2018年5月20日 (日)

三千二百五十七: 忍耐強さとか我慢強さと言われているものを考えてみて

こんばんわ。

「忍耐強さ」とか「我慢強さ」と言われているものについて、自分なりの見解を書いて見ることにします。

「忍耐強い」とか「我慢強い」と言われていることは、私から見ると、そんなに美徳には感じません。

ちょっとした会話文を想定して、話題を進めてみたいと思います。

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●ある大人:
「君って、我慢強いのねえ。忍耐力が付くよ」

■ある子供:
「うん。僕って我慢強い、強い子だよ」
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上のような会話があったとしましょう。
だいたい、上のような会話は、どこでも、ありふれて聞いたことがあるかもしれません。

しかし、「忍耐強い」とか「我慢強い」という精神状態を、一緒によく考えてみましょう。
「忍耐強い」とか「我慢強い」という精神状態が起こっている、という状況は、その人の何らかの環境や境遇の状態について、その人がぐっと耐えている、と言うことになります。

ですから、その人の心の奥底の状態というのは、「本来、私がいる環境は、ここでは無い」と言っていることになります。

何とならば、何らかの困難な状況や、苦痛の状況が、その人に訪れているからこそ、その人には、「忍耐強い」とか「我慢強い」という状態が発生しているからです。

ですから、この状態だと「現在、その人に困難な状況や、苦痛の状況が訪れている」ということで、「現在、その人は不幸な状態にある」と、私達に理解できます。

そして、全ての人にとってそうですが、

  「現在、私は不幸な状態にあるけれど、その環境から逃れられない(あるいは逃れる手段が無い、あるいは、逃げたいという志が無い)からこそ、私は、現在の、この不幸で苦痛の環境に対して、忍耐・我慢している」

ということになる筈です。

ですから、例えば、

  「私は、この環境に対して、非常に我慢強い・忍耐強い」

という言葉の裏を返せば、

  「私は、この環境を非常に嫌っています」

と言い直せることに私達は気が付きます。

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ですから、冒頭に挙げた会話文も、私が説明した視点から書き換えてみると、以下のようにも書き直せるでしょう。

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●ある大人:
「君って、今、非常に苦痛の状態や環境にいるのねえ。大丈夫?」

■ある子供:
「うん。今、僕は、非常に苦痛を感じる環境にいます。心身のバランスが保てるかどうかはわかりません」
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と。

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一般的に言えば、私達は幸福を求める存在です。

ですから、「忍耐強さとか我慢強さを欲する」というのならば、それだけで、苦痛の環境にいることになるのだから、その人は、不幸の状態にいることになります。

ですから、たいていの人が「あなたが不幸の状態になることをお薦めします」というのは、ほとんどが無い話であろうかと思います。

なので、「我慢強い人間に、おなりなさい」とか「忍耐強い人間に、おなりなさい」という人は、その言葉を語りかけている人に対して、「あなたは不幸に、おなりなさい」と言っているのと同じになります。

ですから、「忍耐強い人間に、おなりなさい」と言ってくる人に対しては、私達は注意深くなる必要があるのではないでしょうか。

なんとならば、その言葉を言ってくる人に、どこかしら、「あなたに苦痛の環境を持って来て、あげましょう」というニュアンスが感じられるので。

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確かに、私達も生きていて、何らかの我慢とか忍耐を強いられたことはあると思います。

しかし、意図的に、我慢強さや忍耐強さを求めるとなると、そのような状態は、例えば、滝に打たれる滝行とか、荒行・難行を心身に与える行為となってくると思います。

こうなってくると、周囲の人が見て、「その人は、自ら不幸の環境を望んでいる」となるでしょう。

また、そのような荒行・難行を求める人は、自身の忍耐強さと我慢強さを得ようとしているのでしょう。

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宗教者の間では、そのような受難礼賛(じゅなんらいさん)を尊ぶ環境があったと聞いています。

このような方々の心底には、「苦痛が自らを清めたり、高めたりするだろう。その苦痛に清められた結果、私は、より高尚(あるいは幸福)になるだろう」という思いがあるようです。

この記事の冒頭からの流れを含めれば、「苦痛を経験することによって、私は忍耐強さを手に入れることが出来るのだ」と言えるでしょうか。

色んな人がいて、どのような方向を目指して歩くのかは、それぞれ各人の自由ですから、そのような方向を歩んでも、良いとは言えるのでしょう。

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しかし、読者の中には、上記のような受難礼賛の精神の中に矛盾を見い出していると思います。

なぜならば、上に書いたような受難礼賛を尊ぶ人は、常に、その人にとっての不幸な環境を望んで、選択していることがわかります。

彼(あるいは彼女)自身は、それらの不幸環境を入手し続けることにより、彼自身に何らかの得を掴めると思って、その不幸環境を選択し続けているのですが、いつまで経っても、その人が、彼自身に満足する何かを得ることは無いことが、私達にわかります。

なぜならば、その人自体は、常に不幸環境や苦痛環境を選択・入手しているでしょう。
ですから、もし、彼自身が、彼にとって満足する何かを得られたとしたら、それ自体が、「彼は常に不幸環境や苦痛環境を選択・入手している」という状態では無くなります。
つまり、矛盾してくるからです。

もうちょっと、詳しく説明して、二度ばかりまで書いてみると、彼自身は苦痛・不幸環境を求め続けることによって、彼自身を満足させるであろう、何らかの得点ポイントや得点状況を、どこかしら、なにかしら、得られる筈です。
しかし、既に、その状態というのは、彼にとっては、一つの幸福状態となります。

しかし、彼自身としては、その、なにかしらの幸福を手に入れるためには、ずっと、彼の認識している不幸・苦痛状態を手に入れ続けないといけないので、つまり、彼は世の終わりまで不幸・苦痛状態が続くことになります。

そして、もし、仮に、彼が、彼の続けていた不幸・苦痛状態から、何らかの得点ポイントや得点状況を手に入れたとしたら、それは彼にとっての幸福状態となりますので、彼の目指している、「常に不幸・苦痛環境を得続けよう」という目的が失敗するわけです。

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上の状態の矛盾を解消するためには、次の考えが必要となって来るでしょう。
つまり、

  「その人にとっては、不幸・苦痛こそが、彼の幸福なのだ」

と。

しかし、私達は次のことがわかるでしょう。

  「彼自身は、彼なりの不幸・苦痛状況を得ようとしている。つまり、それは彼にとっては、相変わらずの不幸・苦痛状況であるから、彼は永遠に幸福を掴むことは出来ない」

と。

つまり、、、この手の矛盾を解消するのは、、、やっぱり、無理です。

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つまり、私としては、ここまで説明を書かせて頂いたのですが、要は、

  「我慢強さや忍耐強さを求める狙いや行動は、基本的には、人を幸福にしないだろう」

という主張です。

なんとならば、上に説明させて頂いたのですが、矛盾が起きてきますので。

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確かに、ある程度の我慢強さや忍耐強さが、生きている間には、運命の手によって、それを学ばされたりするかもしれません。
それ自体も「粘り強さ」というものを身に付けたことにもなるでしょう。

しかし、長期間に渡るまでの「我慢強さや忍耐強さの養成」というのは、道から離れてくると思います。
人によって、「長期間」という時間の長さは変わってきますが。

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また、他にも言えるであろうことがあります。
例えば、長期間に渡って、全く不幸や苦痛の無い環境ですごせば、今度は、そのような環境では退屈が発生するでしょう。

その退屈自体が、その人にとって不幸となるでしょう。

ですから、その不幸・苦痛環境から逃れ出るには、ある意味、厳しい環境に出てくれば、その忙しさや対応状況によって、退屈からは逃れられるでしょう。

そのような意味での、「不幸・苦痛環境の選択」、つまり、上の流れから行けば、「我慢強さや忍耐強さの養成」というもの選択が起きるかと思います。

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しかし、上に書いたように、積極的なまでの「我慢強さや忍耐強さの養成」を目指すとなると、その状態は、つまり、「不幸を愛する」という状態になるでしょう。

つまり、いったん、その状態に入ると、そのマイナス状況から抜け出すのは難しくなると思います。

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ですので、積極的なまでの、自身への「我慢強さや忍耐強さの養成」という目的は避けた方が良いと思います。

もっとも、どんな人にでも自由がありますので、上記の目的を積極的に選ぶという人もいても良いのだし、もちろん、そのような人に、強くは言えないのですが。

まあ、私個人としては、「自身の我慢強さや忍耐強さの養成を積極的に行う」とか「受難礼賛」という目的は、止めた方が良いかと思います。


                                       坂本 誠

2018年5月14日 (月)

三千二百五十六: ある日の新聞記事を読んでの、疑問を感じたこと_No.2

こんばんわ。

三千二百五十五:ある日の新聞記事を読んでの、疑問を感じたこと』の追加です。

追加的に思い浮かんだことを書いてみます。
ですから、前段からの詳細を知りたい方は、『三千二百五十五:ある日の新聞記事を読んでの、疑問を感じたこと』を、どうか参照して下さい。

この記事の話題の元となっている新聞記事は、次のものです。

(以下、『朝日新聞デジタル』、2018/05/04記事より引用)
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●記者は見た!警視庁が秘蔵の「武道館のビートルズ」記録
https://www.asahi.com/articles/ASL544F62L54OIPE009.html
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(引用終わり)

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前段からの続きだと解説的な雰囲気も出てくるのですが、ある人ならば、

  「坂本さん。それだと、約50年前のビートルズ公演にやって来た聴衆の方々の、『個人情報公開の意志があるか、どうか』の意向は、どのように確認したら良いのでしょうか」

という疑問が湧いてくるかもしれません。

私が想定できる、その、読者の疑問の答えが思い浮かんだので書きます。

  「それこそ、約50年前のビートルズ公演にやって来た聴衆の方々が、写真やテレビカメラに写されている事自体が、彼等の個人情報公開の意志を現している」

と言えるのではないかと思います。

もちろん、彼等が自分達の顔を写されたくなければ、当然、あの巨大会場そのものに行ってないでしょうから。
これなども、やはり、個人情報保護法のある現在で、野球場ドームで観戦している多くの聴衆の方々の意志と同じだと、私には見なせます。

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読者である、皆さんは、どのように考えたり、どのような意見を持つでしょうか。


                                       坂本 誠

2018年5月13日 (日)

三千二百五十五: ある日の新聞記事を読んでの、疑問を感じたこと

こんばんわ。

以下の新聞記事を読んで、疑問を感じたことを書いてみたいと思います。
読者の方で、その新聞記事を詳しく読みたい方は、以下のURLにジャンプして読まれて下さい。

(以下、『朝日新聞デジタル』、2018/05/04記事より引用)
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●記者は見た!警視庁が秘蔵の「武道館のビートルズ」記録
https://www.asahi.com/articles/ASL544F62L54OIPE009.html
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(引用終わり)

この記事の、あらましを書きます。

今から約50年前に、日本にビートルズがやって来て、ライブ公演しました。
警察が、その映像記録を撮影したそうで、一般には公開されていないそうです。
ですので、ビートルズ・ファンの方が、警察に対して、「公開して欲しい」との主旨を伝え、現在に至るまで話し合いが続けられているそうです。

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その話し合いの主なポイントと言えるのが、個人情報の保護の点です。
警察の側からすれば、「フィルムには、約50年前の人々の顔が鮮明に映っているので、個人情報保護の観点から、公開は出来ない」と言われているそうです。

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ですので、私も、個人情報の観点から、以下のような疑問が浮かびました。

まず、私達の個人情報に関することから書いてみます。
私でも良いですから、私を例に書いてみます。

私の現住所や、私の顔とか、私の電話番号とか、私の財布の中の所持金も、あるいは、私の銀行内の預金高も、私の個人情報と言えます。
その他にも、私の個人情報とは一杯ありますが、それらの個人情報というのは、公(おおやけ)にしたいと思えば、つまり、「多くの人が私の個人情報を知っても良いよ」という承諾があれば、それらの個人情報を出すことが出来ます。

具体的には、私の現住所や、私の顔とか、私の電話番号でも、「多くの人が知っても良いよ」と、仮に私が思えば、このブログに掲載することが出来ます。
また、ブログで無ければ、お金のある人ならば、新聞にそれらの情報を掲載しようとしたり、報道社から、してみれば、ニュース・バリューも無いでしょうから、やはり、お金を出して、テレビで報道してもらう、とか。

それとは、逆に、「これらの個人情報を世に出したくない」と願えば、当然、それらの個人情報をブログに掲載しなかったり、あるいは、ネット上の、どこかのコミュニティ・サイト上の日記に、それらの情報を出さなければ済む話です。

要は、「個人情報」というのは、その情報を持っている人の、その意向次第によって、公にも出来るし、また、公にしたくないと思えば、原則として、公にはなりません。

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ここから本題に返りましょう。

現代でも、プロ野球の試合とか、プロ・サッカーの試合とか、あるいは、何らかの有名な歌手達のコンサートがあって、それらの会場には、マスメディアの方々が、よく取材・報道をしています。

それは、非常に多く見かける機会があるので、とりたてて、私が例を挙げるまでもありません。

で、現代でも、そのような、野球ドーム場内とかサッカー場等の試合などでは、観客達がテレビ・カメラに写されていたり、応援者達や、サポーター達の状況が写されています。
また、有名な歌手達のコンサートでも、同様のことがあるのを、私達はテレビで見かけています。

で、そのような、観客達や、応援者達や、サポーター達というのは、ある意味、「自分の顔がテレビに出たり、翌朝の新聞の写真の片隅に写っていても仕方ない」という、思いの下で、野球ドーム場内とかサッカー場とかコンサート会場に行っていると思います。

もし、本当に、「野球ドーム場内とか野球場の観客席とかサッカー場の観客席での、自分の顔が万が一でも写っていたくない」と願うならば、そのような人々は、最初から、そのような会場には行っていないでしょう。

ですから、私でもそうですが、「あのようなマスメディアも集まるような巨大会場に行けば、テレビカメラなどに写されて、自分の顔も世の人に見られても仕方ない」という思いで、多くの人は、あのような巨大会場に向かうと思います。

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警察の側の人は、「個人情報を守らねば」という思いの下に、約50年前の映像の一般公開制限をしているようです。

上の流れから、私が何気なく感じた疑問としては、「それらのフィルムに写っている筈の、多くの人々の『個人情報を出すか、否か』の意向の確認はなされているだろうか」というものです。

個人情報保護法の制定される以前の、約50年前の話ですが、やはり、あのような巨大会場に行く人ならば、最初から、「テレビカメラに写されても良いよ」という思いで、あのような場所に行くでしょうし、もし、本当にテレビカメラや新聞社の写真の片隅にでも載りたくなければ、最初から、あのような巨大会場には行かないのではないでしょうか?

そして、上記URL先の記事中にも、約50年前の観客達の顔の写されている写真がありましたが、「私を写してくれるな」といわんばかりの怖い形相をした人は、一人もいないように私には見えます。

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もっとも、当時のビートルズのメンバーである、ポール・マッカトニーさんやリンゴ・スターさんやジョン・レノンさんやジョージ・ハリソンさんにも、50年前の日本には存在していなかった個人情報保護法は無かったのですが、現代に置き換えても、同様の話が出来ます。
50年前の日本でのライブの際に、「私達(ビートルズのメンバー)の、個人情報を考えた結果、このライブで、私達の顔を撮影するのは止めてください」と言える権利も、彼等にもあったことでしょう。

ライブが始まって、マスメディアがやって来て、彼等の顔を撮影していた段階で、メンバーである彼等の方から、「どうか、私達の顔を撮影しないで下さい」と言えたことでしょう。

その状態でしたら、現代の日本にある個人情報保護法で考えたら、「このライブでのビートルズのメンバーの顔を撮影してはならない」となっていたことでしょう。

それと同じように、約50年前のビートルズ・ライブに集まった観客達でも、当時のライブ中にテレビ・カメラや、新聞社のカメラが向けられた時に、「どうか、私達の顔を撮影しないで下さい」と言えたことでしょう。
そのような聴衆達の発言があれば、現存している写真や動画フィルムに、彼等の顔や姿は残されていないのではないでしょう。

むしろ、現存している写真や動画フィルムに、大量の聴衆達の顔や姿が何気なく、写されているとあるならば(それを確認出来るのですが)、あのビートルズ・ライブに集まった当時の人々の意向として見れば、「私の顔や姿や服装や発言は、個人情報のものだけれど、公開しても良いよ」と、言っているのと同じだと判断できないでしょうか。

それに、それらの写真に写っている顔の表情を見ても、「(約50年前の昔風で言えば、)私の顔を写してくれるな」あるいは「(個人情報保護法のある現代風で言えば、)私の顔も個人情報であり、それを公に出したくないので、私の顔を写してくれるな」と言っているようには、見えません。

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要は、私達の間で使用されている個人情報というのは、私を例に挙げてみると、「私が公に出しても良い」という個人情報ならば、それを公に出しても、誰からも何も言われません。
また、「私が公に出したくない」という個人情報ならば、公に出さないことになります。
そして、その、「私が公に出したくない」という個人情報を、どこかの誰かが使用しますと、個人情報保護法に触れてきます。

ですから、話が冒頭に返すと、「警察などの公務員の方が、これらの映像やフィルムに現れている人達の意向の面を考慮しているだろうか」という疑問が湧きました。

この記事を読んでいる、あなたでもそうですが、「私の個人情報を世に出しても良いよ」と言えば、周囲の人が、「それは、あなたの個人情報だから、あなたにとって、非常に非常に大事なものであり、云々の、かんぬんの、それこれの非常に大きな悪と思える問題があり、、、」と言いながら、その個人情報を世に出そうとしている人を止め立てする必要は無いわけです。

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ですから、個人情報の問題を考える上では、「個人情報を世に出そうか、出すまいか」と考えている人の意向の問題が、個人情報を考える上で大事なわけです。

ですから、私の疑問としては、その「個人の意向を確認しようとしているだろうか?」という点が1点目。
そして、2点目としては、その1点目を考えても、写真に写っている人の顔の表情を見ても、「自分の顔も個人情報だから、私は、その個人情報を世の多くの人々に見てもらいたくない」という、意向は、私から見て、感じないのだが、、、という点です。

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要は、あの50年前のビートルズ・ライブに集まった多くの聴衆達は、「自分達の顔や姿や服装が写っても良いよ」という思いで、あの会場に行ったと、私は思います。
だからこそ、当時のビートルズ・ライブの状況を撮影した写真や動画フィルムに、あの、多くの聴衆達の顔が写っているのではないでしょうか。

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また、この個人情報の点から考えるのならば、「当時のビートルズ・ライブに集まった多くの聴衆達の顔は、個人情報だから、テレビカメラ等で撮影してはならない」という、方針も立つのではないでしょうか。

しかし、そのような方針が約50年前に立ったとしても、現実には、『ビートルズ・ライブ撮影』という方針の下に、多くの聴衆達の顔が撮影されていたことになります。

これだと、矛盾が生じていることにならないでしょうか。

それだったら、現存している『ビートルズ・ライブ公演』のフィルムを廃棄しないといけなくなるのでは(個人情報保護を考慮するのならば)?

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ある日の新聞記事を読んでの、つれづれなるままに、感想なり疑問なりを書いてみました。


                                       坂本 誠

2018年5月11日 (金)

三千二百五十四: 透明性のある政治・行政を考えて

こんばんわ。

私の見かけたニュースから紹介させて下さい。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています。

(以下、『朝日新聞』、2018/05/09記事より引用)
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●天声人語

P5100180

首相秘書官だった柳瀬唯夫氏の国会招致が決まった。
「私の記憶のある限りでは、今治市の方とお会いしたことはない」。
昨年来、国会審議の焦点だった面会をついに認めるのだろうか

この問題が浮上したのは昨年6月、加計学園の誘致をめぐる愛媛県今治市の行政文書の存在が明らかになってからだ。
住民が一昨年の暮れ、開示を求めて入手した。
残念ながら大部分は黒く塗られている。
だが、かろうじて読める部分をたどると、2015年4月2日付の市課長らの出張旅程に「15:00~16:30」「千代田区永田町 首相官邸」とあった

ところが、学園をめぐる疑惑が国会で取り上げられると、事態は一変する。
昨年暮れ、同じ住民らが出張報告書に絞って再度開示を求めると、今度は全面非開示となってしまった

いったん市民に明らかにされた情報が、翌年には隠される。
その経緯に驚く。
しかも愛媛県、文化省、農水省の調査で面会が否定できなくなった現在、面会相手を明かさない今治のかたくなさは際立つ

市長は先月、その理由を地元記者団にこう説明した。
「国や県は一緒に取り組んできた仲間だから迷惑はかけられない」。
では柳瀬氏が前言を翻したら今治はどう出るのか。
よもや「廃棄した」とは言うまいが

行政が不都合な文書を出し渋るのは今治に限った話ではない。
それでもこの国の公使の情報公開の姿勢には寒々しさを覚える。
山形県金山町が自治体として初めて情報公開条例を施行して、36年になる。
2018・5・9
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(引用終わり)

政治的な話題で、以前にも書いているのですが、再び書きます。

よく、政治や行政の現場から、「開かれた政治・行政を作っていこう」あるいは「透明性のある政治・行政をしていこう」というセリフが聞かれます。

この「開かれた政治・行政」とか「透明性のある政治・行政」というのは、わかりやすく書きなおせば、「国民の誰もが見ることの出来る政治・行政」を意味しています。
つまり、テレビ・新聞・ラジオ、その他の媒体によって、多くの人々が政治・行政のしていることを確認出来る状態のことが、「開かれた政治・行政」とか「透明性のある政治・行政」のことです。

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なぜ、その「開かれた政治・行政」とか「透明性のある政治・行政」でないといけないかというと、大きな理由があります。
それは、私達の社会システムが民主主義政治だからです。
「全ての国民が政治に参加している」というのが、私達の実行している民主主義政治です。

ところが、役所とか立法機関の人間が、自分達のやっていることを、多くの人々の目から隠そうとする政治システムを認めてしまうと、その状態だと、役所とか政府とか立法機関の人間達のみが、彼等だけに都合の良い政治・行政・何らかの法律を作ることが出来ます。

つまり、わかりやすく書くと、そのような政治システムは「独裁政治」となります。
なぜならば、大多数の人間のことを考えなくて、自分達だけに都合の良いことを決めて、実行することが出来るからです。
(あるいは、そのような政治システムのことを「寡頭(かとう)政治」と言います。「寡頭政治」というのは、極めて少数の人間で一国の政治を実行する政治システムのことです。この「寡頭政治」のことを、わかりやすく書きかえると「貴族政治」です。ですから、現代の「代表民主制」と言われる選挙で、代議士達を選出する政治システムは、ほとんど「寡頭政治」と言えるでしょう。)

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ですから、私達の実行している民主主義政治というのは、「全ての国民が政治に参加している」ので、代議士とか、公務員に委ねている公務とは、全ての国民のしていることなので、そのような、たった一部の人々に委ねている、それらの業務を、常に監視して、不正が起きていないかどうかを確認しないといけません。

なので、「開かれた政治・行政」とか「透明性のある政治・行政」というのは、「全ての国民が、それらの公務を見て、人々に納得の出来るような政治・行政をしましょう」と言っているわけです。

このように書けば、誰が見ても、「それはその通りでしょう。誰もが、そのような政治・行政状態を望むことでしょう。なぜならば、私達の社会システムは民主主義なので(決して王政や貴族政や独裁制ではないので)」と言うことでしょう。

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なので、逆を言えば、王政や貴族政や独裁制というのは、ほんの一部の人間が、国内の大多数の人間を無視して、法律を作ったり、あるいは、彼等だけに都合の良い、行政内容を実行することが出来ます。

なんとならば、そのような王政や貴族政や独裁制というのは、国内の大多数の人間達が、国王(あるいは女王)や貴族達や独裁者の実行しようとしている内容を見たり聞いたり、調べたりすることの出来ない一方的な社会を作ることが出来るからです。

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だから、私達の住んでいる社会でも、政治や行政の現場から、「黒塗りの文書ばかりが出て来て、多くの人々に隠そうとしている」となると、上に書いたことを思い出しながらも、ある人ならば、

  「公務内容なのに、どうして、あなたがたは、その内容を隠そうとするのですか?」

という、怪訝な顔をしながらの、疑問の言葉を口に出すことでしょう。

もちろん、その言葉の背後には、

  「隠そうとしている背後には、不正が隠されているのでは?」

の疑問が心中にあることでしょう。

元々、心や身辺に、何もやましいものを持っていないのならば、何を見せても恥ずかしい事は無いでしょう。

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また、個人情報というのと、公務情報というのは、これは違っています。

個人情報というのは、個人的な悩みだったり、あるいは、個人の資産だったりするので、言ってもいいし、知られたくなかったら、言わなくてもいいし、それらの情報を公開する自由は個人に委ねられています。

しかし、公務情報というのは、これは個人情報ではなく、公の財産つまり、「市民全員の所有する情報」とか「国民全員の所有する情報」となります。

この公務情報を扱っているのは、御存じのように役所だったり、政府だったり、何らかの行政機関です。

ですから、逆に言えば、「公務情報を市民や国民に見せることは出来ない」という状況は、かなり著しく変な話になっていることがわかります。

ですから、ある人ならば、役所等に対して、

  「公務情報を市民や国民に見せられない、理由とは何ですか?」

という質問が出ることでしょう。

もちろん、上のセリフを言う人の心中には、「役所や政府や行政機関が、多くの人々に見せられないものとは、何なのか? そこに不正が寝ていないか?」という、更なる疑問が湧いていることでしょう。

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ですから、民主主義システムの立場からでは、「色々な公務情報を隠蔽せず、開かれた政治・行政とか透明性のある政治・行政を目指しましょう」と、当然なるのです。

また、当然、ほんの一部の人間達に、政治システムという巨大組織を運営させず、上からの理由によって、それらの巨大組織である、役所とか、何らかの行政機関とか、政府の不正を起こさせないようにも、「開かれた政治・行政とか透明性のある政治・行政を目指しましょう」となっているわけです。

なので、逆を考えれば、それだけ、行政機関の方から、黒塗りの文書が、出されるようになると、「世の中が民主主義政治から離れて、独裁制や貴族政に逆戻りしようとしている」ということがわかるでしょう。

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「役得、役得、役得」という言葉があります。
これは良い意味では使用されません。
「役得」の言葉の意味を書くと、「自分の仕事の権利を使って、自分が得する方向に持っていく」というのが、その言葉の主旨だからです。

民主主義政治の日本で、良く流通しているルールブックがあります。
そのルールブックの著者とは、そのルールブックの前後をよく見ると、主語が「日本人全員」とありますから、つまり、私自身も、そのルールブックを書いた本人であると受け止められるので、「誰それの、何という文書からの引用です」という、引用時の決まり文句を使わないで良いとも考えられますが、そのルールブックには、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とされています。

つまり、「世の公務員というのは、自分一人に益があるような業務を行ってはならない」ことがわかります。

言い換えると、「世の公務員というのは、何らかの不正を行って、自分一人に益が入るようなことをしてはならない」というわけです。

ですから、この「役得」というのは、公務員には、あってはならない単語となるでしょう。

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当然ながら、以前、「秘密保護法」というのが制定されましたが、これなども、制定前から、激しく世間で言われていたように、上の流れからもわかるように、民主主義政治の根幹の一つである「開かれた政治・行政」あるいは「透明性のある政治・行政」からは、著しく、離れたものであるとわかるでしょう。

なので、世の公務員の人で、「私は多くの市民や、多くの国民に知られてはならない公務情報を持っている」という人ならば、それは最初から、そのような仕事には就かない方が賢明だと言えるでしょう。

また、民主主義政治の根幹から考えれば、「情報公開条例というものを制定する必要がある」となった時点で、「民主主義政治そのものが、既に差し迫った状態にあるのだ」と、人は気付くことでしょう。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/post-6474.html

三千二百:私の見かけたニュース_No.105
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/12/_no105-1504.html
(以下、『朝日新聞』、2017/11/27記事、4面より抜粋引用)
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●360°民意 直接住民からくみ取る

360_3

地方議員 なり手不足

地方議会は、町村議員のなり手が不足するなど、地盤沈下が進む。
議会に代わって、住民から直接、民意をくみ取ろうと模索する動きが出てきた。

ネットが議場 町民全員会議

人口約1万2千人の栃木県塩谷町。
インターネットを使って住民の意見を集約しようという試みが続いている。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年5月 6日 (日)

三千二百五十三: 詩の思い出_No.2

こんばんわ。

今日は、4回目のブログ更新です。
三千百七十九:詩の思い出』の2段目です。

まず、最初に掲載しているのは、『長崎』です。

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            長崎

                    聖母に

    屋内の人々が 心を清めている。
    組み合わされた両の掌。
    そこから 一つの線が 天に向かって
    羽ばたき 飛び立っている。
    それらの多くの線を
    街の上に立つ
    巨大な女性が
    胸で受け止めている。

    洋風の館から 流れ出す気。
    カステラの味が 宙に漂っているかのよう。
    孔子の廟から 線香の匂いが流れている。
    北京ダックの味が 舌をかすめる。
    社(やしろ)の中で龍が踊って遊んでいる。
    龍の動きの線が 社の外に流れ出す。

    西洋から来た時と
    中華から来た時と
    日本から来た時が 流れている。
    何本かの時が 交錯し続けて
    大和(やまと)している。

    おわんのような大地に
    夜 家々の放つ 光が共鳴し合い
    何本もの時が行きかう様を
    街の上から
    巨大な女性が 静かな笑みを浮かべて
    見守っている。


    かつて
    その女性は
    やさしさ故にか 甘んじて
    プルトニウムの臭いも嗅いだ。

    しかし
    プルトニウムの臭いは
    人々の心までも
    毒することは出来なかった。

    今、幾つもの笑顔が 行きかい
    混じり合う様を
    彼女は 静かに 見ている。

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この作品は、2009年2月8日に出来ています。

掲載している写真は、大浦天主堂の聖母マリア像です。

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九州の長崎市は、風光明媚な観光都市として、昔から有名です。
私も幾つか、ブログで長崎に関する記事を書いています。

何と言っても、異国情緒の漂う街で、その雰囲気を、うまく記述することが出来ません。
いわゆる、この状態が、「絶句(ぜっく)」と呼ばれるものでしょうか。

日本の他の都市では、このような異国情緒を味わうのは難しいことでしょう。
長崎以外にも、日本には街があり、それらの街には、西洋風味の文化で飾られた物が多いです。

しかし、長崎の持つ西洋情緒を、日本の他の都市は持っていません。
というのも、多くの人の知るとおり、江戸時代において約300年間も、海外に開かれた街は、ここ長崎のみであり、その時代分の西洋情緒が街と融合しているからです。
その約300年間分の差異を、日本の他の都市が表現できないのです。

例えば、掲載している写真の聖母マリア像ですが、注意深く、街の中を歩いてみると、大浦天主堂だけではなく、街の様々な場所に、さりげなく、聖母マリア像があります。

その、聖母マリア像が街に何体あるかはわかりませんが、かなり多いようです。
また、そのように、「街全体の至る所に、聖母マリア像が飾られている」という点も、日本の他の都市には、一切存在しない光景です。

また、長崎の街では、キリスト像も飾られていますが、そのキリスト像よりも、遥かに多い数の聖母マリア像が飾られています。

他にも言えるのは、中華風味の建築、服装、お祭りなども、上記のマリア像のように、街に飾られています。
特に、中華街の近くにです。

ですから、日本の他の都市で、観光的に西洋風味の趣を多めに出そうとしても、やはり、ここ長崎の所有している約300年間分の時間的な差異を埋めることは出来ません。

これが、「長崎は異国情緒溢れる街」と言われるゆえんです。

詩の方に、そのような異国情緒を描いたつもりですが、感じて頂ければ幸いです。
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              波紋


    僕は春の公園にいる。
    そこは深い水の底。
    空気と言う名の水の底。
    息の詰まることもなく、
    更に清冽な大気の水を吸う。

    散りゆく桜の花びらに、広げた両の手の人差し指で触れてみる。
    そこから波紋が広がる。
    宙に広がる波紋。
    僕は走る。
    次々と指が触れてゆくたびに、いくつも、いくつも、波紋ができてゆく。
    桜の花びらが両手の五指に触れるごとに
    空中に幾つもの波紋が重なり、広がってゆく。

    走るのをやめる。
    大きな息を吐く。
    大きな波紋になってゆく。
    春の深い水の底で。

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この作品は、2008年12月10日に出来ています。

作った季節は、冬でしたが、暖かい春の陽射しを想像して書きました。
私も子供の頃は、冬も好きでしたが、年齢を重ねると同時に、春の方が好きになって来たでしょうか。

詩の景色としては、春の青空の下に私がいるのですが、その「春の青空」そのものを、「春の青い水」と感じているところが気に入っています。

「春の青空」を、ちょうど、春の小川の底を泳いでいる魚のような気持ちになって、描いた作品です。
芸術作品を描く際には、想像力、イマジネーションが、かなり要求されると言われますが、私もそうだと思います。

詩のジャンルでは、その想像力は、主に比喩表現で現されます。
しかし、他の芸術ジャンルでも、想像力が必要とされ、その想像力が比喩表現や絵画表現、最近では、映像表現に開花されると思います。

この想像力を豊かにするには、やはり、美しい自然に触れたり、静かな空間の中で、自分のお気に入りの音楽を聞くことでしょうか。
当然、これらをする間にも、心が清まるので、一石二鳥のような部分が、創作活動にはあると思います。
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        歌と刃(やいば)


    激しい 戦いの中で、
    刃が 交わされる中、
    やわらかい 女の歌声が
    私達の 心の中に
    やさしく 響きわたる。
    やがて その歌声は
    冷たい 刃の中にも
    届いてゆく。

    それは
    愛の奔流(ほんりゅう)が
    数多(あまた)の
    刃を折る ちから か。

    一人の女の歌声が
    翼を広げ、
    軽々と 空に 舞い上がる時、
    一人の男の 勇気が
    一つの闇を 裂(さ)いてゆく。


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この作品は、2011年3月24日に出来ています。

最近の芸術家の方々も、色濃く、アニメの影響を受けていると思います。
アニメというのは、一種の総合芸術と言えるので。

ですから、私の方でも、アニメの影響を無視することは出来ません。
アニメの中でも、特に、人々を感動させるものには、当然、心が、うるわしい方向に振れますので、そのような影響を受けた作品が仕上がって来るものです。

昔から時折、『超時空要塞マクロス・愛・おぼえていますか』を、見る機会がありまして、見終えた後に、「これ(マクロス)、いいよねぇ」と何度でも、一人で、うなずく私でした。

しかし、単純に、感動しただけでは私なりに不足であって、その感動を別の形で表現しようと、瞑想しながら、努めることが大事だと感じます。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百七十九:詩の思い出』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/09/post-6c15.html

          遠い星へ向かう時


    遠い星へ向かっている時、
    その星から 一つのやわらかい声が聞こえてくる。
    慈雨のように 上から降り注いでくるよう。
    その星が僕を迷わぬようにしてくれたのだ。

    僕の両腕は二つの音か。

    星に向かっている時の
    凄いスピードが 遅いスピードのようだ。

    僕は一つの音楽。
    音楽が音楽の上に乗っている。


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          音


    雲海が やわらかく広がる朝
    一つの音が 宙を漂う。
    音は 翼を 羽ばたかせ、雲の上を 静かに舞う。
    穏やかな ほほえみを持って。

    羽毛のような 音の響きが 翼そのものか。
    音と音が 宙を 軽く すれ違う時
    触れ合う 彼等のその笑顔に
    暖かい 光を感じる。

    音が ほほえむ時
    音そのものが
    かすかに 光る。
    蛍のように。

    その淡い光が 音の周囲に
    きらめきわたる。
    芳香(ほうこう)が漂うかのように。
    また 虹のかけらが流れるかのように。

    竪琴(たてごと)に 触れる指と その絃(げん)から
    光と音が 靄(もや)のように にじみ出し
    春の せせらぎのように
    遠方(おちかた)に 流れていくかのように。


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『三千百五十五:詩作の思い出』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/.s/blog/2017/08/post-c72d.html

      愛と光


    愛が光となり、光が愛となり、
    光と愛が結ばれ合い、
    羽毛のように 触れ合い、
    お互いの中で響き合う。

    光と愛が 織(お)り合わされる中、
    速くもあり 遅くもある
    一つの やわらかな音楽が流れ続ける。

    その音楽に のせて
    光と愛が
    私達の胸に やって来る。
    一組の男と女のように。


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                                       坂本 誠

三千二百五十二: 『街道を行く 9』の再解釈_No.2

今日は、3回目のブログ更新です。

三千二百五十一:『街道を行く 9』の再解釈_No.1』の続きです。

私が、よく引用する、司馬遼太郎氏の明治初期に行われた地租改正について、再び解釈したことや疑問に思ったことを書こうとしているところです。
しかし、さすがに、読書感想文を書くならば、引用したい箇所を挙げないと、読者にわかりづらい部分もありますので、よく引用している文章を、再び引用します。

『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。

Photo_2


維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)

前段『三千二百五十一:『街道を行く 9』の再解釈_No.1』に紹介済みの牧 祥三氏の思い入れもありましたので、私の方も自然に考える機会があったわけです。

では、ここから、私が新たに感じた疑問を書いてみたいと思います。
明治五年にあったとされる、「太政官会議(だじょうかんかいぎ)」と呼ばれる会議で、陸奥宗光氏が、当時建白したとされる発言内容に、疑問を感じました。
司馬氏をして、明治初年の段階で、驚天動地程度の発言とされている発言内容です。

「欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。ところが日本ではそれができない」と、当時の陸奥氏は言ったそうです。

彼の発言をそのまま考えてみると、「国家というものは、来年も、絶対に仕事をするべきだ」と、私達は受け取れることでしょう。
そこで、人は次のような疑問を持たないでしょうか。
国家という組織が、来年あたり、やるべき仕事が無さそうだ。だから、特に、国家という組織の内部の人々は労働せず、休暇を丸々、取っても良いのではないのか」と。

「するべき仕事が無いのにも関わらず、それでも、むやみやたらに、何らかの仕事を見つけて、それをすべきだ」という発想自体に、おかしなものを感じないでしょうか。

これは、現代の例を挙げて考えてみれば、理解しやすくなると思います。

昨今、私達の日本社会では人口減少が進んでいます。
このまま進めば、今、私達の見ている多くの施設や多くの建物が、使用されなくなることでしょう(人が少なくなるので)。
ですから、建設業務を減らしたりする必要が出てくるでしょう。
つまり、それだと、「来年以降あたり、仕事が無いかもしれない」という状況が発生するかもしれません。
で、この状態で、「それでも仕事をすべきだ」となると、目的も無く、地球を穴だらけにしている状況となってしまうでしょう。
つまり、「思い当たる仕事内容が無いにも関わらず、無理に何かの仕事をすべきだ」というのは、これは不自然な状態であることが私達にわかります。

しかし、それでも「思い当たる仕事内容が無いにも関わらず、無理に何かの仕事をすべきだ」という発想になってしまうのは、お金が必要だからだ」というのが原因となってくるでしょう。

あの、太政官の陸奥氏の発言内容によって、日本がお金社会となってきたのでしょうが、自らの環境にお金社会を導入した結果、その、お金そのものに苦しめられることがわかります。

お金社会で無ければ、お金の心配をする必要が無いので、上の例で挙げたように、国家という組織が、来年あたり、やるべき仕事が無さそうであれば、国家という組織の内部の人々は労働せず、休暇を丸々、取れたのではないでしょうか。

この状況ですと、「自分で自分に苦しみを与えた」ということになるでしょう。

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以前、お金に関した記事で、私は、「資本主義社会というのは矛盾システムであるから、自分で自分の尻尾を食べている蛇(へび)のようなものである」と書きました。

私が上に書きました、新たな疑問や、それから生じる考えを読んでも、再び、読者の方は、自分で自分の尻尾を食べている蛇を想像するかもしれません。

(ちなみに、上記のような人口減少の進む社会で、そのまま、多くの施設や多くの建物を建設していると、将来的には、それを利用する人間がいなくなるので、相当な赤字そのものを生むだろう、とも予想出来ますが。黒字を生み出そうとして、何かを作るわけですが、その黒字を生みたい願望が、巨額の赤字を生むと予想できるので、現代人はお金に関しての発想の転換を求められていると感じます。)

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仕事や業務内容が無ければ、そのまま、仕事をしなくても良い筈ですが、お金社会というのは、その自然さを破壊し、無理矢理にでも、人を働かせようとする、つまり、不自然な道具だとみなせるでしょう。

この「不自然さ」というのは、「いびつさ」とも言えますから、自然の流れをマッチしないのです。
この「自然とマッチしない」という点も、現代社会の問題点を増やしている原因の一つだと感じます。

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ここからは、ちょっとした別件です。

私のブログの方の、幾つかの記事も、ネット検索での検索対象から除外されているようです。
まあ、どこかの誰かが、そのような処置をするのでしょうが、そのようなことをしてしまいますと、あなた御自身が、良心の痛む日々を送ってしまうのではないかと思います。

誰でもそうですが、良心の痛まない日々を送り続けることが、幸福な生活を生み出すと思います。

ですから、あなたが良心の痛まない行為に切り替えれば、あなたの人生は幸福なものへと変化し始めると思います。

どうぞ、良心の痛まない行為に切り替えて、あなたも心さっぱりとしたライフ・スタイルを始めてみませんか。


                                       坂本 誠

三千二百五十一: 『街道を行く 9』の再解釈_No.1

今日は、2回目のブログ更新です。

この段落の記事とは違っているのですが、先に更新した『三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の追加を、ここに書かせて下さい。

前段落から続いて、会社の監査役の簡単な手抜き行為として考えられる行為があります。
会社の監査役というのは、複数の会社を兼任することが出来ます。
ですので、ある監査役の方のセリフを想定するならば、

  「私、幾つかの会社を兼任しているという忙しい状態でありまして、件(くだん)の会社の社員の労働時間を、つぶさに監査する機会がありませんでした

というものでしょう。

このような逃げとも思われるようなセリフが出たとしても、こちらの方から、

  「それでしたら、いつも、あなたが多目に出勤している会社があるでしょうから、その会社の従業員の労働時間状況は、どうでしたか?

とか、

  「それは、もう、監査役が、自分の業務を実行しているとは言い難いのでは? 幾つもの会社を兼任していたとしても、それらを調べるのが、そちらの業務でしょうから、それこそ、部下を使うとか

等のように、幾らでも手段はあることでしょう。

会社の取締役も同じようなものですし、この状況で、日本の数多くの企業が違法長時間労働をしているとあるならば、、、

ねえ、、、それこそ、、、

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三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の追加は、ここまでであり、以降は別件です。

私は、しばしば、司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)の中から、『潟のみち』「木崎村今昔」中の、明治初年に実施された地租改正についての文章を引用しています。
下記のURLのもの部分ですね。

『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html

私の手にしている文庫本は、朝日文芸文庫が1997年5月30日に、第13刷として発行されたものです。

文庫本の再版以降となると、出版社が変わる可能性もあるし、ページ中のフォントが変更されたりします。
また、たいていの文庫本の最後には、『解説』が付いたりします。

この『解説』には、まれには、著作者自身が書くことがありますが、たいていの場合は、著作者以外の人が選ばれて、その『解説』を書きます。
しかし、版を重ねるにつれて、どこかの時点で、『解説』を書いた人が変更されて、新しい『解説』が添えられることもしばしばです。

私の手にしている第13版では、「牧 祥三」という方が、その『解説』を書いています。
この「牧 祥三」という方も、自身の『解説』の筆頭に、私も頻繁に引用する地租改正について語っています。
しかも、何ページも割いて書いています。

ですから、この「牧 祥三」という方も、私と同じように、この地租改正部分の司馬氏の文章に異様な光を感じていると思われます。
その「牧 祥三」氏の、本文庫本に捧げられた解説部分から、以下の引用をしてみたいと思います。

司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)の本文終了後の解説より引用
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(文庫本の本文終了後の解説)

牧 祥三

P5060176

 

(、、、前略、、、)

このような一部の農村状況のなかで、当時の農民運動は、近代化にとりのこされた半封建的部分としての農村の解放運動であって、体勢改革などをもとめるものではなかった。
司馬氏が伝える、若き日の池田徳三郎氏が「私ドモハタダ人間トシテ認メテ欲シイダケダ。・・・」と争議の壇上で叫んで絶句した、のも旧い体制からの人間解放のさけびであった。

この地の教員の野口伝兵衛氏は、教職をなげうって、木崎村の争議に参加し、いくたびか逮捕されたりして早く亡くなった。
この人の未亡人キセさん(昭和五十年取材当時七十歳)も教員だったが、夫の亡きあと数人の子供たちを立派に育てあげたあと、胸を打つ言葉を述べている。
「どうして(夫が)教員を辞めるのかわからなかったし、農民運動もよく理解できなかった。しかし農民運動の話になるとうれしそうに語る夫をみていると、運動をやめてくれ、とはいえなかった」(『庶民の歩んだ新潟県五十年史』)。

(、、、後略、、、)
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(引用終わり)

新しい引用文中の(昭和五十年取材当時七十歳)とありますが、これは、司馬遼太郎氏が取材した年なのか、それとも、解説を書いた牧 祥三氏が取材したのか、どうかは、私はわかりません。

しかし、牧 祥三氏も、この本の地租改正の部分には、かなり興味をそそられたことが、上の引用文の紹介で、読者の方々もわかると思います。

司馬遼太郎氏の、この『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』は、おそらく重版はなされ続けていると思いますので、現在の文庫本には、私が挙げた牧 祥三氏の解説は掲載されていないかもしれません。

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上に書いたように、私自身も、久々に、同書の解説部分を読んでいて、いつも引用している部分を、再び別の角度から考える機会を持ちました。

その、「別の角度から考え」たことを書こうとしているのが、この段落です。
ですが、この段落では、前段落『三千二百五十:世の多くの手抜き事業を考えて』の追加も書きましたので、区切りの良さも考えて、残りの部分は、次の段落で書いてみたいと思います。

(次段落に続く)


                                       坂本 誠

三千二百五十: 世の多くの手抜き事業を考えて

こんにちわ。

最近の報道にあるように、手抜き事業により、品質不足の商品が大量に世に出回っていることが、問題として挙げられています。

この点について、私の気づいたことなりを書くことにします。

どんな会社の中でも「監査役」と呼ばれる重役がいます。
この、監査役と言われる会社の役が、各会社内部の不正なりを発見して、それを正す役目をしています。

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ただし、私が見て、現代の監査役自体に問題があると感じます。

この記事の私の書き方を見て、口調が激しかったり、怨嗟の声で書いているわけではないのに、気付かれるでしょう。
ですから、私自体も、鬼の怒った時のように、声を荒げて、わめき散らすように、「世の不正を正せ」という手合の激しい感情を載せているわけではないことがわかると思います。

ですが、世に多くあると思われる、また、私が感じるところの「監査役自体の問題」というのを淡々と書いてみることにします。

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会社の中の監査役というのは、インターネット上の百科事典「Wikipedia」によると、

(Wikipediaより引用。太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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●監査役
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A3%E6%9F%BB%E5%BD%B9

会社経営の業務監査および会計監査によって、違法または著しく不当な職務執行行為がないかどうかを調べ、それがあれば阻止・是正するのが職務である。

Photo

最終更新 2018年3月5日 (月) 08:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

とあります。

そして、現代の日本社会では、数多くの企業が、サービス残業とか違法長時間労働の点で、問題視されています。
ですから、会社の監査役というのは、「会社の違法を調べ、それがあれば阻止・是正するのが職務」なのですから、現代の日本社会の数多くの会社が、違法長時間労働を実施しているとあるならば、自社の社員達が、日常的に、違法長時間労働をしているのを、日々に、目撃をしているでしょう。
ですから、現代の日本の数多くの会社の監査役の方々が、当然、それらの違法を「阻止・是正」していない、ということになります。
なので、相当、大量の監査役の方々自身に、大量の問題があると言えると思います。

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また、監査役だけでなく、会社の中には「取締役」と言って、自社内の責任を負う立場の人々もいます。
通常は、社長とか専務と言われるような、会社の中枢部にいる方々がこの「取締役」になることが多いです。

この「取締役」の方々も、法令・定款違反行為に関する責任を負わされていますから、当然、自社内の違法長時間労働を見逃している、ということで、これもまた、上記に挙げた監査役と同じく、大量の問題があると言えると思います。

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ですから、日本内部の、ほとんどかもしれない、数多くの企業が、長時間労働を見逃している、とあるならば、新聞やテレビに出たら、「日本総倒産」とか「日本総辞職」という見出しの下に、それらが書かれる可能性もあるかもしれませんね。

だけど、私のこの記事にしても、ある人々ならば、読んでも、見て見ぬふりをされている方もいると思います。

結局、まあ、そのような方ならば、良心の痛む日を送るかと思うのですが。

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なので、現代社会で、「私は、本当に、誠心誠意、完全なまでに監査役(あるいは取締役)を行う」と思っておられる方ならば、この私の記事を読んで、今後、良心の痛む日々を送るのではないでしょうか。

なぜならば、日本内部で、日常的に、違法長時間労働を見逃されている、とあるならば。

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ここで、冒頭に挙げた問題点に帰りましょう。

私が冒頭に挙げた問題点とは、「手抜き事業による、品質不足の商品の大量流出」でした。

この「品質不足の商品の大量流出」と違法長時間労働が関係してくるわけです。
他の方が言いにくいようですが、現代のほとんど、多くの企業が、売上高増加のみを狙っているわけです。

かなり、わかりやすく書けば、世の多くの人々が「私は、もっと、お金が欲しい」と言っているわけです。
つまり、「私は、もっと、お金が欲しい」とあるならば、当然、多くの従業員達に、長時間労働をさせれば、それに見合った売上高の増額が得られるかもしれません。
その狙いを持って、多くの従業員達に、長時間労働をさせている結果、多くの人々が、その長時間労働に疲れた結果が、多くの手抜き事業を生むのです。

多くの手抜き事業がなされた結果、当然、「品質不足の商品の大量流出」が起こるのです。

ですから、現代社会の、この問題の本質を考えるのならば、「私達の道具の一つである、お金に問題があるのだ」と、わかるわけです。

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そして、普通の記事とか話題ならば、この段階で話が終わるわけです。

なんとならば、

  「世の数多くの手抜き事業は、お金のために、仕方なく、行われたのだ」

という、手合いの回答が、世に数多く出回っているでしょう。

通常の記事とか話題を書く方ならば、「そうだ。お金こそは、この世の中で絶対視されるべきものだから、この段階で、この話題を打ち切る必要がある」と考えて、この段階で、この話題をストップさせたりするわけです。

ですから、そのようなストップは「問題の本質に迫る、努力がなされていない」と言えるようなものです。

私なぞは、「世に出回っている、お金という道具には、こんなに問題がある」とか「お金という道具への絶対視或いは崇拝視を止める」という視点から、お金という道具の問題点を、このブログに長々と書いているのを、読者の方々は知っておられるでしょう。

ですから、「お金を絶対視しない」あるいは「冷静に、お金という道具の問題点を把握しようとする」他の方々でも、上に挙げた、ストップ・ポイントを軽々と越えて、そのストップ・ポイントの背後に存在する、更なる問題点の原因を追究していくことでしょう。

お金に関する問題点ならば、長くなりますので、すいませんが、当ブログの過去記事を読まれて下さい。

お金という道具に対する絶対視や崇拝視を外して、客観的に、冷静に、お金という道具を見直せる方ならば、逆に、以下の文章を容易に理解できると思います。

  「お金欲しさのために、世の多くの会社で、数多くの長時間労働が行われ、その結果、数多くの従業員が疲労して、その疲労の結果、品質不足の商品の大量流出が起きるのだ」

と。

結局、「現在の、世のほとんどの問題は、お金の問題から発生しているのだ」とわかるでしょう。

まあ、まだ書きたいことはあるのですが、それらは別記事に譲りまして、まずは、上に書いたようなことを、あっさりと軽く、受け止めて、冷静に、落ち着いて、御自身の周囲を見回してみることを、私はお薦めします。


                                       坂本 誠

2018年5月 3日 (木)

三千二百四十九: 宇宙人誘拐説を考えて_No.2

こんばんわ。

前段『三千二百四十八:宇宙人誘拐説を考えて』の続きです。

前段中に、息抜きとして、アニメ『うる星やつら』をご紹介しました。

この記事を書いている2018年の5月だと、もう、若い世代の方々では、アニメ『うる星やつら』を知らない方もおられるかもしれません。

ですから、ユーモアを交えつつ、アニメ『うる星やつら』を紹介させて下さい。

以下の文献を読まれても、『うる星やつら』が詳しく紹介されています。

ラム (うる星やつら) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0_(%E3%81%86%E3%82%8B%E6%98%9F%E3%82%84%E3%81%A4%E3%82%89)

掲載している写真は、同HPからの引用です。

_

漫画家の高橋留美子さんが原作です。

最高視聴率を調べてみると、以下のHPでは、

うる星やつら (アニメ) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%8B%E6%98%9F%E3%82%84%E3%81%A4%E3%82%89_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)

最高視聴率は27.4%」とあります。

現代で、これほどの視聴率が出る番組で、一週間に一回の放送のものは無いのではないかと思います。
また、同アニメの放送開始は、1981年10月14日からです。
ですから、今から37年も前の話ですね。

時の経つのは早いものですね。

この『うる星やつら』の中で、宇宙人の鬼娘であるラムちゃんが出て来て、地球人である諸星あたるの押しかけ女房となって、様々な奮闘記やギャグが描かれているわけです。

同作品中で、ラムちゃんが自分のUFO(宇宙船)を持っていまして、様々な所へ出掛けて行きます。
そして、その宇宙船の搭乗口と思えるような部分から、科学的な光線が出て来ると、その光線中の人間等は、ラムちゃんの宇宙船に吸い上げられます。

ですから、そのような光景を、地球人が目撃するならば、「宇宙人が地球人を誘拐している」のような光景になるわけです。

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前段『三千二百四十八:宇宙人誘拐説を考えて』で考えてみた宇宙人誘拐とも思えるシーンを、『うる星やつら』風に表現してみると、

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(ラムちゃんが、自分の宇宙船で、諸星あたるを吸い上げた後、)

▲諸星あたる:

  「おい! ラム! 今、おまえは、地球人である、この俺を誘拐したのだ!」

●ラム:

  「そんなことないっちゃ! うちは、ただ、愛するダーリン(諸星あたる)を、うちの宇宙船に招待しただけだっちゃ!!」

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上の例のような場合も考えられます。

ラムちゃんにしてみれば、彼女の一途で、ひたむきな、ダーリンに対する愛情の現れです。
しかし、地球人である、諸星あたるからしてみれば、「誘拐」と感じてしまうこともあるでしょう。

もう少し考えてみると、ラムの母星である、生活の慣習とか、常識なども、地球のそれらと違っている場合もあり、それらを考慮する必要もあるかもしれません。

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ただ、地球人の側から見ると、いまだ、物体を吸い上げる科学的な光線を知らないので、未知の科学技術等を使用されると、地球人としては、かなり驚くことでしょう。

驚きの感情が、恐怖の感情を導いてしまい、余計な混乱を起こしてしまうかもしれません。

しかし、『うる星やつら』に出てくるような宇宙人の技術というのは、私達は、あまり考慮しない方が良いかもしれません。
なぜならば、地球でずっと、生活していても、少しずつ科学技術は発展するのですから、いつの日にか、同アニメに出てくるような、科学的な光線を使えるようになるからです。

ちょっと考えてみると、現代人が、現代の電気シェーバーを持って、1000年前か2000年前の環境に訪れたのと同じです。
1000年前か2000年前の人間は、未来人である地球人が電気シェーバーで髭を剃るのを見ると驚くでしょう。
しかし、その過去の人間も、現代に訪れてみて、人々の様子を見ると、男性ならば、その多くが電気シェーバーで髭を剃りますから、彼は「この光景が当たり前なのだ」と思うでしょう。

時間的な差異というのは、意外に埋め合わせることが簡単だとわかります。
単純に、時間に沿って、科学技術が発展するのですから。

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ただ、ラムちゃんのような可愛い、宇宙人の女性が地球の男性を誘拐しようとしても、ある程度の数の男性は喜ぶのではないでしょうか。

しかも、ラムちゃんのような宇宙人が、宇宙旅行に連れて行ってくれるのです。

ですから、ある程度の数の男性は、「この招待(誘拐)は、非常に素晴らしい出来事だ!」と、賞賛する男性達も出てくるのではないでしょうか。

私なんかも、言わせてもらえれば、「ラムちゃんのような宇宙人が、私を宇宙へ誘拐(招待、救済)してくれないだろうか」と、願わないわけではありません。

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なので、前段『三千二百四十八:宇宙人誘拐説を考えて』でも書いたように、宇宙人が地球人を、そのUFOに乗せようとする光景を見て、一概に全て、「誘拐だ」とは決めつけず、「誘拐の路線も考えられる。また、救済の路線も考えられる。また、招待の路線も考えられる」と、幾つもパターンを考えた方が良いと思います。

また、その、幾つもパターンを考えることによって、私達の視野は良い方に広がると思います。


                                       坂本 誠

2018年5月 1日 (火)

三千二百四十八: 宇宙人誘拐説を考えて

こんばんわ。

時々、テレビのゴールデン・タイムでのスペシャル番組や、ネット上の、あるグループの間で、「宇宙人が地球人を誘拐しているかもしれない」というタイトルに沿った、報告や議論や感想等をまとめた番組が流されたり、HPが掲載される時があります。

これについて、私が感じる機会がありましたことを書いてみたいと思います。

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それらの番組やHPが伝えるところでは、「UFO、つまり、宇宙人の乗り物らしい物体が現れて、そこから、宇宙人のような存在が現れたりして、地上の人を誘拐しているらしい」と言っています。

以外にも、この宇宙人誘拐説が多く流れているのに気が付きます。
それらのものの中では、確かに、強制的に、宇宙人が地球人を誘拐しているかのようなものもあるようです。

ちょっと、息抜き程度に表現するならば、アニメ『うる星やつら』で出て来た、宇宙人ラムちゃんのUFOが、何かの科学的な光線を発して、諸星あたるを吸い上げているような光景を、私達は思い出すでしょうか。

これについて、何か、違った角度から再び考えられることが出来ないでしょうか。

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というのも、私の知り続けてきた情報を総合的に判断すると、「地球というのは、これは一種の強制収容所と言えるかもしれない」ということです。

そうですね、先に、息抜きをしたので、ちょっと、ネガティブな表現も使えると思うのですが、私達の住む、地球はアウシュビッツに似た強制収容所に似ているとも言えるわけです。

誰が、強制収容所の管理者かというと、この地球を支配しようとしているカバールやイルミナティと言えるでしょう。
なぜならば、彼等は、彼等以外の全地球人を奴隷にしようとしているからです。

当然、その奴隷達を強制労働させている現場ならば、その現場を強制収容所と表現できるでしょう。

私がネット上で見かけたビデオを資料とするならば、以下の(私が気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にしています)、

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『七百八十六:ディスクロージャーについて_No.46』
●元カナダ防衛大臣によるUFOエイリアン情報開示
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no46-ffce.html
http://www.youtube.com/watch?v=dpWPRd56D-0



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(YouTube概要より引用)
ポール・ヘリヤー:ポール・ヘリヤーはカナダ議会の最年少議員になった人物であり、ル-イ・サンローラン政権下で最も若くして閣僚となった人物である。
彼は2005年9月25日に、「UFOは飛行機が上空を飛んでいるのと同じくらい現実的なものである」と公に発表し、国際的に大きく報じられた。
この事により、彼はG8国家の閣僚レベルでUFOの存在を認める発言をした最初の人物となった。
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(上記ビデオより抜粋引用)
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今から私の関心は完全なる情報開示です。
それから・・・私の唯一の注意点ですが、おそらく95から98%の完全な情報開示になります。

それは私達が様々な種類の生命で一杯の宇宙に住んでいるという事です。
それは存在し、私達の運命を支配する同じ既得権益により秘密にされているのです。
外交問題評議会、ビルダーバーグのメンバー、三極委員会、国際銀行カルテル、石油カルテル、様々な諜報組織のメンバーおよび軍事政権の選ばれたメンバー達です。
彼等は共にアメリカのみならず、欧米世界の多くの影の政府となっているのです。
ゲームの目的は世界政府であり、秘密結社のメンバーが含まれていて、誰からも選ばれていない人物であり、誰に対しても責任を持たない人物なのです。
そしてロックフェラー氏によると、計画は上手く進んでいるのです。

何故、私達の市民権が奪われているのかこれで理解するのに役立ったでしょうか?
"私達"と言いました。
何故ならカナダも壮大な計画に含まれているからです。
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(引用終わり)
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この上記のビデオ内容から、私達の生活環境は、一つの強制収容所であるとも、みなせるでしょう。

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そして、収容所の中で、どのような形で、強制労働がなされているのかと考慮すれば、これは、私が以前から書いているように、彼等の作っている「お金」を使って、私達を無理に労働させていると気が付きます。

あっさりと書かせて頂くのですが、今現在、「労働」と言うことに関して、「働くということは、つまり、お金を得ることなのだ」と思って、労働している人が圧倒的多数ではないでしょうか。

普段、私達が心の中で感じていることでも、あっさりと語ることに、躊躇される方も多いと思いますが、さらりと書いてしまえば、私達の労働というものに対して、「私達は、お金を得るために働いている」というのが、実際のところではないでしょうか。

ですから、かなり多めの人数が予想されますが、「私達は、お金を得るために、仕方なく、今の職場で働いているのであり、実際は、今の職場で働きたくない。苦痛だ」と感じている方々も多いのではないでしょうか。

「なぜ、そのような状況が多発しているのか」というと、これも、私のブログの方に過去から書いていますが、私達の社会全体に、お金というものがバラまかれ、「お金を使ってでしか、私達の生きる道が無いからだ」と、カバールやイルミナティやイルミノイド達に、社会をセットされ続けて来たからです。

私が、頻繁に引用する文献の一つとして、

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『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。

Photo


維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)
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このように、世界中の国々をお金のみで充満させれば、その内部の人々は、「この世で生きていくためには、お金が、絶対に必要だ」という、強い思い込みを抱けば、お金を作っているカバールやイルミナティの側からすれば、あなたを思いのままに操れることが出来るのです。

例えば、カバールやイルミナティの側から、イルミノイド達に対して、増税を指示したり、あるいは、中央銀行の利上げ・利下げを行えば、世の多くのお金を操作できるので、その行為は、つまり、多くの人々の労働環境を左右させることになるのです。

あるいは、カバールやイルミナティ達が、人為的に、意図的に、株の大暴落等も起こせば、同様のことが起きます。
暴落の起こし方の一つとしては、以下のようなものでしょう。

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『七十六:News_No.238』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/news_no238-04de.html
(以下、『朝日新聞』朝刊、2013/6/15記事。6ページ目の経済欄に掲載の記事を引用します。)
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●5・23暴落「すべて想定通りだった」 米ヘッジファンド暗躍

日経平均株価の終値が13、14の両日に1万2千円台になり、日本銀行が4月に大規模緩和を始める前の水準に戻った。
一時は1万5600円を超えたが、5月23日に1143円暴落し、下落に転じた。
背後にいたのは、米国のヘッジファンドだった。

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米西海岸に拠点を置くヘッジファンドの首脳は実は、23日の1週間も前から大規模売りの準備に入っていた。
「日本株は急激に上がりすぎだ。逆回転があってもおかしくない」
社内のチームを呼び集め「日本株の急落に備えろ。勝負は数日以内」と指示。
割安だった時期から買ってきた大量の日本企業株式を売る計画をたてた。
下落の兆しを察知したら、売り始める権限を現場に与えた。

ファンドの重要顧客には「もう、日本株の投資はタイミングが遅い。あとは下落するだけ」と連絡した。
周到な根回しだった。

日本時間5月23日(西海岸時間の前日夕)。
日本の株式市場が大きな下落に転じた。
準備が整っていた社内には驚きはなかったという。
日経平均が映し出されたモニターをみながら、事前に打ち合わせた通り持ち株を粛々と売っていった。

■主戦場は日本

東京市場は大荒れになり、日経平均株価の下落幅は1千円を超えた。
しかし、このヘッジファンドの西海岸のオフィスは平穏そのものだったという。
首脳が混乱を避けるため、「電話は緊急時のみ。それ以外はメールなどで済ませろ」と指示していたからだ。
最後まで社内では電話が鳴らなかった。
首脳はこう語る。
「すべて想定通りだった。今の日本は投資には最高の場所。ヘッジファンドの主戦場だ。」

首脳は、日本株投資を10年以上続けていた。
日本でのマグロの消費量から、百貨店・三越の高級腕時計の売れ行きまで、日頃から細かくチェックしているという。
その中で、上げ幅を拡大していた東京株式市場は、実体経済との隔たりが限界にきている、とみた。

■手口明かさず

いくら儲けたのか、具体的にどの企業の株を、どんな手口で売ったのか---は明かさなかった。
ただ、日本株の上下で今後も儲けるつもりだという。
「数ヶ月たてば、日経平均は再び1万6、7000円をつけるだろう。それを見越して、割安な株式は買っている。また利益が得られると思う」

他のヘッジファンドも日本に注目している。
別の米ヘッジファンド幹部のアダム・グロスマン氏は「国の政治や経済の政策が変わるとき、株式や債券の市場は、振れ幅が大きくなりやすい。まさに日本はそれが起きた」。

米調査会社によると、米国を中心に世界のヘッジファンド業界の運用資産は、3月末時点で約2兆3700億ドル(約240兆円)。
1年前より1割以上増え、過去最高を更新した。
この巨額のお金はいま、日本の株式市場に流れこみ、海外投資家の買い越し額は約10兆円にふくらんだ。
そのお金がいま売りに転じて、相場を下落させている。

一方で、あるヘッジファンド幹部は「かなり著名なヘッジファンドが、日本株をさらに大量に売ろうとしていると聞いた。動きが気になる」。
ヘッジファンドどうしの綱引きは、日本株の乱高下を継続させるおそれもある。
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(引用終わり)
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ここまで、題意に沿って、「私達の住む星、地球は一つの収容所とみなせる」と言うために、資料を交えながら、書きました。

ここからは本題に返りましょう。

上記のような地球の状態だと、地球の外に待機していると思われる、宇宙人の方々ならば、次のように考えるのではないでしょうか。

  「数多くの地球人が、カバールやイルミナティ達によって、苦痛の檻の中に収容されている。私達(宇宙人)は、ぜひ、数多くの地球人を救済したい」

という願いから、地球人に対して、救済の手を差し伸べているのではないでしょうか。

その、「救済の手」というのが、冒頭に書いたように、地球人の側からは「誘拐」のように見えるけれど、それは、より広い視点から見れば、収容所惑星、地球からの「解放」ということになってはいないでしょうか。

私が上に書いた情報を、吸い上げられた宇宙船の中で、宇宙人から伝えられたら、宇宙船に吸い上げられた人は、今までの認識と常識がくつがえり、「宇宙人が私を救ってくれたのだ」とならないでしょうか。

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実際、カバールやイルミナティ達の仕打ちに、疲れている人々の、その数は多いと予想します。

ですから、色々な、世のしがらみが無くなっている人々ならば、宇宙人からの救済の手を願う人々も、後に出てくるのではないでしょうか。

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この段落では、「一般に、『宇宙人の地球人誘拐』と言われている現象を、別の角度から考えられないか」という視点で書いてみました。


                                       坂本 誠

2018年4月29日 (日)

三千二百四十七: メディアを見て気付く世界情勢

こんばんわ。

他の方でも「アメリカ」という国名を出して、「現在のアメリカは何をしているか」等を論じたりしています。
ですから、「現在のアメリカは、、、」等のように書くと、読者の側は「アメリカ国の全てのアメリカ人が、、、」のように、全アメリカ人を指しているような気がすると思います。

しかし、少なくとも、私が書くところの「アメリカ」という単語を出すときには、全アメリカ人の意味では無く、ほとんどの場合で、アメリカ国内のカバールとかイルミナティとか、あるいは、シオニストと呼ばれる人のことを意味しています。

何となれば、アメリカの国内でも、平和を愛したり、多くの外国人との友好関係のことを考えていたりする方も多いでしょう。
もちろん、そのようなアメリカの方々と、アメリカ国内のカバールとかイルミナティとか、あるいは、シオニストと呼ばれる人には著しい違いがあるので、分けて書く必要があるからです。

もちろん、他の国の人々でも、そう考えて書いている人の方が多いのではないでしょうか。

しかし、どれぐらいの数で、イルミナティがいるのかというと、下のビデオによると、

『三百十九: イルミナティについて 』
●ジェイ・パーカーインタビュー①
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no35-53fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=W02bxSqtc-I



(太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)

●ジェイ・パーカー:
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字幕:「ジェイ・パーカー:どの様に3400万人の悪魔崇拝イルミナティアメリカ人達が地球を混乱させ続けるよう助けているのか。

「イルミナティや他の闇のカルトネットワークはおそらく、9600BCの地球大変動にまで遡ります。」
「大変動の後に、地上の人類は衝撃と落胆の状態にありました。」
「私の調査からその特定の時代は、、、、闇のカルト信者達はインドやバビロンでの文明の再起動において、決めたのです。」

「地球全体を支配してもいい筈だとね。」

「人々を闇に閉じ込め続け、私達は基本的には邪悪な司祭職になり、そして彼等のマインドを支配するんです。」
「ですからその様にして彼等は神よりも金持ちになったのです。」
「そして一旦お金を持つと、政治家や王族を腐敗させる事が出来ますし、そして基本的にはゆっくりと社会を支配していく事ができるのです。」
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(引用終わり)

のように、アメリカ国内には約3400万人のイルミナティがいると報告されています。
現在のアメリカ国内の総人口は、約3億人でしょうから、実に、総人口の約10%がイルミナティとあると、「これは問題だ」と多くの人々が考えるのではないでしょうか。

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ここからが本題です。

あまり、人々に知られないイルミナティの行状を挙げるだけでなく、世界中の多くの人々が、テレビや新聞だけで確認できる内容を書くことにします。

私達の現代史においても、アメリカ(上の前書きに書いたように、全アメリカ人の意味ではありません)は、第二次世界大戦後も、常に、世界中に敵を欲して、探しているように見えないでしょうか。

つい、先頃にあったことを挙げてみると、アメリカ(全アメリカ人ではなく、一部のアメリカ人のこと)は中国に難癖をつけて、戦争の火種を世界にちらつかせていたことを多くの方々は覚えていることでしょう。

また、シリアもそうですし、アフガニスタンやパキスタン、イランやイラクも、そうでしょう。
また、アフリカで有名なところと言えば、リビアでしょう。
また、パナマなどの中南米もそうだったでしょう。

また、アジアだとベトナムとか、現在では北朝鮮と言えるでしょうか。

そして、アメリカが一様に言うには、「それらの国が、世界やアメリカにとって、非常に脅威の存在である」と、声高に世界中に伝えていることを、ほとんど世界の人々は確認出来ることでしょう。

そして、現代に至るまで、次々と、そして、未来に向かって、止むこと無く、

  「どこそこの国や地域が、世界やアメリカにとっての脅威であり、今すぐにも軍隊を送る必要がある」

と、延々と主張し続けていることに気が付くでしょう。

ですから、この記事の読者の方々は、上記の状態をつぶさに観察して、「この話自体が、おかしいのではないのか?」という疑問が生じ始めるのではないでしょうか。

読者の方ならば、

  「そう言えば、延々と止むこと無く、いつの日にも、世界のどこかからか、アメリカの敵とも思える国が現れて、アメリカが言うには、『あの国が悪い、この国が悪い、その国が悪い』と、延々と世界に向かって言い続ける姿には、非常に非現実性を感じる」

と、気付き始めるのではないでしょうか。

そして、軍隊を送った後には、その世界中の、それらの地域に、アメリカ軍の基地を建設している光景を見て、読者の方は、

  「それ、って、ひょっとして、まさか、世界征●か、世界支▲、、、?」

と感じたりするのではないでしょうか。

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ここまで、カバールやイルミナティに絡んだ内容では無く、世界中の人々が、日常で見ているテレビや新聞で確認出来ることでしょう。

つまり、表に見えている状態を書いただけでも、「そう言えば、これって、、、」と言い始める方も出てくるのではないでしょうか。

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というわけで、ここからは私の見かけたネット上での情報を合わせてみますと、

『六百八十六:私の見かけたビデオ_No.51』
「●中国防空識別圏騒ぎについて」
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/12/_no51-2a5e.html
http://www.youtube.com/watch?v=WGkFh8Vm_3g



(上記ビデオより抜粋して引用)
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何故なら、アメリカと中国がわめき合う事によって、アメリカが更に軍備を強化する事を許し、韓国と日本に無用なハードウェアやソフトウェアを売る事が出来るんです。
それから中国には、自分達のハードウェアや自分達のおもちゃに支出させる事を正当化させるんです。
そして彼等はこれを毎年やっているんです。
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(引用終わり)

『二千六百八十八:私の見かけたビデオ_No.67』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/_no67-29ed.html
https://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



1:29:29ぐらいから、同ビデオのキャスター、フォスター・ギャンブルが現れます。
そして、アメリカ合衆国のロバート・マクナマラ元国防長官が同ビデオの、1:30:31ぐらいから登場します。
ロバート・マクナマラの写真は、同ビデオからの引用です。

(上記ビデオより抜粋して引用)
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●キャスター(フォスター・ギャンブル):
アメリカが偽りの口実で、ベトナム戦争に介入したのは、裏付けのある事実です。
ロバート・マクナマラ元国防長官は、トンキン湾での、軍艦攻撃は実際には無かったことを認めています。

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■ロバート・マクナマラ:
「あの日、攻撃されたという判断は誤りで、攻撃は無かったのです。」
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(引用終わり)

『二千五百九十九:銀行制度についての種々の話題_No.11』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no11-48fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

ビデオでは、1時間21分33秒近辺から紹介されています。
引用した文章と写真は、同ビデオからのものです。

(ジョン・パーキンス)
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使った手法は多くありますが、もっともよく使った手法は、石油のように企業が欲しがる資源を持つ国に行って、世界銀行やその系列の組織から、その国への巨額の融資を手配すると言うものです。

しかし、貸し出された資金の大半は、その国でなく、ベクテルやハリーバートン、ジェネラル・モーターズ、ジェネラル・エレクトリックといった、米国企業の手に渡り、その国に強大なインフラを構築します。

富裕層のための発電所、高速道路、港、工業団地などで、貧困層はその恩恵をほとんど受けられません。
むしろ、貧困層は巨額な貸り入れの返済のツケを被ります。
教育、医療などの社会福祉に充てられるべき金が借金返済に充てられるのです。

意図的に、国に莫大な負債が残るようになっています。
すると、エコノミック・ヒットマンが、また行って、言うのです。
「こんなに借金があるのに、どのようにしても払ってもらうからな」。

反米の大統領が選出されると、すぐに行きます。

「おめでとうございます。私は大統領とご家族を大金持ちにして差し上げる事が出来ます。私達の方法に従えば、このポケットの数億ドルは大統領のものです。そうしないなら、もう一つのポケットには、貴方の名前入りの弾の入ったピストルが入っています。選挙公約を守って、我々を追い出そうとした時のためにね、、、アメリカの石油会社の安く石油を売るか、次の国連投票でアメリカに賛同するか、イラク等世界のどこかに、米軍を支援する部隊を送って下さい」。

このようにして世界帝国を築いたのですが、その事を実際に知っている人は、ほとんどいませんでした。
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(引用終わり)

『二百六十一:私の見かけたビデオについて_No.28』
●ヒラリー・クリントン-私達がアルカイダを作った
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/_no28-8f79.html
http://www.youtube.com/watch?v=CWK9j41BY6c



公開日: 2012/05/24
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(以下、上記ビデオ概要)
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「私達はパキスタンに出入りしているような歴史もまたあるのです。」
「そしてここで思い出してみて下さい。」
「今日私達が戦っている人々は、私達が資金援助したのです。」
「20年前にです。」
「私達はそうしました。なぜならソ連とのこの闘争で身動きが取れなくなったからです。」

「パキスタン軍統合情報局やパキスタン軍と契約しましょう。」
「ムジャーヒディーンをリクルートに行きましょう。』だとか『素晴らしい、サウジアラビアやその他の場所からも何人かリクルートしてイスラム協会へ連れ込み、そうしたら我々はソ連を倒す事ができるんです。』とね。」
「彼等は撤退し、数十億ドルを失い、ソ連崩壊に繋がったのです。」
「ですからここには非常に強い論争もありますが、それはソ連を終わらせるのには悪い投資ではなかったというものです。」
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(引用終わり)

『三百二十四: イルミナティについて_No.2』
●ジェイ・パーカーインタビュー②
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no2-299b.html
http://www.youtube.com/watch?v=b-MG_sojSz4



●ジェイ・パーカー
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「どの様にウォール街や英国銀行家達が、ヒトラーを資金援助したかについてです。」
「第二次世界大戦終戦の一か月前まで、国際決済銀行はスイスでナチスからアメリカや英国の銀行へと支払利息を受け取っていたんです。」
「ですから、彼等はヒトラーへの投資で支払いを受けていたんですよ。」
「第二次世界大戦終戦の1ヶ月前までね。」
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(引用終わり)

まだまだ幾つもあるのですが、ここまでにしておきます。

ですから、カバールやイルミナティやシオニストと言われるグループで無い、他の多くの善良な、アメリカ市民も多いのですから、善良なアメリカ市民の方々ならば、以下のように考えることでしょう。

  「これは、アメリカ政府が、カバールやイルミナティやシオニストにハイジャックされている。『敵』と思えし存在は、アメリカの外では無く、私達の内側にいる。」

と、気が付くことでしょう。

世界の多くの人々としても、

  「アメリカ国内の、カバールやイルミナティやシオニストの手のかかっていない、善良なアメリカ市民の方々の、今後の行動は如何せん?」

と、考えるのではないかと思います。


                                       坂本 誠

2018年4月24日 (火)

三千二百四十六: メモして置きたかったこと (独白)

こんばんわ。
まず、本題を置いて、お知らせからです。

『三千二百四十一: お金の問題点を把握する』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/04/post-f2b5.html

で、御紹介した引用文献の内で、

●FRB連邦準備銀行は獣の頭 アーロン・ルッソ監督 FED is a head of the beast
https://www.youtube.com/watch?v=tDn56473Ts8

の動画が、なぜか削除されていました。

どうして、削除されたのか、私も知る由はありませんが、そのビデオの写真(正確には、JPGファイル)を残しておきましたので、アーロン・ルッソ監督の横顔を知ることが出来ますので、それを掲載しておきます。

Photo

当然、「私は、そのビデオを見たことがある」ということも証明していますよね。
以降は、本題に入らせて頂きます。

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『三千二百四十二: 天変地異と地球上のことを考えていると(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/04/post-52d0.html

の続きのような感じになるのだけど、「天変地異によって、多くの地上の人間が造物主によって、大量殺害されているようだから、地球や地球の造物主は、大量殺人者ではないだろうか」と書いた。

それだけではなく、宗教的な文書を見ると、おかしなことが書かれていることに誰でもが気が付くと思う。

例えば、昔の人が山上に登って、そこから十個の声が聞こえて来たそうだけど、その内の一つに、「あなたは人を殺してはいけない」という教えがある。

ここで言う「あなた」というのは、人間のことらしい。
つまり、その声が言うことには、「人間は、他の人間を殺めてはいけない」と言っている。

しかし、その声の主と思える存在が、その後も、その文書に登場してくるのだけど、その存在は、結構、人を殺めていることに気が付く。

だから、今、私が書いている、この文書を読んでいる読者ならば、以下のような疑問を、その存在に聞いてみたくなるのではないだろうか。

  「あなたは私達、人間に対して、殺人を禁じましたが、あなた自身は、人々を殺めることが出来るのですか? もし、出来るとするならば、どのような理由で、人を殺めることが可能なのでしょうか?」

等々、、、。

ここから先を考えても良いのだけど、これを読んでいる読者の方の中には、本当に頭痛を抱えながら、その苦痛のさなかを考えることになるかもしれない。

だから、その先を書くのを止めておくのだけど、要は、「この、私達の世界は、あまりにも難しすぎるのだ」と理解出来たら、それで良いわけです。

「地球の神様と思(おぼ)しき存在が、私達に無理を言っているのだ」と、あなたが感じてもらえるように書いたのだから。

ついでながら、書いてしまうと、上の話を書いただけで、「私達の世界は、最初から何も無かったのと同然だろう」と感じる人も出てくることだろう。

ついでながら、私達は宗教というジャンルや拘束からも解放された方が良いと思うので。

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あと、私達の現在の問題点として言えるのは、公務員システムとかマスメディアのシステムだろう。

例えば、公務員達が、カバールやイルミナティ達の存在を知ると、彼等としては、「このカバールやイルミナティ達を更生施設とか、その手の病院とか、あるいは医療刑務所の中で、治療的な拘束を実行する必要があるだろう」と判断するかもしれない。

しかし、それらの公務員達が、カバールやイルミナティ達を簡単に逮捕していくと、結局、資本主義社会を終了させてしまうかもしれない。
そうなってしまうと、現在、それらの公務員達にとっての安住の生活を約束している筈の、資本主義社会を自分自身で破壊してしまうことになり、結局、彼等が苦労して手に入れた現在の地位やポストや高給を、自ら破壊してしまうかもしれない。

そうなってしまうと、それらの公務員達にとっては、自分で自分の首を絞めることになるかもしれない。

そうなったら、それらの公務員達は非常に困るから、このようなカバールやイルミナティ達の情報を見て見ぬふりをするかもしれない、という問題があるように、私達は考えることが出来るだろう。

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あるいは、マスメディア側にしても、同じ事が考えられる。
なんとならば、マスメディアというのは、そのほとんどが株式会社であることがわかる。

だから、カバールやイルミナティ達のことを大々的に報道すれば、資本主義システムが消失するかもしれないので、それを実行したら、自分達の株式会社も消失してしまうかもしれない。
「そうなってしまったら、マスメディアに務める人々の明日の給与は、どうなるのか?」という、疑問が私達に浮かぶだろう。

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要するに、この世界が金銭で作られていたら、金銭至上主義が生まれる結果、「どんなものよりも金銭の方が大事」という感覚が生まれ、その感覚が職務に対する正義感とか、使命感をも超えることがわかる。

要は、お金のちからが、人の正義感や使命感をも破壊することがわかる。

これぞ、カバールやイルミナティ達が望んでいる世界だとわかる。
なんとならば、カバールやイルミナティ達にとっては、彼等以外の人間を奴隷視しているのだから、その奴隷達が、正義感や使命感を持ってもらって、自分達であるところの、カバールやイルミナティを逮捕してもらったら困るわけだ。

だから、カバールやイルミナティ達にとっては、彼等の作っている金銭こそが、地球上の全てのものよりも価値があり、当然、人間の正義感や使命感を超えるちからを、お金に与える必要があることがわかる。

だから、

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『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)
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で、紹介したように、国家単位で、その内部をお金で充満させておけば、カバールやイルミナティ達が言えることには、

  「お前達のお金が無くなるのが、怖いだろ? だから、お前達は、変に、自分の職務に対する正義感や使命感を抱くな。お前達は俺達を拘束するな。お前達は自分達の金銭や地位を安泰なものにすることだけを考えていればいいんだ」

等のような、脅しのセリフを私達に言えることになる。

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上記のことが、目下の私達の大きな問題点と言えるだろうけど、問題点をピックアップしておいて、メモっておけば、これらの問題に対する解決方法を思い浮かぶのも早くなるかもしれないと思って、日記の方にメモしておくことにした。


                                       坂本 誠

2018年4月23日 (月)

三千二百四十五: 宗教と地球上のことを考えていると(独白)

三千二百四十二:天変地異と地球上のことを考えていると(独白)』の続きのような段落です。

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古来から伝わる宗教書を紐解く機会があると、一様に、「地上に住む人間達が悪い」というような手合いの文章が記載されていることに気が付く。

しかし、「本当に、私達が悪いのだろうか」という疑問を抱きはしないだろうか。

色々、様々に書いているのだけど、これらの情報を総合的に見て、全てが全て、地上の人間が悪いのだろうか。

P4200183

 

こんなことを書いていることからも、私が宗教の人では無いことがわかるだろう。

というのも、たいていの本を選ばずに、宗教という手合のジャンルの本を開いてみると、「人間側の悪は悪くあり、神の側は栄光の存在だから(神の側に対しては全く疑問を抱かずに)、ただ、ひたすら神の側を崇めなさい」という手合の文章が書かれていることに気が付く。

こう書いてみると、ハッと気づきはしないだろうか。

  「通常、神の側が非の打ちどころも無く、全く疑問をはさむ余地が無いようにとされていることは、本当に正しいことだろうか」

と。

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つまり、このような「教え」という、そのものに対して、疑問が持てないような感じにしている部分にも、疑問を持った方が良いのではないだろうか。

また、それ自身に、一つの盲点があったことに気が付くと思う。

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私が思うに、多くの宗教書では、「地上に住む人間達が悪い」と、しばしば記載されているの見るだけど、一般に言う、いわゆる神の側に対して、私達は、疑問の目を持ってはいけないのだろうか。

例えば、私は時折、カバールやイルミナティの記事を書いているけれど、いわゆる神の側の方が、私達、地上の人間に対して、あまりにも、過大な目標を与えていたとは考えられないだろうか。

P4200204

 

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また、神の側で建てた目標があったにせよ、それ自身の目標に対する、正当性や、効果や、結果や、その他の様々な影響を、再考や再判断することがあったのだろうか。

古くから、一概に、「地上に住む人間達が悪い」と言い続けていると言うことは、他ならぬ、神が建てたとされる、その目標や計画、それ自体に、何らかの誤りがあったと言えないだろうか。

なぜならば、それほど長い間、地上に住む人間達の側の改善が行われなかったとあるならば、計画そのものに落ち度があったとも言えるのだから。

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そのような手合いの本や文献を読んでいると、一様に、「地球の惨禍は激しい」とはあるけれど、それだと、御自身の非の結果から生み出されたようなものだから、その地球の惨禍と言っても、それは、地上に住む人間だけの責任では無く、やはり御自身の責任ではないだろうか。

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私自身は、神とか地球の造物主と言われる存在がいると信じているのだけど、それらの存在を盲目的に愛しているかというと、そうではない。

P4200199

 

なぜならば、何かの存在を盲目的に愛すれば、上に書いたように、何らかの盲点を見落としやすくなるからだ。

私に言わしてもらえれば、彼自身の抱いた目標が、他の地上の人々に対して、あまりにも高尚であり、あまりにも困難であったため、地球の惨禍が起きていると思う。

だから、全てが全て、地上に住む人間が悪いとは言えず、どちらかというと、建てた計画そのものの問題性の方が強かったと思う。


                                       坂本 誠

三千二百四十四: 緑の飛翔

       緑の飛翔


  緑の萌え始める中
  草原の上で 車を走らせている。
  若木の枝々が 草原の両脇から
  幾つもの緑の手を
  水平に伸ばしてくるかのよう。
  
    柔らかい陽射しが
    若木の芽をかすめて
    淡い緑のシャワーを降らせてくる。
    梢(こずえ)の間の青空から
    散乱する光を織り交ぜながら。
  
  車のタイヤが空を切りつつ
  僕を運びゆく。
  車道の脇から伸びてくる
  若木の枝々と 僕の両腕が
  結びつき 絡み合い 融け合ってゆく。
  
    心の腕が 青い天頂目がけて 伸びてゆく。
    青空からは 天の腕が伸びて来て
    僕の手と 静かに 組み合わされてゆく。
    草原の上を 羽が生えながら 無心に抜けてゆく。
    一つの音が 草原の上を 軽やかに 流れるかのように。


       坂本 誠

三千二百四十三: お金の問題点と人々がタブー視する社会問題について

こんばんわ。

三千二百四十一:お金の問題点を把握する』とか、お金の奥深い事情を書いていたら、やがて、通常、人々がタブー視している社会問題が見えてきやすくなることでしょう。

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例えば、私達の社会でよく見かける会社です。

世には、数多くの会社があります。
そして、それらのほとんどが、「地域社会の発展を目指して、自社の産業活動を展開しています」と語っています。
しかし、現実には、それらの会社のほとんどの本音とは、「自社の売上高の増加のみを目指している」というパターンではないでしょうか。

あくまで地域社会の発展というのは、表向きの発言であり、「金を得られるかどうか」が本当の狙いとなっているのではないでしょうか。

というのも、以前から書いていることですが、「人間は、(カバールやイルミナティ達の制作・配布している)お金が無ければ生きていけないのだ」という、考えや恐怖を、心底に深く刻み込まれている事態があるからです。

以下の文献を、再引用します。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にしています。

『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。

Photo


維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)

江戸時代には、日本の人口の8割から9割は農民であったことがわかっています。
ですから、実に、江戸時代までは日本の人口の8割から9割の人は、お金を使用していなかったことがわかります。

確かに、江戸時代でも、都市部ではお金が使用されていました。
しかし、比率から考えれば、日本の人口の1割から2割しか、お金を使っていなかったことがわかります。

よく、テレビの時代劇では、都市部の町民の暮らしぶりばかりが描かれているのに気が付くでしょう。
そのような時代劇中には、江戸時代の町民も、多くのお金を使っている光景が描かれていますね。
そうなると、私達は、「江戸時代でも、多くの日本人はお金を使っていたのだ」という誤った事実が、頭にインプットされてしまうことになります。

この、頭にインプットされた、誤った事実を消去した方が良いでしょう。

また、あなたも、日本の昔話の語られた絵本とか小説とかを読んでも、江戸時代の農民達が、大量の小判や古銭を手にして、物品の交換を行っている、という光景を見たことは無いでしょう。

そして、次に言えることが、上記のように、「社会の上の人」と言われる人が、どこからかやって来て、いきなり、日本の経済システムとか社会システムを、強引に自分なりにセットしたことがわかるでしょう。

時の為政者が、日本の経済システムを、全て、お金を基礎として、それを無理矢理、日本の多くの人々に使用させたことがわかります。

当たり前の話ですが、日本の中央銀行である、日本銀行も明治時代に設立され、日本の株式会社も明治時代以降に作られました。

話を元に戻すと、要するに、江戸時代までの日本人だと、その8割から9割の人は、お金を使わずに生きていたので、「絶対に、人間の間で、お金が無ければ物品交換などの暮らしが出来ない」ということは誤った考えであることがわかります。

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世の会社などで、お金が絶対視・崇拝視されている風潮があることは非常に大きな問題だと思います。

なぜならば、多くの会社には上司と部下がいます。
現在では、様々な上下関係がありますから、会社単位で考えるのならば、発注元と発注先(下請け)も、上司と部下と言えるでしょう。
また、正社員とアルバイトの関係とか、派遣先の正社員と派遣従業員も、上司と部下と言えるでしょう。

それらの上司と呼べる人々が、部下とも呼べる人々を、お金で拘束している状況も多々見かけるのではないでしょうか。

と言っても、言葉の上では、あまり、「お金」という単語は出てきません。
しかし、現実には、そのほとんどが、「お金」のみのこととして考えられているのではないでしょうか。

会社の上司としては、お金を使うことによって、部下を操れることに気が付きます。
なんとならば、その部下達も、お金目当てに、その仕事に就いていることが、非常に多いからです。

だから、会社の上司が部下を叱る言葉の一つとして、

  「俺の言うことを聞けず、この仕事が嫌だったら、辞めろ」

という言葉があるでしょう。
しかし、実際に、この言葉を言い換えてみると、

  「お前達は、お金が欲しくて、この仕事に就いているだろう。給金として、俺からお金を得たければ、俺の言うことに、全く口を出さずに、ただ、言われた内容の事のみを、(命令的に)さばけ」

実際には、上記のような、そのほとんどが、お金の脅しによって、何らかの仕事が進んでいる場合が多いのではないでしょうか。

また、部下の側も、主に生活費が必要なために、その手の仕事に就いているだけの場合もあるでしょうから、そのような場合だと、

  「我々は、ただ生活費が欲しいだけだから、職業倫理のことなんかは全く関係無く、ひたすら考えていることを打ち消して、ただ黙って、作業するだけにしよう」

と、このような場合も多いのではないでしょうか。

つまり、はっきり言って、全ての仕事が、お金と絡み合わされているので、このような状況が発生しており、職業倫理というのも、お金によって、完全に腐敗化あるいは破壊されていると言えるのではないでしょうか。

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そして、上では会社のことを書きましたが、人は会社に入る前には、たいていの場合だと、会社で人生を送るために、何らかの学業を修めようと努力しています。

あっさりと素直に書いてしまうのですが、少なくとも、現代の日本社会での、学生の方々は、主に、社会人になってからの高給を目指しているために、学校で勉強しているのではないでしょうか。

なぜならば、日本以外の社会でも多いかもしれませんが、高い学校を出たほど、社会に出てからの企業側で、高給がセットされているからです。

この、社会人になってからの高給を得たいがために、幼い頃からの勉強に励んでいる場合が、ほとんどだと思います。
なぜ、高給の方が良いかというと、解説しなくても良いかと思いますが、高給であれば、より多くの物品が手に入るので、その人間の方が、安心して、生活できるように、社会の方がセットされているからです。

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ですから、実に多くの人が、小さい頃から、本心としては嫌な勉強ばかりを強要されつつも、テレビ等に映る際には、「私は、たくさん勉強して、社会に出て、社会の役に立つ人になります」という、あの、ほとんど文面の決まったセリフが語られているのではないでしょうか。

しかし、私の書いているブログでは、カバールやイルミナティがお金を作り、それをもって、人類支配しようとしているので、お金を愛する方向に向かい、お金重視の社会に出ると、結局、カバールやイルミナティから見れば、その人達は、彼等の尖兵として使用されることがわかります。

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結局、職業倫理も、学業における純粋な向学心というのも、お金というツールを使って、目茶目茶に破壊されていると言えるでしょう。

このように、お金というツールを調べて行けば、通常、人々がタブー視している社会問題の実体を掴みやすくなるでしょう。

会社とか学業に関する、お金の問題を見てみましたが、その他の状況も考えられますので、それらについては、折に触れて、考えて見ることにします。


                                       坂本 誠

三千二百四十二: 天変地異と地球上のことを考えていると(独白)

三千二百四十:イルミナティや彼等に関わる地球上のことを様々に考えていると(独白)』の続きのような段落です。

時々、いや、最近では、しばしば、天変地異が起こっているようだ。

その天変地異によって、引き起こされた人間社会での、色々な不幸事がよく報道されている。

見ようによっては(わかりやすい言葉で書いたら実感しやすいから、わかりやすい言葉で書くのだけど)、身も蓋(ふた)も無い、はっきりとして、見える事実そのものを書いてしまうと、地球や地球の造物主というのは大量殺人者と言えないだろうか。

このように書いてしまうと、ちょっと人は驚いてしまうかもしれない。

P4190190

 

人間社会の中で、同じ人間同士が、殺めあえば、殺人の罪にて、厳しく咎められる。

しかし、地球や地球の造物主が、引き起こす数多くの天変地異については、その行為を、大量殺人の行いとは見なせないのだろうか。
また、天変地異については、動植物にも、大きな影響を与えているので、同様の呼び方がなされたらいけないのだろうか。

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もっとも、宗教的な本を開いてみると、最近では、人間の出す公害とか、あるいは、人間同士のいがみ合いの結果により、地球が汚染されたため、「仕方なく、地球浄化のために、天変地異が起こされている」という文章も見かけやすい。

それだったら、自身の立てた目標自体に無理があったと言えないだろうか。

特に、カバールやイルミナティレプティリアンに長々と付き合わされた結果、地上に住む多くの人々が、いがみ合うようになったとしたら、そのような人種と組み合わせた側にも、大きな責任があると言えないだろうか。

仮に、そのような人種と組み合わされていなくても、外国の人々や異民族の人々との居住となると、若干、その人々の間にはいがみ合いが出てくる。

ここでも考えられるのは、あまりにも、地球や地球の造物主の編み出した課題なり目的なりには、かなりの難しさがあったと言えないだろうか。

だから、考えようによっては、彼等の目的自体が、あまりにも困難過ぎて、地上の人間に達成しにくいとあるならば、やはり、それらの天変地異の原因は、地球や地球の造物主が生み出したと言えなくもない。

だから、やたらめったら、地上の人々が悪役扱いされるのは、いかがなものかと感じてしまう。

確かに、私達には、酸素を提供してもらったり、足を踏みしめる大地があったり、適当な気温や日光等を頂けたりしているものの、もっと別の多くの視点から、別の多くの角度から、私達の住む地球について、総合的に考えないといけないのではないだろうか。

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また、他の文献に見られるように、人間達の排出する環境汚染を、浄化するために、天変地異が起きている、とも言われている。

それだと、地上の人間が、環境汚染の原因とされているわけだけど、さらに一歩進んで考えてみると、種々の人間を入れ込む側の、目的自体にも、その原因があると言えるのだから、私としては、目的の変更も、十分考慮した方が良いと思う。

そうでなければ、人間の男女間にも、よくある話のように、別れ話が起きても当然の事だろう。

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普通の会社と呼ばれるグループにも見受けられるけれど、ある仕事がさばけなかった部下がいたとしたら、その部下の仕事状況について、色々と調べられたり、意見がなされるけれど、「その部下に仕事を与えた上司の方が、より正しく、その部下の仕事能力を把握した上で、その業務を与えたか」ということが問われることが多い。

P4190200

 

つまり、部下の仕事能力を超えてまで、何らかの業務を上司の方が与えて、その部下が、その仕事をさばけなかったら、上司の方の責任となり、つまり、「上司の方が、その仕事が出来なかったのだ」とされる。

だから、この状況が、私達に起こっていたと思う。

また、この点から考えても、地球が天変地異を乱発しないといけない程、地球が汚染されていたとしても、やはり、その汚染の原因を作ったのは、地球の造物主側にあると言える。

だから、私の見立てでは、地球に計画があるとするならば、幾つかは成功し、また、幾つかは失敗していると思える。

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そのように考えてみた上でも、「どうしても、地球の目指す方向と同じく歩んでみたい」と願う人々も出てくると思う。
私は、もちろん、そのような人達を止めもしない。
なぜならば、彼等には、彼等なりの目的や方向性や願いがあるからだ。

しかし、同時に、彼等とは違った目的や方向性を持つ人々がいる方が自然なのだ。

人間社会のどんなグループも同じであり、ある一定期間に、何かのグループに所属して、幾ばくかの時間が経てば、そのグループ内の人々の願いや方向性が違ってくる。
だから、方向性の似通った人々はいるものの、全ての人は、少しずつ方向性とか願いとか、進むべき方向は違っている。

P4200185

 

それと同じように、ある一定の期間が経てば、地球に、これ以上残りたい人々との意志が違ってくる方が自然なのだ。

だから、「どうしても、地球の目指す方向と同じく歩んでみたい」と願う人々も、今現在、地球の状況を冷静に見ている人達を見て、無理にでも同じ方向に向けさせる権利は無いことだろう。


                                       坂本 誠

2018年4月22日 (日)

三千二百四十一: お金の問題点を把握する

こんばんわ。

お金の問題点を考えるに当たり、まずは、江戸時代に流通した紙幣である「藩札(はんさつ)」について、過去、御紹介しましたので、それを紹介しながら行きたいと思います。
引用文献で、私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせてもらいました。

『三千十三:藩札(はんさつ)という紙幣について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-db1a.html
以下、『北九州市の100万年』 監修・米津三郎(海鳥社)より引用
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近世の北九州(大)
天災と人々のくらし(中)
2 藩札(小)

1635年に制度化された参勤交代の出費は、各藩の大きな負担となっていた。
1637年の島原の乱への出兵、そしてたび重なる飢饉は、藩の財政を圧迫していた。

小倉藩では1673年ごろから、財政関係を担当した家老渋田見勘解由(しぶたみかげゆ)盛治を中心として、経済の立て直しが行われた。
1678年企救群内の村方(むらかた)に対して、新地を対象に検地を実施し、年貢率を六%増やした。
家臣に対しては、地方知行制を廃止して、俸祿は蔵米を支給した。
そして、領内の年貢米を藩の蔵に一手に取りまとめて、大阪の蔵屋敷に送って貨幣に替え、藩の収入が増加するようにした。

さらに同じ年、小倉藩では財源不足を補うために、初めて藩札を発行している。
藩札というのは領内だけで通用する紙幣のことで、藩札の発行は1661年の福井藩を最初に、小倉藩は全国では12番目であった。
藩札の表には銀の値段が印刷されており、二分札から一〇匁札まで七種類あった。
一時、藩札は幕府により禁止されたが、1730年解禁となり、再び発行されるようになった。

通用する際には、元札所の加印が必要だった。
また、銀との両替は、米屋甚六、広島屋甚助、米屋喜兵衛、伊勢屋善次郎など有力な小倉の商人や、京都郡行事(ぎょうじ)村の飴屋(あめや)彦右衛門、上毛郡宇島(うのしま)の万屋助九郎などが行ったが、あくまでも藩札は代用の貨幣であり、銀と引き換えるために用意された現銀の不足もあって、表示通りには両替されなかったため不人気であった。
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(引用終わり)

このように、江戸時代から紙幣があったわけですが、その問題点として、「藩札は代用の貨幣であり、銀と引き換えるために用意された現銀の不足もあって、表示通りには両替されなかったため不人気であった」とあります。

なぜ、正貨である銀が不足したのでしょうか。
これが紙幣そのものの問題点なのです。
なぜならば、紙切れに数字を書いただけで、その紙切れがお金に変化するのです。

ですから、紙切れに、「10万両」とか「100万両」と書いても、それがお金として流通するのです。
そして、上の文献を参考に書くと、藩の側の為政者が、藩の赤字を解消するために、仮に、紙切れに「100万両」と書いて、赤字を得ている金貸し屋に、その紙切れを与えるのでしょう。
当然、巷には、正貨である銀貨にして、「100万両」分の銀貨が無い方が当然かもしれませんから、正貨である銀貨が不足します。
すると、庶民の間では、主に、正貨である銀貨が使用されているのでしょうから、銀貨の不足により、更なる経済難が発生します。
「たった紙切れに数字を書いただけで、お金になる」というのが、非常に、ありえない問題となることがわかるでしょう。

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ところが、現代でも、上に書いた藩札と同じ事が実行されていることがわかります。

(Wikipediaより、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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●日本銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C

日本銀行は、政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立する。
資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資する。
2010年(平成22年)3月末日時点における政府以外の出資者の内訳は、個人35.9%、金融機関2.4%、公共団体等0.2%、証券会社-%、その他法人6.5%となっている[1]。

最終更新 2014年6月19日 (木) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

上記の文献のように、日本銀行の株主として「個人35.9%」の個人がいて、その人達が、そのお札を作る費用としては、

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
-----------------------------------------
平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円、
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
-----------------------------------------
(引用終わり)

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
-----------------------------------------
参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
-----------------------------------------
(引用終わり)

上記の資本の元手で、お札を作れば、冒頭で藩札を紹介しましたが、それと同じように、非常な安い元手で、お札(お金)を作り出せることがわかるでしょう。

つまり、現代でも、各国の中央銀行の株主の人々は、「濡れ手に粟」式にお札(お金)を作ったり、あるいは、玉手箱から、宝物を取り出すかのように、お金を得ていることがわかるでしょう。

多くの人々は、小学校ぐらいの時分に、「自分は銀行の頭取になりたい。なぜならば、お金(お札)を作れるのだから」と冗談交じりで友人達と話した人もいるのではないでしょうか。
上記の資料から、「それを地で行っている人々も、本当に現代にいるのだ」とわかるでしょう。

しばしば、経済で重要と思われる人が、高い壇上から、「我が国の経済を、もっと発展させないといけない」と声高に、伝えている光景を多くの人々は見たことがあると思います。

まあ、しかし、中央銀行の株主である「個人35.9%」の人の考えを考慮したら、

  「私達は、お金という道具を使って、彼等に生活を、もてあそばれている」

と実感できるでしょう。

***************************************

それだけではなく、現代はコンピューター社会であることを忘れてはいけないでしょう。

以前は、お金を代表するものは、紙幣でしたが、現代では、

『三千七十:お知らせ_No.132』
●【解説】1913年、銀行システム、奴隷制度―アロンルッソ監督「自由からファシズムへ」インタビューより
http://hikirini.blog.bbiq.jp/blog/2013/03/_no132-6b48.html
http://youtu.be/c2HUsKG9Bp8

(※筆者注:現在、上のビデオは、なぜか削除されていますが、私はちゃんと見ましたので、そのビデオで語られた内容を書いておきます)

(ビデオより抜粋引用)
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不換紙幣と呼ばれるもので、不換紙幣では連邦準備会は好きなだけ無から作りだせるのです。
もうインク代もかかりません。
例えば100ドル札の印刷コストは3セントですが、3セントも必要ないんです。
コンピュータ上で数字を入力するだけですから、もう支払う必要はありません。
これらの数字を持っているとね。
--------------------------------------
(引用終わり)

(※注:上記ビデオはなぜか削除されていますが、参考として、以下のビデオをご紹介します。)

●FRB連邦準備銀行は獣の頭 アーロン・ルッソ監督 FED is a head of the beast
https://www.youtube.com/watch?v=tDn56473Ts8



要するに、彼等からしてみたら、お金というものは、タダ同然で作れるわけです。
そして、そのタダ同然のお金を使って、私達に配布し、「経済を発展させろ」と言っているわけですから、ここまで、あなたが読まれた段階で、あなたは、お金に対して、どのような印象や疑問を持ったことでしょうか。

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同様のことも、映画『スライヴ (THRIVE Japanese)』が紹介しているので、引用・掲載しておきます。

●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



(上記ビデオより引用)
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(ビデオの56分目辺りから)

Thrive_japanese__banker_1

これは、金(きん)で取引が行われていた17世紀の金細工師から始まっているようです。
金(きん)は携帯するには重いので、実物は金庫室に保管しておき、その受領証を取引していました。

この受領証が最初の紙幣でした。

一定の期間に金(きん)を引き出す人の数は限られているため、金庫室の所有者、現在の銀行は、実際に持っている金(きん)よりも多い受領証を発行するようになりました。

この受領証を貸し出して、実際には持っていないカネ、つまりは、金(きん)に対して利子をかけたのです。

これが部分準備制度の始まりです。

この制度では、人々がせっせと働いてお金を稼がなければならないのに、銀行家は、無からお金を作りだすことが出来ます。

大衆が、銀行に借金を返済するために働く、、、現代版の農奴制と言えるでしょう。

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(引用終わり)

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そして、現代の銀行システムの問題点を、子供の方でも、理解したいのならば、紙芝居を使用した以下のビデオを見て下さい。
上に私が書いたことも理解できると思います。

『二千五百八十三:銀行制度についての種々の話題_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no8-c8e8.html
●お金の問題点_0002.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=3ibrKBohE8o

『二千五百八十六:銀行制度についての種々の話題_No.10』
●「お金の問題点」の続き
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no10-9079.html
https://www.youtube.com/watch?v=T8DcvHSi-C8



(上記ビデオより抜粋引用)
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(村人達)
この村中かき集めても1000万円しかないのに、どうして1100万円払えるの?

と、村人が集まって言いました。


(銀行家)
みなさん、それは興味深い事ですね。
あなた方の生産効率はアップしませんでしたか?


(村人)
あなたはお金を作る事が出来るただ一人の人。
あなたは1000万円作っただけなのに、1100万円を要求している、、、
そんなの不可能だよ!


(村人達)
あなたがお金を取るので、この村にはお金が不足しています。
私達は必死で働いて利子を払っているけれど、ちっとも借金は減りません。


(銀行家)
もっとお金が欲しいんですかぁ?
でしたら、最近取得された物を担保にして、更に1000万円お貸ししますよ。


(村人)
まって、まって。
私達が一生懸命働いて、国は毎年発展するけれど、国の借金はますます増加する、、、


(銀行家)
国の文明化の程度は銀行への借金の大きさで測ることができるんですョ。
契約の神聖なる義務にのっとって、あなた方の資産を頂戴しましょうか?

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(引用終わり)

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そして、問題とされる彼等の側のセリフとしては、

『四百八十六:私の見かけたビデオについて_No.47』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no47-6032.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



以下の学習用に引用した写真や文章は、同ビデオから引用しました。

上記のビデオで、故人の言葉が引用されています。

ビデオの57分06秒辺りからです。
以下、57分06秒等の時間表記を「57:06」と書きます。

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  国民が我が国の銀行制度、通貨制度のことを理解していないのは良いことだ。
  もし理解しているなら、きっと明日の朝までに革命が起こるはずだから。
  
  --- ヘンリー・フォード(1922年)

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(引用終わり)

まだまだ、あまりにも豊富な資料があるのですが、あまりにも長くなっては冗長ですので、よろしければ、私のブログの方の過去記事中のカテゴリーの「ビジネス・投資」欄のURLをクリックして、読まれて下さい。

しかし、この上記のヘンリー・フォード氏のセリフの「国民が我が国の銀行制度、通貨制度のことを理解していないのは良いことだ。もし理解しているなら、きっと明日の朝までに革命が起こるはずだから」ですが、「その革命が起きるのはいつだろうか?」という疑問を、読者の方も持つかもしれません。

上記の「国民が我が国の銀行制度、通貨制度のことを理解していないのは良いことだ」とありますから、この「国民」というのは、1人でしょうか、2人でしょうか。
それとも、10000人ぐらいでしょうか。

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お札というのは、ただの紙切れに数字を書いただけのものだとわかりますから、「そのお金自体が悪い」というわけではないことがわかります。

お札というのは、ただの紙切れに数字を書いただけのものですから、それ自体が悪さをするということはないことがわかります。
要は、現代の人間社会で流通しているお金を、うまい具合に利用して、私達がうまいように利用されている、ということがわかるでしょう。

つまり、本当の問題点とは、お金を利用している、資本主義システムであり、その資本主義システムを実行・制作している側の人間達に、真の問題点があることがわかるでしょう。

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しかし、考えようによっては、お金(お札)自体にも、悪さをするような問題点があるかもしれません。

例えば、

『三百五十六:お知らせ_No.157』
●米20ドル新札、ユーロ新札には既にチップが埋め込まれ電波を発している
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no157-a44c.html
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/593.html
http://www.prisonplanet.com/022904rfidtagsexplode.html

(上記記事より抜粋引用)
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「ひょっとして札にチップが入っているのではと思い、通りの反対にある店でアルミホイルを買って、札を包み同じ店を今一度出る実験をしたら、反応しなかった。」
「つまり、やはり、チップが入っていたことが分かった。」
「RFIDはそのチップに盛り込まれた情報が電波で、読み取り機に発信される仕組みとなっている。」
あなたがいくら現金を持っているなどということは一発でわかるのだ。」
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(引用終わり)

このようなこともある以上、あなたも御自身の財布の中のお札に注意した方が良いかもしれません。

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まだまだ、資料はあるのですが、大量ですし、冗長さもあるので、折あらば、別記事で紹介します。

要は、あなたも現在の、この社会に、うんざりしてくると思います。

ですから、「真の経済改革が起きるのは、いつだろう」と、うんざりしている人も多いことでしょう。

私個人としても、正直なところ、「早いこと、このマトリックスの世界の外に行って、そこで温和な生活をしたいものだ」と、非常に強く願っています。


                                       坂本 誠

2018年4月18日 (水)

三千二百四十: イルミナティや彼等に関わる地球上のことを様々に考えていると(独白)

ブログのサブタイトル中に(独白)という文字が入ると、つぶやきみたいな感じになりますので、文章のスタイルが「です・ます調」ではなく、自分自身に語りかけている感じの文章スタイルとなります。

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時おり、自分のブログでカバールやイルミナティのことを書いているのだけど、彼等のことを書いていると、当然、彼等のことだけでなく、それに関わることにも考えが及んでしまう。

もちろん、私達の生活において、彼等は大きな問題と言えるのだけど、それを受け入れた側にも、大きな問題があると感じてしまう。

地球上に地球の造物主がいると仮定するのだけど、その造物主としてみては、地球上の多くの動植物・人間に対して「カバールやイルミナティの更生をしてやって欲しい」と言っているような気がする。

確かに、地球の造物主ぐらいの存在ならば、カバールやイルミナティに向かって、何らかの自信があって、彼等の更生に励めるかもしれない。

しかし、地球上の多くの動植物や人間からしてみたら、そのような彼(あるいは彼女)の目的を受け入れ、かつ、実行に励むかどうかはわからない。

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なんとならば、地上には数多くの動植物や人間がいるので、彼等には彼等なりの目的や意向があるので、「カバールやイルミナティの更生はしたくないし、また、付き合いたくもない」という動植物や人間も、多数出て来ても、何らの不思議はない。

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私が考えるに、かなり大きな説明不足が起きていたと思う。

例えば、地球の造物主が「地球は、ちょっと、苦労するような環境があるかもしれないけど住んでみませんか」という誘いが多くの動植物や人間に行われて、その、たった1行ぐらいの文章で、多くの動植物や人間は、yesかnoの二つ返事の居住を決めたのではないだろうか。

私が感じるところでは、実際には、地球上で居住したいと願えば、1万行ぐらいの精密な報告書を精読・精査した上、何人かのグループであれば、真剣な会議を何度も開いて、綿密な検討が何度も行われ、その上で、何回かの厳密なテスト的な地上生活を試み、それほどの厳選された推考を重ねに重ねた上で、初めて「地球上で生活してみよう」という、かなり厳かなお墨付きが無いと、生活することは無理なのではないだろうか。

はたして、そこまでの厳密・緻密(ちみつ)な検討を経た上で、「地上で幸福な生活を得よう」という願いをもって、いざ、地上で生活しても、相当に肩や肱が凝っているだろうから、幸福な生活を得るのは、ほぼ不可能であると感じる。

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何となれば、カバールやイルミナティの情報隠蔽もある上に、かつ、多くの動植物や民族が混在するとあるならば、それらの状況・情報を、かなり検討しないといけないのだから、「地球は、ちょっと、苦労するような環境があるかもしれないけど、、、」という、たった1行の文章で、居住を決めるとあるならば、これは、大きな説明不足の下に、大きな決定がなされていたことになるので、これはミスだったと思われる。

よし、かなり詳細な説明が、生まれる前になされていたとしても、「生前の記憶」となると、人が思い出せるかどうかの疑問もあるし、それを思い出せる人間がいたとして、多くの人が、その記憶を思い出せても、その詳細な説明に対して、全ての人が納得をしたとも思えない。
また、「生前の記憶」となると、ある人にとっては、思い出せないものであり、また、「そんなものは存在しない」と言う人もあり、つまり、この手の情報に頼ろうとすると、非常に説得力に欠けた主張や文章になってしまう。

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ここまで見ただけでも、かなり大きな説明不足があり、その説明不足の下で、カバールやイルミナティ達に対して、生活を行う結果、結局、「カバールやイルミナティの更生をしてやって欲しい」と話となるのだから、これは私達にとって、あまりにも過ぎた課題と思われる。

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現実には、カバールやイルミナティの悪影響を受けて、意に沿わず、ネガティブ化してしまった、多くの動植物や人間も多いのではないだろうか(別の言い方をすれば、犠牲者多数という状況になったのではないだろうか)。

もっとも、地球の造物主ならば、そのようなパワーや能力や意志があるのかもしれないけれど、彼(あるいは彼女)以外の、多くの動植物や人間は、彼と同じような能力や意思も無いかもしれない(あるいは、そのような動植物や人間の方が多いのではないだろうか?)。

この状況で、「地球の造物主の側が、例の件を多くの動植物や人間に課した」とあるならば、大きな説明不足もあるので、一種の強制とも言えると思われる。

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先日以来、私達の人間社会で、手抜き事業による、数多くの欠陥商品が出回ったので、かなり大きく報道されている。

というのも、そのような欠陥商品を消費者の側が手にして、生活すれば、数多くの生活上の不具合が出るので、時には、消費者の側とメーカーの間、かなり大きめのトラブルや争いが発生する場合も多いので、大きく報道される。

私達の生活と言うのは、いわば、このような欠陥商品と同じだったと私は感じる。

メーカーの側で、欠陥商品に関する詳細な説明があり、それらの欠陥商品に関する回収があれば、これは消費者の側が納得するので、メーカー側が責められることは無くなり始める。

しかし、欠陥商品に関する説明の無いまま、それが配布されていたら、それは人間社会の間では、とんでもない物議を醸すことになる。

私は、地球の生活と言うのは、この欠陥商品と、ほぼ同じだったと思われる。

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確かに、私達は、普通、あまり意識しないけれど、地球の造物主の恩恵を頂いて、生活している。

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幾つかのわかりやすい例を挙げると、まず、呼吸できるだけの酸素を提供されており、息が出来る。
また、足を踏みしめる大地もある。
また、朝から夕方までは太陽の日光を頂けるし、夕方から夜を超えて、朝までの間には、夜という名の暗闇を与えられるので、安眠できる。
また、適度な気温を頂けているので、通常は快適に、大気の中で生活をすることが出来る。
当然、これらが無ければ、多くの動植物や人間は生きることが出来ない。

このような生存するための基本的な条件を頂けていることに関しては、私達は感謝していると思う。

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しかし、「カバールやイルミナティの更生をしてやって欲しい」と、結局、そのような話と願いが与えられるとあるならば、そのような願いを受諾するような動植物や人間の数は、かなり少なくなるのではないだろうか。

また、上に書いた大きな説明不足を考慮すると、やがて、多くの動植物や人間は、地球上での生活を願わなくなるのではないだろうか。

地球の造物主には、彼(あるいは彼女)なりの目的や意志・意向があるのだろう。
しかし、彼の目的や意志・意向に、全ての動植物や人間が賛同するとは、私は思えない。

なんとならば、私達、人間の間でも言えることなのだけど、多くの人には多くの人なりの目的や意志・意向が備わっているからだ。

だから、それらの多くの存在達の目的や意志・意向が、地球の造物主の目的や意志・意向と一致するとは限らない。

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確かに、今まで、あえて敢行してきた、受難の道とも言えるような、造物主の目的や意志・意向に、賛同を寄せる動植物や人間もいるかもしれない。

地球の造物主とするならば、今一度、自身の目的や意志・意向に賛同を寄せるような、動植物や人間を集めて、再スタートをした方が良いと思われる。

しかし、私個人で感じるところでは、彼(あるいは彼女)の目的や意志・意向に賛同を寄せるような、動植物や人間は少ないのではないかと思われる。

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また、今まで、あまり、なされなかった詳細な説明が多くの動植物や人間に行われ、その上、地球の造物主の意向を変えたと仮定しよう。

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しかし、それでも、集まる動植物や人間は少ないのではないだろうか。
なんとなれば、今まで長く、この状況が継続され続けていたとあるならば、今後の未来に対しての信頼の面も、どうしても落ちてしまうのだから。

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昨今、地球上で、多くの動植物が大量死している件が報告されている。

そして、その動植物の大量死の件に関して、人間の科学者達が、一様に言うことには、「なぜ多くの動植物が大量死するのか原因が、はっきりしない」と報告している。

「人間の活動が、地球の大気や海を汚し、その環境汚染の結果、多くの動植物が大量死するのだ」という報告もあるけれど、一概に環境汚染だけでは、説明のつかない大量死も発生している。

これなどは、私が予想するに、多くの動植物が突然の大量死を迎えることによって、地球ではない、どこか他の安全な星に移動しているのではないかと考えてしまう。

地球よりも、遥かに安全な環境の下で、彼等は、再び、何らかの目的を持って、自身の生活を再スタートさせているのかもしれない。

私は、偽らずに自分の意見を言うならば、そちらの方が好ましいと思えるのだ。
その方が、多くの動植物にとって、幸福を得られる生活ではないだろうか。

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この動植物の大量死の件は、彼等だけの話に終わらない。

なんとなれば、この地球上での全ての生命の活動を考えると、全ての生命は、食物連鎖の一環の中で生活しているからだ。
当然、動植物が大量死すれば、この食物連鎖の一環が切れるので、やがて、他の動植物や人間の数も減ってくるからだ。

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それに最近では、地球上の各国で、人口の減少も起きている。
この、人口減少の理由は、幾つかあると思われるけれど、そのほとんどの原因は、私達の社会システムにあると私は考えている。

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このブログの過去記事にも書いたけれど、その多くの原因は、私達の社会システムに根幹に位置している、多くの人の金銭の収入の低下と、長時間労働等だ。

これは、カバールやイルミナティやイルミノイドの実行している、人類奴隷化計画に基になっている。
表現の仕方は悪いのだけど、的確な表現と思えるのだから使うのだけど、江戸時代の領主達が領民達に労働させるために、「生かさず、殺さず」という手合の政策を実施したそうだ。

「ある程度の重税をかけて、領民達を必死に強制労働させて、領民達から、出来るだけ多くのものをしぼり上げよう」というのが、この「生かさず、殺さず」という政策だったらしい。
この「生かさず、殺さず」の政策が、いまだ、私達に実施されている。

なんとならば、カバールやイルミナティやイルミノイド達は、地球上の多くの人間達に奴隷労働させたいのだから、この「生かさず、殺さず」の政策が、当然、私達に実施されることになる。
具体的には、各国に見られるような教育費の増大と、多くの人々の低賃金化と、長時間労働ということになる。

結局、多くの人々にとっては、非常に生きづらい生活を送ることになる。

普通、動植物や人間でも、「暮らしやすい」という生活環境だと、そのような世界では動植物や人間の子孫が増える。
なんとなれば、「暮らしやすい」生活環境というのは、子孫を増やしても、安全な状況だからだ。

ところが、「非常に暮らしにくい生活環境」というのは、当然ながら、子孫は増えない。

私が見るところ、上のような理由が、各国の人口減少の理由である。

ここから考えても、多くの人々も内心での「地球では、もう、暮らしたくはない」との願いが実現・実行中なのではないだろうか。

通常、人に知られることの無い、私達の内心にある、社会生活への怨嗟の思いが、人口減少を実行していると感じる。

これ以降、何らかのメリットを感じて、「未来にかけて、長いこと子孫と共に地球で暮らしてみたい」と願う人の数は少なくなると私は感じる。

確かに、私達には自由が保障されているから、「そのような世界に、ぜひ、居残りたい」という願いを持つ人がいても良いのだけど。

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あまりにも、難しい課題や願いを立てても、なるほど、その時だけに、ちょっと見ると、それは素晴らしいことのように見えるかもしれない。

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しかし、実現する際に現れる、諸々の困難さや諸々の苦痛を考えると、その願いに、賛同する動植物や人間は少なくなると思われる。
また、それは自然なことだと思われる。

これが、今の私達の社会で行われていることではないだろうか。

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私にしても、時々、カバールやイルミナティのことを書くけれど、彼等のことを考えたり、書いたりしていれば、当然ながら、どうしても、彼等とは対極にいる側の存在や、その意向を考えてしまう。

通常、あまり、それを書いてはいないけれど、カバールやイルミナティのことばかりを書いて、彼等と対極にいるとされる側の存在や、その意向を考えない、ということは無い。

それに、こんなことを書いているぐらいだから、私が宗教の人ではないと他の人にわかると思う。

久しぶりに、カバールやイルミナティと対極にいるとされる側の存在や、その意向について、私の考えていることを、つぶやくように、日記に書き留めて見ることにした。


                                       坂本 誠

2018年4月16日 (月)

三千二百三十九: 不幸感覚と競争・比較意識の絡みを考えると

こんばんわ。

最近、色々あって、ブログの更新頻度が落ちていますが、どうかご了承ください。

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私の周囲にいる人を見ていて、「私は苦しい」とか「私は不幸だ」と嘆いている方を見かける機会があります。 

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このような人を、第三者が見かけて、その苦しむ人の苦痛の原因なり対処方法を考えようとすると、まず、その苦痛を感じている人の苦痛状態を、しっかりと把握する必要があることに気が付きます。

簡単に書いてみると、例えば、「お腹が減っている」とか「私はカッコいい新車を買えないから不幸だ」とか「私は病気の苦痛があるので、不幸だ」とか「私は学歴が無いので不幸だ」とか。

そして、世の中は広いですから、上の例で挙げた「私はカッコいい新車を買えないから不幸だ」と本当に嘆く人もいるわけです。

しかし、苦痛状態をしっかりと把握する第三者の人が、その新車を購入できない人の苦痛を見ると、「この人は、本当に不幸と言えるだろうか?」という疑問を抱くのではないでしょうか。

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その調子で、世の中を見回してみると、その手の類の不幸感に苦しめられている人が、意外に大いに気が付くと思います。

ちょっとわかりやすく、他の類似の例を挙げてみると、「私は美味しいアイスクリームが食べられないので不幸だ」、「私は素晴らしい多くの衣服を持っていないので不幸だ」、「私は会社内での肩書きが低いので不幸だ」云々、、、

このような「不幸」というよりも、「欠損感覚」というのを、具体的に見てみると、

  「このような人の多くは、他人との比較や競争感覚が強い。だから、その人の競争意識や比較意識そのものが、その人の不幸の源である

と、私達は言えるでしょう。

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もっとも、上のような状況でも、数多くの様々な状況がありますから、他の原因が混じって来る場合も多いのですが、やはり、大きな原因としては、「その人自身の、競争意識や比較意識そのものが、その人の不幸の源である」と考えられるでしょう。

つまり、自分以外の他の人々と、その人は比較ばかりをしていることが、その人の不幸を作り出しているのです。
しかし、当の本人自体は、「自分の不幸の源は、自分には無い」と、信じ込んでいるケースも、かなり多いです。

つまり、そのような人は

  「私は、周囲の人々と比較ばかりをしている人間なのだ」

ということにも気づいていないことがわかります。

ですから、この手の不幸感覚に陥りやすい人は、「私は周囲の人々と比較ばかりをしがちなタイプではなかろうか?」と、自問自答することが、その方の不幸脱出の方法の一つとなるのではないでしょうか。

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ところが、ここから、私達は更に一歩進むことが出来ます。

私達が更に一歩進んで考えることには、

  「どうして、世の多くの人々は、こんなにも競争意識や比較意識ばかりを持っている方が多いのだろうか?」

です。

ですから、私達の社会を、今一度、詳しく見てみましょう。

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私達は幼い時から幼稚園や学校に入れられて、そこで教えられることには、「他の人よりも学力を高めましょう」等の競争意識が、強められていることに気が付くでしょう。

「他の人と競争をする」ということは、つまり、「他の人と比較する」ということです。

これが、数多くの人々に教え込まれて、実践を強要されるので、私達の社会に見られるように、「周囲の人々と比較することによって、不幸になる人」を多く見かけることになるわけです。

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要するに、国家ぐるみで、「競争意識を強めなさい」となっていることが、私達の多くの不幸を生み出していることがわかります。

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次には、「なぜ、地球上の多くの国家は、自国民の競争意識を強めようとしているのか?」という、更なる疑問が私達に湧くことでしょう。

それを考えてみると、国家の上の人々としては、他国と競争させようとしていることがわかるでしょう。

あたかも、他国の人々を敵のように見なして、さて、言うことには、

  「その他国の商売敵の人に負ければ、あなたがたは倒産した企業の人々が、職を失うことにより、職から得られるように手筈が整っているところの金銭を得られなくなるので、あなたがたはみすぼらしい格好になって、飢えて死ぬかもしれませんよ」

という感じの脅しの雰囲気で、他国の人々との間での競争を高めようとしていることがわかるでしょう。

本来ならば、その他国の土地や他国の空の下に住んでいる人々も、同じ地球人です。

ところが、あたかも、その同じ地球人を、商売敵と見なして、「その敵に負けるな」という感じで競争が推奨されているのに気が付くでしょう。

同じ地球の上に居住している人々を、愛し合うのではなく、敵と見なして、

  「あなたがたは技術競争をしなさい。もし、技術競争に負ければ、あなたがたは倒産した会社のような国家になるので、みすぼらしい雰囲気を得るので、商売敵との技術競争に負けてはならない」

という感じの触れこみで、多くの人々の競争意欲を掻き立てていることがわかるでしょう。

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もっとも、その手腕を見ていたら、あからさまに「あなたがたは競争をしなさい」という、強い命令形の口調でないのに気が付きます。
このような、強い命令形の口調でしたら(それをする方も少なからず見受けますが)、多くの人々に嫌われてしまい、失敗を得ることも多いでしょう。

ですから、彼等が、もっと言葉巧みに誘うことには、

  「あなたがたも、私達と同じように、もっと競争を好きになりなさい(なぜならば、競争に勝てば、その競争相手に対して優越感を持てるのだよ)。」

でしょうか。

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読者の方は、更なる疑問を持つことでしょう。

その疑問とは、

  「なぜ、地球上の数多くの国々は、お互いに競争ばかりをさせ合っているのか?」

でしょう。

というのも、一般に言われているように、「地球統一」という状況が望まれています。

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私の書いた「地球統一」という状況は、どこかの誰かがNWO(New World Order:新世界秩序)の目指しているような「地球支配」という状況ではありません。

この、私の書いた「地球統一」という状況は、地球の上には一つの国家も無く、多くの人々が、一つの国民のように仲良く暮らせている状況を言っています。

この状況だと、地球の上には一つの国家も無いので、戦争もありません。
当然、国境もありませんので、人々は制限をかけられることなく、自由に世界を旅することが出来ます。
また、当然、地球上の全ての人々が、兄弟同士の状態であることもわかりますよね。

ですから、一般には、多くの人々は、NWOの状態では無い、「地球統一」のような状況を望んでいることでしょう。

しかし、地球上の数多くの国家の内部に存在している政府の人々から見れば、その「地球統一」の状況は、非常に彼等にとって都合が悪い話であることに、あなたも気が付いてくるでしょう。

なぜならば、地球上の全ての国家が無くなると、当然、各国の政府に設けられている外務省が全て無くなります。
当然、その、外務省で働いていた全ての国家公務員が職を失います。
また、各国で税関に努めている筈の公務員も全て、その職を失います。
また、通常、多くの国家に、いまだ存在している軍人達は、公務員扱いですから、彼等も、全て、その職を失います。
当然、地球上から全ての国家が消えるので、「国家間の戦争が全て無くなる」という、多くの人々から見たら、非常にめでたい偉業ですが、軍人達から見たら、自分達の職務理由が無くなるので、軍人達の大量解雇が、全ての国家で発生するからです。

このように、「地球統一」という偉業が起これば、まだまだ、数多くの公務員の解雇が考えられます。
なぜならば、「地球統一」が起こるならば、数多くの政府機関の必要性が消えることがわかるからです。

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ですから、裏を返せば、各国の公務員たちから見れば、何としてでも、「地球統一」という偉業を妨げるニーズが発生していることがわかるでしょう。

ですから、各国の数多くの政府が、現状のまま、地球上に乱立することを願うのならば、現状のように、地球上の多くの人々を商売上ででも戦わせる必要性が出てきます。

地球上の多くの人々を商売上ででも戦わせれば、その調子で、地球上に数多くの国家が、現状のように乱立するので、「彼等の職は安泰だ」となるわけです。

ですから、この段落の冒頭も、かなり上になりましたが、この段落の冒頭に帰ると、躍起になって、各国の政府は、自国民に対して、「他の国の人々を競争相手と見なして、競争しなさい」と勧めて来ることがわかります。

ここからも、「競争や比較は分離の方向だ」とわかるでしょう。

そして、競争や比較が行われれば、この段落の、かなり上に書いた例のように、競争意識や比較意識が高まれば、不幸感覚がますので、ここからも、「競争や比較は分離の方向であり、かつ、不幸感覚の増殖する方向だ」とわかるでしょう。

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上にも書いていますように、「地球統一」という状況が起きるためには、地球上の多くの国家の消失が起きないと発生しないとわかるでしょう。

私達は、普段、どこかからか、「国家というものは、非常に大事なものであり、絶対に無くなってはいけないものなのだ」とか「やれ、国家というものは、永遠不滅の存在なのであって、たとえ、個人が犠牲になろうとも、国家は存続しなければならない」とか「国というものは神のようなものなのだ」等という、風潮や非常に強い思い込みを抱かされてはいないでしょうか。

ですが、上にも書いているように、「地球統一」という状況が起きるためには、「国家」という概念が邪魔になって来ることがわかるでしょう。

逆を言えば、地球上でも、国家という概念が多くの人々から消失して行けば、「地球統一」という状況が起きることがわかります。

ですから、地球上に全く戦争の起きない、つまり、地球上から全ての国家が消えた状態の「地球統一」の状態を願う方ならば、次のような願い事を、日々に願った方が良いことがわかります。

  「どうか、私の住む地域の国家が消失し、かつ、地球上の全ての国家が消失して、地球統一が起こりますように」

と。

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というわけで、冒頭に書いたような、他人との比較意識や競争意識が元となって、不幸感覚を抱いている人は、周囲の人々の主張しているような、比較や競争を高めるような風潮を捨て去ることが、その、自身の不幸を捨てる行為となることでしょう。

周囲の人々の視線や意見をも気にせずに。

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ちょっと余談程度なんですが、「公務員が職を失う」ということを上に書きました。
以前から書いていることですが、誰でもそうですが、「仕事を失う」ということに関しては、誰も恐怖を持っていません。
なぜならば、誰かが、ある企業を辞めても、また、同じ職種に再就職すれば良いからです。
しかし、現状では、その再就職が難しくさせられているので、「労働する分だけの予定の賃金を得られない」ということが、本当に多くの人の恐怖の原因となっています。

Img7d9145e92078

 

ですから、「仕事を失う」というのは、本当の恐怖の原因ではありません。
しかし、その「仕事を失う」ということによって、「その仕事から得られたであろう筈の、お金が得られなくなる」という状況が、本当の恐怖となっているのです。

つまり、お金こそが、真の問題点であることが、あなたにもわかります。

読者の方々でも、よくテレビや小説や漫画等でのドラマの最中に、「仕事を失った、、、」という非常に落胆したセリフを言うキャラクターを見かける機会があると思います。

しかし、これなども、オブラートにくるんだ表現だと、私達はわかりますので、「これは失職の問題というよりも、お金そのものの問題なのだ」とストレートに表現した方が良いと思います。

歪曲的に問題点を表現するのではなく、このように、真の問題点をつかみ、それを、ストレートに表現することが、真の問題点の改善に繋がっていくかと思います。

そして、このようにストレートに表現したら、私達は次の事態をはっきりとつかむことでしょう。

それは、

  「社会の上と言われる人々は、お金というツールを使って、多くの人々をコントロール・支配しようとしている」

と。

ここから先は、私のブログの方の過去記事にも色々と書いていますが、また、小出し小出しに、機会を見て書いていきたいと思います。

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記事的にも長くなりましたので、読者の方々にも、くつろぎながら読んで頂けるよう、ところどころにスナップ写真を入れておきました。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。


                                       坂本 誠

2018年4月 6日 (金)

三千二百三十八: ペットの健康から世のいきさつを考えて

こんばんわ。
この段落は、少し長いものとなりました。

私の以前聞いた事のある話を書いてみます。

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どれぐらい以前の話かはわかりませんが、白人が、アフリカ大陸を訪れて、現地の子供達を喜ばせるために、キャンディーをあげていたそうです。
アフリカの子供にとっても、甘いキャンディーは好評であり、大変喜ばれたそうです。
ところが、しばらく経って、同じ白人がアフリカ大陸を訪れて、現地の子供達を喜ばせるために、キャンディーをあげようとしたら、大変な叱りを言葉を受けたそうです。
なぜならば、その当時の、その土地のアフリカの子供達には、歯磨きの習慣も無く、また、歯医者さんもいなかったからです。
先に、配ったキャンディーを、アフリカの子供達が食した結果、彼等は虫歯に悩まされたからです。

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この、私の聞いた話を読者の方々も聞いた事があるかもしれません。
そして、私達が得られる教訓があります。
それは、

  「相手の喜ぶものを与えるだけが、愛情ではない」

ということでしょう。

確かに、白人がキャンディーを配布した当初には、アフリカの子供達には、虫歯が無かったでしょうし、また、虫歯の原因もわからなかったでしょうから、その時には、アフリカの子供達には喜ばれたかもしれません。
しかし、少しだけ時が経った後で、虫歯の苦しみの原因が「キャンディーを食していたことであった」とわかり、歯磨きの風習も無く、また、歯医者さんのいない世界であるのならば、どうして、キャンディー配布がアフリカの人々に喜ばれる行為となるでしょうか。

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私が、ここまでした話題を聞いた読者の中で以下のような意見を持つ人も出てくるかもしれません。

  「坂本さん。良い解決方法があります。それは、アフリカの現地の人々に対して、歯ブラシと歯磨き粉を(私達が)大量に売りつけ、さらに、現地の教育水準を挙げて、歯医者を増やせば解決します。こうすれば、現地の人々の間でも、お金持ちが増えて、喜ばれることでしょう」

と。

このような解決方法というのは、結局、「世の病気を増やして、医者や薬屋は、もっと金持ちなろう。ですから、もっと世に病人が増えても大いに大丈夫ですよ」という発想の下に発案された意見だと、人はわかるでしょう。

このような発想をする人間には、愛情が足りないことがわかるでしょう。

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まず、本当に、世に多くの病人が出るのを望まないのが、本当の愛情でしょう。
しかし、件(くだん)の人は、世に多くの病人が出て、その病人の治療によって、自分が儲けることが真の狙いだと私達にわかるからです。

しかし、本当に世に多くの病人が出ないことを望む人ならば、それは医療が流行らない方向を支持しているわけですから、資本主義を愛する人からは嫌われるかもしれません。

私が上に書いた解決方法である「『世の病気を増やして、医者や薬屋は、もっと金持ちなろう。ですから、もっと世に病人が増えても大いに大丈夫ですよ』という発想の下に、現代社会の医療が進められている場所もあるかもしれない」と考えると、世の人達は、一つの大きな資本主義の問題点を感じることでしょう。

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そして、「現代の日本社会でも、そのような場面の残されているような場所があるのではないだろうか」と考える読者の方もおられるかもしれません。

よく、ペットや動物に対して、深く考えない人がいるのですが、若干の愛情精神を見せるためか、それらのペットや動物に対して、主に砂糖を中心とした、甘いお菓子を与えている人もいるようです。

そして、昨今では、動物園の動物達や、家で飼われているペット達にも、虫歯なりの歯や口の中の病気に見舞われていることが報告されています。

通常、動物は歯を磨くことが出来ない」ということを、私達は記憶にしっかりと留めた方が良いでしょう。

ですから、ある動物園などを訪れたら、動物の飼われている檻の前に「動物の虫歯を防ぐために、お菓子を与えないで下さい」という看板を見かける時もあります。

ですから、動物やペットに、甘いお菓子を与えている方というのは、その時には、非常に動物やペットを愛しているつもりなのかもしれませんが、私が上に書いたことを読んでみると、その行為自体は、動物への虐待行為となっていることがわかるでしょう。

確かに、その甘いお菓子を与えられた動物やペットも、それを食する時には喜びを得られるのですが、後になって苦痛を味わうわけです。
ですから、これも私が冒頭に書いたように、「相手の喜ぶものを与えるだけが、愛情ではない」と、実感できると思います。

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だけど、以前書いたことと似ているのですが、例えば、甘いお菓子を作っている会社の人とかならば、次のように言ってくるのでしょう。

  「そんなことを言って、私の作っている、お菓子が売れなくなったら、どうなるんですか」

という感じでしょうか。

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つまり、その状況というのは、甘いお菓子の問題では無く、問題の実体は、お金の問題であることがわかります。

たいていの場合だと、「私の作っている、商品が売れなくなったら、どうなるんですか」という類の言葉が出るようになると、それに関係した人は、たいてい、その場で議論を止めがちなのです。
それ以上に、突っ込んで、考えて見たり、議論するのをしなくなりがちなのです。

なぜかと私が考えますと、その原因というのは、

  「人々の間で、お金という道具は絶対視されており、『このお金という道具に勝るものは、この世に一切存在しないのだ』という、非常に強固で、頑強と言えるほどの信念、あるいは固定観念で、あるいは盲信することによって、お金を崇めているから、お金という道具に対する疑問や意見を持たないことにより、お金の問題に対して議論する事が無い」

ということに基づいているようです。

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この状況は、「なぜ起きたのか」というと、多くのドラマや小説や漫画などでも、所持金の少なくなった人が、みすぼらしい雰囲気をまとって、やがて、不幸とも見える状況を抱えつつ、飢え死にしていくような光景を描いているものも多いようです。

ですから、このように、趣味や娯楽の領域からも、お金に対する恐怖心が多くの人々に植え付けられたことによって、「お金の問題を口にすることはタブーにしよう」という土壌が形成されていったと感じています。

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このような恐怖感を打ち払いつつも、私達は語っていった方が良いと思うのですが、大量に語るには、時間と紙数が足りなくなるので、私の方の過去記事であるカテゴリーの『ビジネス・投資』の欄に掲載されている記事には、豊富な資料付きで、多くの記事を掲載しているつもりです。

どうか、時間のある時に、ご覧ください。

この段落では、幾つかの重要と思われる過去記事を文末の方に抜粋引用して、掲載しておきます。

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甘いお菓子だけとは限らず、私達の身の周りをよく見まわすと、その多くが快楽追求のために、推進されてきたことがわかるでしょう。

色々と見回すと、

  「このような素晴らしい製品が出来ました。みなさん、買いましょう。」

とか

  「この新製品は、今、あなたが手にしている商品とは比較にならない程素晴らしいものです。ですから、今、あなたが手にしている製品を、ゴミ箱に打ち捨ててまで、この、新しい商品を手に入れましょう」

等々の、極めて飾られた、様々な美辞麗句によって、あなたの欲心をもたげさせようとしている光景も、数多く見かけることでしょう。

それらをよく吟味すると、そのほとんどのものが、あなたの欲の心に揺さぶりをかけていることに気が付くことでしょう。

ここで私達にわかることには、

  「快楽追求の道と幸福追求の道は、似ているようで、全然、逆の方向を向いている」

でしょう。

例えば、甘いお菓子を食べると、身体から発する欲が満たされて、その時には、身体は満足感を得るかもしれません。
しかし、その身体から発せらるる満足感をもって、それを真の幸福とは見なせないかもしれません。
一時経てば、再び、「また、甘いお菓子を欲しくなった」という、欲の声が身体の奥底から湧いてきて、その欲の声に悩まされることが多いのではないでしょうか。
そして、ずっと続けて、その甘いお菓子を食べ続ければ、上に書いたように虫歯になったり、糖尿病になって苦しんだりするわけです。

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このように、快楽追求の道を歩む方向というのは、その道先に、快楽追求をした結果であるところの、苦痛とか不幸が待ってい状況が多いものです。

しかし、幸福追求の道というのは、快楽追求の道とは違っています。
上の話題を使うと、例えば、砂糖や甘いお菓子や甘い食べ物を取らない食生活のことです。
こうすれば、砂糖の流行していない昔のように、人が、その手の食物を取らないことによる、健康な生活を得られるので、「それは幸福な生活だ」と言えるでしょう。

そして、人の欲をそそるような上の事例、つまり、「このような素晴らしい製品が、、、」とか「この新製品は、今、あなたが手にしている商品とは比較にならない程、、、」のように、私達の身の周りには、幸福追求というよりも、快楽追求のための、商売活動の方が多いことが見受けられるでしょう。

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そして、どちらかと言うと、新商品配布とか新サービス配布の目的よりも、「更なる金銭獲得の目的を持って、これそれの経済活動を実施している」という手合の商売の方が多いように見えるでしょう。

なぜ、更なる金銭獲得の目的が立つかと言うと、それは、上の例にも書いたように、その目的の方向だと、貧乏とか飢え死にの恐怖から逃れる方向に向かうからです。
さらに、人よりの多くの金銭を所有すれば、その獲得した分だけの価格の分だけ、周囲の人よりも威張ることが出来るからです。

ここから、私達の文明に奥底に潜むものを、しっかりと見つめてみると、そこには「恐怖が基盤となって、私達の文明が成り立っている」ということでしょう。

これらの状況を把握した後で、私達の文明を見るに、「この文明は病んだ文明だ」と言えるでしょう。

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ですから、私達の社会で、通常、タブー視されている、お金の問題点を、しっかりと見つめることによって、その他の様々な問題を、もう一度、幼子のような視点を持って、見つめ直すことが出来るでしょう。

また、そのような視点を持って、新たな、別の角度からの、何らかの問題点の解決手段を考えて行った方が良いと思います。

この段落も、ほぼ終わりに近づきました。
「この段落は、分類上、どこに入れたら良いだろうか」と考えましたが、結局、「美容・健康・ダイエット」のカテゴリーに入れることにしました。

この段落は長くなりましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


(以下、上記記事に関する過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千五百八十三:銀行制度についての種々の話題_No.8』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no8-c8e8.html
●お金の問題点_0002.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=3ibrKBohE8o



『二千五百八十六:銀行制度についての種々の話題_No.10』
●「お金の問題点」の続き
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/07/_no10-9079.html
https://www.youtube.com/watch?v=T8DcvHSi-C8



(上記ビデオより抜粋引用)
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(村人達)
この村中かき集めても1000万円しかないのに、どうして1100万円払えるの?

と、村人が集まって言いました。


(銀行家)
みなさん、それは興味深い事ですね。
あなた方の生産効率はアップしませんでしたか?


(村人)
あなたはお金を作る事が出来るただ一人の人。
あなたは1000万円作っただけなのに、1100万円を要求している、、、
そんなの不可能だよ!


(村人達)
あなたがお金を取るので、この村にはお金が不足しています。
私達は必死で働いて利子を払っているけれど、ちっとも借金は減りません。


(銀行家)
もっとお金が欲しいんですかぁ?
でしたら、最近取得された物を担保にして、更に1000万円お貸ししますよ。


(村人)
まって、まって。
私達が一生懸命働いて、国は毎年発展するけれど、国の借金はますます増加する、、、


(銀行家)
国の文明化の程度は銀行への借金の大きさで測ることができるんですョ。
契約の神聖なる義務にのっとって、あなた方の資産を頂戴しましょうか?

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(引用終わり)

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?』
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
-----------------------------------------
平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
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(引用終わり)

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
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(引用終わり)

(Wikipediaより、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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●日本銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C

日本銀行は、政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立する。
資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資する。
2010年(平成22年)3月末日時点における政府以外の出資者の内訳は、個人35.9%、金融機関2.4%、公共団体等0.2%、証券会社-%、その他法人6.5%となっている[1]。

最終更新 2014年6月19日 (木) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

『二百五十三: News_No.298』
●「タイタニック号沈没」、「ケネディ暗殺」、背後にFRBの影
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no298-e74a.html
http://internetviking.at.webry.info/201107/article_8.html

以下の緑の文字の文章は、該当HPを読んで自分の書いた感想文の再掲載分。

詳細は、該当記事をご覧ください。
1963年6月4日 米国大統領J・F・ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令 第11110号が発令され、米国政府の公式に作ったお札が発行されました。
それは、2ドル札と5ドル札でした。

しかし、その後、大統領命令、第11110号の取り消しの無いまま、その米国政府が作った公式のお札が回収され、代わりに、大変よく似たFRBの印刷した大量のお札が、市場に出回りました。

▼2ドル札「政府発行券」

1376229826676131153161

▼2ドル札「FRB発行券」

137622983883613115762_2frb1

▼5ドル札「政府発行券」

13762298594671322128511

▼5ドル札「FRB発行券」

137622987167913221385_5frb11

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(引用終わり)

『四百八十六:私の見かけたビデオについて_No.47』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no47-6032.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



以下の学習用に引用した写真や文章は、同ビデオから引用しました。

上記のビデオで、故人の言葉が引用されています。

ビデオの57分06秒辺りからです。
以下、57分06秒等の時間表記を「57:06」と書きます。

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_ford


  国民が我が国の銀行制度、通貨制度のことを理解していないのは良いことだ。
  もし理解しているなら、きっと明日の朝までに革命が起こるはずだから。
  
  --- ヘンリー・フォード(1922年)

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(引用終わり)

『二千五百九十九:銀行制度についての種々の話題_No.11』
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no11-48fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

ビデオでは、1時間21分33秒近辺から紹介されています。
引用した文章と写真は、同ビデオからのものです。

(ジョン・パーキンス)
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Jhon_p_2

使った手法は多くありますが、もっともよく使った手法は、石油のように企業が欲しがる資源を持つ国に行って、世界銀行やその系列の組織から、その国への巨額の融資を手配すると言うものです。

しかし、貸し出された資金の大半は、その国でなく、ベクテルやハリーバートン、ジェネラル・モーターズ、ジェネラル・エレクトリックといった、米国企業の手に渡り、その国に強大なインフラを構築します。

富裕層のための発電所、高速道路、港、工業団地などで、貧困層はその恩恵をほとんど受けられません。
むしろ、貧困層は巨額な貸り入れの返済のツケを被ります。
教育、医療などの社会福祉に充てられるべき金が借金返済に充てられるのです。

意図的に、国に莫大な負債が残るようになっています。
すると、エコノミック・ヒットマンが、また行って、言うのです。
「こんなに借金があるのに、どのようにしても払ってもらうからな」。

反米の大統領が選出されると、すぐに行きます。

「おめでとうございます。私は大統領とご家族を大金持ちにして差し上げる事が出来ます。私達の方法に従えば、このポケットの数億ドルは大統領のものです。そうしないなら、もう一つのポケットには、貴方の名前入りの弾の入ったピストルが入っています。選挙公約を守って、我々を追い出そうとした時のためにね、、、アメリカの石油会社の安く石油を売るか、次の国連投票でアメリカに賛同するか、イラク等世界のどこかに、米軍を支援する部隊を送って下さい」。

このようにして世界帝国を築いたのですが、その事を実際に知っている人は、ほとんどいませんでした。
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

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