2018年11月17日 (土)

三千三百六:短文掲載

こんばんわ。

現在、ちょっとバタバタしていますので、ブログ更新が遅れています。
ですので、今日は、以下のような短文を掲載します。

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「差別用語を撤廃しよう」という文章を見かける時があります。

この理由としては「差別というのは世の悪だから、その差別と思われる単語を含む文章を世から撤廃しよう」というものでしょうか。

しかし、ここでちょっとおかしなことに気が付いてしまいます。

それは「差別用語を撤廃しよう」という文章自体に、「世の何らかの単語に対して、それらの単語は差別的だ」という差別的なレッテルを貼っていることでしょう。

そのような視点から見ると、冒頭に掲げた文章自体に、少しばかり奇妙なものを感じてしまいます。


                                       坂本 誠

2018年11月 9日 (金)

三千三百五:電磁波について_No.20

こんばんわ。

三千三十七:電磁波について_No.19』以来の、久々の電磁波関係の記事です。

最近、私の読んだ記事から御紹介します。
簡単な見出し程度でも、その要綱はわかりますので、全文を読みたい方は、該当URLにジャンプしてください。

(以下、『InDeep』様、2018/11/03(土)記事より引用)
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●携帯やスマートフォンによる発ガン性が証明される : アメリカ国立衛生研究所が「携帯電話は癌と心臓病に関係する」という10年間におよぶ研究の最終報告書を発表
https://indeep.jp/high-exposure-cell-phone-radiation-associated-cancer/

投稿日:2018年11月3日
11月1日のアメリカ国立衛生研究所のニュースリリース
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(引用終わり)

(以下、『日本や世界や宇宙の動向』様、2018/10/19(金)記事より引用)
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●スマートメーターによる健康被害、人権侵害、誤表示
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52033184.html

(邦訳『日本や世界や宇宙の動向』様)

https://www.naturalnews.com/2018-10-17-smart-meters-are-wildly-inaccurate.html

(概要)
10月17日付け

Image: “Smart” meters are wildly inaccurate: Study finds that readings can be 581% higher than actual use

(Natural News)

・・・・スマートメーター(従来のアナログ式誘導型電力量計と異なり、電力をデジタルで計測し、メーター内に通信機能を持たせた次世代電力量計)は、EMF電磁場を放射しますので、使用し続けると、使用者に頭痛、疲労、消化系障害、不眠など様々な健康障害を生じさせます。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

ここからが私の文章です。

この私のブログ記事でのシリーズ『電磁波について』も、サブタイトルの番号を見てもわかるように、今回の記事で20回目です。

ですから、携帯電話やスマホあるいは、電子レンジから発生される波長の電磁波の危険性について、巷では、かなり長いこと話題になっていることがわかります。

ですが、「昨今の携帯電話の人気に水を差したら困るではないか」という視点から、携帯電話やスマホの危険性について語られていないと思います。

なぜならば、携帯電話やスマホを使って電話をしたり、あるいはインターネットの利用などをしていたら、「そちらの方が文明人のようでカッコ良いじゃないか」というような思い込みの下に、現在の携帯電話やスマホの使用が喜ばれているように、人が感じているからだと思います。

あるいは、たとえ、このような携帯電話やスマホの使用に危険性の証明がされていても、「携帯電話やスマホが売れなくなったら、どうなるのでしょうか。そちらの方が困るのではないでしょうか」のような声も出るのではないでしょうか。

結局、これですと、私達、人間は、「人間にとっての必要物資を手に入れるための経済活動をしている」というよりも「本来必要としているのは、物資の方だが、その物資よりも、物資の実体では無い、幻の数値として紙の上に記載されている、お金の方が大事なのだ。そのお金獲得のための経済活動を、人はしている」となってくると思います。

ですから、ここまで来ると、私達は「お金というものは、人にとって、悪い道具なのだ」という、今までのお金を崇拝するような社会の雰囲気とは別の視点で、お金を見ていくと思います。

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なんとならば、もし私達の社会に、お金というものが存在していなかったと仮定してみましょう。

そのような世界ならば、何らかの人間の道具があって、その道具の危険性を証明されたとするのならば、その道具の開発・製造・普及を止めても、お金そのものが無いのですから、誰もが金銭的に困ることはありません。

だから、そのような世界ならば、人はあっさりと、何の未練も無く、携帯電話やスマホの使用に関して、厳重な規則を設定していくのではないでしょうか。

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一つだけ、書いておきたいのですが、世の全ての電磁波が人体に有害だとはされていないことを、どうか、覚えていてください。

なぜならば、「可視光線」つまり、普通の光ですが、この波長の電磁波は、人には有害なものを発していません。
あるいは、「赤外線」と呼ばれる波長の電磁波も、身体を温める働きがあって、人には有害なものを発しているとの報告は聞いた事がありません。
電磁波というからには、「紫外線」と呼ばれる波長のものもあります。
この「紫外線」も目には見えませんが、よく知られているように、殺菌したり、真夏に海水浴などをしていてれば、肌を焼く等の効果が知られています。
また、「X線」とか「γ線」と呼ばれる波長のものもあります。
これらは原爆等が爆発した際に発される波長であり、人体を癌にさせたりします。

要するに、「電磁波」というのは「光」のことであり、その光の波長が変われば、同じ光ですが、人体や生物に対する影響は、非常に変わってくるのです。
この辺りは、読者の方がどうか調べてください。

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以前にも書いたことのですが、この携帯電話やスマホなどの人体に危険を証明している電磁波の波長の話題は、私はタバコの話題に似ていると思います。

タバコも、長い間、その発癌性が指摘されています。
にも関わらず、タバコは生産され、そのタバコを吸うのを愛用する人々もいます。

ですから、人によっては以下のような発言もすることでしょう。

  「タバコが悪いと思えば、その人が買わずに吸わなければ良いだけだ。人には自由が許されているので、タバコを吸いたい人はタバコを買って吸っても良いし、タバコが嫌いな人ならば、タバコを買わずに吸わなければ良いだけなのだ」

と。

要するに、「自己責任で、タバコを取り扱って下さい」という意見も出ていると思います。

このタバコと同様な話題が、この電磁波にも当てはまっているように感じます。
ですから、上のタバコに対する意見を、電磁波の件で書き換えてみると、

  「電磁波が悪いと思えば、その人がガラケーやスマホ買わないで使用しなければ良いだけだ。そして、現在でも、携帯電話やスマホの需要は高いので、携帯電話の電波塔の問題なども、自宅での電磁波対策をしたら良いのではないのか」

と。

果たして、このような意見で良いのかどうか、私は疑問を感じるところですが、読者の方々も、どこか疑問を残すことにならないでしょうか。

自己責任の問題とは、ちょっと外れてくるように思えるのですが。

しかし、誰がどうみても現状の問題を感じるかと思います。

ですから、本当の問題解決方法とは違うかもしれませんが、過去、私なりに電磁波対策の記事も続けていました。
個別に電磁波対策を進めたい方は、以下の該当記事にジャンプして、個人的に電磁波対策を進めると良いかと思います。

二千七百三十二: 電磁波対策を考える_No.13
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/11/_no13-aa2a.html

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しかし、ここまでくると、やはり、私が思い出す言葉としては、「自分の身は自分で守らないといけない」という言葉でしょうか。
しかし、上記のように、「お金の問題」というのも、かなり大きく、この問題に影響を与えていると感じています。


(以下、上記記事を読みながら思い出していた過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百十:私の見かけたニュース_No.99』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/04/_no99-6a35.html
(以下、『Gigazine』、2017/4/24記事より引用)
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●ビル・ゲイツ氏いわく「自分の子どもには14歳になるまで携帯を持たせなかった」
http://gigazine.net/news/20170424-bill-gates-ban-kids-cellphone/

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(引用終わり)


『千八十八:電磁波について_No.18』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/_no18-cb56.html
●ケータイ放射線でDNAの二本鎖切断が証明されていた(米 上院公聴会)
http://www.youtube.com/watch?v=8Yr6glIFL9o



(※筆者注:上記ビデオの翻訳ボタンを押して下さい。)

(上記ビデオより抜粋引用)
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■ブーハー博士:
どうも 開会の挨拶にありましたように10年~12年の携帯電話への曝露で腫瘍が劇的に増加しています
最近になって幾つかの兆候があり、長年、移動通信器を使用してきた人々に、脳腫瘍が増加しています

▲質問者1:
子供の携帯電話使用による潜在的危険性の増加について、何か考慮がありますか?

■ブーハー博士:
子供は携帯電話の放射線が、頭骸骨の深くに浸透する構造をしており、、、

_7

▲質問者1:
潜在的な危険は大きいですか?

■ブーハー博士:
はい 潜在的に大きな危険が、、、

◎セデツキー博士:
唾液腺腫瘍が現れたのは比較的長期間の使用者で、ケータイを使うと同じ側の頭部に腫瘍ができ、ヘビーユーザーでした
この公聴会を通じて、問題の研究が推進され、安全で責任ある使用確保の行動を期待します
招いてくださったデービス博士とこの問題の提起への配慮に感謝を申し上げます

◆デービス博士:
すると業界の反応は、私の本にもありますが、こうでした
まずNIHへ行き、研究の停止を働きかけ、次に記事の出版を受諾した学術誌へ行き、、、

▼質問者:
それは誰が?

◆デービス博士:
この研究の公表に反対している業界です
それで、そのロビー団体が、記事を受諾しないよう働きかけました
最後に、それを誤りにしようと別の科学者を雇いました
作用を確認すると、絶対に公開しませんでした

_5

 


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(引用終わり)


『九百十一:電磁波について_No.11』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/02/_no11-c397.html
●元MI5部員Dr. Barrie Trowerの語る電磁波兵器①
http://www.youtube.com/watch?v=NRoN2Fsci3o



(上記ビデオより抜粋して引用)
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「ええ、1960年に私は軍でマイクロ波戦のあらゆる面に関わり始めました。」
「それが人体に与える危険性や、もちろんレーダーや軍事使用について学びました。」
「その後、11年間、仕事の一部ですが、冷戦時代のマイクロウェーブは今と同様秘密武器に使われ、それらは完璧な武器であり、人々は自分が攻撃されていると気付かないですから、どの政府にも個人や集団に対する攻撃が可能で実行しており、道にいる群衆に対しても同様で、18ヶ月から「2年半、低強度の攻撃で、甚大な神経ダメージや身体的ダメージ、癌を引き起こす事が出来ます。」
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(引用終わり)

『八百五十:電磁波について_No.9』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no9-316e.html
●「WiFiは子供たちに危険」 バリー・トラウアー
http://www.youtube.com/watch?v=lNKFEn_WXCs

(※筆者注:現在、上記ビデオは、なぜか、削除されています。私が見たときに撮影した写真を掲載しておきます)

(上記ビデオより抜粋して引用)
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_1

 
科学アドバイザーとして、世界中の文書を読んだり翻訳したりしていますが、子供用のマイクロ波放射線安全基準を作るだけの勇気がある科学者に、世界中で、今まで、まったく一度もお目にかかったことがありません。
基準は一つも存在していません。
子供の免疫系統は、大人と違い、まだ発達中です。
骨が柔らかく、マイクロ波が簡単に貫通してしまいます。
骨の中では生物幹細胞を作っていて、そこから免疫系統、そして体のすべての部分が作られます。
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(引用終わり)


『九百三十四: 電磁波について_No.17』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/02/_no17-d4c2.html
●元英諜報部員が語るマイクロ波戦闘 Barrie Trower on Microwave warfare
http://www.youtube.com/watch?v=hpfblQN2a-E

(※筆者注:現在、上記ビデオは、なぜか、削除されています。)

(上記ビデオより抜粋して引用)
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誰かを始末するのが急ぎでない場合、この技術でビームを送れば、とても効果的なステルス兵器となります。
何度も実行されてきました。
記録もされています。
政府は気に食わない人々にビームを当てる事が出来ます。
ガン、乳癌、脳神経の病気など、かからせたい病気を何でも好きに選べます。
マイクロ波をビームするスーパー発信器があればできちまう。
例えば、世界の主要小麦供給国を経済破綻させたいと思ったとしますよね。
そしたら、電離層にマイクロ波ビームを当てるだけでいいんです。
電離層は地球全体を覆っている見えないイオンの雲です。
特定の角度で放たれた電磁波ビームが反射してその国へと落ちます。
その土地の小麦、牛や羊に向かって、マイクロ波ビームを当て続ければ、作物の免疫システムを痛めつけられます。
病気になって死ぬように・・・
生育を止められます。
そしてその国に経済破綻を引き起こせます。
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(引用終わり)


『四百:電磁波について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no2-a04a.html
●NASAの未来計画文書③
http://www.youtube.com/watch?v=2Ww0U-TMGnE



(上記ビデオより抜粋して引用)
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「ワイヤレスに関する周波数の兵器化について話しています。」
「そして特にアメリカや他の国々でも広大に展開されている携帯電話タワーについてです。、、、そしてそれは携帯電話タワーなのです。」
「そして彼等は学校のキャンパスに置くように学校にお金を支払っていますね。」
「現在、新しく発見された癌の集団がサンディエゴ州立大学にあって、かなりの数の学生と教職員が脳腫瘍を持っているんです。」
「ですから私達はこの文書によって認められた破壊の周波数の中にいるのです。」
「証拠があり、軍がいて、これを認める機関があるんです。」
「、、、こう書いてあります。」
「『タワーは周波数を放射するのに使用される。』」
「これが彼等が私達に伝えている事で、98ページには、『典型的なシナリオ、10人と1000万ドルによって、アメリカを破壊しろ。』2成分生物学的製剤(輸入されたビタミン剤、服等、食料供給・・・を通して)毒が入れられます。ワクチンとウィルスによるテロ攻撃、私達の線路が攻撃される事について話しています。」
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(引用終わり)


『千八十三:電磁波対策を考える_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/_no4-0719.html
●スマートメーターの電磁波測定とアルミホイルの遮蔽効果
http://www.youtube.com/watch?v=sl_BfCvP17g




『千九十三:電磁波対策を考える_No.5』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/04/_no5-38c5.html
●住環境・電磁波対策
http://roop119.com/14.html


『二千百五十九:電磁波対策を考える_No.10』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/08/_no10-482f.html
(「社会に貢献するアルミ箔の世界 日本アルミニウム協会」より抜粋引用。図は省略)
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●社会に貢献するアルミ箔の世界 日本アルミニウム協会
http://www.aluminum.or.jp/haku/plaza/plaza14.html

●見えないところで活躍するアルミ箔:電気配線のノイズ対策にアルミ箔が活躍

電線(電力線・通信線)を電流が通るときに発生する電界や磁界が、その配線の近くにある電子機器や別の通信配線などに電気的なノイズとして影響を与えることがあります。
こうした電気配線に伴うノイズ対策に活躍しているのが、電気コードの外側を覆い、電流に伴う電界や磁界を遮蔽する“シールド材”で、この電磁シールドの素材に「アルミ箔複合材」が有効に活用されています。

配線用電材メーカーの大手、興和化成株式会社(本社・愛知県名古屋市瑞穂区)は1998年にこの電磁シールド用資材を開発、2000年から「ノイズプロテクトチューブ」という商品名で生産・販売しています。
2010年2月には、ノイズ対策効果をより高める厚手のアルミ箔を使った新製品も発売しました。
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年11月 2日 (金)

三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その1)

翻訳に携わる方ならば、結構知っていることだけど、例えば英語ならば、ほぼ全ての英文法を覚え、ほぼ全ての熟語や構文も記憶し、かなり多くの英単語を覚えて、翻訳作業に慣れてくると、英訳・和訳の作業は一種のコピー作業であるとわかってくる。

確かに、その言語に関する多くの単語等を記憶し、慣れるまでには手間がかかったりするのだけど、一旦、慣れてしまえば、英訳・和訳の作業が単純作業になりやすい。
だからこそ、最近では多くの翻訳ソフトが出回るようになり、かなりの精度でコンピューターが翻訳してくれるようになった。
「コンピューターが翻訳してくれる」ということは、ある意味、英訳・和訳の作業は定型業務であり、つまり、それらの作業は、ある程度、単純作業だとわかる。

また、「外国語を習得した」と言っても、その外国語を、例えば、英語ならば、その英語を英語圏の人ならば、自分の国の母国語として、何不自由なく使用していることに気が付く。

だから、長く英語やその他の外国語を学び、習得してきた人ならば、翻訳作業が単なる筆写作業のように感じられる時も出てくる。

だからと言って、それほど大量に積み上げてきた自分の労力を軽んじるべきではないと思う。

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上記のように、長く翻訳作業に携わっていると、その作業中に退屈を感じたりする時も多いと思われる。
しかし、翻訳作業に関して、「とても楽しい」と感じる瞬間が、翻訳者達の間で感じる時があると思う。

それは、名文とか名句とか称されている文章を翻訳する時である。

一般に、この名文とか名句とか称されている文章を、AI翻訳ソフトで翻訳すると、非常に、テクニックの無い翻訳文になることが多いことが知られている。

それは、なぜかと言うと、これらの名文とか名句とか称されている文章自体、その文章の発言者達自身が、推敲を重ねて、それらの文章を研ぎ澄まさせていることが多いからだ。

もっと具体的に書けば、それらの名文とか名句とか称されている文章中には、対語を上手に並べていたり、語呂合わせをしていたり、音韻を豊かに踏ませていたりするので、それらの文章に触れる読者の方が、うっとりとしてしまう効果がある。
だから、ある意味、それらの名文や名句を作成する作者は詩人と言える。

そのような名文とか名句とされている原文の方では、その言語で使用されている対語や語呂、音韻があるので、原文でそれらの文章を読めば味わい深いものを読者は感じる。

しかし、それらの文章をコンピューターの翻訳ソフトで翻訳してしまうと、その原文を一字一句字義通りに訳そうとするので、原文に見られる香り豊かな味わいを、訳された後の言語からは感じることが出来なくなる場合が多い。

つまり、それらの名文とか名句とか称されている文章は、その文章の作者がその人なりの美学の下に、それらの文章を書きおろしていることがわかる。

「美しさ」という側面を、コンピューターが理解出来ないことも明らかだけど、だからこそ、なるほど、AI翻訳ソフトがそのような文章上の美学を使ってでの翻訳をすることは出来ないことがわかる。

(『三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その2)』に続く)


 

                                       坂本 誠

三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その2)

(『三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その1)』からの続き)

だから、現在でも、何らかの言語を翻訳する際に、一般に名文とか名句とか称されている文章を翻訳者が翻訳する際には、翻訳者自身が、しっかりと考えて、それらを翻訳していることがわかる。

なぜならば、上記にも書いているように、それらの特殊な文章をAI翻訳ソフトが翻訳すれば、原作者の意図とは違った文章が作成され、その文章が非常に味わいの浅いものとなってしまうからだ。

翻訳者も、そのような文章を真剣になって、自分の頭を使って、しっかりと翻訳するので、ある意味、この手の翻訳作業は単純作業では無い。

また、翻訳者が、この手の文章を、真剣になって翻訳するので、つまり、名文とか名句の翻訳となるから、この翻訳は名訳と言われることがある。

当然ながら、世の翻訳者も、この時に自らに充実したものを感じるだろう。

以下、そのような翻訳文を紹介してみたい。

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「名訳」と言っても、ある翻訳文を人が読んで、それを名訳と感じるかどうかは、その人次第である。

だから、本来、「名訳」というものは存在しないかもしれないし、気が付いてみれば、私達は無数の名訳に取り囲まれて生活しているかもしれない。

(以下、Wikipediaより引用)
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●ハムレット
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88

この台詞は有名ではあるが、訳すのが非常に困難だとされている。「To be or not to be, that is the question.」という文は、この劇全体からすれば、「(復讐を)すべきかすべきでないか」というようにもとれる。しかし、近年の訳では「生きるべきか死ぬべきか」という訳が多い。初期の日本語訳の代表的なものには、坪内逍遥の「世にある、世にあらぬ、それが疑問ぢゃ」(1926年)などがある[1]。

最終更新 2018年10月24日 (水) 08:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

有名な一文である。

  To be or not to be, that is the question.

確かに、現在での邦訳では上記文を「生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ」と訳すことが多いようである。

この翻訳文を知ったのは、中学生の時の英語の時間だっただろうか。

上記の資料中では、誰が上記原文を、そのように訳したかは載っていなかった。

ただ、普通、「be」と言う動詞は、「~である」とか「~に存在する」という意味で主に使用される。
だから、上記原文中の「be」と言う動詞を「生きる」という意味で訳するのは、珍しいと思われる。

おそらく原文中の上記文の前後も流れも捉えて、「生きるべきか死ぬべきか」と日本語への翻訳者は翻訳したかと思われる。
このような翻訳自体も、とても、AI翻訳ソフトでは表現できない部分である。

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あるいは、多くの人も聞いた事のあるセリフだと思うが、

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 人民の、人民による、人民のための政治を行う。
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というセリフがある。

このセリフ自体も著作権切れであるから、人類共有の財産であり、引用する際に必要な「誰がその言葉を語ったか」を記載する必要は本来無い。
しかし、あえて、「これは有名な人の語ったセリフです」と書いておけば、知らない人ならば、ネット検索したりすることによって、「誰が語ったか」を知ることになるだろう。

また、そのようにして、自分で調査することにより、より味わい深く、その言葉の意味や、その言葉の語られた背景や、その言葉を語った人の真意を追求していけるかもしれない。
だから、あえて、そのセリフを語った人の名前をここでは記載しない。

このような名文も、以下のように訳せると思う。
私が訳したのだけど、英語原文とは違っているかもしれないし、似通った翻訳文を案出できるだろう。

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 People's , by people , for people , we must execute the politics .
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(『三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その3)』に続く)


 

                                       坂本 誠

三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その3)

(『三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その2)』からの続き)

要は、翻訳に携わる人は、時々、名言や名句とされているものを翻訳した方が良いと思う。

単純作業でもないし、頭の体操にもなるし、本当の意味で、「今、私は翻訳している」という実感を得られると思う。

先日の私の記事『三千三百三:四国の思い出_その三(独白) 』中の『過去記事、関連記事、及び、参考文献』中に、出しておいた過去記事の中で、

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『三千三十三:『333 ノ テッペン カラ トビウツレ』を思い出しながら』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/12/333-0e22-1.html
(以下の写真は、『わたしは真悟』第3巻「空の階段」と『わたしは真悟』第4巻「光ふりて」から)

Pc080179

Pc080176

Pc080174

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  奇跡は誰にでも一度は起きる。
  だが誰も起きたことには気づかない

                『わたしは真悟』(楳図かずお 作)より引用

  Everybody has had a miracle once .
  But , nobody has realized the miracle at all .

                 quotation from "MY NAME IS SHINGO ."
                   Author:Umezu Kazuo
                   
      (日本語原文の英語翻訳者は筆者である坂本誠)
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の翻訳文を出しておいた。

現在でもご記憶している方々も多いと思うが、小学館の『ビッグコミックスピリッツ』に同作が連載されている時、同作の始まりを示す扉絵には、毎回、「奇跡は誰にでも一度は起きる。だが誰も起きたことには気づかない」という文章が、必ず彫り込まれていた。

さすがに、単行本化されたコミックスには、その文章は、毎回の扉絵には彫られていなかったものの、各巻の最初の扉絵のみに、そのセリフが刻まれていた。

私は、いや、私ならぬ、読者の方々でも、このセリフを読んで、「これは名文ではないのか?」と感じる人もいるだろう。

もっとも、名文というものも、ある人にとっては名文では無く、ある人にとっては名文では無くなる。
だから、世に名文というもの自体も存在しないのかもしれない。

だから、私としては、「これは良い文章だ」と感じ、何か翻訳してみたくなったので、もちろん、翻訳ソフト無しで、自分の頭のみを使って翻訳した。

上に書いたように、「世には名文というものは存在しない」とも言えるので、当然ながら、世に言う名訳というものも存在しないとも言える。

ただ、翻訳者にとっては、「翻訳したいものを翻訳し、また、その文章を翻訳したことによって何かしらの充実感を得た」というだけで良いとも言える。

この日本語原文を翻訳ソフトにかけても、あまり歯切れの良くない英語文として翻訳されてしまうと思う。

このような文章を私なりに翻訳する際に注意していることとしては、上に書いたように、対語、語呂、音韻を非常に考慮して私は翻訳している。
ただ、この翻訳文は、原文自体が私の気に入っていた文章であり、納得のいけたように翻訳出来たので嬉しかった。

(『三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その4)』に続く)


 

                                       坂本 誠

三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その4)

(『三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その3)』からの続き)

私事が絡むのだけど、最近、私の何十年か前に四国に居住したことに関する紀行文を書いている。

英語だけでは無く、幾つかのことを学ぶために、四国に行った。
むしろ、英語は補助的に学ぶものであった。

しかし、当時、私の英語の先生となってくれた方々は、よく私を褒めてくださった。
その理由と言うのも、私の翻訳文、特に英作文による日本語からの英語への翻訳に関して、非常に、私はお褒めを頂けたのだ。
アメリカから日本にやって来て、その学校で英語を教えている、アメリカ人の先生が私に言うことには、「おまえの英作文を読むのは、何かの英語の詩作文を読んでいるかのようだ」というものだった。

何十年かたった今でも、明るい記憶の一つとして私の胸中に残されている。

私は既に、高校時代から詩作をしていたので、英作文にもそのような影響がにじみ出ていたのかもしれない。

また、四国でのそのような、英語の先生達と出会う前に、既に出会っていた英語の先生達もいた。
ある英語の先生は、非常に英語が好きで、英語圏の人々と会話を交わすのが好きだった。
しかし、別の英語の先生は、試験のテストの点数を重視する先生だった。

前者の先生から学ぶことは多かった。
後者の先生から学ぶことは少なかった。

というのも、後者の先生の理屈だと、特に英語が好きでないことがわかる。
何らかの試験の点数さえ良ければ良いので、彼が専門とするのは、特に英語では無く、他の教科でも良いことに気が付くからだ。
だから、後者の先生の英作文は堅い感じのものが多かった。

前者の先生だと、英語が好きであり、日本の中にいても、外国人を見かければ、英語で話しかけるほどの英語好きだった。
つまり、前者の先生は、元々国際交流が好きなので、それに準じて英語が好きなのだ。
だから、英会話自体も好きであり、彼の口から出る英作文は非常に明解でわかりやすく、親しみの深い英文を語っていた。

しかし、後者の側の先生だと、試験のテストの点数重視だから、やたらと教科書でも見られるような、堅い構文を使用したものが多かった。
というのも、「教科書中によく見受けられる英語構文を多数使用していれば、採点者側が、その英作文に与えるであろう点数も、きっと高いだろう」というのが、彼の持論だった。

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また、ここからわかるのだけど、前者の先生が後者の先生の英作文を添削すると、かなりの量の赤ペンが入っていて点数が低い英作文となったと思う。
しかし、これとは逆に、後者の先生が前者の先生の英作文を添削すると、これまた同様に、かなりの量の赤ペンが入っていて点数が低い英作文となったと思う。

つまり、人柄や人格によって、私達も口から流れ出る文章にも堅い感じの文章を語ったり、あるいは、流麗な文章を語ったり、あるいは、俗語交じりで、屈託無く友人達と会話する時のような文章スタイルが幾つも、存在していることがわかる(その他、普通に私達が日本で生活していても、その場その時に応じて、かなりの量の、それぞれに違った文章スタイルを語っていることに誰でも気が付くだろう)。

この時、私は理解したのだが、要するに、学校などで習っている英語は、あまり意味の無いことに気が付いた。
なんとならば、上記で説明したような、2人のスタイルの違った英語の先生が、

  「ある一つの英作文があって、その英作文に与える点数が、2人の先生によって、それぞれ違っている」
  
と言うことに気が付いたのならば、学校教育で見られる「点数付けは無意味だ」とわかるからだ。

結局、日本の学校システムの中で「英語」という科目があるけれど、これに点数付けをすることは出来ないことがわかる。

なんとならば、例えば、英語圏の国々に行けば、その国の人々は何気なく英語を使っているけれど、日本内の英語の教官が、その英語圏の国に行って、その英語を語っているネイティブ・スピーカーと呼ばれる人々に対して、点数付けを出来ないのと同じだからだ。

(『三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その5)』に続く)


 

                                       坂本 誠

三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その5)

(『三千三百四:翻訳事情や翻訳の面白さを考えて(その4)』からの続き)

話が長くなっているのだけれど、以上のような理由から、また、翻訳の面白さを語るという初心に帰って、以下の文章を書きたい。

最近では、日本の漫画文化が世界を席巻するようになった。
そして、実際、それらの漫画を読んでも、大変味わい深いものもある。
そしてまた、多少なりとも、「翻訳してみたい」と思わされる程の決めセリフも、多々、見受けられるようになった。

そこで、以下の文章を出してみたい。

寺沢武一原作の有名な漫画として、週刊誌「少年ジャンプ」に掲載されていた『SPACE ADVENTURE コブラ』というものがある(以下に掲載した写真と文章は、同漫画からの引用)。

知らない方のために、ちょっとだけあらすじを紹介しておきたい。

Pb020178


未来の宇宙社会の中で、宇宙海賊コブラは不死身の男として、宇宙の中を冒険している。

この宇宙海賊コブラの中で『黒竜王』というシリーズがある。
ある日、コブラは、ジゴルと言う名の宇宙船である巨大捕鯨船に呑みこまれることになる。
この巨大捕鯨船ジゴルの内部には、そのジゴルに呑みこまれた多くの宇宙人達によって、一つの世界が形成されていた。
そして、その世界、スタマックスには、多くの宇宙人達を恐怖で統治する支配者がいた。
その支配者が『黒竜王』であり、コブラはジゴルの外部へと脱出すべく、『黒竜王』に会いに行こうとする。

コブラは、スタマックスの都エルラソに到着し、そこで、『黒竜王』の手下であったヨーコ・オブライエンを味方につけ、『黒竜王』の神殿へと向かう。
その途中、ヨーコ・オブライエンは黒竜王に恐怖を感じ始めるが、その場でコブラが彼女に語るセリフである。

Pb020181_3

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  どうした
  なにをおそれている
  
  死ぬのはたったの一度だぜ

  What ?
  What are you afraid of ?

  It's only 1 time
   that
    your death passes through you .

---------------------------------

あるいは、上記翻訳文の最後は以下のようになるだろう。

---------------------------------

  Your death takes only 1 time to pass through you .

---------------------------------

他にも、様々なパターンの英訳文が作成されると思う。

名文かどうかは、ともかく、自らの心に刻み残されている、何らかの思い出深い文章を翻訳することが、翻訳に携わる者にとっての真の喜びになると思う。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千七百八十一:映画、蒼き(あおき)衣の者(風の谷のナウシカ)を見て』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/12/post-730d.html

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    その者 蒼き衣を まといて
    金色の野に 降り立つべし。
    失われし 大地との絆(きずな)を結び、
    ついに 人々を蒼き清浄の地に導かん。

                          (映画『風の谷のナウシカ』より)

    The person in blue
      should fall down on the gold field.
    The person will bind the lost tie with our Earth,
      and will lead people to the blue and pure land , finally.

                 (quotation from "Nausicaä in the Valley of Wind")

      (日本語原文の英語翻訳者は筆者である坂本誠)
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        愛と光

    愛が光となり、光が愛となり、
    光と愛が結ばれ合い、
    羽毛のように 触れ合い、
    お互いの中で響き合う。

    光と愛が 織(お)り合わされる中、
    速くもあり 遅くもある
    一つの やわらかな音楽が流れ続ける。

    その音楽に のせて
    光と愛が
    私達の胸に やって来る。
    一組の男と女のように。

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        Love & Light

    Love becomes light, and light becomes love,
    Light & love are connecting each other,
    They are touching like feathers each other,
    They are echoing in themselves each other.

    While light & love have been weaved each other,
    One soft music is flowing
    slowly and speedy.

    Light & love are coming
    to our chests on the music.
    Like one man & one women .
    Like one couple .

        坂本 誠
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『三千三百三:四国の思い出_その三(独白) 』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-6984.html


 

                                       坂本 誠

2018年10月30日 (火)

三千三百三:四国の思い出_その三(独白)

四国には、ちょっと変わった場所もある。
それは、地球の緯度的にユニークな場所である。

高知県高知市南金田・弥生町には、東経133度33分33.333秒・北緯33度33分33.333秒の地点が存在する。
地球の地理では、他にも、このように緯度的に数字の密集した地点が他にもあるらしい。
33の並ぶ地点では、この高知県高知市以外では、非常にアクセスするのが難しいと言われている。

過去、私が四国に居住している時に、ちょっとだけ気になっていたので、高知市の東部に訪れる際に、ちょっと寄ってみることにした。

掲載した写真は、以下のURLからのもの。

Address_33no1

 

地球33番地 - 地球33番地 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%8333%E7%95%AA%E5%9C%B0#/media/File:%E5%9C%B0%E7%90%8333%E7%95%AA%E5%9C%B0.jpg

参考文献として、以下のHPを読んで頂けると幸いです。

(以下、Wikipediaより引用)
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●地球33番地
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%8333%E7%95%AA%E5%9C%B0
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地球33番地公式サイト
http://chikyu33.net/executive/commi.html

行ってみたのだけど、何の変哲も無い居住区に、その「地球33番地」と呼ばれる場所が存在していた。

私が四国に居住していたのは、もう何十年か前の話なので、記憶がうっすらしているのだけど、河の中のモニュメントは無かったような気がする。
だから、私の記憶に寝ていたのは、対岸に建てられていた白いモニュメントの記憶だと思われる。

ただ、当時の記憶をたどっても、「真の地球33番地は川の中にあるのだ」という思いが残っているから、やはり、私が訪れた際には、河の中のモニュメントは無かったような気がする。

その他の地球上の「地球33番地」と呼ばれる場所はアクセス困難と言われているのに、市街地のほぼ真ん中に、そのような特異点が存在しているので、逆に、呆気に取られるような気がした。

しかし、例えば、海外の人で、この四国高知市に存在する「地球33番地」の場所を見ると、以下のように言うかもしれない。

  「日本の四国に存在する地球33番地も、ちょっと外れたら、やはり、海の中と言えるじゃないか」

と。

だから、やはり、世界地図から見て判断すると、この「四国内の地球33番地にアクセスしやすい」というのは、ある意味、奇跡的なものかも知れない。
四国以外の地球33番地にアクセスするのは困難なのだから。

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このようなことを考慮し、さらに、333の数字が集まっていることからも、私は「霊感の鋭い方が、この場所に訪れてみると、何かを感じるかもしれない」と思った。

しかし、この四国内の地球33番地の紹介には、「パワースポット」と言われる俗称は付いていないようだ。
だから、現在において、霊感の鋭い方が、この場所に訪れたかどうかもわからない。

しかし、過去、四国八十八ヵ所巡りを開いた弘法大師が、この土地に訪れたかもしれない。
弘法大師が、四国に霊感を感じたのも、私の推測だが「地球33番地」の何かを感じたからではないだろうか。

そう思って、インターネットで「wiki 四国八十八ヵ所巡り」を検索してみた。

四国八十八箇所
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80

上記のHP上の地図で、弘法大師の足跡を追った。
その写真は以下のもの。

Shikoku Pilgrimage Map01 - 四国八十八箇所 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80#/media/File:Shikoku_Pilgrimage_Map01.png

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すると驚いたことに、四国八十八箇所の三十番目から三十三番目ぐらいは、ほぼ「地球33番地」の場所にあることがわかった。
そして、私は気になりつつも、四国八十八箇所の三十三番目のお寺である『雪渓寺』の以下のHPを見ることになった。

雪蹊寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E8%B9%8A%E5%AF%BA

そして、その寺の緯度を見ると「北緯33度30分3秒、東経133度32分35.1秒」だった。

私は「四国は、つくづく、数字の3に縁のある土地だなあ」と思ってしまった。

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何か、やたらと数字の3を見つつも、さらに私が、当時よく利用していた道路のことを思い出した。
それは高知市と松山市を結ぶ国道のことである。

四国の高知市と松山市を往復する必要のある人が頻繁に使用する国道なのだけど、その道の名前は「国道33号線」である。

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「地球33番地」の「33」と言い、四国八十八箇所の三十三番目のお寺である『雪渓寺』に与えられている、その番号と緯度と言い、国道33号線の「33」と言い、読者の中には以下のような疑問を口に出す人がいるかもしれない。

  「これらの3の数字は、本当に偶然の一致で起こったことなのだろうか?」

と。

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ここまで書くと、あの瀬戸内海に浮かぶ島である四国(しこく)という島の名称も、本来は三国(さんこく)ではなかったのかと私は推測してしまう。

四国(しこく)という島の名称は、瀬戸内海に浮かぶ、あの島の中に、主に四つの国があったので、四国(しこく)と呼ばれたのだろうけれど、本来ならば、三国(さんこく)だったのかもしれない。

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読者の中で、ある人ならば「なんとなく、333の数字が続くことは良くないことではないだろうか」と感じる人もいるかもしれない。

しかし、私は逆の視点で見たいのだけど、それらの数字が続くことは幸運の前兆と見なせないだろうか。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千三十三:『333 ノ テッペン カラ トビウツレ』を思い出しながら』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/12/333-0e22-1.html
(以下の写真は、『わたしは真悟』第3巻「空の階段」と『わたしは真悟』第4巻「光ふりて」から)

Pc080177

Pc080174

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  奇跡は誰にでも一度は起きる。
  だが誰も起きたことには気づかない

           『わたしは真悟』(楳図かずお 作)より引用

  Everybody has had a miracle once .
  But , nobody has realized the miracle at all .

            quotation from "MY NAME IS SHINGO ."
            Author:Umezu Kazuo

           (日本語原文の英語翻訳者は筆者である坂本誠)


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『三千二百九十六:四国の思い出_その二(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-2b8a.html

『三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-e767.html

『三千三百三十三: ディスクロージャーについて_No.33』
●委員会のメンバー達は、今週を越えての公聴会を行うための、答えを探しています
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/05/_no33-fc88.html
http://huff.to/135YgXY


 

                                       坂本 誠

2018年10月24日 (水)

三千三百二:世の恋愛問題について

こんばんわ。

私としては、珍しく、恋愛問題について考えることがあったので、それを書いてみようと思います。

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巷の有名人の恋愛などで、大きくマスメディアで報道されることがあるようです。

個人の恋愛の問題というのは、個人的な問題であるのですが、それでもなぜか公のものとして報道されることが多々あるようです。

20100516053144

 

芸能関係の会社でもいいし、他の一般企業の会社について考えてもよいのですが、とにかく、企業の中の、ある社員が何らかの恋愛をしていると仮定してみます。

企業内の社員が、就業時間以外のプライベートな時間で、誰が誰を愛そうとも、それは個人的な問題であり、また、それは個人情報だと思います。
ですから、企業の側にしても、ある社員が就業時間以外に、どこかの誰かを好きになっても、それは企業活動とは関係がありません。

また、企業にしても、個人の恋愛問題について、口をはさむことは出来ない筈です。

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しかし、例えば、芸能関係の会社の社員などが、就業時間以外に、どこかの誰かとデートしていても、何も口をはさめないと思います。

しかし、その就業時間以外の個人の自由の時間に、俗にパパラッチとか言われている、個人の自由時間の活動ぶりを撮影して、それらの写真を週刊誌などに売りつけるカメラマンの方々もいるようです。

あの、パパラッチとか言われている人々の活動は、個人情報を侵害していると思えるのですが。

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そして、パパラッチとか言われている人々が、そのようにして、ある特定の個人のプライベートの時間の活動ぶりを撮影した写真が、ある週刊誌に流れ、それらが報道されたりしています。

すると、その撮影された個人の属する企業の側でも、なぜか、おびえるような感じになるようです。

本来ならば、企業の側が、社員の側の恋愛問題について、何も言えない筈なのに、その恋愛問題について、口を挟むようになるようです。

例えば、ある芸能関係の会社の社員の恋愛について報道されると、その芸能関係の会社側としては、世評・風評が悪くなって、「うちの社の売り上げが悪くなるかもしれない」と感じると、なぜか、自由とされている筈の、特定の個人の恋愛問題に「口をはさむ」という状態になっていないでしょうか。

ある企業が、その企業内の社員の就業時間以外に起きた、自由とされている個人間の恋愛問題について、あれこれ言う、というのも、これだと、「就業時間以外にも、その社員に対して、拘束した」とならないでしょうか。

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本来、ゆっくりと考えてみると、「誰も他人の恋愛関係に口出しすることは出来ない」というのも思い出せるものです。

しかし、いきなり、どこかの週刊誌が報道すると、その報道された側の社員のいる企業側が慌ててしまって、「これは、うちの社の問題であるから、あの社員の恋愛問題について、口をはさむべし」と、即決して、言っているのではないでしょうか。

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また、私がおかしく思うのは、上に挙げた、通称、パパラッチと言われている方々です。

20100524151030

 

他の人も見ても感じると思うのですが、ある個人が公にしていない情報(ここでは恋愛情報のこと)を、その個人のプライベートの時間までも、追いかけて、その個人情報であるところの情報を入手して(撮影などをして)、それらをどこかの週刊誌に購入してもらっているのですが、彼等の活動自体が、大いに問題にならないのでしょうか。

また、それらの情報を入手した週刊誌も、何らかの個人情報を、その個人の許諾無しに公表する、というのですから、これ自体も大きな問題ではないでしょうか。

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例えば、恋愛問題にしても、「今いる恋人(あるいは配偶者)よりも好きな人が出来た。今の恋人(あるいは配偶者)と別れて、あの人と一緒になろうか」と考えて、何らかの判断をするのは、それも個人の自由です。

また、そのような問題は、その人個人で解決しないといけない問題の筈です。
恋愛問題のことですから、似たような例は数多くあることでしょう。

しかし、「恋愛問題」という、ある個人の問題を、それを追いかけ回す、パパラッチと言われる方々が、その取材対象の人の個人的な恋愛問題を取材して、それらを全社会に報道して、その取材対象の個人の恋愛問題を「全社会の人々が一体となって、社会全体の人々で考えようではないか」と言いながらも、取材しているパパラッチの姿を思い浮かべて、、、、このブログ記事を読まれている読者の方々も、既に異常を感じるかと思います。

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人が冷静になって、私が上記に書いた事を考えてみると、「『他の人の恋愛に口をさしはさむ』という行為は良いことか」という、極めて人間的な問題について考えを巡らすことでしょう。

また、パパラッチと言われる人の行動動機や、上記のような他の人の恋愛問題のことを報道する動機というのは、単に、「週刊誌が売れるから」とか、あるいは、「その記事を掲載したHPの閲覧回数が上がることにより、宣伝活動を助ける機会となるから」というのが、その動機ではないかと、私は予想したりします。

で、こうなると、私のブログで時々掲載しているように、「お金は人の人心や倫理を腐敗させる」と書いている内容を正当化する一例となります。

「そのお金を誰が作り、何の目的で、そのお金が使用されているか」については、ちょっと、このブログ記事とは外れてしまい、また、長い説明共なりますので、私のブログの過去記事を、どうか読まれて下さい。

そのお金の由来から考慮しても、以下のことが言えると思います。

「お金のために仕事をしているのであり、自らの神性発揮の一つとしての仕事をしているのでは無い。」

要は、お金というものが、人心や倫理を痛く腐敗させることがわかります。

なんとならば、「お金というものが無いと、人は生きていくことが出来ないのだ」という社会状態に多くの人々が誘導されますと、何よりもお金を手に入れないと、死の恐怖が与えられていることになりますから、その恐怖を打ち消すためには、「人は、どのようなことをしても、何よりもまず、お金を手に入れるべきだ」となります。

また、世に多く言われていることの一つとしては、「命こそが何よりも尊い」という言葉があります。
ですから、「命こそが何よりも尊い」とあるのならば、「その命をつなぐためには、何よりもお金が必要なのだ」となるでしょう。
そうなると、「命こそが何よりも尊いのだから、その最高に尊いとされていることを実現するためには、それ以下の、そして、それ以外の悪いことをやっても良いではないか」となるでしょう。
「お金を手に入れて、自分の命を守るためなのだから」と。

この結果、「人は、お金を手に入れるためには、悪いことをやっても仕方ないではないか」となるでしょう。

つまり、お金というものが人心や倫理を痛く腐敗させることがわかります。

20100610135952

 

ですから、「ひょっとしたら、お金そのものが悪い道具なのではないのか」と、逆の視点を持つことも大事でしょう。
また、このブログ記事とは外れてしまうので、ここには、ちょっと書きませんが、それらのお金を製造・配布して、多くの人々にそれらのお金の使用を長く推奨し続け、「(我々の作った)お金を崇めるように」と、地球上の多くの人々に推奨し続けた人々は、これは、責められても仕方無いものがあると思います。

また、ここまで来ると、もう一つの視野が出来てくると思います。

それは、今まで世に多く言われ続けてきた「命こそが何よりも尊い」という言葉に対する見方です。

「『命こそが何よりも尊い』という言葉以上のものがあるかもしれない」と人は考えるようになるかもしれません。

それは、ちょっと考えてみると「人には命よりも大事なものがあるかもしれない。それは自分の内奥(ないおう)に秘められているとされる、神性と呼ばれているものかも知れない」と。

他にも、まだ考えられるかもしれません。

ちょっと、恋愛問題とは、話が反れましたが、このブログ記事については、この辺で筆を置くことにします。


 

                                       坂本 誠

2018年10月22日 (月)

三千三百一:お金の問題点

こんばんわ。

以前に紹介した

●お金の問題点_0002.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=3ibrKBohE8o

●「お金の問題点」の続き
https://www.youtube.com/watch?v=T8DcvHSi-C8

というビデオにも、お金の問題点が語られていますが、私なりに、更なるお金の問題点について書いてみたいと思います。
「お金の問題点」の一つとして、 物々しい単語となってしまいましたが、「世界最強の軍隊の作り方」という問題点があります。

私が比較的に、しばしば引用する文献として、以下の二つのものがあります。
引用資料中で、私が気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています。

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?』
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
-----------------------------------------
平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円、
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
-----------------------------------------
(引用終わり)

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
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(引用終わり)

カバールやイルミナティが、それらのお札の原価を使って、大量にお金(お札)を製造していることでしょう(最近では、銀行での金銭管理は、コンピューターなので、パソコンのキーボードのテン・キーからも無限のお金の金額を作成可能であるとも知られていますが)。

そして、上記のように、大変安価な元手でお金(お札)を作り出し、単純に、それらの金額を使って、巨大空母や最新鋭戦闘機やICBM(大陸間弾道弾核ミサイル)等を、大量に生産できることが、読者の方々でも理解できると思います。
また、これも理解出来ることですが、大量の兵士達の給与も、いとも簡単にひねりだすことができるとわかるでしょう。

また、上記のような大量の武器製造や大量の兵士達を雇う給与以外にも、世界最強の軍隊を維持するには、かなり莫大な金額が必要でしょう。

しかし、カバールやイルミナティからしたら、それこそ、上に書いたように無からお金を作り出していると言えるのですから、幾らでも幾らでも巨大空母や最新鋭戦闘機やICBMを作成できるわけです。

そして、それらを製造した人々には、規定の金額の給与を与えれば良いだけです。

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このように、お金というものは、カバールやイルミナティからしてみたら、幾らでも製造可能ですから、人はお金の問題点を見い出すと思います。
お金というものが、このような性質ものですから、彼等は、まず最初に、大量のお札(お金)を製造しておくわけです。
そして、あとは、そのお金に釣り合うだけの生産物を、例えば上に書いたような大量の兵器を作成するために、大量の金属を地球から掘り出すことになります。

お金というものに、このような性質がある限り、未来の地球というものは、虫に食われたリンゴのように、穴だらけになることも考えられます。
なんとならば、お金というものが、カバールやイルミナティからしてみたら、無から製造しているようなものであり、そのお金に見合う分だけの、金属を地球から延々に、無限に掘り出せばよいからです。

たとえ、そのような金属の地下埋蔵資源が枯渇しようとも、彼等の手中にお金がある限り、また、私達の間でお金というものが流通している限り、その「お金が欲しい」という欲があるのならば、地球資源乱獲もたやすく起きるからです。

また、その地球資源乱獲のみならず、幾らでも幾らでも軍需兵器を作成できるので、「カバールやイルミナティが無からお金を製造している限り、際限の無い、世界最強の軍隊を維持することが可能である」と私達は理解できるでしょう。

何らかの地球資源が足りているかどうかも考慮せずに、ひたすら、お金(お札)を製造するだけで、人は、そのお金を欲するので、際限の無い地球資源乱獲が起きるわけです。

つまり、この現象を見る限り、「カバールやイルミナティは私達に、お金を貸し与えている。私達にとっては借金のような感覚で」ということがわかります。
あたかも、その借金の金額分だけを、あたかもカバールやイルミナティに貢ぐ(みつぐ)ような感覚で、地球資源乱獲や莫大な量の巨大兵器を作成するのですから。

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このように、「お金の問題点」というものを人は見い出すでしょうが、それ以上に私達は人的な問題点を見い出すでしょう。

その「人的な問題点」とは、上にも書いているように、地球支配・人類支配を実行中の、カバールやイルミナティの問題です。

「お金の問題点」を考えていたら、やがては、カバールやイルミナティに見られる「人的な問題点」に当たり、その「人的な問題点」を解決していったら、やがては、「お金の問題点」も解決の方向に向かうのではないかと思います。

この「お金の問題点」と「人的な問題点」は深く融合しているので、あざなえる縄のように、どちらか一方を解決しようとすると、もう一方の側にも、その影響を大きく与えていくと思われます。

私達が手軽に出来ることと言えば、やはり「金銭への執着を減らしていく」ということになるでしょうか。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『四百八十六:私の見かけたビデオについて_No.47』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no47-6032.html
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



ビデオの1時間00分06秒辺りからです。

(上記ビデオより抜粋)
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ビル・スティル

_

問題は、アメリカの中央銀行制度が民間所有なのに、政府が所有しているように見せかけている事です。
ワシントンDC地区の電話帳で、連邦準備銀行を探そうとすると、青い政府機関のページに見つける事は出来ません。
企業のページを見てみると、Fedxのすぐ隣にあります。
民間所有の中央銀行なのです。
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(引用終わり)

『二千五百四十一: 銀行制度についての種々の話題_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/06/_no4-8a1f.html
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

(上記ビデオより抜粋引用)
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ビデオの1時間00分06秒辺りからです。

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●聞き手:
連邦準備銀行の議長とアメリカ合衆国大統領は、どのような関係が適切ですか?

■アラン・グリーンスパン(連邦準備銀行(FRB)、元議長):
まず第一に言う事は、連邦準備銀行(※筆者注:FRBのこと)は独立機関ですので、基本的に我々が行う措置をくつがえす事の出来る政府機関というのは存在しないのです。
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(引用終わり)

『二百五十三: News_No.298』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no298-e74a.html
●「タイタニック号沈没」、「ケネディ暗殺」、背後にFRBの影
http://internetviking.at.webry.info/201107/article_8.html

以下の緑の文字の文章は、該当HPを読んで自分の書いた感想文の再掲載分。

詳細は、該当記事をご覧ください。
1963年6月4日 米国大統領J・F・ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令 第11110号が発令され、米国政府の公式に作ったお札が発行されました。
それは、2ドル札と5ドル札でした。

しかし、その後、大統領命令、第11110号の取り消しの無いまま、その米国政府が作った公式のお札が回収され、代わりに、大変よく似たFRBの印刷した大量のお札が、市場に出回りました。

▼2ドル札「政府発行券」

1376229826676131153161

▼2ドル札「FRB発行券」

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▼5ドル札「政府発行券」

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▼5ドル札「FRB発行券」

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===============================
(引用終わり)

『二百四十九: News_No.296』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no296-eb2d.html
●隠されたJFケネディーの演説と2013年の状況が点で結ばれました!<報道陣を前にしたケネディの演説の内容>
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51894510.html
●OMG!!! (HIDDEN SPEECH) JFK CONNECTED THE ...
http://www.youtube.com/watch?v=pDe6QCqFu4c



上記の記事から、JFケネディーが報道陣の前で演説したとされる文章の抜粋引用します。
全文を読まれたい方は、該当URLを参照してください。
-------------------------------
我々は米国民として、本質的に、歴史的に、秘密結社、秘密の誓い、秘密のやり方に立ち向かっている。
我々は、昔から、理不尽な過度の隠蔽工作は危険であると判断していた。
隠蔽工作が正当なやり方であると考えられているのはあまりにも危険である。

安全保障の強化を訴える声明は、その意味を拡大解釈し、当局による監視体制と隠蔽工作を守ろうとしている人たちによって悪用されている。

ニュースを検閲する口実として、政府に反対する人たちの意見を鎮圧し、政府の過ちを全て隠蔽し、報道陣や米国民に、知る権利のある事実を隠している。

彼らが計画していることは絶対に公表されない。

彼らのやり方に反対する人々は賞賛されるのではなく、沈黙させられ、彼らは国庫から巨額の資金を使っても何も問われない。
彼らの噂さえ記事にすることはできない状態である。
彼らの秘密は一切公開されない。

しかし、私は、あなた方に、米国民に真実の情報を流し、警告するという大きな任務を果たしてほしいのだ。
米国民が十分な情報を共有することで、彼らは必死に対応すると私は信じている。
新聞の読者の論議を抑えつけるのではなく、自由に論議をしてほしいと思っている。
私の政権下では、政府のエラーを包み隠すことをしない。

ある偉人がこう言った。
エラーを是正することを拒んだときに初めてそれは過ちとなる、と。

メディアは、我々がエラーをしていることに気が付かないときには、必ず、それを指摘してほしい。
-------------------------------
(引用終わり)

ちょうど、この部分の黒字で書いている部分は、新たに私が書いた部分ですけど、読者の方々には「坂本さん、これだと、アメリカの警察は何をしているのでしょうか?」という疑問が出てくると思いますが、それについての資料も以前掲載していまして、再びそれを以下に掲載しますと、

『三百三十七: イルミナティについて_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no4-9e49.html
●ジェイ・パーカーインタビュー④
http://www.youtube.com/watch?v=9Gl-yNEoGyI



(上記ビデオより抜粋引用)
--------------------------
「成長過程で最初に私の父や母が私と弟に明らかにしたのは、それはイルミナティが世界を支配していて、警察を支配し、何処にも助けてもらえる場所は無いと言う事です。」

「数十億ドル、数兆ドルと持っていると言われている寡頭政治の独裁一家は自由に使える暗殺者を持っていて、全てのメディアを所有し、あなたを陥れ、あなたの人生を破壊する為に、あなたの事を何とでも言える何人もの人々を買収できる事を理解しなければなりません。」
「本当に警察が出来る事は何も無いんです。」
「彼等の後頭部には銃が突きつけられているんですから。」
「彼等の大勢が立ち上がってこれ以上は御免だって言わない限りはです。」
「そうすれば実際に変わるかもしれません。」
「だからアメリカの警察や軍は私達に、"警察の犬"と呼ばれているんですよ。」
「高い地位の悪魔崇拝者達からね。」
「この国の警察や軍を彼等は使っている動物としての犬と見なしているんですよ。」
--------------------------
(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年10月18日 (木)

三千三百:「忘れた方が良いメモもある」というメモを読んで(独白)

現代に住む私達は、多くのメモ書き用のノートを持っているかもしれない。
パソコンの中にも、メモ用の幾つかのファイルがあったり、スマホや携帯電話の中にも幾つかのメモ用ファイルがあるかもしれない。

特にスマホの中のメモ用ファイルだと、自分の決めた時刻にアラームが鳴り始めて、そのスマホの持ち主に、忘れてはいけないメモの内容を伝えることもあるだろう。
その光景を周囲の人が見ると、「人が機械を操作している」というよりもむしろ、「機械が人を操作している」ように見えるかもしれない。

かくも大量のメモを抱えるようになった現代人の一人に、彼(あるいは彼女)のメモ書きの中に以下のようなメモの内容があるかもしれない。
「忘れても良いことがある」とか「忘れた方が良いこともある」のようなメモの内容だ。

元々、メモというのは忘れてはならないようなことを書き留めることをいう。

Pa170195


そのように何かの忘れないためのメモなのだけど、そのメモ書きの中の一つに「忘れても良いことがある」とか「忘れた方が良いこともある」と書き留められていたら、人は奇妙なものを感じ、「このメモ書きの内容は矛盾しているのでは?」と首をかしげるかもしれない。

しかし、そのようなメモ書きを見て、気が変わり、忙しい日常を抜け出して、近場の温泉にでも向かう人も出るかもしれない。
そして、温泉に肩まで浸かりつつも、ふと日常に自分の書き留めている幾つかのメモを思い出そうとしても、それらを思い出せない人も出るかもしれない。
その時に限って、「忘れた方が良いこともある」というメモの内容を思い出すだけかもしれない。
そして、そのメモ書きの内容の真意を会得するかもしれない。

そのまま湯船の中で頭をひねりつつ、自らの日常生活を振り返りつつも、「忘れた方が良い生活とは、はたして、どちらの方だろうか?」と考えを巡らすかもしれない。


                                       坂本 誠

2018年10月15日 (月)

三千二百九十九:ピラミッドについて_No.32

こんばんわ。

三千百八十八:ピラミッドについて_No.31』の続きです。

私がしているピラミッドというのは、チェコスロバキアで特許を取得している「ケオプス型カミソリ刃再生装置」の実験の事です。
小型のピラミッドですね。
この「ケオプス型カミソリ刃再生装置」が本当に、カミソリの刃を長持ちさせるかどうかという実験と検証です。
私が以前から使用している電気シェーバーの外刃と内刃を小型ピラミッドの下に置いて長持ちするかどうかの実験です。

二千二百五十一:ピラミッドについて_No.26』にも、以下のように記しています。

>ですから、新しい電気シェーバーの使用開始日は、2014年10月15日です。

よって、この電気シェーバーの外刃と内刃を使い始めて、今日で、丸4年となりました。
掲載している写真は、2018年10月11日に撮影したものです。

Pa110178

 

私は、一日の内に朝と夜の2回、この電気シェーバーを使って、髭を剃っています。
また、この電気シェーバーの掃除は、1週間に1回です。
その1週間に1回の掃除の時に、外刃と内刃を外して、約8時間程、竹ひごで作成した小型ピラミッドの下に写真のように置いています。

読者の方でも、以下のような疑問を持つ方もおられるかもしれません。

  「坂本さん。ブログ上では何とでも言えるでしょうから、内緒で、その外刃と内刃を替えているのではないでしょうか?」

と。

しかし、私は一回もこの外刃と内刃を替えていません。
電気シェーバーのバッテリーならば使えなくなりましたので、その際に、同型の電気シェーバーを購入して、外刃と内刃を替えずに、そのまま使用しています。

---------------------------------

しかし、私がブログ上で報告しているだけなので、気になる方は、あなた御自身も、この実験をしてみることをお薦めします。
そして、実験に参加してくれた、あなたも、私のように、あなたのブログや、あるいは、あなたのコミュニティ・サイト上での日記で、報告して下されば幸いです。
しかし、私もやっているのですが、長期間に渡る実験となります。

やりがいはあると思いますが、、、

まだ、どれ程、この実験の検証が、これから先、続くかもわかりません。

しかし、1年に1回は、この実験の経過・状況を報告しようと思います。

---------------------------------

あと、以前にも書いたことなのですが、この「ピラミッド・パワー」と呼ばれる、ちからについての、私の考えたことを書いてみたいと思います。

おそらく、このピラミッド自体には、全く、何らかのエネルギーは無いと思います。
私が思いますに、ピラミッドは、アンテナのような役目をしていると思います。

テレビ・アンテナもそうですが、テレビ・アンテナも全く何のエネルギーを持っていません。
ただ、テレビ・アンテナは空中を飛び交っている放送局からの電波エネルギーを捉えて、その電波エネルギーを変換させた結果が、テレビ・ディスプレイに写っている画像と音声です。
おそらく、ピラミッドも、そのテレビ・アンテナと同じように、空気中の何らかのエネルギーを捉えて、そのエネルギーがピラミッド内に現れていると推測しています。

仮に、テレビとアンテナとテレビ局の仕組みを江戸時代以前の世界に持って行って、江戸時代の人々にテレビ番組を見せたとしたら、彼等は驚くことでしょう。
しかし、現代に住んでいる私達ならば、テレビの映る仕組みを知っているので、驚く人はいません。

それと同じように、現代に住む私達でも、未来社会に行って、ピラミッド・パワーのちからを完全に解明できていたとしたら、私達でも驚くことは無いでしょう。

未知のちからやエネルギーに関する想いというのは、そのようなものです。

不思議とされている部分が解明されたり、種や仕掛けがわかれば、珍しさや不思議感も消失するものです。
いつの日にか、ピラミッド・パワーも、現代のテレビの仕組みを仕掛けを知って、不思議感を消失した江戸時代の人々のような雰囲気を得られる時が来ると思います(ただし、ピラミッド・パワーを使用していたと思われる古代人は、そのちからの原理を知っていたのではないのか? という新たな疑問が生じますが)。

ですから、私が思うに、ピラミッド自体に興味・関心を持つことも大事ですが、「そのピラミッドの下に降ろされている、未知のエネルギーや、未知のちからと思われる、その正体は何なのか?」の疑問の方が大事だと思います。

通称、「ピラミッド・パワー」と言われている、未知のエネルギーや、未知のちからの解明があれば、当然、そのエネルギーやちからを、ピラミッドというアンテナを使って、取り出せることが出来るのですから。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
****************************************************
****************************************************
『三千百八十八:ピラミッドについて_No.31』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/10/_no31-7f5e.html

『三千八十八:ピラミッドについて_No.30』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/_no30-9aa2.html

『二千九百二:ピラミッドについて_No.29』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/05/_no29-1a47.html

『二千七百十五:ピラミッドについて_No.28』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/_no28-1c68.html

『二千六百九:ピラミッドについて_No.27』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no27-a2e7.html

『七百五十七:古代文明について_No.2』
●世界各地で見つかる「失われた大陸」:大西洋のポルトガル領海沖でピラミッド状の建造物が確認される
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no2-7f17.html
http://oka-jp.seesaa.net/article/376015556.html
■アゾレス諸島の水面下でピラミッド形の構造物が発見された
Terceira: Subaquatic pyramidal shaped structure found - Azores
Portuguese American Journal 2013.09.19
http://portuguese-american-journal.com/terceira-subaquatic-pyramidal-shaped-structure-found-azores/

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                                       坂本 誠

2018年10月 8日 (月)

三千二百九十八:日用品の「作り過ぎ」と言われる現象を見て

こんばんわ。
今日は、2件目のブログ更新です。

まずは、ご紹介したい新聞記事の引用から始めます。
引用部分は緑色の文字にしています。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にしています。

(以下、『朝日新聞』、2018/07/03(火)記事より文章と写真を引用)
------------------------------------------
●大量に捨てられる「新品」服

倉庫に山積みの段ボール。

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中身は、捨てられる寸前だった服だ。
ニット、パーカ、スカート――。
大手通販業者や若者に人気のブランドの商品など、「新品」ばかり。
新しいデザインの服が安く買えるようになった陰で、大量の売れ残りが発生している。

大阪市の在庫処分業者「ショーイチ」の倉庫には常に30万~40万点の服がある。
「売れ残った、少しほつれていたなど、ここに来る理由は様々。一度も売り場に出なかった服もある」と山本昌一社長は言う。
アパレル業者や工場など年間約600社から、500万点が持ち込まれる。

定価の1割ほどで買い取り、タグを外してブランド名が分からないようにして、自社のサイトやイベント会場などで販売している。
見栄えのいい写真を掲載するなどの販売努力をして、定価の17~18%でようやく売れていくという。

しかし、そのまま捨てられてしまう服も少ない。
東京都内の産業廃棄物処理業者は、銀座に店を出す有名ブランドから売れ残った商品の処理を依頼された。

「洋服のほか、靴やカバンなど収集車3台分。すべて破砕して焼却してほしいと言われた」。
1点ずつ処分の証拠写真も求められた。
横流しされるとブランドが傷つく恐れがあるし、倉庫に保管すれば資産となり税金がかかる。だからあえて焼却する」(、、、以下、省略)
------------------------------------------
(引用終わり)

私が、この記事を見るに思うのは「作り過ぎ」という状態です。
私達の身の周りを見回しても、特に衣服だけとは限りませんが、大量生産・大量消費によって「作り過ぎ」という状態が世に発生していると言えるでしょう。

そして、「なぜ『作り過ぎ』という状態が発生するのか」を考えると、上に引用した新聞記事中にもあるように、「横流しされるとブランドが傷つく恐れがあるし、倉庫に保管すれば資産となり税金がかかる。だからあえて焼却する」というのが、その理由の一つとなっているのでしょう。

ここで、私達は「作り過ぎ」という状態から、さらに一歩踏み込んで考える必要があると思います。

「なぜ、私達は作り過ぎているのか?」と考えてみると、「もっと、お金が必要だ」とか「お金が無ければ死んでしまう」とか「税金として取られてしまうからこそ、もっと、お金を稼ぐ必要がある」という理由のせいで、資本主義システムの中で、お金をもっと求める必要性に駆られるからこそ、様々な日用品を「作り過ぎる必要があるのだ」となっていると思います。

ですから、上に紹介した新聞記事のように、私達の資本主義システムの中で、「作り過ぎ」という状態を発生させている本当の理由とは、お金というものに真の原因があると言えるでしょう。

なので、資本主義システムの中での「作り過ぎ」という問題を見い出したら、その次には、「私達の使用している、お金という道具に何かの問題点が寝ていないだろうか?」という、更なる疑問を抱く必要があると思います。

/////////////////////////
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上記の、更なる疑問を考える前に、上記新聞記事の裏面にも、関連記事が紹介されていたので、そこからも幾つかの言葉を拾ってみたいと思います。

---------------------------------
安い服 しわ寄せ働く人に」「低コスト・大量生産が支え」「低賃金・長時間労働強いる」「適正な生産か 考える消費者

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---------------------------------

適正な生産か 考える消費者」のサブタイトル中の記事で、尾原蓉子(おはらようこ)さんという方は以下のように述べています。

---------------------------------
「消費者も、安さだけではなく『適正に作られているか』に関心を持つようになっている。企業が生き残るためには、働く人や地球環境にとってもよい方法をどうやったら実現できるか、真剣に考える必要がある」
---------------------------------

尾原蓉子さんの言われるように「適正に作られているか」を考えるためには、私達が使用しているお金という道具の是非についても、突っ込んで、論じる必要が発生すると思います。

そして、上記新聞記事のように、衣服だけとは限りませんが、大量の「作り過ぎ」と呼ばれる状態に、多くの人々が気が付けば、さらに以下のような新聞記事も見受けられるようになると思います。

(以下、『YAHOO! JAPAN NEWS』、2018/09/08(土)記事より引用)
------------------------------------------
●売れ残り商品の焼却処分を中止 英・バーバリーが批判受け
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20180908-00400459-fnn-int

9/8(土) 1:08配信 FNN

イギリスの高級ブランド「バーバリー」が、批判を受けていた売れ残った商品の焼却処分取りやめを発表した。

バーバリーは2018年7月、売れ残った商品、およそ41億円相当を焼却処分していたことが伝えられ、世論の批判を浴びていた。

ブランド価値維持のために行われていたが、批判を受けバーバリーは6日、「社会的、環境的な責任がある」として、焼却処分の取りやめを発表した。

今後は、再利用や寄付に努めるほか、毛皮を使った商品の販売もやめる方針。

「ブランド価値の維持」よりも、環境や資源保護をめぐり、企業としての責任を迫られたかたち。
------------------------------------------
(引用終わり)

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ここからは、お金の問題点について一緒によく考えてみましょう。

私が時々引用する文献ですが、

『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
-----------------------------------
明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。

Photo


維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
-----------------------------------
(引用終わり)

江戸時代中の日本人の職業構成比として、日本人の総人口の約8割から9割は、お百姓さんだったので、江戸時代以前の日本人の約8割から9割は、お金というものを知らなかった、ということがわかります。
そして、明治時代になって、時の為政者達が上記のように強制的に、日本にお金を使った経済システムを広げていったことがわかります。

そして、そのお金の原価とは、

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
-----------------------------------------
平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
-----------------------------------------
(引用終わり)

そして、上記のように、大変な安価で、お札を中央銀行で製造でき、かつ、その中央銀行の所有者というのは、

(Wikipediaより、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
--------------------------------------
●日本銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C

日本銀行は、政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立する。
資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資する。
2010年(平成22年)3月末日時点における政府以外の出資者の内訳は、個人35.9%、金融機関2.4%、公共団体等0.2%、証券会社-%、その他法人6.5%となっている[1]。

最終更新 2014年6月19日 (木) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
--------------------------------------
(引用終わり)

他のお金についての文献は、文末に紹介している『過去記事、関連記事、及び、参考文献』をご覧ください。

要は、お金を製造している人々が、この地球を支配できることに、人々は気が付くと思います。

/////////////////////////
/////////////////////////

このように、私達がお金という道具を使って彼等によって踊らされた結果、日用品の大量の作り過ぎという現象を生み出していると理解できると思います。

ですから、もともと、私達の社会に、お金という道具が存在しなかったら、日用品の大量の作り過ぎという現象は発生していなかったと予想出来ます。

この、お金というものが真の問題点だと言えると思います。

/////////////////////////
/////////////////////////

そして、読者の方々もうっすらと次のことを感じていると思うのですが、「お金という道具を使用すれば、多くの人々を強制労働させることが出来る」という点に気付くのではないかと思います。

上記のような流れがあって、ほとんどの人々が、お金無しでは日用品や生活必需品が手に入れられない世界を出現させられたわけです。
すると、そのような世界での、ほとんどの人々は、お金無しでは生きていけなくなるので、人々は、以下のように考え始めることでしょう。

  「お金が無ければ、私はみすぼらしい雰囲気をまといつつ死んでしまう。死ぬのは嫌だから、たとえ、私がどれほど嫌な職種であろうと、あるいは、他者が、どれほど私の望まない職種を、どんな形で私に強制労働させようと、その仕事をしなければ、私はお金を手に入れられないとあるならば、仕方なく、私は、その職種の下で嫌々ながらも労働するのだ」

と。

この状況ですと「雇用者の側とか、あるいは、大金持ちの人ならば、彼等以外の人々を、お金を使って命令的に強制労働させることが出来る」と、読者の方々も気が付いてくるでしょう。

雇用側の人の発言としては、次のようなものが考えられるでしょう。

  「(労働者に向かって)あなたは、お金が欲しいので、私の出す仕事を受けているのだろう。だから、私が、あなたに与える仕事が、どんなに苦しかろうと、あなたは黙って、その仕事を行う必要があるのだ。嫌なら辞めても良いんだよ。しかし、そうなったら、あなたの欲するところの、あなたの生存条件を維持するための、お金が手に入らなくなるんだよ。それが嫌なら、何も言わずに、私の与える仕事を、こなさないといけないよ」

と。

これが現代社会の状況となっているとわかるでしょう。
お金という道具を使った、暗黙の内の強制労働社会(資本主義社会)が出現したと言えるでしょう。
また、読者の方で、雇用する側の人がいたのならば、次のようなセリフが出てくることでしょう。

  「私は、イルミナティやカバールによって、イルミノイドにされようとしていた」

と。

よって、お金目当てで、人が労働する状況ならば、それは「人の持てる健やかな能力の発現の一つとして、仕事をする」とか、あるいは、「その人の内奥(ないおう)から、にじみ出てくる能力を、他者への奉仕の変換作業の一環として、仕事をする」という状況とは全く違っている、ということに、人は気が付くと思います。

時々、私は、イルミナティやカバールやレプティリアンのことを書いていますが、彼等は地球上の全ての人間を彼等の奴隷として扱い、全地球人に奴隷作業をさせたい、という意志があるので、それを実行する主要な実行作戦の一環として、お金という道具を全世界に配布して、常識化させれば、彼等の考えたような地球支配が実行できるわけです。

ですから、冒頭に挙げた「日用品の作り過ぎ」という問題を考えるに、さらに、その奥に存在している問題であるところの、お金の問題に行き当たり、さらに、そのお金を製造し、配布し、洗脳化している彼等、つまり、イルミナティやカバールやレプティリアンに、その問題の根源が寝ている、と言えると思います。

/////////////////////////
/////////////////////////

人によっては、数多くの衣服を所有するようになります。
例えば、衣服を使って、多彩な芸術表現を行いたいと願っている人々や、それらの衣服を製造する人達も、製造工程や衣服のデザインを研究しないといけないので、自然と多くの衣服を所有するようになります。

別に、衣服だけに限らず、例えば、本が好きな人ならば、やがて、数多くの本を所有したり、音楽に非常に興味のある人ならば自然とCDやDVDが増えることでしょう。

ですから、物品そのものを大量に所有すること自体は悪いことではないと思います。
その人の嗜好や興味の方向性等もありますので。

しかし、この私の書いた記事を読むのならば、今までとは、ちょっと違った方向で、物品を眺めるようになると思います。

例えば、「ブランドの衣服でも、これだと、もっと安価に大量に手に入れられる筈だ」とか「ブランドの衣服の方が素材も悪く、デザインも良くないのに、その衣服が高価なのはなぜか?」という疑問が生じてくるかと思います。

そして、その根(こん)をたどれば、やがて、読者の方々も、お金という道具の問題に気が付いてくると思います。
さらに、やがては、「お金という道具の問題点を解決していかねば」と考えてくるのではないかと思います。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
***************************************
***************************************
『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
-----------------------------------------
参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
-----------------------------------------
(引用終わり)

『二百五十三: News_No.298』
●「タイタニック号沈没」、「ケネディ暗殺」、背後にFRBの影
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no298-e74a.html
http://internetviking.at.webry.info/201107/article_8.html

以下の緑の文字の文章は、該当HPを読んで自分の書いた感想文の再掲載分。

詳細は、該当記事をご覧ください。
1963年6月4日 米国大統領J・F・ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令 第11110号が発令され、米国政府の公式に作ったお札が発行されました。
それは、2ドル札と5ドル札でした。

しかし、その後、大統領命令、第11110号の取り消しの無いまま、その米国政府が作った公式のお札が回収され、代わりに、大変よく似たFRBの印刷した大量のお札が、市場に出回りました。

▼2ドル札「政府発行券」

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▼2ドル札「FRB発行券」

137622983883613115762_2frb1_2

▼5ドル札「政府発行券」

13762298594671322128511

▼5ドル札「FRB発行券」

137622987167913221385_5frb11

===============================
(引用終わり)

『三百十九: イルミナティについて 』
●ジェイ・パーカーインタビュー①
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no35-53fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=W02bxSqtc-I



(太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)

●ジェイ・パーカー:
-----------------
字幕:「ジェイ・パーカー:どの様に3400万人の悪魔崇拝イルミナティアメリカ人達が地球を混乱させ続けるよう助けているのか。」

「イルミナティや他の闇のカルトネットワークはおそらく、9600BCの地球大変動にまで遡ります。」
「大変動の後に、地上の人類は衝撃と落胆の状態にありました。」
「私の調査からその特定の時代は、、、、闇のカルト信者達はインドやバビロンでの文明の再起動において、決めたのです。」

「地球全体を支配してもいい筈だとね。」

「人々を闇に閉じ込め続け、私達は基本的には邪悪な司祭職になり、そして彼等のマインドを支配するんです。」
「ですからその様にして彼等は神よりも金持ちになったのです。」
「そして一旦お金を持つと、政治家や王族を腐敗させる事が出来ますし、そして基本的にはゆっくりと社会を支配していく事ができるのです。」
-----------------
(引用終わり)


                                       坂本 誠

三千二百九十七:地球環境を美しくするための呼びかけ

こんばんわ。

時々、ボランティアで、海岸清掃をもしている私です。
よく巷でも、「海を汚さないように」と言われています。

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ですので、多くの人は、「海岸にゴミを放棄しなければ良いだろう」と思いがちでしょう。
現実に、海岸に放棄されているゴミの1割か、それ未満の割合のゴミは、海岸に訪れた人が放棄したゴミかもしれません。

しかし、海岸に打ち上げられているゴミの9割以上が、実は、内陸部で出されたゴミなのです。
なぜ、内陸部に出された、それらのゴミが、海岸に集まるかということをご説明します。

雨の日になると、雨によって、内陸部に放棄されたゴミが、集められ、主に河川に流されます。
そして、その河川の流れは最終的に、海に到達します。
よって、河川を通じて、内陸部のゴミが海に到達するので、海岸のゴミの9割以上が、内陸部で放棄されたゴミということになるのです。

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私が以前から不思議に思っていたことは、「雨の日の後に、海岸のゴミの量が異常に多くなる」ということでした。
その不思議をたどると、内陸部のゴミが雨によって、主に河川に流れ込み、その増水した河川のちからによって、海にまで、内陸部のゴミが流されている、ということがわかりました。

確かに、海岸にやって来て、ゴミを投棄することもいけないことです。

しかし、上にご説明したように、もし、海のゴミを増やしたくなければ、内陸部のゴミの放棄をも避けなければなりません。

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ですので、「海を綺麗にしたい」と願われる方ならば、都市部や居住区等でのゴミの投棄をも、無くすよう、呼びかけなければいけないことになります。

みなさん、どうか、都市部や居住区等でのゴミの投棄をも、なさらぬようにしてください。
御協力のほど、どうか、よろしくお願いいたします。


 

                                       坂本 誠

2018年10月 5日 (金)

三千二百九十六:四国の思い出_その二(独白)

■:石鎚の峰々の山水画

四国にいた時の、一番の思い出とは、石鎚山に行った時だった。
「石鎚山に行った」とは言っても、石鎚山に登山したわけではない。

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ある日、友人達と休暇を利用して、「レンタカーで、四国一周してみよう」と話が進んだ。
さっそく、何人かの友人達と、四国の松山へとハンドルを向けていた。
松山に赴く途中、石鎚スカイラインを走ることにする。

その時、ハンドルを握っていたのは私だった。
石鎚スカイラインを車で登って行くと、やはり、四国の雄大な山地と渓谷を抜けていくことになる。
ちょうど、山の尾根の上に当たる部分を、石鎚スカイラインが走っている。

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その、スカイラインの上を車で走るのだから、どこか、天上世界を走り抜けていく感覚だ。

車窓の遥か下には、面河渓(おもごけい)と言われる渓谷が広がっている。
石鎚山の切り立った山肌に、その渓谷が刻まれているのだが、緑に覆われているので、荒々しさが和らいでいる。

その景色は、中国の山水画そのものだった。
中国大陸には、深山幽谷で名を知られている桂林(クゥイリン)や黄山(ファンサン)のような土地がある。
だから、古来より、中国の山水画の題材として、それらの深山幽谷の眺めが描かれている。

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石鎚山系の、それらの幽谷は、中国の山水画そのものだった。
だから、この石鎚の山に訪れた際には、「中国大陸を探訪せずして、山水画の原画風景の雄大さを自分の眼で見ることが出来た」と感慨に耽ったものだった。
また、「このような風景も日本にはあるのだ」と、改めて、日本再発見をした一時でもあった。
車中で、隣に座っている友人達も感嘆の声を上げていた。

他の人も一目見て、正直に「絶景だ」とか「凄い」等の感嘆の声を上げると思う。

(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『石鎚山』の3枚。4枚目は『面河渓』)

当時の石鎚スカイラインの最終地点は「土小屋」と呼ばれる地点であり、何かの家屋が建っていたと記憶している。

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また、その地点に小規模ながらの駐車場もあった。
その駐車場から、石鎚の山頂に向かう登山客もいるのだろう。

その駐車場で休憩すべく、車を降りると、いきなり、寒かった。
夏場に四国一周のドライブをしたのだけど、石鎚の山は、標高1,982mなので、ふもとの松山市や西条市の気温よりも約10度も低い。
石鎚山系は、亜高山地帯であることでも知られている。
夏場の服装がいたく応えたことを記憶している。

友人達と眼下に広がる、山水画の原画、つまり、石鎚の山々と面河渓の連なりを見とれていた。
そして、「いつの日か、再び、ここに訪れてみたい」と秘かに願っていた。

しかし、これを書いている今現在、この願いは未だ実現していない。

■:四国の山への登山

四国の自然は、主に山の力が作り上げている。
これは、この旅行記中で記述済みだ。

私の訪れていた学校の体育にも、集中講義が幾つかあった。
集中して幾つかの講義を受講すれば、多めの単位を取れる。
私も集中講義を受ける際に、それらを選択することになる。
その内の一つに、登山があった。

旅行気分も兼ねつつ、多めの単位を取得し、また同時に、四国の山々にも遊ぶため、登山を選択した。
平野部をマイクロバスが抜けると、いきなりの急勾配となり、マイクロバスはその道をつたって山に向かう。

途中、仁淀川(によどがわ)の側をマイクロバスが抜けることになる。
仁淀川の水は青々としていた。

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(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『仁淀川』)

(四国の河川は青々としていたり、あるいは、緑の色で染まっていることが多い。これらの河川の清澄さも、四国の地形によって生み出されている。一般に、急な傾斜の多い土地だったり、山々の多い場所を抜ける河川というのは、自然の自浄作用が働く。よって、河川の清澄さが保たれる。後述する四万十川のように、四国には清流が多いことでも知られている。「四万十川の水は、そのまま、すくって飲むことが出来る」と言われるほどである。ただし、私が四万十の流れに触れた時には、その水をすくって飲まなかったけど。)

仁淀川の渓谷を遡り、一行は、寒風山(かんぷうざん)隧道の脇で、登山用リュックサックを降ろした。

(この原稿を書いている今では、寒風山の真下に「寒風山トンネル」という新しいトンネルが開通済みである。しかし、私が四国にいた頃には、「寒風山トンネル」は存在していなかった。現在の「寒風山トンネル」の遥か上方に位置する、旧道とされている「寒風山隧道」という名の、旧トンネルしか存在していなかった。)

ここにテントを張り、翌日の登山のため、遥か下方に土佐の街の灯を眺めつつ、就寝した。

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翌朝の登山では、寒風山と笹ヶ峰(ささがみね)に登ることになる。
快晴だった。
寒風山隧道のすぐ脇から登山道が始まっているのだけど、やはり、かなりの急傾斜だったことを覚えている。
一行の中には、四国育ちの人もいて、その人は四国の山の険しさを知っていた。
しかし、四国以外の人には、これらの山の険しさを味わうのは、ちょっと驚きだったようだ。

■:四国山地の尾根

地図で見ると、四国山地の尾根は、ずっと一筆書きのように連なっていることがわかる。
四国山地の尾根に出るまでは、一般に急な傾斜を登らないといけないことも多いが、尾根の上は一続きに連なっているので、尾根の上を移動する際には、あまり苦しくないように感じる。

だから、四国山地の山の上、つまり、尾根の世界は、麓とは違った世界が広がっているように感じた。
切り立った断崖絶壁の上に、一つのなだらかな世界がある。
一つの別世界のように感じた。
古来より、山の上には天狗や仙人が住むという。
そのような雰囲気を感じた。

石鎚山の写真を見てもわかるように、四国山地の尾根の下には、断崖絶壁が広がっていることが多い。
寒風山とは逆方向の伊予富士(いよふじ)に向かう登山道も尾根の上に続いていた。
しかし、その尾根沿いの道の直下には断崖絶壁もある。
また、自然の雨風のちからや、地球の地殻直下から、四国山地を盛り上げようとするちからが、いまだに働いているため、その断崖は、今でも、いよいよもって鋭くなるばかり。
よって、断崖も少しずつ崩壊しているので、その尾根沿いの登山道を歩くことは、ほぼ禁止されていた。

おそらく、様々な土地の、様々な峰々には、それなりの個性というものも形成されるように思う。
だから、四国の山並みの個性というものを挙げるとするならば、「雄大さ」とか「厳かさ」とか、そのようなものだろうか。

四国の土地が古来より霊場扱いされてきたのも、うなずけるような気がする。

■:寒風山山頂と笹ヶ峰(ささがみね)山頂

まず、寒風山山頂を極めた。
山頂近辺になると、崖をアタックしているようなものだった。
かなりのアップダウンのある登山道を登って、その頂きを極めた。

私は登山していないのだけど、石鎚山も、かなりの急傾斜があることで知られている。
だから、石鎚山山頂には、巨大な鎖が設置されてあり、登山者達は、その鎖をたどって、山頂を極めるそうだ。
しかし、私が登山した寒風山には、そのような鎖は設置されていなかった。

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(右の写真は『Mt.Kanpuzan2 - 寒風山 (高知県・愛媛県) - Wikipedia』からの寒風山)

寒風山を抜けて、笹ヶ峰に向かう。
この笹ヶ峰というのは名前からも連想できるように、山頂が笹で覆われている。

よって、急傾斜は無く、なだらかな山肌を歩み、あたかも笹に手を誘われるように感じながらも、岳人達は笹ヶ峰の、その山頂を極めることになる。
しかし、この笹ヶ峰も高峰であり、標高1,859mの亜高山地帯である。

一般に、高山と言えども、なだらかな山である場合には、なぜか、その標高を低いように感じる。
しかし、低い山と言えども、傾斜が急な山である場合には、なぜか、その標高を高いように感じる。
このように感じるのは、私一人だけだろうか。
笹ヶ峰を極める時、どこか、なだらかな牧場に躍り出たような感覚を味わいながらも、山頂に立った。

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(右の写真は『Iyohuzi0ɜ - 笹ヶ峰 - Wikipedia』からの笹ヶ峰)

北を見ると、瀬戸内海が広がっている。
南を見ると、遥か向こうに土佐湾が広がっている。
北方の、瀬戸内海は、眼下の真下に広がっているように見える。
しかし、南方に存在する土佐湾に至るまでは、深い山裾(やますそ)が広がっている。

そのような光景を堪能しつつ、笹ヶ峰山頂近辺の笹の草原の上で、皆で弁当を広げた。

四国の山を、本当に、自分の足で味わったのは、これが最初で最後であった。
しかし、地球内部のエネルギーを感じるには、十分な登山であった。

(続く)

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-e767.html


                                       坂本 誠

2018年10月 1日 (月)

三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)

■はじめに:

もう20年以上も前のことだけど、四国に居住していたことがある。
思い出話を、あたかも自分自身に、ぼそぼそと語るかのようにして書くには、「です・ます調」でなく独白調の方がよく似合う。

旅行とか探訪といった短期間の滞在では無く、長期間における滞在だったから、「居住」と言っても、さしつかえないものだった。

■四国の峰々:

ゆえあって、四国に居住することになったのが、初めて、四国の地に訪れた、その最初の日に驚いたことがあった。
JRの瀬戸大橋線をまたぐと、そこが四国の地の香川県だった。

しばらく、列車の振動の作り出す、ゆりかごに揺られ、ウトウトとしつつも、深い山並みに入って行く。
あっという間に、列車の両側の山並みが険しくなり始める。
徳島県の大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)のような、切り立った断崖絶壁の中を、吉野川(よしのがわ)が流れていた。
その吉野川の脇を、土讃線が通り抜けていく。

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(右の写真はWikipediaからの『大歩危峡』)

生まれて始めて見る程の断崖絶壁だった。

ここで初めてわかったのだが、四国は海に囲まれているから海国のように思えるけれど、実際は山国なのだ。

また、後にも知ったのだけど、四国は全体的に山が高いので、「深山幽谷(しんざんゆうこく)」という表現が似合う。

■地球内部のちからと四国の形成:

どうして、こんな山場が出来るのかというと、これが地球の活動による。
地球上の「プレート」と呼ばれる大陸の棚が沈み込む場所は海溝となる。
その海溝に、大陸棚が沈み込むのだけど、大陸棚自体が岩盤なので、引き込まれる際には、「引き込まれたくない」というちからが働くので、その反作用の結果、たいていの場合、地球の大規模な海溝近辺には、大山脈が形成される。

例えば、ロッキー山脈とかアンデス山脈だ。
日本列島も同じであり、日本海溝に大陸棚が落ち込む、ちからの反作用の結果として、日本列島が形成された。
そして、特に、反作用の力が強い場所として、四国山地とか紀伊山地とか三陸海岸沿いの北上高地が形成されている。
これらの山地は、高い峰々が聳えている。

四国山地の切り立った高山・断崖絶壁は、地球の海溝沿いの土地のちからによって形成された。

だから、地球内部の巨大なちからを体感したい人が、四国山地を訪れるのも良いかもしれない。
ちょうど、ロッキー山脈の近辺のグランド・キャニオンとか、アンデスの高峰を望むのと似た雰囲気を味わえるかと思う。

(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『石鎚山』)

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■車窓から見た南国土佐の光景:

そのような峰々を車窓の上方部に見ながら、初めて、四国に訪れた私は、太平洋沿いの都市に向かっていた。

深山幽谷の風景をトンネルに見立てつつも、それらを列車が縫うように抜けると、そこは南国だった。
車窓から外を眺めると、時折、南国土佐の平野と土佐湾が見え隠れしている。

南国土佐を前にして、土讃線の列車が、峰々の上から、滑空を始めたグライダーのような感覚で、標高を下げていく。
昔風に表現するのならば、山を舞う鳥のトビ達が、獲物目がけて、山肌に沿って、ふもとに舞い降りるかのようなものだ。

列車のスピードで、かなりの標高差を縮めると、飛行機の着陸と離陸の時に、人もよく経験する、耳鳴りを感じる。
かなりの標高差を一気に縮めると、耳の鼓膜の内側と外側では気圧の差が生じるので、耳鳴りが生じる。
つまり、それほど、四国の峰々は高い。

日本の他の土地での、列車の旅で、このような経験を味わうのは、少ないことかと思う。

(同じようなことは、愛媛県側でもある。後に知ったことだが、久万高原の三坂峠から、松山市に向かう際にはバスや自動車を使うわけだが、この三坂峠から遥か下方に松山の街の灯を眺めながら、山頂から滑空するグライダーのような感覚で、標高を下げていく。)

そのような険しい高峰達を四国の土地の内に内蔵しているので、四国は古来より霊場とされたのかもしれない。
深山幽谷の土地の雰囲気と霊場の雰囲気は似ている。

始めて、四国に足を踏み入れて、その後、何年間か居住するために、旅装(りょそう)を解いた。

                   (続く)


 

                                       坂本 誠

2018年9月22日 (土)

三千二百九十四:ルール作りを考えてみて(追伸)

こんばんわ。
今日は、二つ目の記事です。

三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』の追伸記事です。

前段では、「憲法とか法律とかのルールそのものが、それほど重要なのか」という疑問の下にエッセイを書いてみました。

書き終えた後で、さらに続きを考えていたのですが、前段中の記事について新たに思いついたことがありました。

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大日本帝国憲法でも良いし、日本国憲法でも良いのですが、それらの憲法が制定された後に、なぜかわかりませんが、国を挙げての祝賀会が開かれているのに気が付きます。

小学校の教科書だったか、中学校の教科書だったかは忘れたのですが、憲法が制定された後、「それを祝う」という視点からか、どこかの数人の日本国民が万歳三唱をしている写真が掲載されていました。

学校の教科書でなくとも、どこかのテレビの歴史番組での戦後を語ったものの中で、何人かの日本国民が万歳三唱をしているシーンを、このブログの読者の方々も見た記憶があるかと思います。

無ければ、大日本帝国憲法の制定時のものでもかまいません。

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それらの写真や、シーンを見て以下の疑問を得たのですが、

  「万歳三唱を実行している何人かの日本人は心底から、それらの憲法制定を祝っているのだろうか?」

という疑問です。

その当時の役所の役人か、その当時の新聞社の社員達から呼びかけられて、彼等は万歳三唱を実行していたように、今現在の私には感じられるのです。

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なんとならば、かなりうまい組み合わせの元に、写真が撮影されているようです。
また、白黒フィルムの8ミリ動画で、あたかも、その場に居合わせた、万歳三唱を実行している、何人かの日本人が撮影されているように感じられるのです。

ちょうど、その場に、その当時の役所の役人か、その当時の新聞社の社員達が存在していて、うまいタイミングの下で、何人かの日本人の万歳三唱が撮影されているわけです。

憲法制定の祝賀会が開かれて、その祝賀会に、何人かの日本人が呼ばれた後、その当時の役所の役人が、その、何人かの日本人に以下のように呼びかけたのではないでしょうか。

  「やれ、我が国の憲法が制定されたので、今日は、めでたい日だ。あなたがたは日本人だ。だから無条件で、この憲法制定を祝った方が良いでしょう。従って、私が、あなたがたの万歳三唱を実行している光景を撮影して、その写真や動画を末永く、後世の日本に残したい。だから、あなたがたはカメラの前で、万歳三唱を実行して頂けないでしょうか?」

のような、役人の呼びかけがあったかもしれません。

この呼びかけによって、何人かの日本人も、

  「そうか。憲法が制定されて、私達は、それが、どのように私達に恩恵をもたらすかのシステムの構成を理解できないが、とにかく、考えるよりも先に、私達は、この憲法制定を祝った方が良いのではないだろうか。目の前にいる役所の職人の勧めのように」

という感じで、深くじっくりと考えた上での同意があって、つまり、何人かの日本人の心底なる祝いと幸福の気持ちによって、憲法制定時の万歳三唱を実行したようには、私には、あまり見受けないように感じるのですが、、、

この私の疑問を解消できるような新資料が出てくれば良いな、と感じています。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/_no1-824d.html


                                       坂本 誠

三千二百九十三:続・私達の本来の政治システムである「直接民主制」について

こんばんわ。

政治的な話題が続いていますので、続けて、政治的な話題をしてみます。
文末の『過去記事』にもあるように、時々、私は政治システムの一つである「直接民主制」の話題をしています。

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簡単に書いておきますと、民主主義政治システムの本来の姿が「直接民主制」と呼ばれているものです。
この「直接民主制」とは、「全ての国民が政治に参加して、話し合い、全ての国民によって、政治を決める」というものです。
これが本来の民主主義の政治なのです。

ところが、この民主主義政治は始まったのは、近代のヨーロッパとされていますが、その当時では、科学技術の発達がまだ足りなかったので、この「直接民主制」が実行できませんでした。
従って、当時、仕方なく、考え出されたのが、「代表民主主義」というシステムです。
これが、今現在、私達がよく見かけている、「何人かの議員を選んで、その議員を一定の場所に行ってもらって、代表者で話し合ってもらい、政治を決めてもらう」というものです。

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しかし、時代は進みました。

科学技術が進んだ結果、通信網が発達しました。
ですので、時々、私達が見かけるのですが、何とかアイドル・グループの、何とか総選挙というものが実施されているのを見かけることが出来ます。

つまり、インターネットを使用して、人々は遠距離にいる人とも会議が出来るし、全国的に一斉に投票出来る時代となりました。

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これらの文章を書いただけで、読者の方々も気づかれると思うのですが、何かのルール作成においても、インターネットを使用した投票システムによって、理論上、全ての国民の投票により、法律が作成できることがわかるでしょう。

また、日本の遠距離に離れた人とも、インターネットを使用したテレビ電話会議システムとでも呼ぶべきシステムによって、充分に、遠距離の人とも、また、多数の人間とも会議が出来ることが知られています。

つまり、理論上、民主主義政治システムの本来の姿である「直接民主制」が、実行可能な環境になったことがわかります。

従って、ある人々は同時に気付くでしょうが、日本の例で言うならば、衆議院や参議院が不要となります。
また、選挙管理委員会すらも不要となります。
会議そのものも、ネットのテレビ電話会議システムを使用すれば、それで足りるので、全国の巨大会議場を維持する必要も無くなるのに気が付くでしょう。
会議を行いたい人達ですらも、車を使ってまで、会議場に移動せず、自宅のパソコンを使えば、それで足りることに気が付くでしょう。

ですから、あっさり言ってしまえば、その「直接民主制」に反対したり、あるいは、現在の通信環境に反対する人々も出てくることでしょう。

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ですから、IT会社の方々が、私のこの記事を読むとするのならば、

  「坂本さん、大規模なIT投票システムが必要となるのではないでしょうか?」

という質問が出るかと思います。

私も以前は、そう思っていたのですが、実は、既に開発・配布済みであることに気が付きました。

それは、日本の各家庭のお茶の間に存在しているデジタル・テレビです。

デジタル・テレビは、双方向通信機能を備えていましたね(右の写真は自宅のテレビ、東芝『REGZA』のリモコン)。

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わかりやすく書きましょう。

年末の歌番組の一つである、NHKの『紅白歌合戦』で、例えば、「あなたは男の組が勝ったと思うのならば、白のボタンを。あるいは、女の組が勝ったと思うのならば、赤のボタンを押してください」という指示付きで、誘導された結果、そのボタンを押された結果が、ほとんど瞬時に、テレビ画面の上に出力されているのに気が付くと思います。

つまり、私達が以前、買わされたデジタル・テレビが、投票システムに早変わりすることがわかります。

わずかながらのカスタマイズが必要かもしれませんが、テレビの画面上に出ている司会者のような人が、上手い誘導を行えば、何のカスタマイズも無しに、無事に投票が終了するかもしれません。
当然ながら、「そのデジタル・テレビの双方向通信システムによって、何らかの法律を、ほぼ国民の全ての手によって決定することが出来る」と気付くでしょう。

あとは、「この各家庭に配布済みであるところの、このデジタル・テレビを使用して、いつ、直接民主制が開始されるだろうか」という時期的な問題が残されていることになります。

私達は、直接民主主義の到来する時代のために、過去、そのテレビが不要な方でも、デジタル・テレビを購入させられていたのかもしれません。

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結局、私達が見かけている「代表民主主義」というのは、全国民の意見の集計業務を実行しているシステムなのです。
ですから、コンピューターで、この集計業務を代行すれば、「直接民主主義が実行可能である」とわかるわけです。

また、これは巷で囁かれている噂の「AIが人間の政治意志を奪っている」というものでは無いことがわかるでしょう。
なんとならば、このコンピューターを使った「直接民主主義」システムというのは、全国民の意志の集計業務を行っているだけですので。

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また、巷で囁かれている話題の一つに、「AIが人間の仕事を奪う(代行する)」という、こちらの方は事実である、とわかるでしょう。

なぜならば、このコンピューターを使った投票による直接民主主義が実行されれば、今までに全国民の代表とされた選出者の業務も代行されてしまいますし、選挙管理委員会もそうだとわかりますね。
また、現行の政治システムに絡んだ様々な人も、その仕事を代行されてしまうことがわかるでしょう。

あっさりと書いてしまったのですが、オブラートにくるんで書いても仕方無いところでしょう。

なんとならば、このように、「ほぼ本来の民主主義政治であるところの、直接民主主義が実行可能となった科学の世界が到来した」と書いても、「それに反対する人もいるのではないでしょうか」と書いた方が、人々は、そちらの方が現実を把握しやすくなるからです。

正確に書くのならば、権力とかお金を好む人達によって、直接民主主義が反対されるため、本来の民主主義の実行が阻まれてしまう、というわけです。
正確に、正直に書いた方が、人の理解も得やすくなるし、また、真っ直ぐに前に進むこともできるでしょう。

また、このような状況になってくると、ベーシック・インカムの導入もあっても良いかと思います。

(あとは余談的に書くのですが、もし、直接民主主義システムが実行され始めたとしても、「新しいルールを作ろう。新しい決まり事を作ろう」と言ってくる人は少なくなるのではないのか、と私見では見ています。これの理由を以下に書きます。小学校のホームルームの時に、ある児童がいたと仮定して、その児童が、あまりにも、「あのルールを作ろう。このルールを作ろう」と言って来ると、その児童は他の児童達から煙たがられて、嫌われている筈です。それと同じ理由で、直接民主主義システムが実行され始めたとしても、あまりにも、「あのルールを作ろう。このルールを作ろう」と言って来る人は少ないのではないかと見ています。)


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/_no1-824d.html

『三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/post-6474.html

『三千五十七:民主主義と代議士の関係を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/post-714a.html


                                       坂本 誠

2018年9月21日 (金)

三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1

こんばんわ。

昨今、巷で話題を耳にする憲法とかルールの事を書いてみたいと思います。

「憲法」というのも、ルールの一種であることは言うまでもありません。
ですから、基本的には、私達の身近に見られる例を題材に挙げて考えることが出来ます。

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例えば、現在でも、小学校のホームルームの時間で、そのクラス内の決まり事を決めることがあるでしょうか。

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その「決まり事」もルールだと言えます。

そのホームルームの時間に誰かが、「私達のクラス内だと、私がこれから述べる何々のルールが必要になるかと思います」と発言して、クラス内でのルール作成を行おうとしていると仮定しましょう。

すると、そのクラス内の小学生の間で議論が交わされるでしょう。
例えば、ある生徒ならば、

  「私達は、そんなルールを必要だと思いません

というような反論も起こるでしょう。

しかし、そのルールを作成したい生徒としては、彼(あるいは彼女)が必要だからこそ、そのルールをクラス全員に認めてもらいたいことがわかります。

そして、ホームルームの時間内で、生徒達の会議の結果、「そのようなルールが私達のクラスに必要だとは思いません」という生徒が多数となれば、そのルールは却下されることになります。

さらに、「これそれのことをルールとしたい」として議題に挙げられたので、そのルールを作成したい側の生徒としては、

  「このルール作りの会議に長時間を取るわけにはいかないだろうから、これそれまでの時間に、多数決を取りたい」

と言ってくるかもしれません。

しかし、そのようなルールを欲しない生徒の側としては、

  「私達としては、そのようなルールを必要とは思わないので、時間を区切ってまで、早々と決める必要も無いと思います。ですから、このクラス内の全ての人が納得するまで、無期限で、議論を続けても良いのではないでしょうか?

という意見も出せるか思います。

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ですが、上の例をそのまま続けて、そのルールを作成したいために発案した、生徒の側からすれば、

  「ルール作りというものは非常に大事なものだから、時間を区切って(どこかの会議で見られるような強行採決のように)、私達はキチンと決めるべきなのです」

と言ってくるかもしれません。

ここで、私達は上に挙げた例え話から離れてみましょう。

そして、ここで一旦深呼吸して冷静になって、次の疑問を考えてみましょう。

  「私達はルールというものが非常に大事だと生まれた時から言われ続けてきたが、『ルールは非常に大事だ』という根拠は、どこから発生したのだろうか?

と。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2』に続く)


三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』の続き)

ここから、私達の現実に起こったことを、おさらいしてみましょう。
わかりやすく例として日本のことを挙げてみましょう。

現在の『日本国憲法』の前身である『大日本帝国憲法』は、多くの人が知るように、明治時代になって発布されました。

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それ以前の江戸時代以前には、憲法に相当するルールが、日本の人々に適用されていませんでした。

もちろん、飛鳥時代に聖徳太子が定めた『17条の憲法』ならば、ありましたが、この飛鳥時代というのは、この原稿を書いている現在(2018年)からみて、約1500年も前の時代のものでした。
その、約1500年もの時代の間、この『17条の憲法』は、人々の間で忘れられていたので、この『17条の憲法』の効力というのは、実は、有って無きが如しのようなものでした。
だからこそ、日本の戦国時代とか、武家政権が成り立っていたわけです。

ところが、明治政府が立って以来、その政府が欧米諸国のような政治スタイルを模倣することに決めた結果、欧米諸国のようなルール作りのシステムも模倣することになりました。

『憲法』という単語の英単語は『CONSTITUTION』と言います。
この『CONSTITUTION』という英単語は、「政体、機構、憲法、国憲」とされています(研究社、『新英和中辞典 三訂版』からの引用)。

明治時代が明けて、すぐの頃は、様々な外来語を日本語に当てる作業の時代も続きました。
ですから、明治時代初頭の頃の語学者達(福沢諭吉など)は、様々に見知らぬ英単語を、日本語に置き換えていきました。

その内の一つで、「『CONSTITUTION』という英単語をどう訳すか?」という問題も発生して来たと思います。

『law』という英単語も『法律』というものに定着させたことでしょう。
しかし、この『CONSTITUTION』という英単語を理解するのは、ちょっと難しかったと思います。

なぜならば、『CONSTITUTION』という英単語を、じっくりと調べると、「多くの法律の上位の存在」だとわかります。
ですから、『CONSTITUTION』という英単語を、『法律』という日本単語に置き換えるわけにはいきません。

ですから、「法律の上に存在する決まり事」という手合のルールを意味する日本の単語を持って来ないといけません。

なので、この手合いのルールを、日本史上から丹念に探し出してみると、「日本の飛鳥時代の政治家が提唱した『17条の憲法』等が、これに相当するのではないか?」となるでしょう。

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ですから、明治時代初頭の頃の語学者達は、『CONSTITUTION』という英単語を『憲法』という単語に当てたのではないかと、私は考えています。

そして、明治時代初頭の頃には、多くの日本人に忘れられており、適用も効力もなされていなかった、『17条の憲法』ですが、都合の良いことに、明治時代初頭の頃に、

  「憲法というルールを復活させよう」

という動きに、かなり有利に利用できることがわかるでしょう。

なぜならば、かなり昔の日本の政治家が提唱したルールである『17条の憲法』ですが、さらに都合の良いことに、それを提唱した聖徳太子は皇族の一人であった事実も有利に使用できるからです。
王政復古の号令をかけた明治政府としては。

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確かに、聖徳太子は、かなり人望の厚い政治家としても知られておりますので、彼の提唱した「『17条の憲法』が悪いものだ」とは言いません。

しかし、時の明治政府の役人達とすれば、約1500年もの間、忘れられていた「憲法というルールを復活させよう」と言うのだから、当時の多くの日本人達に、かなり強い説得力のある根拠を見せる必要があります。

「『17条の憲法』が悪いものだ」とは言いませんが、約1500年もの間、忘れられていた制度を復活させるには、このような、

  「約1500年も昔の人望の厚い政治家が提唱したルールだ。かつ、彼は皇族の一人であった」

と、当時の多くの日本人に説得混じりの発言を続ければ、それなりに多くの日本人達が、当時の『大日本帝国憲法』を受け入れたかもしれません。

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実際には、この手の「ルール」というものは、冒頭に挙げた小学校の例でもわかるように、「ルールというものは、全ての人が認めるからこそ、そのルールは効力を発揮できる」と私達にわかるわけです。

なので、『大日本帝国憲法』を制定した側の明治政府の役人達から見ると、

  「日本人全員が、この大日本帝国憲法に熱烈な支持をして、かつ、認めたのだ」

と、いかにも、大声で言う必要があります。

実際には、当時の大日本帝国憲法の制定に反対していた日本人も多いかもしれません。

例えば、義務教育であるところの小学校教育が始まったのですが、それらの小学校の生徒達は、「学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいた児童達もいたかもしれません。

これは、現在の小学校でも同じだとわかります。
現在の小学校の生徒達の内でも、「私達は学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいる児童達がいることが知られているからです。

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しかし、明治時代の当時の為政者達からすれば、何としてでも、「この大日本帝国憲法に、全ての日本人の熱烈なまでの支持と認可あり」と声高に言う必要があるので、何としてでも、それなりのものを、大いに多くの人々に見せる必要があります。

その結果が、例えば、当時の、大日本帝国憲法の制定による、国を挙げての祝い事とかセレモニーとか、あるいは、現在の憲法記念日と同じような、祝日の制定とかになるでしょうか。

憲法記念日を祝日として制定すると、それなりの多くの日本人は、

  「あ~、今日は休日だから、有難い。だからこそ、憲法記念日は大事なものであり、更には、その奥に位置している憲法とは非常に素晴らしいものだ」

という認識が、多くの日本人の心に植え付けられると思います。

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ですから、いかにも「憲法制定は、これは国を挙げての一大イベント(祝い事)だ」とか「だからこそ、国民の休日に位置づけされるぐらいの祝い事なのだ」と、全役所を挙げて、祝い事を見せていれば、かなり多くの人々が「憲法というルールは非常に大事なものなのだ」という認識を植え付けられることになります。

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また、それに合わせて、歴史の教科書とかに以下のような文章を載せるわけです。
「大日本帝国憲法が定められて、多くの日本人は幸福に思った」とか「大日本帝国憲法が定められた直後に、日本の各地で様々なイベントが行われて、多くの日本人は、それを祝った」とか。

こうしておくと、後世の日本人は、その教科書を読みますので、いかにも、その教科書を読んだ後世の日本人は「憲法というものは非常に大事なのだ」という認識を植え付けられることになります。

先に書いたことを再び書くのですが、義務教育であるところの小学校教育が始まったのですが、実際には、それらの小学校の生徒達は「学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいた児童達もいたことでしょう。

こうなりますと、単に「大日本帝国憲法の制定に反対していた多くの日本人がいたのだ」となってくるでしょう。

ですから、私が思いますに、この点において、明治時代当初の為政者達の心理操作は、多くの日本人に対して、かなり成功を納めたのではないかと思います。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.3』に続く)


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