まず、そのショウペンハウエルという人が、同書で語った内容を抜書きしたいと思います。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いています。

あるページを開くと、

読書とは他人にものを考えてもらうことである。
本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。
習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。
だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。
自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持になるのも、そのためである。
だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。
、、、(中略)、、、
ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失って行く。

また、あるページを開いてみると、

「読書は思索の代用品にすぎない。
読書は他人に思索誘導の務めをゆだねる。」

とあります。

何も私が解説することは無いと思うのですが、要するに多読をする人は、結局、自分の頭で考えていないのだから、「自分でものを考える力を失って行く」と、彼は述べています。

現代に住む私達でも、彼の言葉を聞いて、どこか「ハッ」となりはしないでしょうか。

彼の時代を超えること、約150年以上の月日が流れています。
彼の時代の主要な情報源とは、ほぼ、読書だけだったでしょう。
しかし、現代社会では、様々なメディアが溢れています。
流されている情報量などは、彼の時代と比べて、比較にならない程の巨大な量となっているでしょう。

しかし、彼の言葉を聞くと、私達は現代の情報社会から一歩踏み出て、瞑想の森か瞑想の館に入り、自らの中核(コア)に向かって、静かな旅をしているような気がしてこないでしょうか。

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しかし、現代の私達としては、過去の彼に、自然と次のような疑問を投げかけているかもしれません。

  「ショウペンハウエルさん。あなたは『多読を慎むべし』と言われています。しかし、その、あなた自身が『読書について』という本を出し、その本の中で、『多読を慎むべし』と書いています。つまり、あなたが『多読を慎むべし』と主張されるのならば、当然、私達が、あなたの著した『読書について』という本を読む機会が失われやすいことになります。すると、当然ながら、あなたの主張している『多読を慎むべし』の思想を、他人に伝えにくくなるのではないでしょうか? そうであるのならば、あなたのやっていることと語っていることは、どこか矛盾してこないでしょうか?」

という疑問です。

しかし、上記のような、私達の疑問でさえも、本書には、その疑問に対する解答と思えるような、次のような文章も埋め込まれています。

「そこで読書はただ自分の思想の湧出がとだえた時にのみ試みるべき」

と。

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この、ショウペンハウエルという人は、世間ではドイツ哲学者として分類されているようです。
しかも、一般には、彼は厭世(えんせい)哲学者と言われています(厭世とは『世を嫌う』という意味)。

しかし、彼自身は、一言も自分のことを厭世哲学者とは言っていません。
また、上に御紹介した引用文のように、彼の他の著を読んでもわかるのですが、彼の文体からは、非常に強力なものを感じます。
ですから、強力な人格を感じます。

また、上記に紹介した引用文だけでなく、箴言、寸言、比較文、修飾の言い回し、彼の書の至る所に現れる豊富多彩な引用文を、読者の方々は様々に感じることが出来るでしょう。

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現代の情報社会とは、私達にとっては、一種の洪水状態とも言えます。

私が上に書いたように、彼の筆から流れ出た、幾つかの文を紐解くことは、瞑想の館に入るようなものです。
その瞑想の館にこもり、自らの中核(コア)を訪ね、その中核(コア)から、現代社会を再び眺めやると、180度の違った視点から、私達の社会を眺めることが出来るかもしれません。

また、現代とは、そのようなことが求められている時代なのかもしれません。


(以下、読書に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百十三:読書感想文、『侏儒の言葉』を読んで
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/01/post-363a.html

下の写真は、Wikipediaからのものです。

Photo

(以下、芥川龍之介著『侏儒の言葉』より引用)
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   政治的天才

古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思われていた。
が、これは正反対であろう。
寧(むし)ろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするもののことを云うのである。
少くとも民衆の意志であるかのように信ぜしめるものを云うのである。
この故に政治的天才は俳優的天才を伴うらしい。
ナポレオンは「荘厳と滑稽との差は僅(わず)かに一歩である」と云った。
この言葉は帝王の言葉と云うよりも名優の言葉にふさわしそうである。

   又

民衆は大義を信ずるものである。
が、政治的天才は常に大義そのものには一文の銭をも抛(なげう)たないものである。
唯民衆を支配する為には大義の仮面を用いなければならぬ。
しかし一度用いたが最後、大義の仮面は永久に脱することを得ないものである。
もし又強いて脱そうとすれば、如何なる政治的天才も忽(たちま)ち非命に仆(たお)れる外はない。
つまり帝王も王冠の為におのずから支配を受けているのである。
この故に政治的天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない。
たとえば昔仁和寺(にんなじ)の法師の鼎(かなえ)をかぶって舞ったと云う「つれづれ草」の喜劇をも兼ねぬことはない。
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(引用終わり)

『千四十六:読書感想文』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/post-88b1.html

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私の部屋の本棚にある、過去に買った本を眺めて、久しぶりにそれらを読んでみました。

夏目漱石の『夢十夜』と『硝子戸の中』でした。
以前、私は夏目漱石の『こころ』や、その他の作品も読んだものです。
しかし、私は夏目漱石の作品群の一つである『小品』と呼ばれる作品が好きでした。
小説だと、少し読むのに時間がかかるからです。

Photo_2

(▲上記写真は、Wikipediaより)
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『二千八百九十:竹取物語を読んで』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/04/post-bbdc.html

(以下、『竹取物語』(星新一 訳/角川文庫)より引用)
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「ある年ごろになると、男は女のかたと結婚し、女は男のかたと結婚する。これがよのならわしです。それによって、子も出来、一族が栄える事になります。私は生きているうちに、そのお世話をすませたい。どうでしょう、男のかたをお選びになりませんか」

すると、かぐや姫は表情も変えずに言った。
「そうしなければならないって、なぜですの。わかりませんわ」

あまりのことに、竹取りじいさん、口ごもった。
理由など考えたこともない。
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(引用終わり)

『三千四:『明日は、今日より強くなる』を読んで』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/10/post-abf4.html

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女流プロ雀士の姉妹、二階堂亜樹、二階堂瑠美氏の共著である、『明日は、今日より強くなる 女流プロ雀士 二階堂姉妹の流儀』(KADOKAWA)の本のタイトルです。
写真は、Amazonの広告からの引用です。

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                                       坂本 誠

2018年5月28日 (月)

三千二百五十九: 現代社会事情に関する想定ドラマを想像してみて

本題に入る前に、前段『三千二百五十八:ある医療統計データを考えて』に記載し忘れていたことを書きます。

前段『三千二百五十八:ある医療統計データを考えて』では、
(以下、『InDeep』様、2018/5/13記事より引用)
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●抗ガン剤の起源が化学兵器マスタードガスだったことを思っているうちに、私たちが開いた「人類と他の生物の完全絶滅への道」が一瞬で見えたような
https://indeep.jp/going-extinction-now-with-anti-cancer-drugs/
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(引用終わり)

で、抗ガン剤の起源は、第一次世界大戦で使用された毒ガスが起源であり、現在でも、がんそのもので死ぬよりも、抗がん剤使用によっての、死亡者数の方が多いのでは、という概略の記事でした。

書き忘れた内容というのは、私の知人に薬剤師がいて、上記の件について伺った事でした。
知人の薬剤師も、抗がん剤を使用している患者に接する看護婦達のことを知っていました。
もちろん、その患者に接する看護婦達は、患者が一人変わる毎に、手袋、マスク、あるいは、エプロンを、即座に廃棄するそうです。

つまり、それほど、抗がん剤の毒性は強いのを、看護婦達は知っているそうです。

ですから、逆を考えれば、「日本人の死因の第一はがんである」という、統計データも、間違っている可能性は高いと思います。

ここまでが追加記事であり、以降は、今日の記事です。
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こんばんわ。

三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の続きのような記事です。

『三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』で書いたように、会社の監査役の方々は、「会社の違法を調べ、それがあれば阻止・是正するのが職務」である、というのが私達に理解できました。
そしてまた、会社の取締役の方々にも、「法令・定款違反行為に関する責任を負わされています」から、自社内での違法があれば、それを阻止・是正しなければいけないことがわかります。
何とならば、会社の「就業規則」というのを、全ての会社は、労働基準局に納めなければいけないことが労働基準法で定められているからです。
そして、全ての会社の「就業規則」というのは、労働基準法の配下に置かれているので、全ての会社の「就業規則」というのは、労働基準法を守ることが定められているからです。

ですから、全ての会社は、労働基準法を実行及び守らなくてはいけません。
その、労働基準法の中に、長時間労働を禁じる条項があるので、世の全ての取締役の人々は、自社内での、違法長時間労働が実施されないように、阻止や是正をしなければいけないことがわかります。

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堅い言葉で書いてしまったので、ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、わかりやすく書けば、社内の監査役とか取締役の人は、自社内で、違法長時間労働が実施されないように働く事が、彼等の仕事の一部であることが私達にわかります。

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会社の取締役の方は、社長とか専務とかの人が多いです。
ですから、社内の社長とか専務の仕事は、その配下の従業員の業務でもあります。
なので、以下のように、想定できるシーンもあるのではないでしょうか。

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あるブラック企業内での、ある社員が、定時(※筆者注:この記事内での「定時」とは、夕方5時や夕方6時ぐらいを想定しています)で帰社しようとしています。
その光景を見た、そのブラック企業内での、その社員の上司が、その定時で帰社しようとしている社員を捕まえて、「なぜ、おまえは定時で帰社しようとしているのか?」と、尋ねたと仮定します。

すると、呼び止められた、定時で帰社しようとしている社員は、上司に以下のように答えるかもしれません。

  「うちの社の監査役や取締役(※筆者注:この記事内では『社長』を意味します)、つまり、社長の仕事として、社内の違法長時間労働を禁止・是正・阻止する業務内容が彼等にはあります。そして、私が社員だから、つまり、社長の業務は、私の仕事でもあります。ですから、社長業務の一環を、平社員である私は実行しないといけないでしょう。ですから、違法長時間労働をしてはいけないので、業務の一環として、定時で帰社しようとしているところです。」

ですから、世の定めとされていることを考慮すれば、上記のようなドラマ・シーンが実際の現実社会に展開されても、不思議は無いのではないでしょうか。

ですので、上記の想定したドラマ内での、そのブラック企業内での、その上司は、その定時で帰社しようとしている社員に、何も言えなくなるのではないでしょうか。

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しかし、上に書いた想定ドラマの続きを、読者の方々は、更に想像することが出来るでしょう。

それは、次のような、ドラマかもしれません。

定時で帰社しようとした平社員に何も言えなかった、そのブラック企業内での、その上司は、定時で帰社した社員のいない間に、他の社員達に、次のように言います。

  「定時で帰社した、あいつを、みんなでハブるんだ!」

と。

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この「ハブる」という単語ですが、これは、現代の若者の間で使用されている俗語の一つとされていて、この「ハブる」という単語の意味は、「仲間外れにする」という意味だそうです。

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ですから、この記事の読者の方々は、更なる、想定ドラマの続きを想像できることでしょう。

定時で帰社をするようになり始めた社員の、その後の日常を、彼(あるいは彼女)が感じることには、

  「私は、社のみんなから、ハブられている!」

と。

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読者の方々も、更に更に、この想定ドラマの続きを想像することが出来るかもしれません。
それは、上記の想定ドラマを、横から、つぶさに眺めている、そのブラック企業の監査役と取締役(※筆者注:この記事内では『社長』を想定しています)の心中です。

色々と、読者の方々も想像できないことはないでしょうが、何か、私の方で、記述するに値する想定ドラマが思い付けば、書き足すことにします。

読者の方も、ぜひ御自身で、上記の想定ドラマの続きを想像してみて下さい。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/05/post-5697.html
(Wikipediaより引用。太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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●監査役
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A3%E6%9F%BB%E5%BD%B9

Photo

会社経営の業務監査および会計監査によって、違法または著しく不当な職務執行行為がないかどうかを調べ、それがあれば阻止・是正するのが職務である。(、、、以下、省略)

最終更新 2018年3月5日 (月) 08:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

『三千二百五十一:『街道を行く 9』の再解釈_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/05/_no1-923a.html
(上記記事より再掲載分)
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この段落の記事とは違っているのですが、先に更新した『三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の追加を、ここに書かせて下さい。

前段落から続いて、会社の監査役の簡単な手抜き行為として考えられる行為があります。
会社の監査役というのは、複数の会社を兼任することが出来ます。
ですので、ある監査役の方のセリフを想定するならば、

  「私、幾つかの会社を兼任しているという忙しい状態でありまして、件(くだん)の会社の社員の労働時間を、つぶさに監査する機会がありませんでした」

というものでしょう。

このような逃げとも思われるようなセリフが出たとしても、こちらの方から、

  「それでしたら、いつも、あなたが多目に出勤している会社があるでしょうから、その会社の従業員の労働時間状況は、どうでしたか?」

とか、

  「それは、もう、監査役が、自分の業務を実行しているとは言い難いのでは? 幾つもの会社を兼任していたとしても、それらを調べるのが、そちらの業務でしょうから、それこそ、部下を使うとか」

等のように、幾らでも手段はあることでしょう。

会社の取締役も同じようなものですし、この状況で、日本の数多くの企業が違法長時間労働をしているとあるならば、、、

ねえ、、、それこそ、、、
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年5月27日 (日)

三千二百五十八: ある医療統計データを考えて

こんばんわ。

Img7d926010455f0

 

今日は、病気の話題をしますので、話題を和らげるためにも、私の撮影したスナップ写真を掲載しながら話題を進めていきます。

私の見かけた記事を紹介します。

私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています。

(以下、『InDeep』様、2018/5/13記事より引用)
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●抗ガン剤の起源が化学兵器マスタードガスだったことを思っているうちに、私たちが開いた「人類と他の生物の完全絶滅への道」が一瞬で見えたような
https://indeep.jp/going-extinction-now-with-anti-cancer-drugs/

投稿日:2018年5月13日 更新日:2018年5月14日

(、、、中略、、、)

その「概念」というのは、いわゆる薬の作用機序のことで、その成分は「ナイトロジェンマスタード」というものですが、これは兵器としても医薬品としても次のようなものです。
同じ Wikipedia からの引用です。

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人体への作用

マスタードガスは人体を構成する蛋白質や DNA に対して強く作用することが知られており、蛋白質や DNA の窒素と反応し、その構造を変性させたり、 遺伝子を傷つけたりすることで毒性を発揮する。

このため、皮膚や粘膜などを冒すほか、細胞分裂の阻害を引き起こし、さらに発ガンに関連する遺伝子を傷つければガンを発症する恐れがあり、発癌性を持つ。
また、抗がん剤と同様の作用機序であるため、造血器や腸粘膜にも影響が出やすい。
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というもので、これが抗ガン剤として機能する部分は、上の、

細胞分裂の阻害を引き起こし

という部分です。

非常に早く増殖していくガン細胞を「細胞分裂の阻害を引き起こす」ことによって、その細胞の増殖を食い止めるという作用です。

これが仮にガン細胞に対してとても有効に作用するのだとすれば、同時に、やはり当然ではあるのですが、「全身すべての細胞をも攻撃してしまう」という作用もあります。
これは副作用というより、抗ガン剤というものの作用そのものがそういうものですので「副」ではなく本作用です。

(、、、中略、、、)

立花隆さんは「知の巨人」などと呼ばれますが、この下りの表現は「痴の巨人」的なものともなっていまして、一部の単語が生々しすぎまして、私はブログで言葉を伏せることはほとんどないのですが、ここは一部「○○○」というように伏せさせていただいています。
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以前、月刊『文藝春秋』で、慶應義塾大学の近藤誠先生と対談された、ジャーナリストで膀胱ガンを煩っておられる立花隆氏が、

「投与された患者が体外に排泄するもの一切に抗ガン剤の毒が出る。患者のオシッコや大便にも出るから、看護する人は、排泄物が手についたら、すぐ洗い流さなければならない」

と述べ、さらには、

「抗ガン剤を投与した男性の精液にも毒が出る。だから、恋人の男性が抗ガン剤治療をしている時に、絶対にフ○○○○をしてはいけない。まして、飲んだりしたら、とんでもないことになる。女性の体内に射精すると、毒が粘膜を経由して吸収される危険もある」

と語っておられました。

(奥山隆三著『ガンはなぜ自然退縮するのか』より)
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(引用終わり)

ここからは私の文章となります。
かなり、抗がん剤自体が、猛毒であることが私達にわかります。

もし、がんになっても、抗がん剤の使用を控えよう」という話は、ここからも理解できます。

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さらに私が気が付いたことがあります。

それは、日本人の死亡率です。
日本人の死亡率で最も高いのは、がんとされています。

Img7d9269f54ebc


その次に、脳卒中と、心臓病だったでしょうか。

この、日本での、がんでの死亡率がトップとなったのは、現代に入ってからです。
私の記憶している限り、10年か、20年ぐらい前だったでしょうか。
それ以前は、がんでの死亡率が日本のトップではなく、確か、脳卒中が、日本人の死亡率で最も高いものでした。

しかし、「がんでの死亡率が高くなっている」ということで、抗がん剤の使用が増えたでしょうか。
しかし、上で紹介したように、ひょっとしたら、「人はがんで死ぬことが多い」というよりも、「人はがんで死ぬことよりも、抗がん剤を使うことにより死ぬことが多いかもしれない」という事態が発生しているかもしれません。

ですので、がんで亡くなられている方々の中で、「抗がん剤の使用によって亡くなられている方々の方が多いかもしれない」と、想定することも出来るでしょう。
そうなると、「日本での、がんでの死亡率がトップ」というのは、間違った統計データとならないでしょうか。

なぜならば、もちろん、「がんで闘病中の方が、抗がん剤の使用によって亡くなっている人々も多いかもしれない」となると、「日本での、がんでの死亡率が下がる」という結果になるからです。

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このようなことが想定できる以上、通常、私達が見聞きしている統計データである「日本人の死亡率で最も高いのは、がん」というデータも、見直す必要もあるでしょう。

また、個々の人も、充分、上記のデータを疑いつつも、日頃の自身の生活方針も立てなおす必要が出てくるかもしれませんね。


                                       坂本 誠

2018年5月20日 (日)

三千二百五十七: 忍耐強さとか我慢強さと言われているものを考えてみて

こんばんわ。

「忍耐強さ」とか「我慢強さ」と言われているものについて、自分なりの見解を書いて見ることにします。

「忍耐強い」とか「我慢強い」と言われていることは、私から見ると、そんなに美徳には感じません。

ちょっとした会話文を想定して、話題を進めてみたいと思います。

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●ある大人:
「君って、我慢強いのねえ。忍耐力が付くよ」

■ある子供:
「うん。僕って我慢強い、強い子だよ」
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上のような会話があったとしましょう。
だいたい、上のような会話は、どこでも、ありふれて聞いたことがあるかもしれません。

しかし、「忍耐強い」とか「我慢強い」という精神状態を、一緒によく考えてみましょう。
「忍耐強い」とか「我慢強い」という精神状態が起こっている、という状況は、その人の何らかの環境や境遇の状態について、その人がぐっと耐えている、と言うことになります。

ですから、その人の心の奥底の状態というのは、「本来、私がいる環境は、ここでは無い」と言っていることになります。

何とならば、何らかの困難な状況や、苦痛の状況が、その人に訪れているからこそ、その人には、「忍耐強い」とか「我慢強い」という状態が発生しているからです。

ですから、この状態だと「現在、その人に困難な状況や、苦痛の状況が訪れている」ということで、「現在、その人は不幸な状態にある」と、私達に理解できます。

そして、全ての人にとってそうですが、

  「現在、私は不幸な状態にあるけれど、その環境から逃れられない(あるいは逃れる手段が無い、あるいは、逃げたいという志が無い)からこそ、私は、現在の、この不幸で苦痛の環境に対して、忍耐・我慢している」

ということになる筈です。

ですから、例えば、

  「私は、この環境に対して、非常に我慢強い・忍耐強い」

という言葉の裏を返せば、

  「私は、この環境を非常に嫌っています」

と言い直せることに私達は気が付きます。

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ですから、冒頭に挙げた会話文も、私が説明した視点から書き換えてみると、以下のようにも書き直せるでしょう。

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●ある大人:
「君って、今、非常に苦痛の状態や環境にいるのねえ。大丈夫?」

■ある子供:
「うん。今、僕は、非常に苦痛を感じる環境にいます。心身のバランスが保てるかどうかはわかりません」
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と。

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一般的に言えば、私達は幸福を求める存在です。

ですから、「忍耐強さとか我慢強さを欲する」というのならば、それだけで、苦痛の環境にいることになるのだから、その人は、不幸の状態にいることになります。

ですから、たいていの人が「あなたが不幸の状態になることをお薦めします」というのは、ほとんどが無い話であろうかと思います。

なので、「我慢強い人間に、おなりなさい」とか「忍耐強い人間に、おなりなさい」という人は、その言葉を語りかけている人に対して、「あなたは不幸に、おなりなさい」と言っているのと同じになります。

ですから、「忍耐強い人間に、おなりなさい」と言ってくる人に対しては、私達は注意深くなる必要があるのではないでしょうか。

なんとならば、その言葉を言ってくる人に、どこかしら、「あなたに苦痛の環境を持って来て、あげましょう」というニュアンスが感じられるので。

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確かに、私達も生きていて、何らかの我慢とか忍耐を強いられたことはあると思います。

しかし、意図的に、我慢強さや忍耐強さを求めるとなると、そのような状態は、例えば、滝に打たれる滝行とか、荒行・難行を心身に与える行為となってくると思います。

こうなってくると、周囲の人が見て、「その人は、自ら不幸の環境を望んでいる」となるでしょう。

また、そのような荒行・難行を求める人は、自身の忍耐強さと我慢強さを得ようとしているのでしょう。

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宗教者の間では、そのような受難礼賛(じゅなんらいさん)を尊ぶ環境があったと聞いています。

このような方々の心底には、「苦痛が自らを清めたり、高めたりするだろう。その苦痛に清められた結果、私は、より高尚(あるいは幸福)になるだろう」という思いがあるようです。

この記事の冒頭からの流れを含めれば、「苦痛を経験することによって、私は忍耐強さを手に入れることが出来るのだ」と言えるでしょうか。

色んな人がいて、どのような方向を目指して歩くのかは、それぞれ各人の自由ですから、そのような方向を歩んでも、良いとは言えるのでしょう。

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しかし、読者の中には、上記のような受難礼賛の精神の中に矛盾を見い出していると思います。

なぜならば、上に書いたような受難礼賛を尊ぶ人は、常に、その人にとっての不幸な環境を望んで、選択していることがわかります。

彼(あるいは彼女)自身は、それらの不幸環境を入手し続けることにより、彼自身に何らかの得を掴めると思って、その不幸環境を選択し続けているのですが、いつまで経っても、その人が、彼自身に満足する何かを得ることは無いことが、私達にわかります。

なぜならば、その人自体は、常に不幸環境や苦痛環境を選択・入手しているでしょう。
ですから、もし、彼自身が、彼にとって満足する何かを得られたとしたら、それ自体が、「彼は常に不幸環境や苦痛環境を選択・入手している」という状態では無くなります。
つまり、矛盾してくるからです。

もうちょっと、詳しく説明して、二度ばかりまで書いてみると、彼自身は苦痛・不幸環境を求め続けることによって、彼自身を満足させるであろう、何らかの得点ポイントや得点状況を、どこかしら、なにかしら、得られる筈です。
しかし、既に、その状態というのは、彼にとっては、一つの幸福状態となります。

しかし、彼自身としては、その、なにかしらの幸福を手に入れるためには、ずっと、彼の認識している不幸・苦痛状態を手に入れ続けないといけないので、つまり、彼は世の終わりまで不幸・苦痛状態が続くことになります。

そして、もし、仮に、彼が、彼の続けていた不幸・苦痛状態から、何らかの得点ポイントや得点状況を手に入れたとしたら、それは彼にとっての幸福状態となりますので、彼の目指している、「常に不幸・苦痛環境を得続けよう」という目的が失敗するわけです。

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上の状態の矛盾を解消するためには、次の考えが必要となって来るでしょう。
つまり、

  「その人にとっては、不幸・苦痛こそが、彼の幸福なのだ」

と。

しかし、私達は次のことがわかるでしょう。

  「彼自身は、彼なりの不幸・苦痛状況を得ようとしている。つまり、それは彼にとっては、相変わらずの不幸・苦痛状況であるから、彼は永遠に幸福を掴むことは出来ない」

と。

つまり、、、この手の矛盾を解消するのは、、、やっぱり、無理です。

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つまり、私としては、ここまで説明を書かせて頂いたのですが、要は、

  「我慢強さや忍耐強さを求める狙いや行動は、基本的には、人を幸福にしないだろう」

という主張です。

なんとならば、上に説明させて頂いたのですが、矛盾が起きてきますので。

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確かに、ある程度の我慢強さや忍耐強さが、生きている間には、運命の手によって、それを学ばされたりするかもしれません。
それ自体も「粘り強さ」というものを身に付けたことにもなるでしょう。

しかし、長期間に渡るまでの「我慢強さや忍耐強さの養成」というのは、道から離れてくると思います。
人によって、「長期間」という時間の長さは変わってきますが。

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また、他にも言えるであろうことがあります。
例えば、長期間に渡って、全く不幸や苦痛の無い環境ですごせば、今度は、そのような環境では退屈が発生するでしょう。

その退屈自体が、その人にとって不幸となるでしょう。

ですから、その不幸・苦痛環境から逃れ出るには、ある意味、厳しい環境に出てくれば、その忙しさや対応状況によって、退屈からは逃れられるでしょう。

そのような意味での、「不幸・苦痛環境の選択」、つまり、上の流れから行けば、「我慢強さや忍耐強さの養成」というもの選択が起きるかと思います。

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しかし、上に書いたように、積極的なまでの「我慢強さや忍耐強さの養成」を目指すとなると、その状態は、つまり、「不幸を愛する」という状態になるでしょう。

つまり、いったん、その状態に入ると、そのマイナス状況から抜け出すのは難しくなると思います。

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ですので、積極的なまでの、自身への「我慢強さや忍耐強さの養成」という目的は避けた方が良いと思います。

もっとも、どんな人にでも自由がありますので、上記の目的を積極的に選ぶという人もいても良いのだし、もちろん、そのような人に、強くは言えないのですが。

まあ、私個人としては、「自身の我慢強さや忍耐強さの養成を積極的に行う」とか「受難礼賛」という目的は、止めた方が良いかと思います。


                                       坂本 誠

2018年5月14日 (月)

三千二百五十六: ある日の新聞記事を読んでの、疑問を感じたこと_No.2

こんばんわ。

三千二百五十五:ある日の新聞記事を読んでの、疑問を感じたこと』の追加です。

追加的に思い浮かんだことを書いてみます。
ですから、前段からの詳細を知りたい方は、『三千二百五十五:ある日の新聞記事を読んでの、疑問を感じたこと』を、どうか参照して下さい。

この記事の話題の元となっている新聞記事は、次のものです。

(以下、『朝日新聞デジタル』、2018/05/04記事より引用)
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●記者は見た!警視庁が秘蔵の「武道館のビートルズ」記録
https://www.asahi.com/articles/ASL544F62L54OIPE009.html
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(引用終わり)

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前段からの続きだと解説的な雰囲気も出てくるのですが、ある人ならば、

  「坂本さん。それだと、約50年前のビートルズ公演にやって来た聴衆の方々の、『個人情報公開の意志があるか、どうか』の意向は、どのように確認したら良いのでしょうか」

という疑問が湧いてくるかもしれません。

私が想定できる、その、読者の疑問の答えが思い浮かんだので書きます。

  「それこそ、約50年前のビートルズ公演にやって来た聴衆の方々が、写真やテレビカメラに写されている事自体が、彼等の個人情報公開の意志を現している」

と言えるのではないかと思います。

もちろん、彼等が自分達の顔を写されたくなければ、当然、あの巨大会場そのものに行ってないでしょうから。
これなども、やはり、個人情報保護法のある現在で、野球場ドームで観戦している多くの聴衆の方々の意志と同じだと、私には見なせます。

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読者である、皆さんは、どのように考えたり、どのような意見を持つでしょうか。


                                       坂本 誠

2018年5月13日 (日)

三千二百五十五: ある日の新聞記事を読んでの、疑問を感じたこと

こんばんわ。

以下の新聞記事を読んで、疑問を感じたことを書いてみたいと思います。
読者の方で、その新聞記事を詳しく読みたい方は、以下のURLにジャンプして読まれて下さい。

(以下、『朝日新聞デジタル』、2018/05/04記事より引用)
------------------------------------------
●記者は見た!警視庁が秘蔵の「武道館のビートルズ」記録
https://www.asahi.com/articles/ASL544F62L54OIPE009.html
------------------------------------------
(引用終わり)

この記事の、あらましを書きます。

今から約50年前に、日本にビートルズがやって来て、ライブ公演しました。
警察が、その映像記録を撮影したそうで、一般には公開されていないそうです。
ですので、ビートルズ・ファンの方が、警察に対して、「公開して欲しい」との主旨を伝え、現在に至るまで話し合いが続けられているそうです。

---------------------------------

その話し合いの主なポイントと言えるのが、個人情報の保護の点です。
警察の側からすれば、「フィルムには、約50年前の人々の顔が鮮明に映っているので、個人情報保護の観点から、公開は出来ない」と言われているそうです。

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ですので、私も、個人情報の観点から、以下のような疑問が浮かびました。

まず、私達の個人情報に関することから書いてみます。
私でも良いですから、私を例に書いてみます。

私の現住所や、私の顔とか、私の電話番号とか、私の財布の中の所持金も、あるいは、私の銀行内の預金高も、私の個人情報と言えます。
その他にも、私の個人情報とは一杯ありますが、それらの個人情報というのは、公(おおやけ)にしたいと思えば、つまり、「多くの人が私の個人情報を知っても良いよ」という承諾があれば、それらの個人情報を出すことが出来ます。

具体的には、私の現住所や、私の顔とか、私の電話番号でも、「多くの人が知っても良いよ」と、仮に私が思えば、このブログに掲載することが出来ます。
また、ブログで無ければ、お金のある人ならば、新聞にそれらの情報を掲載しようとしたり、報道社から、してみれば、ニュース・バリューも無いでしょうから、やはり、お金を出して、テレビで報道してもらう、とか。

それとは、逆に、「これらの個人情報を世に出したくない」と願えば、当然、それらの個人情報をブログに掲載しなかったり、あるいは、ネット上の、どこかのコミュニティ・サイト上の日記に、それらの情報を出さなければ済む話です。

要は、「個人情報」というのは、その情報を持っている人の、その意向次第によって、公にも出来るし、また、公にしたくないと思えば、原則として、公にはなりません。

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ここから本題に返りましょう。

現代でも、プロ野球の試合とか、プロ・サッカーの試合とか、あるいは、何らかの有名な歌手達のコンサートがあって、それらの会場には、マスメディアの方々が、よく取材・報道をしています。

それは、非常に多く見かける機会があるので、とりたてて、私が例を挙げるまでもありません。

で、現代でも、そのような、野球ドーム場内とかサッカー場等の試合などでは、観客達がテレビ・カメラに写されていたり、応援者達や、サポーター達の状況が写されています。
また、有名な歌手達のコンサートでも、同様のことがあるのを、私達はテレビで見かけています。

で、そのような、観客達や、応援者達や、サポーター達というのは、ある意味、「自分の顔がテレビに出たり、翌朝の新聞の写真の片隅に写っていても仕方ない」という、思いの下で、野球ドーム場内とかサッカー場とかコンサート会場に行っていると思います。

もし、本当に、「野球ドーム場内とか野球場の観客席とかサッカー場の観客席での、自分の顔が万が一でも写っていたくない」と願うならば、そのような人々は、最初から、そのような会場には行っていないでしょう。

ですから、私でもそうですが、「あのようなマスメディアも集まるような巨大会場に行けば、テレビカメラなどに写されて、自分の顔も世の人に見られても仕方ない」という思いで、多くの人は、あのような巨大会場に向かうと思います。

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警察の側の人は、「個人情報を守らねば」という思いの下に、約50年前の映像の一般公開制限をしているようです。

上の流れから、私が何気なく感じた疑問としては、「それらのフィルムに写っている筈の、多くの人々の『個人情報を出すか、否か』の意向の確認はなされているだろうか」というものです。

個人情報保護法の制定される以前の、約50年前の話ですが、やはり、あのような巨大会場に行く人ならば、最初から、「テレビカメラに写されても良いよ」という思いで、あのような場所に行くでしょうし、もし、本当にテレビカメラや新聞社の写真の片隅にでも載りたくなければ、最初から、あのような巨大会場には行かないのではないでしょうか?

そして、上記URL先の記事中にも、約50年前の観客達の顔の写されている写真がありましたが、「私を写してくれるな」といわんばかりの怖い形相をした人は、一人もいないように私には見えます。

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もっとも、当時のビートルズのメンバーである、ポール・マッカトニーさんやリンゴ・スターさんやジョン・レノンさんやジョージ・ハリソンさんにも、50年前の日本には存在していなかった個人情報保護法は無かったのですが、現代に置き換えても、同様の話が出来ます。
50年前の日本でのライブの際に、「私達(ビートルズのメンバー)の、個人情報を考えた結果、このライブで、私達の顔を撮影するのは止めてください」と言える権利も、彼等にもあったことでしょう。

ライブが始まって、マスメディアがやって来て、彼等の顔を撮影していた段階で、メンバーである彼等の方から、「どうか、私達の顔を撮影しないで下さい」と言えたことでしょう。

その状態でしたら、現代の日本にある個人情報保護法で考えたら、「このライブでのビートルズのメンバーの顔を撮影してはならない」となっていたことでしょう。

それと同じように、約50年前のビートルズ・ライブに集まった観客達でも、当時のライブ中にテレビ・カメラや、新聞社のカメラが向けられた時に、「どうか、私達の顔を撮影しないで下さい」と言えたことでしょう。
そのような聴衆達の発言があれば、現存している写真や動画フィルムに、彼等の顔や姿は残されていないのではないでしょう。

むしろ、現存している写真や動画フィルムに、大量の聴衆達の顔や姿が何気なく、写されているとあるならば(それを確認出来るのですが)、あのビートルズ・ライブに集まった当時の人々の意向として見れば、「私の顔や姿や服装や発言は、個人情報のものだけれど、公開しても良いよ」と、言っているのと同じだと判断できないでしょうか。

それに、それらの写真に写っている顔の表情を見ても、「(約50年前の昔風で言えば、)私の顔を写してくれるな」あるいは「(個人情報保護法のある現代風で言えば、)私の顔も個人情報であり、それを公に出したくないので、私の顔を写してくれるな」と言っているようには、見えません。

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要は、私達の間で使用されている個人情報というのは、私を例に挙げてみると、「私が公に出しても良い」という個人情報ならば、それを公に出しても、誰からも何も言われません。
また、「私が公に出したくない」という個人情報ならば、公に出さないことになります。
そして、その、「私が公に出したくない」という個人情報を、どこかの誰かが使用しますと、個人情報保護法に触れてきます。

ですから、話が冒頭に返すと、「警察などの公務員の方が、これらの映像やフィルムに現れている人達の意向の面を考慮しているだろうか」という疑問が湧きました。

この記事を読んでいる、あなたでもそうですが、「私の個人情報を世に出しても良いよ」と言えば、周囲の人が、「それは、あなたの個人情報だから、あなたにとって、非常に非常に大事なものであり、云々の、かんぬんの、それこれの非常に大きな悪と思える問題があり、、、」と言いながら、その個人情報を世に出そうとしている人を止め立てする必要は無いわけです。

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ですから、個人情報の問題を考える上では、「個人情報を世に出そうか、出すまいか」と考えている人の意向の問題が、個人情報を考える上で大事なわけです。

ですから、私の疑問としては、その「個人の意向を確認しようとしているだろうか?」という点が1点目。
そして、2点目としては、その1点目を考えても、写真に写っている人の顔の表情を見ても、「自分の顔も個人情報だから、私は、その個人情報を世の多くの人々に見てもらいたくない」という、意向は、私から見て、感じないのだが、、、という点です。

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要は、あの50年前のビートルズ・ライブに集まった多くの聴衆達は、「自分達の顔や姿や服装が写っても良いよ」という思いで、あの会場に行ったと、私は思います。
だからこそ、当時のビートルズ・ライブの状況を撮影した写真や動画フィルムに、あの、多くの聴衆達の顔が写っているのではないでしょうか。

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また、この個人情報の点から考えるのならば、「当時のビートルズ・ライブに集まった多くの聴衆達の顔は、個人情報だから、テレビカメラ等で撮影してはならない」という、方針も立つのではないでしょうか。

しかし、そのような方針が約50年前に立ったとしても、現実には、『ビートルズ・ライブ撮影』という方針の下に、多くの聴衆達の顔が撮影されていたことになります。

これだと、矛盾が生じていることにならないでしょうか。

それだったら、現存している『ビートルズ・ライブ公演』のフィルムを廃棄しないといけなくなるのでは(個人情報保護を考慮するのならば)?

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ある日の新聞記事を読んでの、つれづれなるままに、感想なり疑問なりを書いてみました。


                                       坂本 誠

2018年5月11日 (金)

三千二百五十四: 透明性のある政治・行政を考えて

こんばんわ。

私の見かけたニュースから紹介させて下さい。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています。

(以下、『朝日新聞』、2018/05/09記事より引用)
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●天声人語

P5100180

首相秘書官だった柳瀬唯夫氏の国会招致が決まった。
「私の記憶のある限りでは、今治市の方とお会いしたことはない」。
昨年来、国会審議の焦点だった面会をついに認めるのだろうか

この問題が浮上したのは昨年6月、加計学園の誘致をめぐる愛媛県今治市の行政文書の存在が明らかになってからだ。
住民が一昨年の暮れ、開示を求めて入手した。
残念ながら大部分は黒く塗られている。
だが、かろうじて読める部分をたどると、2015年4月2日付の市課長らの出張旅程に「15:00~16:30」「千代田区永田町 首相官邸」とあった

ところが、学園をめぐる疑惑が国会で取り上げられると、事態は一変する。
昨年暮れ、同じ住民らが出張報告書に絞って再度開示を求めると、今度は全面非開示となってしまった

いったん市民に明らかにされた情報が、翌年には隠される。
その経緯に驚く。
しかも愛媛県、文化省、農水省の調査で面会が否定できなくなった現在、面会相手を明かさない今治のかたくなさは際立つ

市長は先月、その理由を地元記者団にこう説明した。
「国や県は一緒に取り組んできた仲間だから迷惑はかけられない」。
では柳瀬氏が前言を翻したら今治はどう出るのか。
よもや「廃棄した」とは言うまいが

行政が不都合な文書を出し渋るのは今治に限った話ではない。
それでもこの国の公使の情報公開の姿勢には寒々しさを覚える。
山形県金山町が自治体として初めて情報公開条例を施行して、36年になる。
2018・5・9
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(引用終わり)

政治的な話題で、以前にも書いているのですが、再び書きます。

よく、政治や行政の現場から、「開かれた政治・行政を作っていこう」あるいは「透明性のある政治・行政をしていこう」というセリフが聞かれます。

この「開かれた政治・行政」とか「透明性のある政治・行政」というのは、わかりやすく書きなおせば、「国民の誰もが見ることの出来る政治・行政」を意味しています。
つまり、テレビ・新聞・ラジオ、その他の媒体によって、多くの人々が政治・行政のしていることを確認出来る状態のことが、「開かれた政治・行政」とか「透明性のある政治・行政」のことです。

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なぜ、その「開かれた政治・行政」とか「透明性のある政治・行政」でないといけないかというと、大きな理由があります。
それは、私達の社会システムが民主主義政治だからです。
「全ての国民が政治に参加している」というのが、私達の実行している民主主義政治です。

ところが、役所とか立法機関の人間が、自分達のやっていることを、多くの人々の目から隠そうとする政治システムを認めてしまうと、その状態だと、役所とか政府とか立法機関の人間達のみが、彼等だけに都合の良い政治・行政・何らかの法律を作ることが出来ます。

つまり、わかりやすく書くと、そのような政治システムは「独裁政治」となります。
なぜならば、大多数の人間のことを考えなくて、自分達だけに都合の良いことを決めて、実行することが出来るからです。
(あるいは、そのような政治システムのことを「寡頭(かとう)政治」と言います。「寡頭政治」というのは、極めて少数の人間で一国の政治を実行する政治システムのことです。この「寡頭政治」のことを、わかりやすく書きかえると「貴族政治」です。ですから、現代の「代表民主制」と言われる選挙で、代議士達を選出する政治システムは、ほとんど「寡頭政治」と言えるでしょう。)

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ですから、私達の実行している民主主義政治というのは、「全ての国民が政治に参加している」ので、代議士とか、公務員に委ねている公務とは、全ての国民のしていることなので、そのような、たった一部の人々に委ねている、それらの業務を、常に監視して、不正が起きていないかどうかを確認しないといけません。

なので、「開かれた政治・行政」とか「透明性のある政治・行政」というのは、「全ての国民が、それらの公務を見て、人々に納得の出来るような政治・行政をしましょう」と言っているわけです。

このように書けば、誰が見ても、「それはその通りでしょう。誰もが、そのような政治・行政状態を望むことでしょう。なぜならば、私達の社会システムは民主主義なので(決して王政や貴族政や独裁制ではないので)」と言うことでしょう。

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なので、逆を言えば、王政や貴族政や独裁制というのは、ほんの一部の人間が、国内の大多数の人間を無視して、法律を作ったり、あるいは、彼等だけに都合の良い、行政内容を実行することが出来ます。

なんとならば、そのような王政や貴族政や独裁制というのは、国内の大多数の人間達が、国王(あるいは女王)や貴族達や独裁者の実行しようとしている内容を見たり聞いたり、調べたりすることの出来ない一方的な社会を作ることが出来るからです。

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だから、私達の住んでいる社会でも、政治や行政の現場から、「黒塗りの文書ばかりが出て来て、多くの人々に隠そうとしている」となると、上に書いたことを思い出しながらも、ある人ならば、

  「公務内容なのに、どうして、あなたがたは、その内容を隠そうとするのですか?」

という、怪訝な顔をしながらの、疑問の言葉を口に出すことでしょう。

もちろん、その言葉の背後には、

  「隠そうとしている背後には、不正が隠されているのでは?」

の疑問が心中にあることでしょう。

元々、心や身辺に、何もやましいものを持っていないのならば、何を見せても恥ずかしい事は無いでしょう。

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また、個人情報というのと、公務情報というのは、これは違っています。

個人情報というのは、個人的な悩みだったり、あるいは、個人の資産だったりするので、言ってもいいし、知られたくなかったら、言わなくてもいいし、それらの情報を公開する自由は個人に委ねられています。

しかし、公務情報というのは、これは個人情報ではなく、公の財産つまり、「市民全員の所有する情報」とか「国民全員の所有する情報」となります。

この公務情報を扱っているのは、御存じのように役所だったり、政府だったり、何らかの行政機関です。

ですから、逆に言えば、「公務情報を市民や国民に見せることは出来ない」という状況は、かなり著しく変な話になっていることがわかります。

ですから、ある人ならば、役所等に対して、

  「公務情報を市民や国民に見せられない、理由とは何ですか?」

という質問が出ることでしょう。

もちろん、上のセリフを言う人の心中には、「役所や政府や行政機関が、多くの人々に見せられないものとは、何なのか? そこに不正が寝ていないか?」という、更なる疑問が湧いていることでしょう。

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ですから、民主主義システムの立場からでは、「色々な公務情報を隠蔽せず、開かれた政治・行政とか透明性のある政治・行政を目指しましょう」と、当然なるのです。

また、当然、ほんの一部の人間達に、政治システムという巨大組織を運営させず、上からの理由によって、それらの巨大組織である、役所とか、何らかの行政機関とか、政府の不正を起こさせないようにも、「開かれた政治・行政とか透明性のある政治・行政を目指しましょう」となっているわけです。

なので、逆を考えれば、それだけ、行政機関の方から、黒塗りの文書が、出されるようになると、「世の中が民主主義政治から離れて、独裁制や貴族政に逆戻りしようとしている」ということがわかるでしょう。

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「役得、役得、役得」という言葉があります。
これは良い意味では使用されません。
「役得」の言葉の意味を書くと、「自分の仕事の権利を使って、自分が得する方向に持っていく」というのが、その言葉の主旨だからです。

民主主義政治の日本で、良く流通しているルールブックがあります。
そのルールブックの著者とは、そのルールブックの前後をよく見ると、主語が「日本人全員」とありますから、つまり、私自身も、そのルールブックを書いた本人であると受け止められるので、「誰それの、何という文書からの引用です」という、引用時の決まり文句を使わないで良いとも考えられますが、そのルールブックには、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とされています。

つまり、「世の公務員というのは、自分一人に益があるような業務を行ってはならない」ことがわかります。

言い換えると、「世の公務員というのは、何らかの不正を行って、自分一人に益が入るようなことをしてはならない」というわけです。

ですから、この「役得」というのは、公務員には、あってはならない単語となるでしょう。

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当然ながら、以前、「秘密保護法」というのが制定されましたが、これなども、制定前から、激しく世間で言われていたように、上の流れからもわかるように、民主主義政治の根幹の一つである「開かれた政治・行政」あるいは「透明性のある政治・行政」からは、著しく、離れたものであるとわかるでしょう。

なので、世の公務員の人で、「私は多くの市民や、多くの国民に知られてはならない公務情報を持っている」という人ならば、それは最初から、そのような仕事には就かない方が賢明だと言えるでしょう。

また、民主主義政治の根幹から考えれば、「情報公開条例というものを制定する必要がある」となった時点で、「民主主義政治そのものが、既に差し迫った状態にあるのだ」と、人は気付くことでしょう。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/post-6474.html

三千二百:私の見かけたニュース_No.105
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/12/_no105-1504.html
(以下、『朝日新聞』、2017/11/27記事、4面より抜粋引用)
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●360°民意 直接住民からくみ取る

360_3

地方議員 なり手不足

地方議会は、町村議員のなり手が不足するなど、地盤沈下が進む。
議会に代わって、住民から直接、民意をくみ取ろうと模索する動きが出てきた。

ネットが議場 町民全員会議

人口約1万2千人の栃木県塩谷町。
インターネットを使って住民の意見を集約しようという試みが続いている。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年5月 6日 (日)

三千二百五十三: 詩の思い出_No.2

こんばんわ。

今日は、4回目のブログ更新です。
三千百七十九:詩の思い出』の2段目です。

まず、最初に掲載しているのは、『長崎』です。

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            長崎

                    聖母に

    屋内の人々が 心を清めている。
    組み合わされた両の掌。
    そこから 一つの線が 天に向かって
    羽ばたき 飛び立っている。
    それらの多くの線を
    街の上に立つ
    巨大な女性が
    胸で受け止めている。

    洋風の館から 流れ出す気。
    カステラの味が 宙に漂っているかのよう。
    孔子の廟から 線香の匂いが流れている。
    北京ダックの味が 舌をかすめる。
    社(やしろ)の中で龍が踊って遊んでいる。
    龍の動きの線が 社の外に流れ出す。

    西洋から来た時と
    中華から来た時と
    日本から来た時が 流れている。
    何本かの時が 交錯し続けて
    大和(やまと)している。

    おわんのような大地に
    夜 家々の放つ 光が共鳴し合い
    何本もの時が行きかう様を
    街の上から
    巨大な女性が 静かな笑みを浮かべて
    見守っている。


    かつて
    その女性は
    やさしさ故にか 甘んじて
    プルトニウムの臭いも嗅いだ。

    しかし
    プルトニウムの臭いは
    人々の心までも
    毒することは出来なかった。

    今、幾つもの笑顔が 行きかい
    混じり合う様を
    彼女は 静かに 見ている。

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この作品は、2009年2月8日に出来ています。

掲載している写真は、大浦天主堂の聖母マリア像です。

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九州の長崎市は、風光明媚な観光都市として、昔から有名です。
私も幾つか、ブログで長崎に関する記事を書いています。

何と言っても、異国情緒の漂う街で、その雰囲気を、うまく記述することが出来ません。
いわゆる、この状態が、「絶句(ぜっく)」と呼ばれるものでしょうか。

日本の他の都市では、このような異国情緒を味わうのは難しいことでしょう。
長崎以外にも、日本には街があり、それらの街には、西洋風味の文化で飾られた物が多いです。

しかし、長崎の持つ西洋情緒を、日本の他の都市は持っていません。
というのも、多くの人の知るとおり、江戸時代において約300年間も、海外に開かれた街は、ここ長崎のみであり、その時代分の西洋情緒が街と融合しているからです。
その約300年間分の差異を、日本の他の都市が表現できないのです。

例えば、掲載している写真の聖母マリア像ですが、注意深く、街の中を歩いてみると、大浦天主堂だけではなく、街の様々な場所に、さりげなく、聖母マリア像があります。

その、聖母マリア像が街に何体あるかはわかりませんが、かなり多いようです。
また、そのように、「街全体の至る所に、聖母マリア像が飾られている」という点も、日本の他の都市には、一切存在しない光景です。

また、長崎の街では、キリスト像も飾られていますが、そのキリスト像よりも、遥かに多い数の聖母マリア像が飾られています。

他にも言えるのは、中華風味の建築、服装、お祭りなども、上記のマリア像のように、街に飾られています。
特に、中華街の近くにです。

ですから、日本の他の都市で、観光的に西洋風味の趣を多めに出そうとしても、やはり、ここ長崎の所有している約300年間分の時間的な差異を埋めることは出来ません。

これが、「長崎は異国情緒溢れる街」と言われるゆえんです。

詩の方に、そのような異国情緒を描いたつもりですが、感じて頂ければ幸いです。
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              波紋


    僕は春の公園にいる。
    そこは深い水の底。
    空気と言う名の水の底。
    息の詰まることもなく、
    更に清冽な大気の水を吸う。

    散りゆく桜の花びらに、広げた両の手の人差し指で触れてみる。
    そこから波紋が広がる。
    宙に広がる波紋。
    僕は走る。
    次々と指が触れてゆくたびに、いくつも、いくつも、波紋ができてゆく。
    桜の花びらが両手の五指に触れるごとに
    空中に幾つもの波紋が重なり、広がってゆく。

    走るのをやめる。
    大きな息を吐く。
    大きな波紋になってゆく。
    春の深い水の底で。

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この作品は、2008年12月10日に出来ています。

作った季節は、冬でしたが、暖かい春の陽射しを想像して書きました。
私も子供の頃は、冬も好きでしたが、年齢を重ねると同時に、春の方が好きになって来たでしょうか。

詩の景色としては、春の青空の下に私がいるのですが、その「春の青空」そのものを、「春の青い水」と感じているところが気に入っています。

「春の青空」を、ちょうど、春の小川の底を泳いでいる魚のような気持ちになって、描いた作品です。
芸術作品を描く際には、想像力、イマジネーションが、かなり要求されると言われますが、私もそうだと思います。

詩のジャンルでは、その想像力は、主に比喩表現で現されます。
しかし、他の芸術ジャンルでも、想像力が必要とされ、その想像力が比喩表現や絵画表現、最近では、映像表現に開花されると思います。

この想像力を豊かにするには、やはり、美しい自然に触れたり、静かな空間の中で、自分のお気に入りの音楽を聞くことでしょうか。
当然、これらをする間にも、心が清まるので、一石二鳥のような部分が、創作活動にはあると思います。
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        歌と刃(やいば)


    激しい 戦いの中で、
    刃が 交わされる中、
    やわらかい 女の歌声が
    私達の 心の中に
    やさしく 響きわたる。
    やがて その歌声は
    冷たい 刃の中にも
    届いてゆく。

    それは
    愛の奔流(ほんりゅう)が
    数多(あまた)の
    刃を折る ちから か。

    一人の女の歌声が
    翼を広げ、
    軽々と 空に 舞い上がる時、
    一人の男の 勇気が
    一つの闇を 裂(さ)いてゆく。


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この作品は、2011年3月24日に出来ています。

最近の芸術家の方々も、色濃く、アニメの影響を受けていると思います。
アニメというのは、一種の総合芸術と言えるので。

ですから、私の方でも、アニメの影響を無視することは出来ません。
アニメの中でも、特に、人々を感動させるものには、当然、心が、うるわしい方向に振れますので、そのような影響を受けた作品が仕上がって来るものです。

昔から時折、『超時空要塞マクロス・愛・おぼえていますか』を、見る機会がありまして、見終えた後に、「これ(マクロス)、いいよねぇ」と何度でも、一人で、うなずく私でした。

しかし、単純に、感動しただけでは私なりに不足であって、その感動を別の形で表現しようと、瞑想しながら、努めることが大事だと感じます。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百七十九:詩の思い出』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/09/post-6c15.html

          遠い星へ向かう時


    遠い星へ向かっている時、
    その星から 一つのやわらかい声が聞こえてくる。
    慈雨のように 上から降り注いでくるよう。
    その星が僕を迷わぬようにしてくれたのだ。

    僕の両腕は二つの音か。

    星に向かっている時の
    凄いスピードが 遅いスピードのようだ。

    僕は一つの音楽。
    音楽が音楽の上に乗っている。


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          音


    雲海が やわらかく広がる朝
    一つの音が 宙を漂う。
    音は 翼を 羽ばたかせ、雲の上を 静かに舞う。
    穏やかな ほほえみを持って。

    羽毛のような 音の響きが 翼そのものか。
    音と音が 宙を 軽く すれ違う時
    触れ合う 彼等のその笑顔に
    暖かい 光を感じる。

    音が ほほえむ時
    音そのものが
    かすかに 光る。
    蛍のように。

    その淡い光が 音の周囲に
    きらめきわたる。
    芳香(ほうこう)が漂うかのように。
    また 虹のかけらが流れるかのように。

    竪琴(たてごと)に 触れる指と その絃(げん)から
    光と音が 靄(もや)のように にじみ出し
    春の せせらぎのように
    遠方(おちかた)に 流れていくかのように。


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『三千百五十五:詩作の思い出』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/.s/blog/2017/08/post-c72d.html

      愛と光


    愛が光となり、光が愛となり、
    光と愛が結ばれ合い、
    羽毛のように 触れ合い、
    お互いの中で響き合う。

    光と愛が 織(お)り合わされる中、
    速くもあり 遅くもある
    一つの やわらかな音楽が流れ続ける。

    その音楽に のせて
    光と愛が
    私達の胸に やって来る。
    一組の男と女のように。


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                                       坂本 誠

三千二百五十二: 『街道を行く 9』の再解釈_No.2

今日は、3回目のブログ更新です。

三千二百五十一:『街道を行く 9』の再解釈_No.1』の続きです。

私が、よく引用する、司馬遼太郎氏の明治初期に行われた地租改正について、再び解釈したことや疑問に思ったことを書こうとしているところです。
しかし、さすがに、読書感想文を書くならば、引用したい箇所を挙げないと、読者にわかりづらい部分もありますので、よく引用している文章を、再び引用します。

『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。

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維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)

前段『三千二百五十一:『街道を行く 9』の再解釈_No.1』に紹介済みの牧 祥三氏の思い入れもありましたので、私の方も自然に考える機会があったわけです。

では、ここから、私が新たに感じた疑問を書いてみたいと思います。
明治五年にあったとされる、「太政官会議(だじょうかんかいぎ)」と呼ばれる会議で、陸奥宗光氏が、当時建白したとされる発言内容に、疑問を感じました。
司馬氏をして、明治初年の段階で、驚天動地程度の発言とされている発言内容です。

「欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。ところが日本ではそれができない」と、当時の陸奥氏は言ったそうです。

彼の発言をそのまま考えてみると、「国家というものは、来年も、絶対に仕事をするべきだ」と、私達は受け取れることでしょう。
そこで、人は次のような疑問を持たないでしょうか。
国家という組織が、来年あたり、やるべき仕事が無さそうだ。だから、特に、国家という組織の内部の人々は労働せず、休暇を丸々、取っても良いのではないのか」と。

「するべき仕事が無いのにも関わらず、それでも、むやみやたらに、何らかの仕事を見つけて、それをすべきだ」という発想自体に、おかしなものを感じないでしょうか。

これは、現代の例を挙げて考えてみれば、理解しやすくなると思います。

昨今、私達の日本社会では人口減少が進んでいます。
このまま進めば、今、私達の見ている多くの施設や多くの建物が、使用されなくなることでしょう(人が少なくなるので)。
ですから、建設業務を減らしたりする必要が出てくるでしょう。
つまり、それだと、「来年以降あたり、仕事が無いかもしれない」という状況が発生するかもしれません。
で、この状態で、「それでも仕事をすべきだ」となると、目的も無く、地球を穴だらけにしている状況となってしまうでしょう。
つまり、「思い当たる仕事内容が無いにも関わらず、無理に何かの仕事をすべきだ」というのは、これは不自然な状態であることが私達にわかります。

しかし、それでも「思い当たる仕事内容が無いにも関わらず、無理に何かの仕事をすべきだ」という発想になってしまうのは、お金が必要だからだ」というのが原因となってくるでしょう。

あの、太政官の陸奥氏の発言内容によって、日本がお金社会となってきたのでしょうが、自らの環境にお金社会を導入した結果、その、お金そのものに苦しめられることがわかります。

お金社会で無ければ、お金の心配をする必要が無いので、上の例で挙げたように、国家という組織が、来年あたり、やるべき仕事が無さそうであれば、国家という組織の内部の人々は労働せず、休暇を丸々、取れたのではないでしょうか。

この状況ですと、「自分で自分に苦しみを与えた」ということになるでしょう。

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以前、お金に関した記事で、私は、「資本主義社会というのは矛盾システムであるから、自分で自分の尻尾を食べている蛇(へび)のようなものである」と書きました。

私が上に書きました、新たな疑問や、それから生じる考えを読んでも、再び、読者の方は、自分で自分の尻尾を食べている蛇を想像するかもしれません。

(ちなみに、上記のような人口減少の進む社会で、そのまま、多くの施設や多くの建物を建設していると、将来的には、それを利用する人間がいなくなるので、相当な赤字そのものを生むだろう、とも予想出来ますが。黒字を生み出そうとして、何かを作るわけですが、その黒字を生みたい願望が、巨額の赤字を生むと予想できるので、現代人はお金に関しての発想の転換を求められていると感じます。)

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仕事や業務内容が無ければ、そのまま、仕事をしなくても良い筈ですが、お金社会というのは、その自然さを破壊し、無理矢理にでも、人を働かせようとする、つまり、不自然な道具だとみなせるでしょう。

この「不自然さ」というのは、「いびつさ」とも言えますから、自然の流れをマッチしないのです。
この「自然とマッチしない」という点も、現代社会の問題点を増やしている原因の一つだと感じます。

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ここからは、ちょっとした別件です。

私のブログの方の、幾つかの記事も、ネット検索での検索対象から除外されているようです。
まあ、どこかの誰かが、そのような処置をするのでしょうが、そのようなことをしてしまいますと、あなた御自身が、良心の痛む日々を送ってしまうのではないかと思います。

誰でもそうですが、良心の痛まない日々を送り続けることが、幸福な生活を生み出すと思います。

ですから、あなたが良心の痛まない行為に切り替えれば、あなたの人生は幸福なものへと変化し始めると思います。

どうぞ、良心の痛まない行為に切り替えて、あなたも心さっぱりとしたライフ・スタイルを始めてみませんか。


                                       坂本 誠

三千二百五十一: 『街道を行く 9』の再解釈_No.1

今日は、2回目のブログ更新です。

この段落の記事とは違っているのですが、先に更新した『三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の追加を、ここに書かせて下さい。

前段落から続いて、会社の監査役の簡単な手抜き行為として考えられる行為があります。
会社の監査役というのは、複数の会社を兼任することが出来ます。
ですので、ある監査役の方のセリフを想定するならば、

  「私、幾つかの会社を兼任しているという忙しい状態でありまして、件(くだん)の会社の社員の労働時間を、つぶさに監査する機会がありませんでした

というものでしょう。

このような逃げとも思われるようなセリフが出たとしても、こちらの方から、

  「それでしたら、いつも、あなたが多目に出勤している会社があるでしょうから、その会社の従業員の労働時間状況は、どうでしたか?

とか、

  「それは、もう、監査役が、自分の業務を実行しているとは言い難いのでは? 幾つもの会社を兼任していたとしても、それらを調べるのが、そちらの業務でしょうから、それこそ、部下を使うとか

等のように、幾らでも手段はあることでしょう。

会社の取締役も同じようなものですし、この状況で、日本の数多くの企業が違法長時間労働をしているとあるならば、、、

ねえ、、、それこそ、、、

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三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の追加は、ここまでであり、以降は別件です。

私は、しばしば、司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)の中から、『潟のみち』「木崎村今昔」中の、明治初年に実施された地租改正についての文章を引用しています。
下記のURLのもの部分ですね。

『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html

私の手にしている文庫本は、朝日文芸文庫が1997年5月30日に、第13刷として発行されたものです。

文庫本の再版以降となると、出版社が変わる可能性もあるし、ページ中のフォントが変更されたりします。
また、たいていの文庫本の最後には、『解説』が付いたりします。

この『解説』には、まれには、著作者自身が書くことがありますが、たいていの場合は、著作者以外の人が選ばれて、その『解説』を書きます。
しかし、版を重ねるにつれて、どこかの時点で、『解説』を書いた人が変更されて、新しい『解説』が添えられることもしばしばです。

私の手にしている第13版では、「牧 祥三」という方が、その『解説』を書いています。
この「牧 祥三」という方も、自身の『解説』の筆頭に、私も頻繁に引用する地租改正について語っています。
しかも、何ページも割いて書いています。

ですから、この「牧 祥三」という方も、私と同じように、この地租改正部分の司馬氏の文章に異様な光を感じていると思われます。
その「牧 祥三」氏の、本文庫本に捧げられた解説部分から、以下の引用をしてみたいと思います。

司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)の本文終了後の解説より引用
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(文庫本の本文終了後の解説)

牧 祥三

P5060176

 

(、、、前略、、、)

このような一部の農村状況のなかで、当時の農民運動は、近代化にとりのこされた半封建的部分としての農村の解放運動であって、体勢改革などをもとめるものではなかった。
司馬氏が伝える、若き日の池田徳三郎氏が「私ドモハタダ人間トシテ認メテ欲シイダケダ。・・・」と争議の壇上で叫んで絶句した、のも旧い体制からの人間解放のさけびであった。

この地の教員の野口伝兵衛氏は、教職をなげうって、木崎村の争議に参加し、いくたびか逮捕されたりして早く亡くなった。
この人の未亡人キセさん(昭和五十年取材当時七十歳)も教員だったが、夫の亡きあと数人の子供たちを立派に育てあげたあと、胸を打つ言葉を述べている。
「どうして(夫が)教員を辞めるのかわからなかったし、農民運動もよく理解できなかった。しかし農民運動の話になるとうれしそうに語る夫をみていると、運動をやめてくれ、とはいえなかった」(『庶民の歩んだ新潟県五十年史』)。

(、、、後略、、、)
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(引用終わり)

新しい引用文中の(昭和五十年取材当時七十歳)とありますが、これは、司馬遼太郎氏が取材した年なのか、それとも、解説を書いた牧 祥三氏が取材したのか、どうかは、私はわかりません。

しかし、牧 祥三氏も、この本の地租改正の部分には、かなり興味をそそられたことが、上の引用文の紹介で、読者の方々もわかると思います。

司馬遼太郎氏の、この『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』は、おそらく重版はなされ続けていると思いますので、現在の文庫本には、私が挙げた牧 祥三氏の解説は掲載されていないかもしれません。

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上に書いたように、私自身も、久々に、同書の解説部分を読んでいて、いつも引用している部分を、再び別の角度から考える機会を持ちました。

その、「別の角度から考え」たことを書こうとしているのが、この段落です。
ですが、この段落では、前段落『三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の追加も書きましたので、区切りの良さも考えて、残りの部分は、次の段落で書いてみたいと思います。

(次段落に続く)


                                       坂本 誠

三千二百五十: 世の多くの手抜き事業を考えて

こんにちわ。

最近の報道にあるように、手抜き事業により、品質不足の商品が大量に世に出回っていることが、問題として挙げられています。

この点について、私の気づいたことなりを書くことにします。

どんな会社の中でも「監査役」と呼ばれる重役がいます。
この、監査役と言われる会社の役が、各会社内部の不正なりを発見して、それを正す役目をしています。

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ただし、私が見て、現代の監査役自体に問題があると感じます。

この記事の私の書き方を見て、口調が激しかったり、怨嗟の声で書いているわけではないのに、気付かれるでしょう。
ですから、私自体も、鬼の怒った時のように、声を荒げて、わめき散らすように、「世の不正を正せ」という手合の激しい感情を載せているわけではないことがわかると思います。

ですが、世に多くあると思われる、また、私が感じるところの「監査役自体の問題」というのを淡々と書いてみることにします。

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会社の中の監査役というのは、インターネット上の百科事典「Wikipedia」によると、

(Wikipediaより引用。太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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●監査役
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A3%E6%9F%BB%E5%BD%B9

会社経営の業務監査および会計監査によって、違法または著しく不当な職務執行行為がないかどうかを調べ、それがあれば阻止・是正するのが職務である。

Photo

最終更新 2018年3月5日 (月) 08:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

とあります。

そして、現代の日本社会では、数多くの企業が、サービス残業とか違法長時間労働の点で、問題視されています。
ですから、会社の監査役というのは、「会社の違法を調べ、それがあれば阻止・是正するのが職務」なのですから、現代の日本社会の数多くの会社が、違法長時間労働を実施しているとあるならば、自社の社員達が、日常的に、違法長時間労働をしているのを、日々に、目撃をしているでしょう。
ですから、現代の日本の数多くの会社の監査役の方々が、当然、それらの違法を「阻止・是正」していない、ということになります。
なので、相当、大量の監査役の方々自身に、大量の問題があると言えると思います。

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また、監査役だけでなく、会社の中には「取締役」と言って、自社内の責任を負う立場の人々もいます。
通常は、社長とか専務と言われるような、会社の中枢部にいる方々がこの「取締役」になることが多いです。

この「取締役」の方々も、法令・定款違反行為に関する責任を負わされていますから、当然、自社内の違法長時間労働を見逃している、ということで、これもまた、上記に挙げた監査役と同じく、大量の問題があると言えると思います。

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ですから、日本内部の、ほとんどかもしれない、数多くの企業が、長時間労働を見逃している、とあるならば、新聞やテレビに出たら、「日本総倒産」とか「日本総辞職」という見出しの下に、それらが書かれる可能性もあるかもしれませんね。

だけど、私のこの記事にしても、ある人々ならば、読んでも、見て見ぬふりをされている方もいると思います。

結局、まあ、そのような方ならば、良心の痛む日を送るかと思うのですが。

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なので、現代社会で、「私は、本当に、誠心誠意、完全なまでに監査役(あるいは取締役)を行う」と思っておられる方ならば、この私の記事を読んで、今後、良心の痛む日々を送るのではないでしょうか。

なぜならば、日本内部で、日常的に、違法長時間労働を見逃されている、とあるならば。

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ここで、冒頭に挙げた問題点に帰りましょう。

私が冒頭に挙げた問題点とは、「手抜き事業による、品質不足の商品の大量流出」でした。

この「品質不足の商品の大量流出」と違法長時間労働が関係してくるわけです。
他の方が言いにくいようですが、現代のほとんど、多くの企業が、売上高増加のみを狙っているわけです。

かなり、わかりやすく書けば、世の多くの人々が「私は、もっと、お金が欲しい」と言っているわけです。
つまり、「私は、もっと、お金が欲しい」とあるならば、当然、多くの従業員達に、長時間労働をさせれば、それに見合った売上高の増額が得られるかもしれません。
その狙いを持って、多くの従業員達に、長時間労働をさせている結果、多くの人々が、その長時間労働に疲れた結果が、多くの手抜き事業を生むのです。

多くの手抜き事業がなされた結果、当然、「品質不足の商品の大量流出」が起こるのです。

ですから、現代社会の、この問題の本質を考えるのならば、「私達の道具の一つである、お金に問題があるのだ」と、わかるわけです。

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そして、普通の記事とか話題ならば、この段階で話が終わるわけです。

なんとならば、

  「世の数多くの手抜き事業は、お金のために、仕方なく、行われたのだ」

という、手合いの回答が、世に数多く出回っているでしょう。

通常の記事とか話題を書く方ならば、「そうだ。お金こそは、この世の中で絶対視されるべきものだから、この段階で、この話題を打ち切る必要がある」と考えて、この段階で、この話題をストップさせたりするわけです。

ですから、そのようなストップは「問題の本質に迫る、努力がなされていない」と言えるようなものです。

私なぞは、「世に出回っている、お金という道具には、こんなに問題がある」とか「お金という道具への絶対視或いは崇拝視を止める」という視点から、お金という道具の問題点を、このブログに長々と書いているのを、読者の方々は知っておられるでしょう。

ですから、「お金を絶対視しない」あるいは「冷静に、お金という道具の問題点を把握しようとする」他の方々でも、上に挙げた、ストップ・ポイントを軽々と越えて、そのストップ・ポイントの背後に存在する、更なる問題点の原因を追究していくことでしょう。

お金に関する問題点ならば、長くなりますので、すいませんが、当ブログの過去記事を読まれて下さい。

お金という道具に対する絶対視や崇拝視を外して、客観的に、冷静に、お金という道具を見直せる方ならば、逆に、以下の文章を容易に理解できると思います。

  「お金欲しさのために、世の多くの会社で、数多くの長時間労働が行われ、その結果、数多くの従業員が疲労して、その疲労の結果、品質不足の商品の大量流出が起きるのだ」

と。

結局、「現在の、世のほとんどの問題は、お金の問題から発生しているのだ」とわかるでしょう。

まあ、まだ書きたいことはあるのですが、それらは別記事に譲りまして、まずは、上に書いたようなことを、あっさりと軽く、受け止めて、冷静に、落ち着いて、御自身の周囲を見回してみることを、私はお薦めします。


                                       坂本 誠

2018年5月 3日 (木)

三千二百四十九: 宇宙人誘拐説を考えて_No.2

こんばんわ。

前段『三千二百四十八:宇宙人誘拐説を考えて』の続きです。

前段中に、息抜きとして、アニメ『うる星やつら』をご紹介しました。

この記事を書いている2018年の5月だと、もう、若い世代の方々では、アニメ『うる星やつら』を知らない方もおられるかもしれません。

ですから、ユーモアを交えつつ、アニメ『うる星やつら』を紹介させて下さい。

以下の文献を読まれても、『うる星やつら』が詳しく紹介されています。

ラム (うる星やつら) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0_(%E3%81%86%E3%82%8B%E6%98%9F%E3%82%84%E3%81%A4%E3%82%89)

掲載している写真は、同HPからの引用です。

_

漫画家の高橋留美子さんが原作です。

最高視聴率を調べてみると、以下のHPでは、

うる星やつら (アニメ) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%8B%E6%98%9F%E3%82%84%E3%81%A4%E3%82%89_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)

最高視聴率は27.4%」とあります。

現代で、これほどの視聴率が出る番組で、一週間に一回の放送のものは無いのではないかと思います。
また、同アニメの放送開始は、1981年10月14日からです。
ですから、今から37年も前の話ですね。

時の経つのは早いものですね。

この『うる星やつら』の中で、宇宙人の鬼娘であるラムちゃんが出て来て、地球人である諸星あたるの押しかけ女房となって、様々な奮闘記やギャグが描かれているわけです。

同作品中で、ラムちゃんが自分のUFO(宇宙船)を持っていまして、様々な所へ出掛けて行きます。
そして、その宇宙船の搭乗口と思えるような部分から、科学的な光線が出て来ると、その光線中の人間等は、ラムちゃんの宇宙船に吸い上げられます。

ですから、そのような光景を、地球人が目撃するならば、「宇宙人が地球人を誘拐している」のような光景になるわけです。

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前段『三千二百四十八:宇宙人誘拐説を考えて』で考えてみた宇宙人誘拐とも思えるシーンを、『うる星やつら』風に表現してみると、

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(ラムちゃんが、自分の宇宙船で、諸星あたるを吸い上げた後、)

▲諸星あたる:

  「おい! ラム! 今、おまえは、地球人である、この俺を誘拐したのだ!」

●ラム:

  「そんなことないっちゃ! うちは、ただ、愛するダーリン(諸星あたる)を、うちの宇宙船に招待しただけだっちゃ!!」

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上の例のような場合も考えられます。

ラムちゃんにしてみれば、彼女の一途で、ひたむきな、ダーリンに対する愛情の現れです。
しかし、地球人である、諸星あたるからしてみれば、「誘拐」と感じてしまうこともあるでしょう。

もう少し考えてみると、ラムの母星である、生活の慣習とか、常識なども、地球のそれらと違っている場合もあり、それらを考慮する必要もあるかもしれません。

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ただ、地球人の側から見ると、いまだ、物体を吸い上げる科学的な光線を知らないので、未知の科学技術等を使用されると、地球人としては、かなり驚くことでしょう。

驚きの感情が、恐怖の感情を導いてしまい、余計な混乱を起こしてしまうかもしれません。

しかし、『うる星やつら』に出てくるような宇宙人の技術というのは、私達は、あまり考慮しない方が良いかもしれません。
なぜならば、地球でずっと、生活していても、少しずつ科学技術は発展するのですから、いつの日にか、同アニメに出てくるような、科学的な光線を使えるようになるからです。

ちょっと考えてみると、現代人が、現代の電気シェーバーを持って、1000年前か2000年前の環境に訪れたのと同じです。
1000年前か2000年前の人間は、未来人である地球人が電気シェーバーで髭を剃るのを見ると驚くでしょう。
しかし、その過去の人間も、現代に訪れてみて、人々の様子を見ると、男性ならば、その多くが電気シェーバーで髭を剃りますから、彼は「この光景が当たり前なのだ」と思うでしょう。

時間的な差異というのは、意外に埋め合わせることが簡単だとわかります。
単純に、時間に沿って、科学技術が発展するのですから。

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ただ、ラムちゃんのような可愛い、宇宙人の女性が地球の男性を誘拐しようとしても、ある程度の数の男性は喜ぶのではないでしょうか。

しかも、ラムちゃんのような宇宙人が、宇宙旅行に連れて行ってくれるのです。

ですから、ある程度の数の男性は、「この招待(誘拐)は、非常に素晴らしい出来事だ!」と、賞賛する男性達も出てくるのではないでしょうか。

私なんかも、言わせてもらえれば、「ラムちゃんのような宇宙人が、私を宇宙へ誘拐(招待、救済)してくれないだろうか」と、願わないわけではありません。

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なので、前段『三千二百四十八:宇宙人誘拐説を考えて』でも書いたように、宇宙人が地球人を、そのUFOに乗せようとする光景を見て、一概に全て、「誘拐だ」とは決めつけず、「誘拐の路線も考えられる。また、救済の路線も考えられる。また、招待の路線も考えられる」と、幾つもパターンを考えた方が良いと思います。

また、その、幾つもパターンを考えることによって、私達の視野は良い方に広がると思います。


                                       坂本 誠

2018年5月 1日 (火)

三千二百四十八: 宇宙人誘拐説を考えて

こんばんわ。

時々、テレビのゴールデン・タイムでのスペシャル番組や、ネット上の、あるグループの間で、「宇宙人が地球人を誘拐しているかもしれない」というタイトルに沿った、報告や議論や感想等をまとめた番組が流されたり、HPが掲載される時があります。

これについて、私が感じる機会がありましたことを書いてみたいと思います。

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それらの番組やHPが伝えるところでは、「UFO、つまり、宇宙人の乗り物らしい物体が現れて、そこから、宇宙人のような存在が現れたりして、地上の人を誘拐しているらしい」と言っています。

以外にも、この宇宙人誘拐説が多く流れているのに気が付きます。
それらのものの中では、確かに、強制的に、宇宙人が地球人を誘拐しているかのようなものもあるようです。

ちょっと、息抜き程度に表現するならば、アニメ『うる星やつら』で出て来た、宇宙人ラムちゃんのUFOが、何かの科学的な光線を発して、諸星あたるを吸い上げているような光景を、私達は思い出すでしょうか。

これについて、何か、違った角度から再び考えられることが出来ないでしょうか。

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というのも、私の知り続けてきた情報を総合的に判断すると、「地球というのは、これは一種の強制収容所と言えるかもしれない」ということです。

そうですね、先に、息抜きをしたので、ちょっと、ネガティブな表現も使えると思うのですが、私達の住む、地球はアウシュビッツに似た強制収容所に似ているとも言えるわけです。

誰が、強制収容所の管理者かというと、この地球を支配しようとしているカバールやイルミナティと言えるでしょう。
なぜならば、彼等は、彼等以外の全地球人を奴隷にしようとしているからです。

当然、その奴隷達を強制労働させている現場ならば、その現場を強制収容所と表現できるでしょう。

私がネット上で見かけたビデオを資料とするならば、以下の(私が気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にしています)、

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『七百八十六:ディスクロージャーについて_No.46』
●元カナダ防衛大臣によるUFOエイリアン情報開示
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no46-ffce.html
http://www.youtube.com/watch?v=dpWPRd56D-0



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(YouTube概要より引用)
ポール・ヘリヤー:ポール・ヘリヤーはカナダ議会の最年少議員になった人物であり、ル-イ・サンローラン政権下で最も若くして閣僚となった人物である。
彼は2005年9月25日に、「UFOは飛行機が上空を飛んでいるのと同じくらい現実的なものである」と公に発表し、国際的に大きく報じられた。
この事により、彼はG8国家の閣僚レベルでUFOの存在を認める発言をした最初の人物となった。
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(上記ビデオより抜粋引用)
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今から私の関心は完全なる情報開示です。
それから・・・私の唯一の注意点ですが、おそらく95から98%の完全な情報開示になります。

それは私達が様々な種類の生命で一杯の宇宙に住んでいるという事です。
それは存在し、私達の運命を支配する同じ既得権益により秘密にされているのです。
外交問題評議会、ビルダーバーグのメンバー、三極委員会、国際銀行カルテル、石油カルテル、様々な諜報組織のメンバーおよび軍事政権の選ばれたメンバー達です。
彼等は共にアメリカのみならず、欧米世界の多くの影の政府となっているのです。
ゲームの目的は世界政府であり、秘密結社のメンバーが含まれていて、誰からも選ばれていない人物であり、誰に対しても責任を持たない人物なのです。
そしてロックフェラー氏によると、計画は上手く進んでいるのです。

何故、私達の市民権が奪われているのかこれで理解するのに役立ったでしょうか?
"私達"と言いました。
何故ならカナダも壮大な計画に含まれているからです。
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(引用終わり)
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この上記のビデオ内容から、私達の生活環境は、一つの強制収容所であるとも、みなせるでしょう。

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そして、収容所の中で、どのような形で、強制労働がなされているのかと考慮すれば、これは、私が以前から書いているように、彼等の作っている「お金」を使って、私達を無理に労働させていると気が付きます。

あっさりと書かせて頂くのですが、今現在、「労働」と言うことに関して、「働くということは、つまり、お金を得ることなのだ」と思って、労働している人が圧倒的多数ではないでしょうか。

普段、私達が心の中で感じていることでも、あっさりと語ることに、躊躇される方も多いと思いますが、さらりと書いてしまえば、私達の労働というものに対して、「私達は、お金を得るために働いている」というのが、実際のところではないでしょうか。

ですから、かなり多めの人数が予想されますが、「私達は、お金を得るために、仕方なく、今の職場で働いているのであり、実際は、今の職場で働きたくない。苦痛だ」と感じている方々も多いのではないでしょうか。

「なぜ、そのような状況が多発しているのか」というと、これも、私のブログの方に過去から書いていますが、私達の社会全体に、お金というものがバラまかれ、「お金を使ってでしか、私達の生きる道が無いからだ」と、カバールやイルミナティやイルミノイド達に、社会をセットされ続けて来たからです。

私が、頻繁に引用する文献の一つとして、

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『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。

Photo


維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)
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このように、世界中の国々をお金のみで充満させれば、その内部の人々は、「この世で生きていくためには、お金が、絶対に必要だ」という、強い思い込みを抱けば、お金を作っているカバールやイルミナティの側からすれば、あなたを思いのままに操れることが出来るのです。

例えば、カバールやイルミナティの側から、イルミノイド達に対して、増税を指示したり、あるいは、中央銀行の利上げ・利下げを行えば、世の多くのお金を操作できるので、その行為は、つまり、多くの人々の労働環境を左右させることになるのです。

あるいは、カバールやイルミナティ達が、人為的に、意図的に、株の大暴落等も起こせば、同様のことが起きます。
暴落の起こし方の一つとしては、以下のようなものでしょう。

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『七十六:News_No.238』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/news_no238-04de.html
(以下、『朝日新聞』朝刊、2013/6/15記事。6ページ目の経済欄に掲載の記事を引用します。)
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●5・23暴落「すべて想定通りだった」 米ヘッジファンド暗躍

日経平均株価の終値が13、14の両日に1万2千円台になり、日本銀行が4月に大規模緩和を始める前の水準に戻った。
一時は1万5600円を超えたが、5月23日に1143円暴落し、下落に転じた。
背後にいたのは、米国のヘッジファンドだった。

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米西海岸に拠点を置くヘッジファンドの首脳は実は、23日の1週間も前から大規模売りの準備に入っていた。
「日本株は急激に上がりすぎだ。逆回転があってもおかしくない」
社内のチームを呼び集め「日本株の急落に備えろ。勝負は数日以内」と指示。
割安だった時期から買ってきた大量の日本企業株式を売る計画をたてた。
下落の兆しを察知したら、売り始める権限を現場に与えた。

ファンドの重要顧客には「もう、日本株の投資はタイミングが遅い。あとは下落するだけ」と連絡した。
周到な根回しだった。

日本時間5月23日(西海岸時間の前日夕)。
日本の株式市場が大きな下落に転じた。
準備が整っていた社内には驚きはなかったという。
日経平均が映し出されたモニターをみながら、事前に打ち合わせた通り持ち株を粛々と売っていった。

■主戦場は日本

東京市場は大荒れになり、日経平均株価の下落幅は1千円を超えた。
しかし、このヘッジファンドの西海岸のオフィスは平穏そのものだったという。
首脳が混乱を避けるため、「電話は緊急時のみ。それ以外はメールなどで済ませろ」と指示していたからだ。
最後まで社内では電話が鳴らなかった。
首脳はこう語る。
「すべて想定通りだった。今の日本は投資には最高の場所。ヘッジファンドの主戦場だ。」

首脳は、日本株投資を10年以上続けていた。
日本でのマグロの消費量から、百貨店・三越の高級腕時計の売れ行きまで、日頃から細かくチェックしているという。
その中で、上げ幅を拡大していた東京株式市場は、実体経済との隔たりが限界にきている、とみた。

■手口明かさず

いくら儲けたのか、具体的にどの企業の株を、どんな手口で売ったのか---は明かさなかった。
ただ、日本株の上下で今後も儲けるつもりだという。
「数ヶ月たてば、日経平均は再び1万6、7000円をつけるだろう。それを見越して、割安な株式は買っている。また利益が得られると思う」

他のヘッジファンドも日本に注目している。
別の米ヘッジファンド幹部のアダム・グロスマン氏は「国の政治や経済の政策が変わるとき、株式や債券の市場は、振れ幅が大きくなりやすい。まさに日本はそれが起きた」。

米調査会社によると、米国を中心に世界のヘッジファンド業界の運用資産は、3月末時点で約2兆3700億ドル(約240兆円)。
1年前より1割以上増え、過去最高を更新した。
この巨額のお金はいま、日本の株式市場に流れこみ、海外投資家の買い越し額は約10兆円にふくらんだ。
そのお金がいま売りに転じて、相場を下落させている。

一方で、あるヘッジファンド幹部は「かなり著名なヘッジファンドが、日本株をさらに大量に売ろうとしていると聞いた。動きが気になる」。
ヘッジファンドどうしの綱引きは、日本株の乱高下を継続させるおそれもある。
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(引用終わり)
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ここまで、題意に沿って、「私達の住む星、地球は一つの収容所とみなせる」と言うために、資料を交えながら、書きました。

ここからは本題に返りましょう。

上記のような地球の状態だと、地球の外に待機していると思われる、宇宙人の方々ならば、次のように考えるのではないでしょうか。

  「数多くの地球人が、カバールやイルミナティ達によって、苦痛の檻の中に収容されている。私達(宇宙人)は、ぜひ、数多くの地球人を救済したい」

という願いから、地球人に対して、救済の手を差し伸べているのではないでしょうか。

その、「救済の手」というのが、冒頭に書いたように、地球人の側からは「誘拐」のように見えるけれど、それは、より広い視点から見れば、収容所惑星、地球からの「解放」ということになってはいないでしょうか。

私が上に書いた情報を、吸い上げられた宇宙船の中で、宇宙人から伝えられたら、宇宙船に吸い上げられた人は、今までの認識と常識がくつがえり、「宇宙人が私を救ってくれたのだ」とならないでしょうか。

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実際、カバールやイルミナティ達の仕打ちに、疲れている人々の、その数は多いと予想します。

ですから、色々な、世のしがらみが無くなっている人々ならば、宇宙人からの救済の手を願う人々も、後に出てくるのではないでしょうか。

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この段落では、「一般に、『宇宙人の地球人誘拐』と言われている現象を、別の角度から考えられないか」という視点で書いてみました。


                                       坂本 誠

2018年4月29日 (日)

三千二百四十七: メディアを見て気付く世界情勢

こんばんわ。

他の方でも「アメリカ」という国名を出して、「現在のアメリカは何をしているか」等を論じたりしています。
ですから、「現在のアメリカは、、、」等のように書くと、読者の側は「アメリカ国の全てのアメリカ人が、、、」のように、全アメリカ人を指しているような気がすると思います。

しかし、少なくとも、私が書くところの「アメリカ」という単語を出すときには、全アメリカ人の意味では無く、ほとんどの場合で、アメリカ国内のカバールとかイルミナティとか、あるいは、シオニストと呼ばれる人のことを意味しています。

何となれば、アメリカの国内でも、平和を愛したり、多くの外国人との友好関係のことを考えていたりする方も多いでしょう。
もちろん、そのようなアメリカの方々と、アメリカ国内のカバールとかイルミナティとか、あるいは、シオニストと呼ばれる人には著しい違いがあるので、分けて書く必要があるからです。

もちろん、他の国の人々でも、そう考えて書いている人の方が多いのではないでしょうか。

しかし、どれぐらいの数で、イルミナティがいるのかというと、下のビデオによると、

『三百十九: イルミナティについて 』
●ジェイ・パーカーインタビュー①
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no35-53fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=W02bxSqtc-I



(太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)

●ジェイ・パーカー:
-----------------
字幕:「ジェイ・パーカー:どの様に3400万人の悪魔崇拝イルミナティアメリカ人達が地球を混乱させ続けるよう助けているのか。

「イルミナティや他の闇のカルトネットワークはおそらく、9600BCの地球大変動にまで遡ります。」
「大変動の後に、地上の人類は衝撃と落胆の状態にありました。」
「私の調査からその特定の時代は、、、、闇のカルト信者達はインドやバビロンでの文明の再起動において、決めたのです。」

「地球全体を支配してもいい筈だとね。」

「人々を闇に閉じ込め続け、私達は基本的には邪悪な司祭職になり、そして彼等のマインドを支配するんです。」
「ですからその様にして彼等は神よりも金持ちになったのです。」
「そして一旦お金を持つと、政治家や王族を腐敗させる事が出来ますし、そして基本的にはゆっくりと社会を支配していく事ができるのです。」
-----------------
(引用終わり)

のように、アメリカ国内には約3400万人のイルミナティがいると報告されています。
現在のアメリカ国内の総人口は、約3億人でしょうから、実に、総人口の約10%がイルミナティとあると、「これは問題だ」と多くの人々が考えるのではないでしょうか。

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ここからが本題です。

あまり、人々に知られないイルミナティの行状を挙げるだけでなく、世界中の多くの人々が、テレビや新聞だけで確認できる内容を書くことにします。

私達の現代史においても、アメリカ(上の前書きに書いたように、全アメリカ人の意味ではありません)は、第二次世界大戦後も、常に、世界中に敵を欲して、探しているように見えないでしょうか。

つい、先頃にあったことを挙げてみると、アメリカ(全アメリカ人ではなく、一部のアメリカ人のこと)は中国に難癖をつけて、戦争の火種を世界にちらつかせていたことを多くの方々は覚えていることでしょう。

また、シリアもそうですし、アフガニスタンやパキスタン、イランやイラクも、そうでしょう。
また、アフリカで有名なところと言えば、リビアでしょう。
また、パナマなどの中南米もそうだったでしょう。

また、アジアだとベトナムとか、現在では北朝鮮と言えるでしょうか。

そして、アメリカが一様に言うには、「それらの国が、世界やアメリカにとって、非常に脅威の存在である」と、声高に世界中に伝えていることを、ほとんど世界の人々は確認出来ることでしょう。

そして、現代に至るまで、次々と、そして、未来に向かって、止むこと無く、

  「どこそこの国や地域が、世界やアメリカにとっての脅威であり、今すぐにも軍隊を送る必要がある」

と、延々と主張し続けていることに気が付くでしょう。

ですから、この記事の読者の方々は、上記の状態をつぶさに観察して、「この話自体が、おかしいのではないのか?」という疑問が生じ始めるのではないでしょうか。

読者の方ならば、

  「そう言えば、延々と止むこと無く、いつの日にも、世界のどこかからか、アメリカの敵とも思える国が現れて、アメリカが言うには、『あの国が悪い、この国が悪い、その国が悪い』と、延々と世界に向かって言い続ける姿には、非常に非現実性を感じる」

と、気付き始めるのではないでしょうか。

そして、軍隊を送った後には、その世界中の、それらの地域に、アメリカ軍の基地を建設している光景を見て、読者の方は、

  「それ、って、ひょっとして、まさか、世界征●か、世界支▲、、、?」

と感じたりするのではないでしょうか。

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ここまで、カバールやイルミナティに絡んだ内容では無く、世界中の人々が、日常で見ているテレビや新聞で確認出来ることでしょう。

つまり、表に見えている状態を書いただけでも、「そう言えば、これって、、、」と言い始める方も出てくるのではないでしょうか。

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というわけで、ここからは私の見かけたネット上での情報を合わせてみますと、

『六百八十六:私の見かけたビデオ_No.51』
「●中国防空識別圏騒ぎについて」
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/12/_no51-2a5e.html
http://www.youtube.com/watch?v=WGkFh8Vm_3g



(上記ビデオより抜粋して引用)
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何故なら、アメリカと中国がわめき合う事によって、アメリカが更に軍備を強化する事を許し、韓国と日本に無用なハードウェアやソフトウェアを売る事が出来るんです。
それから中国には、自分達のハードウェアや自分達のおもちゃに支出させる事を正当化させるんです。
そして彼等はこれを毎年やっているんです。
------------------
(引用終わり)

『二千六百八十八:私の見かけたビデオ_No.67』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/_no67-29ed.html
https://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



1:29:29ぐらいから、同ビデオのキャスター、フォスター・ギャンブルが現れます。
そして、アメリカ合衆国のロバート・マクナマラ元国防長官が同ビデオの、1:30:31ぐらいから登場します。
ロバート・マクナマラの写真は、同ビデオからの引用です。

(上記ビデオより抜粋して引用)
-----------------------
●キャスター(フォスター・ギャンブル):
アメリカが偽りの口実で、ベトナム戦争に介入したのは、裏付けのある事実です。
ロバート・マクナマラ元国防長官は、トンキン湾での、軍艦攻撃は実際には無かったことを認めています。

Thrive_japanese__makunamara

■ロバート・マクナマラ:
「あの日、攻撃されたという判断は誤りで、攻撃は無かったのです。」
-----------------------
(引用終わり)

『二千五百九十九:銀行制度についての種々の話題_No.11』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no11-48fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

ビデオでは、1時間21分33秒近辺から紹介されています。
引用した文章と写真は、同ビデオからのものです。

(ジョン・パーキンス)
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使った手法は多くありますが、もっともよく使った手法は、石油のように企業が欲しがる資源を持つ国に行って、世界銀行やその系列の組織から、その国への巨額の融資を手配すると言うものです。

しかし、貸し出された資金の大半は、その国でなく、ベクテルやハリーバートン、ジェネラル・モーターズ、ジェネラル・エレクトリックといった、米国企業の手に渡り、その国に強大なインフラを構築します。

富裕層のための発電所、高速道路、港、工業団地などで、貧困層はその恩恵をほとんど受けられません。
むしろ、貧困層は巨額な貸り入れの返済のツケを被ります。
教育、医療などの社会福祉に充てられるべき金が借金返済に充てられるのです。

意図的に、国に莫大な負債が残るようになっています。
すると、エコノミック・ヒットマンが、また行って、言うのです。
「こんなに借金があるのに、どのようにしても払ってもらうからな」。

反米の大統領が選出されると、すぐに行きます。

「おめでとうございます。私は大統領とご家族を大金持ちにして差し上げる事が出来ます。私達の方法に従えば、このポケットの数億ドルは大統領のものです。そうしないなら、もう一つのポケットには、貴方の名前入りの弾の入ったピストルが入っています。選挙公約を守って、我々を追い出そうとした時のためにね、、、アメリカの石油会社の安く石油を売るか、次の国連投票でアメリカに賛同するか、イラク等世界のどこかに、米軍を支援する部隊を送って下さい」。

このようにして世界帝国を築いたのですが、その事を実際に知っている人は、ほとんどいませんでした。
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(引用終わり)

『二百六十一:私の見かけたビデオについて_No.28』
●ヒラリー・クリントン-私達がアルカイダを作った
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/_no28-8f79.html
http://www.youtube.com/watch?v=CWK9j41BY6c



公開日: 2012/05/24
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(以下、上記ビデオ概要)
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「私達はパキスタンに出入りしているような歴史もまたあるのです。」
「そしてここで思い出してみて下さい。」
「今日私達が戦っている人々は、私達が資金援助したのです。」
「20年前にです。」
「私達はそうしました。なぜならソ連とのこの闘争で身動きが取れなくなったからです。」

「パキスタン軍統合情報局やパキスタン軍と契約しましょう。」
「ムジャーヒディーンをリクルートに行きましょう。』だとか『素晴らしい、サウジアラビアやその他の場所からも何人かリクルートしてイスラム協会へ連れ込み、そうしたら我々はソ連を倒す事ができるんです。』とね。」
「彼等は撤退し、数十億ドルを失い、ソ連崩壊に繋がったのです。」
「ですからここには非常に強い論争もありますが、それはソ連を終わらせるのには悪い投資ではなかったというものです。」
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(引用終わり)

『三百二十四: イルミナティについて_No.2』
●ジェイ・パーカーインタビュー②
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no2-299b.html
http://www.youtube.com/watch?v=b-MG_sojSz4



●ジェイ・パーカー
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「どの様にウォール街や英国銀行家達が、ヒトラーを資金援助したかについてです。」
「第二次世界大戦終戦の一か月前まで、国際決済銀行はスイスでナチスからアメリカや英国の銀行へと支払利息を受け取っていたんです。」
「ですから、彼等はヒトラーへの投資で支払いを受けていたんですよ。」
「第二次世界大戦終戦の1ヶ月前までね。」
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(引用終わり)

まだまだ幾つもあるのですが、ここまでにしておきます。

ですから、カバールやイルミナティやシオニストと言われるグループで無い、他の多くの善良な、アメリカ市民も多いのですから、善良なアメリカ市民の方々ならば、以下のように考えることでしょう。

  「これは、アメリカ政府が、カバールやイルミナティやシオニストにハイジャックされている。『敵』と思えし存在は、アメリカの外では無く、私達の内側にいる。」

と、気が付くことでしょう。

世界の多くの人々としても、

  「アメリカ国内の、カバールやイルミナティやシオニストの手のかかっていない、善良なアメリカ市民の方々の、今後の行動は如何せん?」

と、考えるのではないかと思います。


                                       坂本 誠

2018年4月24日 (火)

三千二百四十六: メモして置きたかったこと (独白)

こんばんわ。
まず、本題を置いて、お知らせからです。

『三千二百四十一: お金の問題点を把握する』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/04/post-f2b5.html

で、御紹介した引用文献の内で、

●FRB連邦準備銀行は獣の頭 アーロン・ルッソ監督 FED is a head of the beast
https://www.youtube.com/watch?v=tDn56473Ts8

の動画が、なぜか削除されていました。

どうして、削除されたのか、私も知る由はありませんが、そのビデオの写真(正確には、JPGファイル)を残しておきましたので、アーロン・ルッソ監督の横顔を知ることが出来ますので、それを掲載しておきます。

Photo

当然、「私は、そのビデオを見たことがある」ということも証明していますよね。
以降は、本題に入らせて頂きます。

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『三千二百四十二: 天変地異と地球上のことを考えていると(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/04/post-52d0.html

の続きのような感じになるのだけど、「天変地異によって、多くの地上の人間が造物主によって、大量殺害されているようだから、地球や地球の造物主は、大量殺人者ではないだろうか」と書いた。

それだけではなく、宗教的な文書を見ると、おかしなことが書かれていることに誰でもが気が付くと思う。

例えば、昔の人が山上に登って、そこから十個の声が聞こえて来たそうだけど、その内の一つに、「あなたは人を殺してはいけない」という教えがある。

ここで言う「あなた」というのは、人間のことらしい。
つまり、その声が言うことには、「人間は、他の人間を殺めてはいけない」と言っている。

しかし、その声の主と思える存在が、その後も、その文書に登場してくるのだけど、その存在は、結構、人を殺めていることに気が付く。

だから、今、私が書いている、この文書を読んでいる読者ならば、以下のような疑問を、その存在に聞いてみたくなるのではないだろうか。

  「あなたは私達、人間に対して、殺人を禁じましたが、あなた自身は、人々を殺めることが出来るのですか? もし、出来るとするならば、どのような理由で、人を殺めることが可能なのでしょうか?」

等々、、、。

ここから先を考えても良いのだけど、これを読んでいる読者の方の中には、本当に頭痛を抱えながら、その苦痛のさなかを考えることになるかもしれない。

だから、その先を書くのを止めておくのだけど、要は、「この、私達の世界は、あまりにも難しすぎるのだ」と理解出来たら、それで良いわけです。

「地球の神様と思(おぼ)しき存在が、私達に無理を言っているのだ」と、あなたが感じてもらえるように書いたのだから。

ついでながら、書いてしまうと、上の話を書いただけで、「私達の世界は、最初から何も無かったのと同然だろう」と感じる人も出てくることだろう。

ついでながら、私達は宗教というジャンルや拘束からも解放された方が良いと思うので。

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あと、私達の現在の問題点として言えるのは、公務員システムとかマスメディアのシステムだろう。

例えば、公務員達が、カバールやイルミナティ達の存在を知ると、彼等としては、「このカバールやイルミナティ達を更生施設とか、その手の病院とか、あるいは医療刑務所の中で、治療的な拘束を実行する必要があるだろう」と判断するかもしれない。

しかし、それらの公務員達が、カバールやイルミナティ達を簡単に逮捕していくと、結局、資本主義社会を終了させてしまうかもしれない。
そうなってしまうと、現在、それらの公務員達にとっての安住の生活を約束している筈の、資本主義社会を自分自身で破壊してしまうことになり、結局、彼等が苦労して手に入れた現在の地位やポストや高給を、自ら破壊してしまうかもしれない。

そうなってしまうと、それらの公務員達にとっては、自分で自分の首を絞めることになるかもしれない。

そうなったら、それらの公務員達は非常に困るから、このようなカバールやイルミナティ達の情報を見て見ぬふりをするかもしれない、という問題があるように、私達は考えることが出来るだろう。

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あるいは、マスメディア側にしても、同じ事が考えられる。
なんとならば、マスメディアというのは、そのほとんどが株式会社であることがわかる。

だから、カバールやイルミナティ達のことを大々的に報道すれば、資本主義システムが消失するかもしれないので、それを実行したら、自分達の株式会社も消失してしまうかもしれない。
「そうなってしまったら、マスメディアに務める人々の明日の給与は、どうなるのか?」という、疑問が私達に浮かぶだろう。

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要するに、この世界が金銭で作られていたら、金銭至上主義が生まれる結果、「どんなものよりも金銭の方が大事」という感覚が生まれ、その感覚が職務に対する正義感とか、使命感をも超えることがわかる。

要は、お金のちからが、人の正義感や使命感をも破壊することがわかる。

これぞ、カバールやイルミナティ達が望んでいる世界だとわかる。
なんとならば、カバールやイルミナティ達にとっては、彼等以外の人間を奴隷視しているのだから、その奴隷達が、正義感や使命感を持ってもらって、自分達であるところの、カバールやイルミナティを逮捕してもらったら困るわけだ。

だから、カバールやイルミナティ達にとっては、彼等の作っている金銭こそが、地球上の全てのものよりも価値があり、当然、人間の正義感や使命感を超えるちからを、お金に与える必要があることがわかる。

だから、

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『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)
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で、紹介したように、国家単位で、その内部をお金で充満させておけば、カバールやイルミナティ達が言えることには、

  「お前達のお金が無くなるのが、怖いだろ? だから、お前達は、変に、自分の職務に対する正義感や使命感を抱くな。お前達は俺達を拘束するな。お前達は自分達の金銭や地位を安泰なものにすることだけを考えていればいいんだ」

等のような、脅しのセリフを私達に言えることになる。

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上記のことが、目下の私達の大きな問題点と言えるだろうけど、問題点をピックアップしておいて、メモっておけば、これらの問題に対する解決方法を思い浮かぶのも早くなるかもしれないと思って、日記の方にメモしておくことにした。


                                       坂本 誠

2018年4月23日 (月)

三千二百四十五: 宗教と地球上のことを考えていると(独白)

三千二百四十二:天変地異と地球上のことを考えていると(独白)』の続きのような段落です。

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古来から伝わる宗教書を紐解く機会があると、一様に、「地上に住む人間達が悪い」というような手合いの文章が記載されていることに気が付く。

しかし、「本当に、私達が悪いのだろうか」という疑問を抱きはしないだろうか。

色々、様々に書いているのだけど、これらの情報を総合的に見て、全てが全て、地上の人間が悪いのだろうか。

P4200183

 

こんなことを書いていることからも、私が宗教の人では無いことがわかるだろう。

というのも、たいていの本を選ばずに、宗教という手合のジャンルの本を開いてみると、「人間側の悪は悪くあり、神の側は栄光の存在だから(神の側に対しては全く疑問を抱かずに)、ただ、ひたすら神の側を崇めなさい」という手合の文章が書かれていることに気が付く。

こう書いてみると、ハッと気づきはしないだろうか。

  「通常、神の側が非の打ちどころも無く、全く疑問をはさむ余地が無いようにとされていることは、本当に正しいことだろうか」

と。

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つまり、このような「教え」という、そのものに対して、疑問が持てないような感じにしている部分にも、疑問を持った方が良いのではないだろうか。

また、それ自身に、一つの盲点があったことに気が付くと思う。

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私が思うに、多くの宗教書では、「地上に住む人間達が悪い」と、しばしば記載されているの見るだけど、一般に言う、いわゆる神の側に対して、私達は、疑問の目を持ってはいけないのだろうか。

例えば、私は時折、カバールやイルミナティの記事を書いているけれど、いわゆる神の側の方が、私達、地上の人間に対して、あまりにも、過大な目標を与えていたとは考えられないだろうか。

P4200204

 

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また、神の側で建てた目標があったにせよ、それ自身の目標に対する、正当性や、効果や、結果や、その他の様々な影響を、再考や再判断することがあったのだろうか。

古くから、一概に、「地上に住む人間達が悪い」と言い続けていると言うことは、他ならぬ、神が建てたとされる、その目標や計画、それ自体に、何らかの誤りがあったと言えないだろうか。

なぜならば、それほど長い間、地上に住む人間達の側の改善が行われなかったとあるならば、計画そのものに落ち度があったとも言えるのだから。

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そのような手合いの本や文献を読んでいると、一様に、「地球の惨禍は激しい」とはあるけれど、それだと、御自身の非の結果から生み出されたようなものだから、その地球の惨禍と言っても、それは、地上に住む人間だけの責任では無く、やはり御自身の責任ではないだろうか。

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私自身は、神とか地球の造物主と言われる存在がいると信じているのだけど、それらの存在を盲目的に愛しているかというと、そうではない。

P4200199

 

なぜならば、何かの存在を盲目的に愛すれば、上に書いたように、何らかの盲点を見落としやすくなるからだ。

私に言わしてもらえれば、彼自身の抱いた目標が、他の地上の人々に対して、あまりにも高尚であり、あまりにも困難であったため、地球の惨禍が起きていると思う。

だから、全てが全て、地上に住む人間が悪いとは言えず、どちらかというと、建てた計画そのものの問題性の方が強かったと思う。


                                       坂本 誠

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