2018年10月22日 (月)

三千三百一:お金の問題点

こんばんわ。

以前に紹介した

●お金の問題点_0002.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=3ibrKBohE8o

●「お金の問題点」の続き
https://www.youtube.com/watch?v=T8DcvHSi-C8

というビデオにも、お金の問題点が語られていますが、私なりに、更なるお金の問題点について書いてみたいと思います。
「お金の問題点」の一つとして、 物々しい単語となってしまいましたが、「世界最強の軍隊の作り方」という問題点があります。

私が比較的に、しばしば引用する文献として、以下の二つのものがあります。
引用資料中で、私が気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています。

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?』
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円、
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
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(引用終わり)

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
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(引用終わり)

カバールやイルミナティが、それらのお札の原価を使って、大量にお金(お札)を製造していることでしょう(最近では、銀行での金銭管理は、コンピューターなので、パソコンのキーボードのテン・キーからも無限のお金の金額を作成可能であるとも知られていますが)。

そして、上記のように、大変安価な元手でお金(お札)を作り出し、単純に、それらの金額を使って、巨大空母や最新鋭戦闘機やICBM(大陸間弾道弾核ミサイル)等を、大量に生産できることが、読者の方々でも理解できると思います。
また、これも理解出来ることですが、大量の兵士達の給与も、いとも簡単にひねりだすことができるとわかるでしょう。

また、上記のような大量の武器製造や大量の兵士達を雇う給与以外にも、世界最強の軍隊を維持するには、かなり莫大な金額が必要でしょう。

しかし、カバールやイルミナティからしたら、それこそ、上に書いたように無からお金を作り出していると言えるのですから、幾らでも幾らでも巨大空母や最新鋭戦闘機やICBMを作成できるわけです。

そして、それらを製造した人々には、規定の金額の給与を与えれば良いだけです。

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このように、お金というものは、カバールやイルミナティからしてみたら、幾らでも製造可能ですから、人はお金の問題点を見い出すと思います。
お金というものが、このような性質ものですから、彼等は、まず最初に、大量のお札(お金)を製造しておくわけです。
そして、あとは、そのお金に釣り合うだけの生産物を、例えば上に書いたような大量の兵器を作成するために、大量の金属を地球から掘り出すことになります。

お金というものに、このような性質がある限り、未来の地球というものは、虫に食われたリンゴのように、穴だらけになることも考えられます。
なんとならば、お金というものが、カバールやイルミナティからしてみたら、無から製造しているようなものであり、そのお金に見合う分だけの、金属を地球から延々に、無限に掘り出せばよいからです。

たとえ、そのような金属の地下埋蔵資源が枯渇しようとも、彼等の手中にお金がある限り、また、私達の間でお金というものが流通している限り、その「お金が欲しい」という欲があるのならば、地球資源乱獲もたやすく起きるからです。

また、その地球資源乱獲のみならず、幾らでも幾らでも軍需兵器を作成できるので、「カバールやイルミナティが無からお金を製造している限り、際限の無い、世界最強の軍隊を維持することが可能である」と私達は理解できるでしょう。

何らかの地球資源が足りているかどうかも考慮せずに、ひたすら、お金(お札)を製造するだけで、人は、そのお金を欲するので、際限の無い地球資源乱獲が起きるわけです。

つまり、この現象を見る限り、「カバールやイルミナティは私達に、お金を貸し与えている。私達にとっては借金のような感覚で」ということがわかります。
あたかも、その借金の金額分だけを、あたかもカバールやイルミナティに貢ぐ(みつぐ)ような感覚で、地球資源乱獲や莫大な量の巨大兵器を作成するのですから。

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このように、「お金の問題点」というものを人は見い出すでしょうが、それ以上に私達は人的な問題点を見い出すでしょう。

その「人的な問題点」とは、上にも書いているように、地球支配・人類支配を実行中の、カバールやイルミナティの問題です。

「お金の問題点」を考えていたら、やがては、カバールやイルミナティに見られる「人的な問題点」に当たり、その「人的な問題点」を解決していったら、やがては、「お金の問題点」も解決の方向に向かうのではないかと思います。

この「お金の問題点」と「人的な問題点」は深く融合しているので、あざなえる縄のように、どちらか一方を解決しようとすると、もう一方の側にも、その影響を大きく与えていくと思われます。

私達が手軽に出来ることと言えば、やはり「金銭への執着を減らしていく」ということになるでしょうか。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『四百八十六:私の見かけたビデオについて_No.47』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no47-6032.html
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI



ビデオの1時間00分06秒辺りからです。

(上記ビデオより抜粋)
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ビル・スティル

_

問題は、アメリカの中央銀行制度が民間所有なのに、政府が所有しているように見せかけている事です。
ワシントンDC地区の電話帳で、連邦準備銀行を探そうとすると、青い政府機関のページに見つける事は出来ません。
企業のページを見てみると、Fedxのすぐ隣にあります。
民間所有の中央銀行なのです。
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(引用終わり)

『二千五百四十一: 銀行制度についての種々の話題_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/06/_no4-8a1f.html
●スライヴ (THRIVE Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI

(上記ビデオより抜粋引用)
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ビデオの1時間00分06秒辺りからです。

Thrive_japanese__greenspan_2

●聞き手:
連邦準備銀行の議長とアメリカ合衆国大統領は、どのような関係が適切ですか?

■アラン・グリーンスパン(連邦準備銀行(FRB)、元議長):
まず第一に言う事は、連邦準備銀行(※筆者注:FRBのこと)は独立機関ですので、基本的に我々が行う措置をくつがえす事の出来る政府機関というのは存在しないのです。
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(引用終わり)

『二百五十三: News_No.298』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no298-e74a.html
●「タイタニック号沈没」、「ケネディ暗殺」、背後にFRBの影
http://internetviking.at.webry.info/201107/article_8.html

以下の緑の文字の文章は、該当HPを読んで自分の書いた感想文の再掲載分。

詳細は、該当記事をご覧ください。
1963年6月4日 米国大統領J・F・ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令 第11110号が発令され、米国政府の公式に作ったお札が発行されました。
それは、2ドル札と5ドル札でした。

しかし、その後、大統領命令、第11110号の取り消しの無いまま、その米国政府が作った公式のお札が回収され、代わりに、大変よく似たFRBの印刷した大量のお札が、市場に出回りました。

▼2ドル札「政府発行券」

1376229826676131153161

▼2ドル札「FRB発行券」

137622983883613115762_2frb1

▼5ドル札「政府発行券」

13762298594671322128511

▼5ドル札「FRB発行券」

137622987167913221385_5frb11

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(引用終わり)

『二百四十九: News_No.296』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no296-eb2d.html
●隠されたJFケネディーの演説と2013年の状況が点で結ばれました!<報道陣を前にしたケネディの演説の内容>
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51894510.html
●OMG!!! (HIDDEN SPEECH) JFK CONNECTED THE ...
http://www.youtube.com/watch?v=pDe6QCqFu4c



上記の記事から、JFケネディーが報道陣の前で演説したとされる文章の抜粋引用します。
全文を読まれたい方は、該当URLを参照してください。
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我々は米国民として、本質的に、歴史的に、秘密結社、秘密の誓い、秘密のやり方に立ち向かっている。
我々は、昔から、理不尽な過度の隠蔽工作は危険であると判断していた。
隠蔽工作が正当なやり方であると考えられているのはあまりにも危険である。

安全保障の強化を訴える声明は、その意味を拡大解釈し、当局による監視体制と隠蔽工作を守ろうとしている人たちによって悪用されている。

ニュースを検閲する口実として、政府に反対する人たちの意見を鎮圧し、政府の過ちを全て隠蔽し、報道陣や米国民に、知る権利のある事実を隠している。

彼らが計画していることは絶対に公表されない。

彼らのやり方に反対する人々は賞賛されるのではなく、沈黙させられ、彼らは国庫から巨額の資金を使っても何も問われない。
彼らの噂さえ記事にすることはできない状態である。
彼らの秘密は一切公開されない。

しかし、私は、あなた方に、米国民に真実の情報を流し、警告するという大きな任務を果たしてほしいのだ。
米国民が十分な情報を共有することで、彼らは必死に対応すると私は信じている。
新聞の読者の論議を抑えつけるのではなく、自由に論議をしてほしいと思っている。
私の政権下では、政府のエラーを包み隠すことをしない。

ある偉人がこう言った。
エラーを是正することを拒んだときに初めてそれは過ちとなる、と。

メディアは、我々がエラーをしていることに気が付かないときには、必ず、それを指摘してほしい。
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(引用終わり)

ちょうど、この部分の黒字で書いている部分は、新たに私が書いた部分ですけど、読者の方々には「坂本さん、これだと、アメリカの警察は何をしているのでしょうか?」という疑問が出てくると思いますが、それについての資料も以前掲載していまして、再びそれを以下に掲載しますと、

『三百三十七: イルミナティについて_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no4-9e49.html
●ジェイ・パーカーインタビュー④
http://www.youtube.com/watch?v=9Gl-yNEoGyI



(上記ビデオより抜粋引用)
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「成長過程で最初に私の父や母が私と弟に明らかにしたのは、それはイルミナティが世界を支配していて、警察を支配し、何処にも助けてもらえる場所は無いと言う事です。」

「数十億ドル、数兆ドルと持っていると言われている寡頭政治の独裁一家は自由に使える暗殺者を持っていて、全てのメディアを所有し、あなたを陥れ、あなたの人生を破壊する為に、あなたの事を何とでも言える何人もの人々を買収できる事を理解しなければなりません。」
「本当に警察が出来る事は何も無いんです。」
「彼等の後頭部には銃が突きつけられているんですから。」
「彼等の大勢が立ち上がってこれ以上は御免だって言わない限りはです。」
「そうすれば実際に変わるかもしれません。」
「だからアメリカの警察や軍は私達に、"警察の犬"と呼ばれているんですよ。」
「高い地位の悪魔崇拝者達からね。」
「この国の警察や軍を彼等は使っている動物としての犬と見なしているんですよ。」
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年10月18日 (木)

三千三百:「忘れた方が良いメモもある」というメモを読んで(独白)

現代に住む私達は、多くのメモ書き用のノートを持っているかもしれない。
パソコンの中にも、メモ用の幾つかのファイルがあったり、スマホや携帯電話の中にも幾つかのメモ用ファイルがあるかもしれない。

特にスマホの中のメモ用ファイルだと、自分の決めた時刻にアラームが鳴り始めて、そのスマホの持ち主に、忘れてはいけないメモの内容を伝えることもあるだろう。
その光景を周囲の人が見ると、「人が機械を操作している」というよりもむしろ、「機械が人を操作している」ように見えるかもしれない。

かくも大量のメモを抱えるようになった現代人の一人に、彼(あるいは彼女)のメモ書きの中に以下のようなメモの内容があるかもしれない。
「忘れても良いことがある」とか「忘れた方が良いこともある」のようなメモの内容だ。

元々、メモというのは忘れてはならないようなことを書き留めることをいう。

Pa170195


そのように何かの忘れないためのメモなのだけど、そのメモ書きの中の一つに「忘れても良いことがある」とか「忘れた方が良いこともある」と書き留められていたら、人は奇妙なものを感じ、「このメモ書きの内容は矛盾しているのでは?」と首をかしげるかもしれない。

しかし、そのようなメモ書きを見て、気が変わり、忙しい日常を抜け出して、近場の温泉にでも向かう人も出るかもしれない。
そして、温泉に肩まで浸かりつつも、ふと日常に自分の書き留めている幾つかのメモを思い出そうとしても、それらを思い出せない人も出るかもしれない。
その時に限って、「忘れた方が良いこともある」というメモの内容を思い出すだけかもしれない。
そして、そのメモ書きの内容の真意を会得するかもしれない。

そのまま湯船の中で頭をひねりつつ、自らの日常生活を振り返りつつも、「忘れた方が良い生活とは、はたして、どちらの方だろうか?」と考えを巡らすかもしれない。


                                       坂本 誠

2018年10月15日 (月)

三千二百九十九:ピラミッドについて_No.32

こんばんわ。

三千百八十八:ピラミッドについて_No.31』の続きです。

私がしているピラミッドというのは、チェコスロバキアで特許を取得している「ケオプス型カミソリ刃再生装置」の実験の事です。
小型のピラミッドですね。
この「ケオプス型カミソリ刃再生装置」が本当に、カミソリの刃を長持ちさせるかどうかという実験と検証です。
私が以前から使用している電気シェーバーの外刃と内刃を小型ピラミッドの下に置いて長持ちするかどうかの実験です。

二千二百五十一:ピラミッドについて_No.26』にも、以下のように記しています。

>ですから、新しい電気シェーバーの使用開始日は、2014年10月15日です。

よって、この電気シェーバーの外刃と内刃を使い始めて、今日で、丸4年となりました。
掲載している写真は、2018年10月11日に撮影したものです。

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私は、一日の内に朝と夜の2回、この電気シェーバーを使って、髭を剃っています。
また、この電気シェーバーの掃除は、1週間に1回です。
その1週間に1回の掃除の時に、外刃と内刃を外して、約8時間程、竹ひごで作成した小型ピラミッドの下に写真のように置いています。

読者の方でも、以下のような疑問を持つ方もおられるかもしれません。

  「坂本さん。ブログ上では何とでも言えるでしょうから、内緒で、その外刃と内刃を替えているのではないでしょうか?」

と。

しかし、私は一回もこの外刃と内刃を替えていません。
電気シェーバーのバッテリーならば使えなくなりましたので、その際に、同型の電気シェーバーを購入して、外刃と内刃を替えずに、そのまま使用しています。

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しかし、私がブログ上で報告しているだけなので、気になる方は、あなた御自身も、この実験をしてみることをお薦めします。
そして、実験に参加してくれた、あなたも、私のように、あなたのブログや、あるいは、あなたのコミュニティ・サイト上での日記で、報告して下されば幸いです。
しかし、私もやっているのですが、長期間に渡る実験となります。

やりがいはあると思いますが、、、

まだ、どれ程、この実験の検証が、これから先、続くかもわかりません。

しかし、1年に1回は、この実験の経過・状況を報告しようと思います。

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あと、以前にも書いたことなのですが、この「ピラミッド・パワー」と呼ばれる、ちからについての、私の考えたことを書いてみたいと思います。

おそらく、このピラミッド自体には、全く、何らかのエネルギーは無いと思います。
私が思いますに、ピラミッドは、アンテナのような役目をしていると思います。

テレビ・アンテナもそうですが、テレビ・アンテナも全く何のエネルギーを持っていません。
ただ、テレビ・アンテナは空中を飛び交っている放送局からの電波エネルギーを捉えて、その電波エネルギーを変換させた結果が、テレビ・ディスプレイに写っている画像と音声です。
おそらく、ピラミッドも、そのテレビ・アンテナと同じように、空気中の何らかのエネルギーを捉えて、そのエネルギーがピラミッド内に現れていると推測しています。

仮に、テレビとアンテナとテレビ局の仕組みを江戸時代以前の世界に持って行って、江戸時代の人々にテレビ番組を見せたとしたら、彼等は驚くことでしょう。
しかし、現代に住んでいる私達ならば、テレビの映る仕組みを知っているので、驚く人はいません。

それと同じように、現代に住む私達でも、未来社会に行って、ピラミッド・パワーのちからを完全に解明できていたとしたら、私達でも驚くことは無いでしょう。

未知のちからやエネルギーに関する想いというのは、そのようなものです。

不思議とされている部分が解明されたり、種や仕掛けがわかれば、珍しさや不思議感も消失するものです。
いつの日にか、ピラミッド・パワーも、現代のテレビの仕組みを仕掛けを知って、不思議感を消失した江戸時代の人々のような雰囲気を得られる時が来ると思います(ただし、ピラミッド・パワーを使用していたと思われる古代人は、そのちからの原理を知っていたのではないのか? という新たな疑問が生じますが)。

ですから、私が思うに、ピラミッド自体に興味・関心を持つことも大事ですが、「そのピラミッドの下に降ろされている、未知のエネルギーや、未知のちからと思われる、その正体は何なのか?」の疑問の方が大事だと思います。

通称、「ピラミッド・パワー」と言われている、未知のエネルギーや、未知のちからの解明があれば、当然、そのエネルギーやちからを、ピラミッドというアンテナを使って、取り出せることが出来るのですから。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百八十八:ピラミッドについて_No.31』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/10/_no31-7f5e.html

『三千八十八:ピラミッドについて_No.30』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/_no30-9aa2.html

『二千九百二:ピラミッドについて_No.29』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/05/_no29-1a47.html

『二千七百十五:ピラミッドについて_No.28』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/_no28-1c68.html

『二千六百九:ピラミッドについて_No.27』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no27-a2e7.html

『七百五十七:古代文明について_No.2』
●世界各地で見つかる「失われた大陸」:大西洋のポルトガル領海沖でピラミッド状の建造物が確認される
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/01/_no2-7f17.html
http://oka-jp.seesaa.net/article/376015556.html
■アゾレス諸島の水面下でピラミッド形の構造物が発見された
Terceira: Subaquatic pyramidal shaped structure found - Azores
Portuguese American Journal 2013.09.19
http://portuguese-american-journal.com/terceira-subaquatic-pyramidal-shaped-structure-found-azores/

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                                       坂本 誠

2018年10月 8日 (月)

三千二百九十八:日用品の「作り過ぎ」と言われる現象を見て

こんばんわ。
今日は、2件目のブログ更新です。

まずは、ご紹介したい新聞記事の引用から始めます。
引用部分は緑色の文字にしています。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にしています。

(以下、『朝日新聞』、2018/07/03(火)記事より文章と写真を引用)
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●大量に捨てられる「新品」服

倉庫に山積みの段ボール。

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中身は、捨てられる寸前だった服だ。
ニット、パーカ、スカート――。
大手通販業者や若者に人気のブランドの商品など、「新品」ばかり。
新しいデザインの服が安く買えるようになった陰で、大量の売れ残りが発生している。

大阪市の在庫処分業者「ショーイチ」の倉庫には常に30万~40万点の服がある。
「売れ残った、少しほつれていたなど、ここに来る理由は様々。一度も売り場に出なかった服もある」と山本昌一社長は言う。
アパレル業者や工場など年間約600社から、500万点が持ち込まれる。

定価の1割ほどで買い取り、タグを外してブランド名が分からないようにして、自社のサイトやイベント会場などで販売している。
見栄えのいい写真を掲載するなどの販売努力をして、定価の17~18%でようやく売れていくという。

しかし、そのまま捨てられてしまう服も少ない。
東京都内の産業廃棄物処理業者は、銀座に店を出す有名ブランドから売れ残った商品の処理を依頼された。

「洋服のほか、靴やカバンなど収集車3台分。すべて破砕して焼却してほしいと言われた」。
1点ずつ処分の証拠写真も求められた。
横流しされるとブランドが傷つく恐れがあるし、倉庫に保管すれば資産となり税金がかかる。だからあえて焼却する」(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

私が、この記事を見るに思うのは「作り過ぎ」という状態です。
私達の身の周りを見回しても、特に衣服だけとは限りませんが、大量生産・大量消費によって「作り過ぎ」という状態が世に発生していると言えるでしょう。

そして、「なぜ『作り過ぎ』という状態が発生するのか」を考えると、上に引用した新聞記事中にもあるように、「横流しされるとブランドが傷つく恐れがあるし、倉庫に保管すれば資産となり税金がかかる。だからあえて焼却する」というのが、その理由の一つとなっているのでしょう。

ここで、私達は「作り過ぎ」という状態から、さらに一歩踏み込んで考える必要があると思います。

「なぜ、私達は作り過ぎているのか?」と考えてみると、「もっと、お金が必要だ」とか「お金が無ければ死んでしまう」とか「税金として取られてしまうからこそ、もっと、お金を稼ぐ必要がある」という理由のせいで、資本主義システムの中で、お金をもっと求める必要性に駆られるからこそ、様々な日用品を「作り過ぎる必要があるのだ」となっていると思います。

ですから、上に紹介した新聞記事のように、私達の資本主義システムの中で、「作り過ぎ」という状態を発生させている本当の理由とは、お金というものに真の原因があると言えるでしょう。

なので、資本主義システムの中での「作り過ぎ」という問題を見い出したら、その次には、「私達の使用している、お金という道具に何かの問題点が寝ていないだろうか?」という、更なる疑問を抱く必要があると思います。

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上記の、更なる疑問を考える前に、上記新聞記事の裏面にも、関連記事が紹介されていたので、そこからも幾つかの言葉を拾ってみたいと思います。

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安い服 しわ寄せ働く人に」「低コスト・大量生産が支え」「低賃金・長時間労働強いる」「適正な生産か 考える消費者

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適正な生産か 考える消費者」のサブタイトル中の記事で、尾原蓉子(おはらようこ)さんという方は以下のように述べています。

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「消費者も、安さだけではなく『適正に作られているか』に関心を持つようになっている。企業が生き残るためには、働く人や地球環境にとってもよい方法をどうやったら実現できるか、真剣に考える必要がある」
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尾原蓉子さんの言われるように「適正に作られているか」を考えるためには、私達が使用しているお金という道具の是非についても、突っ込んで、論じる必要が発生すると思います。

そして、上記新聞記事のように、衣服だけとは限りませんが、大量の「作り過ぎ」と呼ばれる状態に、多くの人々が気が付けば、さらに以下のような新聞記事も見受けられるようになると思います。

(以下、『YAHOO! JAPAN NEWS』、2018/09/08(土)記事より引用)
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●売れ残り商品の焼却処分を中止 英・バーバリーが批判受け
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20180908-00400459-fnn-int

9/8(土) 1:08配信 FNN

イギリスの高級ブランド「バーバリー」が、批判を受けていた売れ残った商品の焼却処分取りやめを発表した。

バーバリーは2018年7月、売れ残った商品、およそ41億円相当を焼却処分していたことが伝えられ、世論の批判を浴びていた。

ブランド価値維持のために行われていたが、批判を受けバーバリーは6日、「社会的、環境的な責任がある」として、焼却処分の取りやめを発表した。

今後は、再利用や寄付に努めるほか、毛皮を使った商品の販売もやめる方針。

「ブランド価値の維持」よりも、環境や資源保護をめぐり、企業としての責任を迫られたかたち。
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(引用終わり)

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ここからは、お金の問題点について一緒によく考えてみましょう。

私が時々引用する文献ですが、

『三千十一:現代と中世の商業事情を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2016/11/post-05f9.html
司馬遼太郎『街道を行く 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』(朝日文芸文庫)より文章と写真を引用
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明治維新後、太政官の財政基礎は、徳川幕府と同様、米穀である。

維新で太政官は徳川家の直轄領を没収したから、ほぼ六百万石から八百万石ほどの所帯であったであろう。

Photo


維新後、太政官の内部で、米が財政の基礎をなしていることに疑問をもつむきが多かった。


欧米は、国家が来期にやるべき仕事を、その前年において予算として組んでおく。
ところが日本ではそれができない。
というのは、旧幕同様、米が貨幣の代りになっているからである。
米というのは豊凶さまざまで、来年の穫れ高の予想ができないから、従って米を基礎にしていては予算が組み上がらない。
よろしく金を基礎とすべきであり、在来、百姓に米で租税を納めさせていたものを、金で納めさせるべきである

明治五年、三十歳足らずで地租改正局長になった陸奥宗光が、その職につく前、大意右のようなことを建白している(※筆者注:この私のエッセイ内では「右」ではなく、「上」となります)。
武士の俸給が米で支払われることに馴れていたひとびとにとっては、この程度の建白でも、驚天動地のことであったであろう。

が、金納制というのは、農民にとってたまったものではなかった。
農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金要らずの自給自足のままやってきている。

『米もまた商品であり、農民は商品生産者である』というヨーロッパ風の考えを持ちこまれても、現実の農民は、上代以来、現金の顔などほとんど見ることなく暮らしてきたし、たいていの自作農は、米を金に換えうる力などもっていなかった。

どうすれば自作農たちが金納しうるかということについては、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけである。

これが高率であったこと、各地の実情にそぐわなかったことなどもふくめて、明治初年、各地に大規模な農民一揆が頻発するのだが、木崎村は、このときには一揆を起こしていない。
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(引用終わり)

江戸時代中の日本人の職業構成比として、日本人の総人口の約8割から9割は、お百姓さんだったので、江戸時代以前の日本人の約8割から9割は、お金というものを知らなかった、ということがわかります。
そして、明治時代になって、時の為政者達が上記のように強制的に、日本にお金を使った経済システムを広げていったことがわかります。

そして、そのお金の原価とは、

『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●『お金の原価はいくらなの?
http://homepage2.nifty.com/osiete/s418.htm

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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平成十二年度特別会計予算ベースで

一万円が約22.2円
五千円は約20.7円、
千円札は約14.5円です。
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(引用終わり)

そして、上記のように、大変な安価で、お札を中央銀行で製造でき、かつ、その中央銀行の所有者というのは、

(Wikipediaより、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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●日本銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C

日本銀行は、政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立する。
資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資する。
2010年(平成22年)3月末日時点における政府以外の出資者の内訳は、個人35.9%、金融機関2.4%、公共団体等0.2%、証券会社-%、その他法人6.5%となっている[1]。

最終更新 2014年6月19日 (木) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

他のお金についての文献は、文末に紹介している『過去記事、関連記事、及び、参考文献』をご覧ください。

要は、お金を製造している人々が、この地球を支配できることに、人々は気が付くと思います。

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このように、私達がお金という道具を使って彼等によって踊らされた結果、日用品の大量の作り過ぎという現象を生み出していると理解できると思います。

ですから、もともと、私達の社会に、お金という道具が存在しなかったら、日用品の大量の作り過ぎという現象は発生していなかったと予想出来ます。

この、お金というものが真の問題点だと言えると思います。

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そして、読者の方々もうっすらと次のことを感じていると思うのですが、「お金という道具を使用すれば、多くの人々を強制労働させることが出来る」という点に気付くのではないかと思います。

上記のような流れがあって、ほとんどの人々が、お金無しでは日用品や生活必需品が手に入れられない世界を出現させられたわけです。
すると、そのような世界での、ほとんどの人々は、お金無しでは生きていけなくなるので、人々は、以下のように考え始めることでしょう。

  「お金が無ければ、私はみすぼらしい雰囲気をまといつつ死んでしまう。死ぬのは嫌だから、たとえ、私がどれほど嫌な職種であろうと、あるいは、他者が、どれほど私の望まない職種を、どんな形で私に強制労働させようと、その仕事をしなければ、私はお金を手に入れられないとあるならば、仕方なく、私は、その職種の下で嫌々ながらも労働するのだ」

と。

この状況ですと「雇用者の側とか、あるいは、大金持ちの人ならば、彼等以外の人々を、お金を使って命令的に強制労働させることが出来る」と、読者の方々も気が付いてくるでしょう。

雇用側の人の発言としては、次のようなものが考えられるでしょう。

  「(労働者に向かって)あなたは、お金が欲しいので、私の出す仕事を受けているのだろう。だから、私が、あなたに与える仕事が、どんなに苦しかろうと、あなたは黙って、その仕事を行う必要があるのだ。嫌なら辞めても良いんだよ。しかし、そうなったら、あなたの欲するところの、あなたの生存条件を維持するための、お金が手に入らなくなるんだよ。それが嫌なら、何も言わずに、私の与える仕事を、こなさないといけないよ」

と。

これが現代社会の状況となっているとわかるでしょう。
お金という道具を使った、暗黙の内の強制労働社会(資本主義社会)が出現したと言えるでしょう。
また、読者の方で、雇用する側の人がいたのならば、次のようなセリフが出てくることでしょう。

  「私は、イルミナティやカバールによって、イルミノイドにされようとしていた」

と。

よって、お金目当てで、人が労働する状況ならば、それは「人の持てる健やかな能力の発現の一つとして、仕事をする」とか、あるいは、「その人の内奥(ないおう)から、にじみ出てくる能力を、他者への奉仕の変換作業の一環として、仕事をする」という状況とは全く違っている、ということに、人は気が付くと思います。

時々、私は、イルミナティやカバールやレプティリアンのことを書いていますが、彼等は地球上の全ての人間を彼等の奴隷として扱い、全地球人に奴隷作業をさせたい、という意志があるので、それを実行する主要な実行作戦の一環として、お金という道具を全世界に配布して、常識化させれば、彼等の考えたような地球支配が実行できるわけです。

ですから、冒頭に挙げた「日用品の作り過ぎ」という問題を考えるに、さらに、その奥に存在している問題であるところの、お金の問題に行き当たり、さらに、そのお金を製造し、配布し、洗脳化している彼等、つまり、イルミナティやカバールやレプティリアンに、その問題の根源が寝ている、と言えると思います。

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人によっては、数多くの衣服を所有するようになります。
例えば、衣服を使って、多彩な芸術表現を行いたいと願っている人々や、それらの衣服を製造する人達も、製造工程や衣服のデザインを研究しないといけないので、自然と多くの衣服を所有するようになります。

別に、衣服だけに限らず、例えば、本が好きな人ならば、やがて、数多くの本を所有したり、音楽に非常に興味のある人ならば自然とCDやDVDが増えることでしょう。

ですから、物品そのものを大量に所有すること自体は悪いことではないと思います。
その人の嗜好や興味の方向性等もありますので。

しかし、この私の書いた記事を読むのならば、今までとは、ちょっと違った方向で、物品を眺めるようになると思います。

例えば、「ブランドの衣服でも、これだと、もっと安価に大量に手に入れられる筈だ」とか「ブランドの衣服の方が素材も悪く、デザインも良くないのに、その衣服が高価なのはなぜか?」という疑問が生じてくるかと思います。

そして、その根(こん)をたどれば、やがて、読者の方々も、お金という道具の問題に気が付いてくると思います。
さらに、やがては、「お金という道具の問題点を解決していかねば」と考えてくるのではないかと思います。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二千六百八十五:現在の資本主義を考える』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/post-6e5c.html
●100ドル紙幣を1枚作るのにはいくらくらい原価がかかるのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129971462

(上記記事より抜粋引用、太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)
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参考のサイト(アメリカの印刷局)の説明によれば、2005年実績で、約5.7セント/枚(86億枚印刷時)だそうです。
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(引用終わり)

『二百五十三: News_No.298』
●「タイタニック号沈没」、「ケネディ暗殺」、背後にFRBの影
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no298-e74a.html
http://internetviking.at.webry.info/201107/article_8.html

以下の緑の文字の文章は、該当HPを読んで自分の書いた感想文の再掲載分。

詳細は、該当記事をご覧ください。
1963年6月4日 米国大統領J・F・ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令 第11110号が発令され、米国政府の公式に作ったお札が発行されました。
それは、2ドル札と5ドル札でした。

しかし、その後、大統領命令、第11110号の取り消しの無いまま、その米国政府が作った公式のお札が回収され、代わりに、大変よく似たFRBの印刷した大量のお札が、市場に出回りました。

▼2ドル札「政府発行券」

1376229826676131153161_2

▼2ドル札「FRB発行券」

137622983883613115762_2frb1_2

▼5ドル札「政府発行券」

13762298594671322128511

▼5ドル札「FRB発行券」

137622987167913221385_5frb11

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(引用終わり)

『三百十九: イルミナティについて 』
●ジェイ・パーカーインタビュー①
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no35-53fe.html
http://www.youtube.com/watch?v=W02bxSqtc-I



(太字にしたり、アンダーラインを引いたのは筆者)

●ジェイ・パーカー:
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字幕:「ジェイ・パーカー:どの様に3400万人の悪魔崇拝イルミナティアメリカ人達が地球を混乱させ続けるよう助けているのか。」

「イルミナティや他の闇のカルトネットワークはおそらく、9600BCの地球大変動にまで遡ります。」
「大変動の後に、地上の人類は衝撃と落胆の状態にありました。」
「私の調査からその特定の時代は、、、、闇のカルト信者達はインドやバビロンでの文明の再起動において、決めたのです。」

「地球全体を支配してもいい筈だとね。」

「人々を闇に閉じ込め続け、私達は基本的には邪悪な司祭職になり、そして彼等のマインドを支配するんです。」
「ですからその様にして彼等は神よりも金持ちになったのです。」
「そして一旦お金を持つと、政治家や王族を腐敗させる事が出来ますし、そして基本的にはゆっくりと社会を支配していく事ができるのです。」
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

三千二百九十七:地球環境を美しくするための呼びかけ

こんばんわ。

時々、ボランティアで、海岸清掃をもしている私です。
よく巷でも、「海を汚さないように」と言われています。

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ですので、多くの人は、「海岸にゴミを放棄しなければ良いだろう」と思いがちでしょう。
現実に、海岸に放棄されているゴミの1割か、それ未満の割合のゴミは、海岸に訪れた人が放棄したゴミかもしれません。

しかし、海岸に打ち上げられているゴミの9割以上が、実は、内陸部で出されたゴミなのです。
なぜ、内陸部に出された、それらのゴミが、海岸に集まるかということをご説明します。

雨の日になると、雨によって、内陸部に放棄されたゴミが、集められ、主に河川に流されます。
そして、その河川の流れは最終的に、海に到達します。
よって、河川を通じて、内陸部のゴミが海に到達するので、海岸のゴミの9割以上が、内陸部で放棄されたゴミということになるのです。

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私が以前から不思議に思っていたことは、「雨の日の後に、海岸のゴミの量が異常に多くなる」ということでした。
その不思議をたどると、内陸部のゴミが雨によって、主に河川に流れ込み、その増水した河川のちからによって、海にまで、内陸部のゴミが流されている、ということがわかりました。

確かに、海岸にやって来て、ゴミを投棄することもいけないことです。

しかし、上にご説明したように、もし、海のゴミを増やしたくなければ、内陸部のゴミの放棄をも避けなければなりません。

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ですので、「海を綺麗にしたい」と願われる方ならば、都市部や居住区等でのゴミの投棄をも、無くすよう、呼びかけなければいけないことになります。

みなさん、どうか、都市部や居住区等でのゴミの投棄をも、なさらぬようにしてください。
御協力のほど、どうか、よろしくお願いいたします。


 

                                       坂本 誠

2018年10月 5日 (金)

三千二百九十六:四国の思い出_その二(独白)

■:石鎚の峰々の山水画

四国にいた時の、一番の思い出とは、石鎚山に行った時だった。
「石鎚山に行った」とは言っても、石鎚山に登山したわけではない。

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ある日、友人達と休暇を利用して、「レンタカーで、四国一周してみよう」と話が進んだ。
さっそく、何人かの友人達と、四国の松山へとハンドルを向けていた。
松山に赴く途中、石鎚スカイラインを走ることにする。

その時、ハンドルを握っていたのは私だった。
石鎚スカイラインを車で登って行くと、やはり、四国の雄大な山地と渓谷を抜けていくことになる。
ちょうど、山の尾根の上に当たる部分を、石鎚スカイラインが走っている。

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その、スカイラインの上を車で走るのだから、どこか、天上世界を走り抜けていく感覚だ。

車窓の遥か下には、面河渓(おもごけい)と言われる渓谷が広がっている。
石鎚山の切り立った山肌に、その渓谷が刻まれているのだが、緑に覆われているので、荒々しさが和らいでいる。

その景色は、中国の山水画そのものだった。
中国大陸には、深山幽谷で名を知られている桂林(クゥイリン)や黄山(ファンサン)のような土地がある。
だから、古来より、中国の山水画の題材として、それらの深山幽谷の眺めが描かれている。

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石鎚山系の、それらの幽谷は、中国の山水画そのものだった。
だから、この石鎚の山に訪れた際には、「中国大陸を探訪せずして、山水画の原画風景の雄大さを自分の眼で見ることが出来た」と感慨に耽ったものだった。
また、「このような風景も日本にはあるのだ」と、改めて、日本再発見をした一時でもあった。
車中で、隣に座っている友人達も感嘆の声を上げていた。

他の人も一目見て、正直に「絶景だ」とか「凄い」等の感嘆の声を上げると思う。

(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『石鎚山』の3枚。4枚目は『面河渓』)

当時の石鎚スカイラインの最終地点は「土小屋」と呼ばれる地点であり、何かの家屋が建っていたと記憶している。

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また、その地点に小規模ながらの駐車場もあった。
その駐車場から、石鎚の山頂に向かう登山客もいるのだろう。

その駐車場で休憩すべく、車を降りると、いきなり、寒かった。
夏場に四国一周のドライブをしたのだけど、石鎚の山は、標高1,982mなので、ふもとの松山市や西条市の気温よりも約10度も低い。
石鎚山系は、亜高山地帯であることでも知られている。
夏場の服装がいたく応えたことを記憶している。

友人達と眼下に広がる、山水画の原画、つまり、石鎚の山々と面河渓の連なりを見とれていた。
そして、「いつの日か、再び、ここに訪れてみたい」と秘かに願っていた。

しかし、これを書いている今現在、この願いは未だ実現していない。

■:四国の山への登山

四国の自然は、主に山の力が作り上げている。
これは、この旅行記中で記述済みだ。

私の訪れていた学校の体育にも、集中講義が幾つかあった。
集中して幾つかの講義を受講すれば、多めの単位を取れる。
私も集中講義を受ける際に、それらを選択することになる。
その内の一つに、登山があった。

旅行気分も兼ねつつ、多めの単位を取得し、また同時に、四国の山々にも遊ぶため、登山を選択した。
平野部をマイクロバスが抜けると、いきなりの急勾配となり、マイクロバスはその道をつたって山に向かう。

途中、仁淀川(によどがわ)の側をマイクロバスが抜けることになる。
仁淀川の水は青々としていた。

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(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『仁淀川』)

(四国の河川は青々としていたり、あるいは、緑の色で染まっていることが多い。これらの河川の清澄さも、四国の地形によって生み出されている。一般に、急な傾斜の多い土地だったり、山々の多い場所を抜ける河川というのは、自然の自浄作用が働く。よって、河川の清澄さが保たれる。後述する四万十川のように、四国には清流が多いことでも知られている。「四万十川の水は、そのまま、すくって飲むことが出来る」と言われるほどである。ただし、私が四万十の流れに触れた時には、その水をすくって飲まなかったけど。)

仁淀川の渓谷を遡り、一行は、寒風山(かんぷうざん)隧道の脇で、登山用リュックサックを降ろした。

(この原稿を書いている今では、寒風山の真下に「寒風山トンネル」という新しいトンネルが開通済みである。しかし、私が四国にいた頃には、「寒風山トンネル」は存在していなかった。現在の「寒風山トンネル」の遥か上方に位置する、旧道とされている「寒風山隧道」という名の、旧トンネルしか存在していなかった。)

ここにテントを張り、翌日の登山のため、遥か下方に土佐の街の灯を眺めつつ、就寝した。

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翌朝の登山では、寒風山と笹ヶ峰(ささがみね)に登ることになる。
快晴だった。
寒風山隧道のすぐ脇から登山道が始まっているのだけど、やはり、かなりの急傾斜だったことを覚えている。
一行の中には、四国育ちの人もいて、その人は四国の山の険しさを知っていた。
しかし、四国以外の人には、これらの山の険しさを味わうのは、ちょっと驚きだったようだ。

■:四国山地の尾根

地図で見ると、四国山地の尾根は、ずっと一筆書きのように連なっていることがわかる。
四国山地の尾根に出るまでは、一般に急な傾斜を登らないといけないことも多いが、尾根の上は一続きに連なっているので、尾根の上を移動する際には、あまり苦しくないように感じる。

だから、四国山地の山の上、つまり、尾根の世界は、麓とは違った世界が広がっているように感じた。
切り立った断崖絶壁の上に、一つのなだらかな世界がある。
一つの別世界のように感じた。
古来より、山の上には天狗や仙人が住むという。
そのような雰囲気を感じた。

石鎚山の写真を見てもわかるように、四国山地の尾根の下には、断崖絶壁が広がっていることが多い。
寒風山とは逆方向の伊予富士(いよふじ)に向かう登山道も尾根の上に続いていた。
しかし、その尾根沿いの道の直下には断崖絶壁もある。
また、自然の雨風のちからや、地球の地殻直下から、四国山地を盛り上げようとするちからが、いまだに働いているため、その断崖は、今でも、いよいよもって鋭くなるばかり。
よって、断崖も少しずつ崩壊しているので、その尾根沿いの登山道を歩くことは、ほぼ禁止されていた。

おそらく、様々な土地の、様々な峰々には、それなりの個性というものも形成されるように思う。
だから、四国の山並みの個性というものを挙げるとするならば、「雄大さ」とか「厳かさ」とか、そのようなものだろうか。

四国の土地が古来より霊場扱いされてきたのも、うなずけるような気がする。

■:寒風山山頂と笹ヶ峰(ささがみね)山頂

まず、寒風山山頂を極めた。
山頂近辺になると、崖をアタックしているようなものだった。
かなりのアップダウンのある登山道を登って、その頂きを極めた。

私は登山していないのだけど、石鎚山も、かなりの急傾斜があることで知られている。
だから、石鎚山山頂には、巨大な鎖が設置されてあり、登山者達は、その鎖をたどって、山頂を極めるそうだ。
しかし、私が登山した寒風山には、そのような鎖は設置されていなかった。

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(右の写真は『Mt.Kanpuzan2 - 寒風山 (高知県・愛媛県) - Wikipedia』からの寒風山)

寒風山を抜けて、笹ヶ峰に向かう。
この笹ヶ峰というのは名前からも連想できるように、山頂が笹で覆われている。

よって、急傾斜は無く、なだらかな山肌を歩み、あたかも笹に手を誘われるように感じながらも、岳人達は笹ヶ峰の、その山頂を極めることになる。
しかし、この笹ヶ峰も高峰であり、標高1,859mの亜高山地帯である。

一般に、高山と言えども、なだらかな山である場合には、なぜか、その標高を低いように感じる。
しかし、低い山と言えども、傾斜が急な山である場合には、なぜか、その標高を高いように感じる。
このように感じるのは、私一人だけだろうか。
笹ヶ峰を極める時、どこか、なだらかな牧場に躍り出たような感覚を味わいながらも、山頂に立った。

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(右の写真は『Iyohuzi0ɜ - 笹ヶ峰 - Wikipedia』からの笹ヶ峰)

北を見ると、瀬戸内海が広がっている。
南を見ると、遥か向こうに土佐湾が広がっている。
北方の、瀬戸内海は、眼下の真下に広がっているように見える。
しかし、南方に存在する土佐湾に至るまでは、深い山裾(やますそ)が広がっている。

そのような光景を堪能しつつ、笹ヶ峰山頂近辺の笹の草原の上で、皆で弁当を広げた。

四国の山を、本当に、自分の足で味わったのは、これが最初で最後であった。
しかし、地球内部のエネルギーを感じるには、十分な登山であった。

(続く)

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/10/_-e767.html


                                       坂本 誠

2018年10月 1日 (月)

三千二百九十五:四国の思い出_その一(独白)

■はじめに:

もう20年以上も前のことだけど、四国に居住していたことがある。
思い出話を、あたかも自分自身に、ぼそぼそと語るかのようにして書くには、「です・ます調」でなく独白調の方がよく似合う。

旅行とか探訪といった短期間の滞在では無く、長期間における滞在だったから、「居住」と言っても、さしつかえないものだった。

■四国の峰々:

ゆえあって、四国に居住することになったのが、初めて、四国の地に訪れた、その最初の日に驚いたことがあった。
JRの瀬戸大橋線をまたぐと、そこが四国の地の香川県だった。

しばらく、列車の振動の作り出す、ゆりかごに揺られ、ウトウトとしつつも、深い山並みに入って行く。
あっという間に、列車の両側の山並みが険しくなり始める。
徳島県の大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)のような、切り立った断崖絶壁の中を、吉野川(よしのがわ)が流れていた。
その吉野川の脇を、土讃線が通り抜けていく。

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(右の写真はWikipediaからの『大歩危峡』)

生まれて始めて見る程の断崖絶壁だった。

ここで初めてわかったのだが、四国は海に囲まれているから海国のように思えるけれど、実際は山国なのだ。

また、後にも知ったのだけど、四国は全体的に山が高いので、「深山幽谷(しんざんゆうこく)」という表現が似合う。

■地球内部のちからと四国の形成:

どうして、こんな山場が出来るのかというと、これが地球の活動による。
地球上の「プレート」と呼ばれる大陸の棚が沈み込む場所は海溝となる。
その海溝に、大陸棚が沈み込むのだけど、大陸棚自体が岩盤なので、引き込まれる際には、「引き込まれたくない」というちからが働くので、その反作用の結果、たいていの場合、地球の大規模な海溝近辺には、大山脈が形成される。

例えば、ロッキー山脈とかアンデス山脈だ。
日本列島も同じであり、日本海溝に大陸棚が落ち込む、ちからの反作用の結果として、日本列島が形成された。
そして、特に、反作用の力が強い場所として、四国山地とか紀伊山地とか三陸海岸沿いの北上高地が形成されている。
これらの山地は、高い峰々が聳えている。

四国山地の切り立った高山・断崖絶壁は、地球の海溝沿いの土地のちからによって形成された。

だから、地球内部の巨大なちからを体感したい人が、四国山地を訪れるのも良いかもしれない。
ちょうど、ロッキー山脈の近辺のグランド・キャニオンとか、アンデスの高峰を望むのと似た雰囲気を味わえるかと思う。

(右の写真は「石鎚山系を知る | 石鎚山・石鎚山系公式|石鎚山系連携事業協議会」からの『石鎚山』)

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■車窓から見た南国土佐の光景:

そのような峰々を車窓の上方部に見ながら、初めて、四国に訪れた私は、太平洋沿いの都市に向かっていた。

深山幽谷の風景をトンネルに見立てつつも、それらを列車が縫うように抜けると、そこは南国だった。
車窓から外を眺めると、時折、南国土佐の平野と土佐湾が見え隠れしている。

南国土佐を前にして、土讃線の列車が、峰々の上から、滑空を始めたグライダーのような感覚で、標高を下げていく。
昔風に表現するのならば、山を舞う鳥のトビ達が、獲物目がけて、山肌に沿って、ふもとに舞い降りるかのようなものだ。

列車のスピードで、かなりの標高差を縮めると、飛行機の着陸と離陸の時に、人もよく経験する、耳鳴りを感じる。
かなりの標高差を一気に縮めると、耳の鼓膜の内側と外側では気圧の差が生じるので、耳鳴りが生じる。
つまり、それほど、四国の峰々は高い。

日本の他の土地での、列車の旅で、このような経験を味わうのは、少ないことかと思う。

(同じようなことは、愛媛県側でもある。後に知ったことだが、久万高原の三坂峠から、松山市に向かう際にはバスや自動車を使うわけだが、この三坂峠から遥か下方に松山の街の灯を眺めながら、山頂から滑空するグライダーのような感覚で、標高を下げていく。)

そのような険しい高峰達を四国の土地の内に内蔵しているので、四国は古来より霊場とされたのかもしれない。
深山幽谷の土地の雰囲気と霊場の雰囲気は似ている。

始めて、四国に足を踏み入れて、その後、何年間か居住するために、旅装(りょそう)を解いた。

                   (続く)


 

                                       坂本 誠

2018年9月22日 (土)

三千二百九十四:ルール作りを考えてみて(追伸)

こんばんわ。
今日は、二つ目の記事です。

三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』の追伸記事です。

前段では、「憲法とか法律とかのルールそのものが、それほど重要なのか」という疑問の下にエッセイを書いてみました。

書き終えた後で、さらに続きを考えていたのですが、前段中の記事について新たに思いついたことがありました。

P4220158

 

大日本帝国憲法でも良いし、日本国憲法でも良いのですが、それらの憲法が制定された後に、なぜかわかりませんが、国を挙げての祝賀会が開かれているのに気が付きます。

小学校の教科書だったか、中学校の教科書だったかは忘れたのですが、憲法が制定された後、「それを祝う」という視点からか、どこかの数人の日本国民が万歳三唱をしている写真が掲載されていました。

学校の教科書でなくとも、どこかのテレビの歴史番組での戦後を語ったものの中で、何人かの日本国民が万歳三唱をしているシーンを、このブログの読者の方々も見た記憶があるかと思います。

無ければ、大日本帝国憲法の制定時のものでもかまいません。

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それらの写真や、シーンを見て以下の疑問を得たのですが、

  「万歳三唱を実行している何人かの日本人は心底から、それらの憲法制定を祝っているのだろうか?」

という疑問です。

その当時の役所の役人か、その当時の新聞社の社員達から呼びかけられて、彼等は万歳三唱を実行していたように、今現在の私には感じられるのです。

P4220156


なんとならば、かなりうまい組み合わせの元に、写真が撮影されているようです。
また、白黒フィルムの8ミリ動画で、あたかも、その場に居合わせた、万歳三唱を実行している、何人かの日本人が撮影されているように感じられるのです。

ちょうど、その場に、その当時の役所の役人か、その当時の新聞社の社員達が存在していて、うまいタイミングの下で、何人かの日本人の万歳三唱が撮影されているわけです。

憲法制定の祝賀会が開かれて、その祝賀会に、何人かの日本人が呼ばれた後、その当時の役所の役人が、その、何人かの日本人に以下のように呼びかけたのではないでしょうか。

  「やれ、我が国の憲法が制定されたので、今日は、めでたい日だ。あなたがたは日本人だ。だから無条件で、この憲法制定を祝った方が良いでしょう。従って、私が、あなたがたの万歳三唱を実行している光景を撮影して、その写真や動画を末永く、後世の日本に残したい。だから、あなたがたはカメラの前で、万歳三唱を実行して頂けないでしょうか?」

のような、役人の呼びかけがあったかもしれません。

この呼びかけによって、何人かの日本人も、

  「そうか。憲法が制定されて、私達は、それが、どのように私達に恩恵をもたらすかのシステムの構成を理解できないが、とにかく、考えるよりも先に、私達は、この憲法制定を祝った方が良いのではないだろうか。目の前にいる役所の職人の勧めのように」

という感じで、深くじっくりと考えた上での同意があって、つまり、何人かの日本人の心底なる祝いと幸福の気持ちによって、憲法制定時の万歳三唱を実行したようには、私には、あまり見受けないように感じるのですが、、、

この私の疑問を解消できるような新資料が出てくれば良いな、と感じています。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/_no1-824d.html


                                       坂本 誠

三千二百九十三:続・私達の本来の政治システムである「直接民主制」について

こんばんわ。

政治的な話題が続いていますので、続けて、政治的な話題をしてみます。
文末の『過去記事』にもあるように、時々、私は政治システムの一つである「直接民主制」の話題をしています。

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簡単に書いておきますと、民主主義政治システムの本来の姿が「直接民主制」と呼ばれているものです。
この「直接民主制」とは、「全ての国民が政治に参加して、話し合い、全ての国民によって、政治を決める」というものです。
これが本来の民主主義の政治なのです。

ところが、この民主主義政治は始まったのは、近代のヨーロッパとされていますが、その当時では、科学技術の発達がまだ足りなかったので、この「直接民主制」が実行できませんでした。
従って、当時、仕方なく、考え出されたのが、「代表民主主義」というシステムです。
これが、今現在、私達がよく見かけている、「何人かの議員を選んで、その議員を一定の場所に行ってもらって、代表者で話し合ってもらい、政治を決めてもらう」というものです。

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しかし、時代は進みました。

科学技術が進んだ結果、通信網が発達しました。
ですので、時々、私達が見かけるのですが、何とかアイドル・グループの、何とか総選挙というものが実施されているのを見かけることが出来ます。

つまり、インターネットを使用して、人々は遠距離にいる人とも会議が出来るし、全国的に一斉に投票出来る時代となりました。

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これらの文章を書いただけで、読者の方々も気づかれると思うのですが、何かのルール作成においても、インターネットを使用した投票システムによって、理論上、全ての国民の投票により、法律が作成できることがわかるでしょう。

また、日本の遠距離に離れた人とも、インターネットを使用したテレビ電話会議システムとでも呼ぶべきシステムによって、充分に、遠距離の人とも、また、多数の人間とも会議が出来ることが知られています。

つまり、理論上、民主主義政治システムの本来の姿である「直接民主制」が、実行可能な環境になったことがわかります。

従って、ある人々は同時に気付くでしょうが、日本の例で言うならば、衆議院や参議院が不要となります。
また、選挙管理委員会すらも不要となります。
会議そのものも、ネットのテレビ電話会議システムを使用すれば、それで足りるので、全国の巨大会議場を維持する必要も無くなるのに気が付くでしょう。
会議を行いたい人達ですらも、車を使ってまで、会議場に移動せず、自宅のパソコンを使えば、それで足りることに気が付くでしょう。

ですから、あっさり言ってしまえば、その「直接民主制」に反対したり、あるいは、現在の通信環境に反対する人々も出てくることでしょう。

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ですから、IT会社の方々が、私のこの記事を読むとするのならば、

  「坂本さん、大規模なIT投票システムが必要となるのではないでしょうか?」

という質問が出るかと思います。

私も以前は、そう思っていたのですが、実は、既に開発・配布済みであることに気が付きました。

それは、日本の各家庭のお茶の間に存在しているデジタル・テレビです。

デジタル・テレビは、双方向通信機能を備えていましたね(右の写真は自宅のテレビ、東芝『REGZA』のリモコン)。

P9220184

 

わかりやすく書きましょう。

年末の歌番組の一つである、NHKの『紅白歌合戦』で、例えば、「あなたは男の組が勝ったと思うのならば、白のボタンを。あるいは、女の組が勝ったと思うのならば、赤のボタンを押してください」という指示付きで、誘導された結果、そのボタンを押された結果が、ほとんど瞬時に、テレビ画面の上に出力されているのに気が付くと思います。

つまり、私達が以前、買わされたデジタル・テレビが、投票システムに早変わりすることがわかります。

わずかながらのカスタマイズが必要かもしれませんが、テレビの画面上に出ている司会者のような人が、上手い誘導を行えば、何のカスタマイズも無しに、無事に投票が終了するかもしれません。
当然ながら、「そのデジタル・テレビの双方向通信システムによって、何らかの法律を、ほぼ国民の全ての手によって決定することが出来る」と気付くでしょう。

あとは、「この各家庭に配布済みであるところの、このデジタル・テレビを使用して、いつ、直接民主制が開始されるだろうか」という時期的な問題が残されていることになります。

私達は、直接民主主義の到来する時代のために、過去、そのテレビが不要な方でも、デジタル・テレビを購入させられていたのかもしれません。

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結局、私達が見かけている「代表民主主義」というのは、全国民の意見の集計業務を実行しているシステムなのです。
ですから、コンピューターで、この集計業務を代行すれば、「直接民主主義が実行可能である」とわかるわけです。

また、これは巷で囁かれている噂の「AIが人間の政治意志を奪っている」というものでは無いことがわかるでしょう。
なんとならば、このコンピューターを使った「直接民主主義」システムというのは、全国民の意志の集計業務を行っているだけですので。

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また、巷で囁かれている話題の一つに、「AIが人間の仕事を奪う(代行する)」という、こちらの方は事実である、とわかるでしょう。

なぜならば、このコンピューターを使った投票による直接民主主義が実行されれば、今までに全国民の代表とされた選出者の業務も代行されてしまいますし、選挙管理委員会もそうだとわかりますね。
また、現行の政治システムに絡んだ様々な人も、その仕事を代行されてしまうことがわかるでしょう。

あっさりと書いてしまったのですが、オブラートにくるんで書いても仕方無いところでしょう。

なんとならば、このように、「ほぼ本来の民主主義政治であるところの、直接民主主義が実行可能となった科学の世界が到来した」と書いても、「それに反対する人もいるのではないでしょうか」と書いた方が、人々は、そちらの方が現実を把握しやすくなるからです。

正確に書くのならば、権力とかお金を好む人達によって、直接民主主義が反対されるため、本来の民主主義の実行が阻まれてしまう、というわけです。
正確に、正直に書いた方が、人の理解も得やすくなるし、また、真っ直ぐに前に進むこともできるでしょう。

また、このような状況になってくると、ベーシック・インカムの導入もあっても良いかと思います。

(あとは余談的に書くのですが、もし、直接民主主義システムが実行され始めたとしても、「新しいルールを作ろう。新しい決まり事を作ろう」と言ってくる人は少なくなるのではないのか、と私見では見ています。これの理由を以下に書きます。小学校のホームルームの時に、ある児童がいたと仮定して、その児童が、あまりにも、「あのルールを作ろう。このルールを作ろう」と言って来ると、その児童は他の児童達から煙たがられて、嫌われている筈です。それと同じ理由で、直接民主主義システムが実行され始めたとしても、あまりにも、「あのルールを作ろう。このルールを作ろう」と言って来る人は少ないのではないかと見ています。)


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/_no1-824d.html

『三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/post-6474.html

『三千五十七:民主主義と代議士の関係を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/post-714a.html


                                       坂本 誠

2018年9月21日 (金)

三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1

こんばんわ。

昨今、巷で話題を耳にする憲法とかルールの事を書いてみたいと思います。

「憲法」というのも、ルールの一種であることは言うまでもありません。
ですから、基本的には、私達の身近に見られる例を題材に挙げて考えることが出来ます。

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例えば、現在でも、小学校のホームルームの時間で、そのクラス内の決まり事を決めることがあるでしょうか。

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その「決まり事」もルールだと言えます。

そのホームルームの時間に誰かが、「私達のクラス内だと、私がこれから述べる何々のルールが必要になるかと思います」と発言して、クラス内でのルール作成を行おうとしていると仮定しましょう。

すると、そのクラス内の小学生の間で議論が交わされるでしょう。
例えば、ある生徒ならば、

  「私達は、そんなルールを必要だと思いません

というような反論も起こるでしょう。

しかし、そのルールを作成したい生徒としては、彼(あるいは彼女)が必要だからこそ、そのルールをクラス全員に認めてもらいたいことがわかります。

そして、ホームルームの時間内で、生徒達の会議の結果、「そのようなルールが私達のクラスに必要だとは思いません」という生徒が多数となれば、そのルールは却下されることになります。

さらに、「これそれのことをルールとしたい」として議題に挙げられたので、そのルールを作成したい側の生徒としては、

  「このルール作りの会議に長時間を取るわけにはいかないだろうから、これそれまでの時間に、多数決を取りたい」

と言ってくるかもしれません。

しかし、そのようなルールを欲しない生徒の側としては、

  「私達としては、そのようなルールを必要とは思わないので、時間を区切ってまで、早々と決める必要も無いと思います。ですから、このクラス内の全ての人が納得するまで、無期限で、議論を続けても良いのではないでしょうか?

という意見も出せるか思います。

Img7d939bd687b

 

ですが、上の例をそのまま続けて、そのルールを作成したいために発案した、生徒の側からすれば、

  「ルール作りというものは非常に大事なものだから、時間を区切って(どこかの会議で見られるような強行採決のように)、私達はキチンと決めるべきなのです」

と言ってくるかもしれません。

ここで、私達は上に挙げた例え話から離れてみましょう。

そして、ここで一旦深呼吸して冷静になって、次の疑問を考えてみましょう。

  「私達はルールというものが非常に大事だと生まれた時から言われ続けてきたが、『ルールは非常に大事だ』という根拠は、どこから発生したのだろうか?

と。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2』に続く)


三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』の続き)

ここから、私達の現実に起こったことを、おさらいしてみましょう。
わかりやすく例として日本のことを挙げてみましょう。

現在の『日本国憲法』の前身である『大日本帝国憲法』は、多くの人が知るように、明治時代になって発布されました。

Img7d9392d02693


それ以前の江戸時代以前には、憲法に相当するルールが、日本の人々に適用されていませんでした。

もちろん、飛鳥時代に聖徳太子が定めた『17条の憲法』ならば、ありましたが、この飛鳥時代というのは、この原稿を書いている現在(2018年)からみて、約1500年も前の時代のものでした。
その、約1500年もの時代の間、この『17条の憲法』は、人々の間で忘れられていたので、この『17条の憲法』の効力というのは、実は、有って無きが如しのようなものでした。
だからこそ、日本の戦国時代とか、武家政権が成り立っていたわけです。

ところが、明治政府が立って以来、その政府が欧米諸国のような政治スタイルを模倣することに決めた結果、欧米諸国のようなルール作りのシステムも模倣することになりました。

『憲法』という単語の英単語は『CONSTITUTION』と言います。
この『CONSTITUTION』という英単語は、「政体、機構、憲法、国憲」とされています(研究社、『新英和中辞典 三訂版』からの引用)。

明治時代が明けて、すぐの頃は、様々な外来語を日本語に当てる作業の時代も続きました。
ですから、明治時代初頭の頃の語学者達(福沢諭吉など)は、様々に見知らぬ英単語を、日本語に置き換えていきました。

その内の一つで、「『CONSTITUTION』という英単語をどう訳すか?」という問題も発生して来たと思います。

『law』という英単語も『法律』というものに定着させたことでしょう。
しかし、この『CONSTITUTION』という英単語を理解するのは、ちょっと難しかったと思います。

なぜならば、『CONSTITUTION』という英単語を、じっくりと調べると、「多くの法律の上位の存在」だとわかります。
ですから、『CONSTITUTION』という英単語を、『法律』という日本単語に置き換えるわけにはいきません。

ですから、「法律の上に存在する決まり事」という手合のルールを意味する日本の単語を持って来ないといけません。

なので、この手合いのルールを、日本史上から丹念に探し出してみると、「日本の飛鳥時代の政治家が提唱した『17条の憲法』等が、これに相当するのではないか?」となるでしょう。

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ですから、明治時代初頭の頃の語学者達は、『CONSTITUTION』という英単語を『憲法』という単語に当てたのではないかと、私は考えています。

そして、明治時代初頭の頃には、多くの日本人に忘れられており、適用も効力もなされていなかった、『17条の憲法』ですが、都合の良いことに、明治時代初頭の頃に、

  「憲法というルールを復活させよう」

という動きに、かなり有利に利用できることがわかるでしょう。

なぜならば、かなり昔の日本の政治家が提唱したルールである『17条の憲法』ですが、さらに都合の良いことに、それを提唱した聖徳太子は皇族の一人であった事実も有利に使用できるからです。
王政復古の号令をかけた明治政府としては。

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確かに、聖徳太子は、かなり人望の厚い政治家としても知られておりますので、彼の提唱した「『17条の憲法』が悪いものだ」とは言いません。

しかし、時の明治政府の役人達とすれば、約1500年もの間、忘れられていた「憲法というルールを復活させよう」と言うのだから、当時の多くの日本人達に、かなり強い説得力のある根拠を見せる必要があります。

「『17条の憲法』が悪いものだ」とは言いませんが、約1500年もの間、忘れられていた制度を復活させるには、このような、

  「約1500年も昔の人望の厚い政治家が提唱したルールだ。かつ、彼は皇族の一人であった」

と、当時の多くの日本人に説得混じりの発言を続ければ、それなりに多くの日本人達が、当時の『大日本帝国憲法』を受け入れたかもしれません。

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実際には、この手の「ルール」というものは、冒頭に挙げた小学校の例でもわかるように、「ルールというものは、全ての人が認めるからこそ、そのルールは効力を発揮できる」と私達にわかるわけです。

なので、『大日本帝国憲法』を制定した側の明治政府の役人達から見ると、

  「日本人全員が、この大日本帝国憲法に熱烈な支持をして、かつ、認めたのだ」

と、いかにも、大声で言う必要があります。

実際には、当時の大日本帝国憲法の制定に反対していた日本人も多いかもしれません。

例えば、義務教育であるところの小学校教育が始まったのですが、それらの小学校の生徒達は、「学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいた児童達もいたかもしれません。

これは、現在の小学校でも同じだとわかります。
現在の小学校の生徒達の内でも、「私達は学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいる児童達がいることが知られているからです。

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しかし、明治時代の当時の為政者達からすれば、何としてでも、「この大日本帝国憲法に、全ての日本人の熱烈なまでの支持と認可あり」と声高に言う必要があるので、何としてでも、それなりのものを、大いに多くの人々に見せる必要があります。

その結果が、例えば、当時の、大日本帝国憲法の制定による、国を挙げての祝い事とかセレモニーとか、あるいは、現在の憲法記念日と同じような、祝日の制定とかになるでしょうか。

憲法記念日を祝日として制定すると、それなりの多くの日本人は、

  「あ~、今日は休日だから、有難い。だからこそ、憲法記念日は大事なものであり、更には、その奥に位置している憲法とは非常に素晴らしいものだ」

という認識が、多くの日本人の心に植え付けられると思います。

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ですから、いかにも「憲法制定は、これは国を挙げての一大イベント(祝い事)だ」とか「だからこそ、国民の休日に位置づけされるぐらいの祝い事なのだ」と、全役所を挙げて、祝い事を見せていれば、かなり多くの人々が「憲法というルールは非常に大事なものなのだ」という認識を植え付けられることになります。

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また、それに合わせて、歴史の教科書とかに以下のような文章を載せるわけです。
「大日本帝国憲法が定められて、多くの日本人は幸福に思った」とか「大日本帝国憲法が定められた直後に、日本の各地で様々なイベントが行われて、多くの日本人は、それを祝った」とか。

こうしておくと、後世の日本人は、その教科書を読みますので、いかにも、その教科書を読んだ後世の日本人は「憲法というものは非常に大事なのだ」という認識を植え付けられることになります。

先に書いたことを再び書くのですが、義務教育であるところの小学校教育が始まったのですが、実際には、それらの小学校の生徒達は「学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいた児童達もいたことでしょう。

こうなりますと、単に「大日本帝国憲法の制定に反対していた多くの日本人がいたのだ」となってくるでしょう。

ですから、私が思いますに、この点において、明治時代当初の為政者達の心理操作は、多くの日本人に対して、かなり成功を納めたのではないかと思います。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.3』に続く)


三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.3

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2』の続き)

ですから、冒頭の小学校の例で書いたように、そのルールが適用される筈の側の一人一人の人間が、「私は、そのルールを重要なものとは思いませんよ」と述べただけで、もはや、そのルールが、そのグループの中で適用されることは、ほぼ不可能なことがわかります。

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ですから、冒頭の小学校の例で挙げた「私は、このルールを作成したい」と言ってきた小学生の人が、「ルールというものは、非常に大事なものなので、これそれまでの時間までに、時間厳守で、このルール作りに対する採決を取りたい」と言って来ても、そのルールを重要なものとは思わない人が、

  「私は、そのルールを必要とは思わないので、これそれまでの時間までに、時間厳守で、そのルールを制定しなくても良いと思いますよ。それこそ、無期限に至る時間を使ってまで、全てのクラス内の生徒達の納得のいくような決定をしても良いと思います」

と言えるでしょう。

---------------------------------

また、私が上に書いたように、以下のような疑問を自らの胸中にある心に問い続けるのも良いかと思います。

  「そのルールは、本当に大事なものだろうか?

等です。

ひょっとしたら、あなたの周囲の人とか、『巷で権威を持っている』とされている人が、やたらめったら、あなたに以下のことを行ってきたのではないでしょうか。

  「皆さん、このルールは私達にとって非常に大事なものなのです」

という発言等です。

Img7d9392d02664

 

私達は、ひょっとしたら、そのような人の発言に誘導されていないでしょうか。
私が上に書いた事も踏まえつつ、次のような疑問が、あなたの頭中に浮かんでこないでしょうか。

  「あなた自身(そのルールを作ろうとしている人)は、そのルール内容を必要とするかもしれないけれど、私達は、そのルールを必要とは思いません」

という疑問です。
この疑問が胸中に湧いて来たら、私が上に書いた事を踏まえつつも、そのルールの内容を自ら、御自身の手による熱心な調査と何回にもわたる熟慮によって、御自身の手による審査をすることを、私はお奨めしたくあります。

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このように、憲法というルールでさえも、別の視点から見ることが出来たと思います。
普段、私達は「憲法」というと「金科玉条のように、ひたすら、崇められるべきものである」という視点があるかもしれません。

しかし、ある別の視点から見ると「憲法そのものの存在自体が、疑問視すべきであり、あるいは、危ういものではないだろうか?」という疑問の視点を得ることが出来たと思います。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.4』に続く)


三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.4

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.3』の続き)

話は変わりますが、誰でもが認めている暗黙のルールとでも呼ぶべきものもあります。
それは、例えば、「人を殴ってはいけない」というものでしょうか。
なぜならば、誰でもそうですが、自分の顔を殴られたら、どのような感情や苦痛が発生するかが、誰でもわかるからです。

つまり、このような手合いのルールというものは、私達の身体や基本的な構造に与えられているものだからです。
ですから、このような手合いのルールというものは、大自然や神が、あらかじめ定めたルールとも言えるようなものです。

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なぜならば、全ての人が、殴られた後、発生する感情や苦痛は同一のものなので、全ての人が納得できるのです。
「全ての人が納得できる」となると、その手の「人を殴ってはいけない」というルール自体も「全ての人が納得できる」となりますので、このような、あらかじめに、大自然や神のような存在が、定めたルールとも言えるようなものも存在する、ということもわかります。

---------------------------------

このように、大自然や神のような存在が、定めたルールというものは、全ての人が認めるからこそ、真のルールだと言えるでしょう。

しかし、私達の日常生活を見ていても気づくように、むやみやたらとルール作りが行われているのを見かけるでしょうが、そのルールに対して、洋の東西を問わず、時には自国の国会議事堂の前で、反対のデモ活動を行っている人々を、私達はしばしば見かけるわけです。

結局、それらのデモを行う人々からすれば、そのようなルールに反対しているわけですから、結局、「そのようなルールに反対していた人々がいた」ということだから、結局、そのルールが制定された後でも、「そのルールは無効であろう」と私達は言えるでしょう。
なんとなれば、上から書いているように、「ルールというものは、そのグループ内の全ての人が認めるからこそ、ルールとして適用・使用される」のですから。

にも関わらず、何らかのルールが制定された後、そのルールを作成したかった人が、「このルールは、全ての国民が認めているところの憲法に従って、制定された。だから、このルールは、結局は、全ての国民が一致団結して認めた、全ての国民の同意のあるルールなのだ」と、言っていることになるわけです。

---------------------------------
ある例え話を書いてみます。

ある米国の国民の一人が、次のように公言したと仮定しましょう。

  「私は、今後、アメリカ合衆国憲法を一切受け入れません」

と。

すると、米国内の全ての法律というのは、全て、アメリカ合衆国憲法の下に作られていますので(派生とも言います)、それを公言した、その米国の一人の国民には、全く、全てのアメリカ合衆国の法律が適用されないことになります。
彼には、米国に存在する全ての罰則が適用されませんが、それと同時に、アメリカ合衆国憲法の下に彼を保護しているところのルールをも適用されないことになります。

しかし、それにも関わらず、彼(あるいは彼女)が、上記のような公言を行ったと仮定しましょう。

すると、米国内の、ある官憲の人が、彼(あるいは彼女)の元に訪れて、少々重い表情をしながらも、低い声音で、以下のように言うかもしれません。

  「わかりました。あなたは今後、アメリカ人ではありません。しかし、現在のあなたは、国籍不明の不法滞在者となって、今現在の、あなたが私の目の前にいると言うことになります。ですので、国籍不明の不法滞在者の扱い自体が、様々な国で定められているので、それを使って、今から、私達は、あなたを保護しようと思います」

という感じで、話が進んでいくかと想定できます。

ですから、このような例え話を、あなたの頭に入れつつも、あなたの周囲の状況を、よく見まわして、様々な点において思慮深くなり、とりわけ大事な点としては、周囲の人々との調和と平和と愛の内に生活することを目指しつつも、熟慮と落ち着きがあり、調和ある行動を取ることも大事なこととなってくるのではないかと思います。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/post-6474.html

三千五十七:民主主義と代議士の関係を考えて
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/post-714a.html


 

                                       坂本 誠

2018年9月13日 (木)

三千二百九十一:お知らせ

こんばんわ。

現在、所用をこなしておりますので、しばらくの間、お休みさせて頂きます。

何卒、ご了承ください。



                                       坂本 誠

2018年9月11日 (火)

三千二百九十:心と翼

       心と翼

      心に翼を。
  
  

_2

 

                                       坂本 誠

2018年9月 9日 (日)

三千二百八十九:私の見かけたニュース_No.111

こんばんわ。

私の見かけたニュースを紹介させて下さい。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせて頂きました。

(以下、『YAHOO! JAPAN NEWS』、2018/09/07(金)記事より引用)
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●消えた796人の子どもたち、カトリック施設での虐待を明らかにしたアイルランドの郷土史家
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180907-00010000-clc_nytv-int

9/7(金) 11:31配信 The New York Times

(c)THE NEW YORK TIMES

何十年にもわたり、未婚の母と子のための施設の敷地内に、子どもたちの遺骨が放置されていた。
この施設の恐ろしい実体を明らかにしたのはアマチュアの郷土史家だった。

【翻訳編集】AFPBB News

(以下、上記記事中に紹介されていた動画中の女性の談話画面からの引用)
---------------------------------
『CHILDREN OF TUAM チュアムの子供達』

ビデオ中の一人の女性の談話。

「政府や教会に抗議してもムダです。レンガの壁をたたくようなものよ。」

_1

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(引用終わり)

(以下、新ブログ『光と輝き』からの上記記事に関すると思われる過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『四百三十:私の見かけたビデオについて_No.40』
●バチカンとフリ-メ-ソンリ- フェレ-司祭の証言
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no40-be76.html
http://www.youtube.com/watch?v=byCLsdh3J-s



『四百四十一:私の見かけたビデオについて_No.43』
●ローマ教皇ベネディクト16世はイルミナティだった?
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no43-ca41.html
http://www.youtube.com/watch?v=FhtzkNQebGo



『二千六百十六:私の見かけたニュース_No.64』
●プロジェクト・ルシファー
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no64-9510.html
http://mizu8882.blog.fc2.com/blog-entry-908.html
Shocking: Pope Francis says Jesus is not divine, just a man
http://youtu.be/cREBiH2QAkU

(上記記事より抜粋引用)
---------------
◆カトリックの総本山バチカンで、神の代理人として仕えるローマ教皇が、驚天動地の発言をして騒ぎになっています。

◆とても教皇の発言とは思えないような内容で、敬虔な信者たちにとっては気絶するほどショッキングなものです。
何と教皇フランシスは「イエスは神でも何でもない、唯の男だ」と言っているのです。
これは、キリスト教原理主義の福音派の人々にとって青天の霹靂というより、原子爆弾を落とされたような衝撃を受けたのではないでしょうか。

◆この言葉だけでもショッキングなのに、あろうことか「イエスはサタン(ルシファー)の息子だ」と断言しているのです。
聖書も出鱈目、みんな嘘に騙されてきたのだとも言っています。

(、、、中略、、、)

先週、Peter Hans Kolvenbach(コルベンバック)という人物とある人物との会話を白龍会メンバーが盗聴録音した。

(写真あり)

201508141353096161

現在のコルベンバックの公式的な肩書きを言うならば、ローマ教イエズス会の元総長である。
しかし、その盗聴された会話の中で、今でも彼が実質的なヴァチカンの最高指導者であること、また同時に悪魔教の最高幹部であることを本人が認めている。

そして、自らを闇法王、もしくは地球の悪魔代理人と名乗るコルベンバックは、『我々が日本を地震兵器で攻撃する命令を下した』と話し、さらには『魔術を使って日本を海底に沈める』と発言している。
---------------
(引用終わり)

『百四十九:私の見かけたビデオについて_No.21』
●内部告発!(元アメリカ国家安全保障局) 『311大震災はアメリカとイスラエルの裏権力が核兵器を使った!』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/_no21-0943.html
https://www.youtube.com/watch?v=ZCEmFIMrRVE



(上記ビデオより抜粋して引用)
----------------------
◎リポーター:
「OK。ストゥクスネットについてはどうなのでしょうか?」
「なぜならストゥクスネットこそがイスラエルに起因するものだと思うのですが、違いますか?」
(※注あり。ストゥクスネット=コンピューターウィルスプログラム)

●ジム・ストーン:
「そうです。イスラエルがストゥクスネットと呼ばれるウィルスに取り組んでいます。」

「、、、(ストゥクスネットは)そして学んだのです。オペレーターが完全に燃料棒の温度を制御していることや、、、」
「それ(ストゥクスネット)を植え付けた会社はマグナBSP社と呼ばれています。
「私が言いたいのは・・・私は彼らにメールを送っていて、彼らが施設に埋め込んだ核兵器の写真も持っています。」
「彼らがした事とは、イスラエルで座って、彼らは津波を引き起こし、イスラエルで座って津波が原発を襲うのを待っていたんです。」
「、、、津波が起きて約40分後に起きた事は、彼らは発電機を停止させたのです。」

◎リポーター:
「そうですね。私もこの情報は知っています。、、、」
「、、、基本的にはそれ(311)はイスラエルの偽旗作戦なのでしょう?」

●ジム:
「そうです。これは偽旗作戦です。」

◎リポーター:
「、、、イスラエルが単独で行動したと思いますか?」
「わかるでしょう? こういうのは悲しい事なのですが、他の国も関わっていて、私達(米国)がほぼ関わっているようなのです。」

●ジム:
「私は沢山の報告書を持っています。それは米国海軍が核爆発の起きた日本海溝にいたというものです。」
----------------------
(引用終わり)

『四百三十六:私の見かけたビデオについて_No.42』
●真の影の権力者 イエズス会中枢部とバチカン内部
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no42-84e2.html
http://ameblo.jp/hidy0701/day-20120328.html
http://www.youtube.com/watch?v=jePMp9MFLKI



(上記ビデオより)
--------------------
バチカンはヒトラーと政教条約を結んだ。
1933年に彼が権力を持った年である。

私はイエズス会の命令からほとんど全てを学んだ。
この組織の良い部分は私の政党に取り入れた。
私はイエズス会からさらに多くを学んだ。
これからは、この地球上で階層的であるカトリック教会ほど壮大なものはないであろう。
ヒムラーの中に我々のロヨラのイグナチオを見る。
(アドルフ・ヒトラー)
--------------------
(引用終わり)

『八十一:私の見かけたビデオについて_No.15』
●エレン・グリーン・ヒックスインタビュー④
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/_no15-39cd.html
http://www.youtube.com/watch?v=__PDJHCxoDc



エレン・グリーン・ヒックス
--------------------
「バチカンでの小さな子供達を生贄に捧げる儀式を見てきています。」
「腹立たしい、地上で最も腹立たしい場所です。」
「最も邪悪で暗くて・・・地上で最も邪悪な場所です。」
「神はそこにいません。」
「神はその建物に入ったことはありません。」
「神は一度もその建物に入ったことがありません。」
「神は決してそこに入る事は無いでしょう。」
「神はその建物に無くなって欲しいのです。」
「生贄の儀式的な邪悪な・・・場所以外の何物でもありません。」
--------------------
(引用終わり)

『四百八十五:私の見かけた情報_No.5』
●バチカン悪魔組織、カトリック教の長年に渡る子供拷問&殺人について
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no5-5a96.html
http://mizu888.at.webry.info/201311/article_4.html

『四百五十四:私の見かけた情報_No.3』
●アメリカの驚くべき32の真実・・・・ほとんどの人は知らない。。。
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no3-b141.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51894924.html
http://nesaranews.blogspot.jp/2013/08/here-are-truthful-facts-most-people-do.html

(上記記事より引用)
--------------------
23.ローマ法王は、大陸の発見と征服に関する法に基づき、全世界を所有していると主張している。
24.ローマ法王は何百万人もの人々の大量虐殺と奴隷化を命令した。
--------------------
(引用終わり)

『二千六百九十七:News_No.589』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/news_no589-ca18.html
(以下、『日本や世界や宇宙の動向』様、2015/10/9記事より引用)
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●聖書はローマ・カトリック教会によって書き換えられました。
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51970277.html

(邦訳、『日本や世界や宇宙の動向』様)

http://beforeitsnews.com/prophecy/2015/10/original-scripture-was-modified-by-the-roman-catholic-church-2473608.html

(概要)
2015年10月6日付け

バチカンの地下室には、キリスト没後300年以上にわたり、カトリック教会が没収した(本物の)聖書原本、巻物、書物が大量に保管されています。
以降、カトリック教会は聖書原本を書き換え、新たな聖書を編集しました。
西暦325年に彼らが書き換えた聖書がニカイア会議にて認定され、397年8月のカルタゴ会議で、北アフリカのカルタゴ主教、西ローマ帝国の最初の皇帝、ローマ法王によって書き換えられた聖書が神の言葉として最終的に認められました。

以降、聖書は(とーま・カトリック教会によって)何千回も修正され書き直されてきました。
聖書は1000年以上にわたり次々に書き換えられてきたため、どのバージョンを読んでも、聖書原本とはかけ離れています。。

歴代ローマ法王やカトリック司教らは、神の言葉である聖書は絶対に信頼できるものであると信者に伝えてきました。
そのため、信者は聖書を神の言葉として絶対的に信じてきました。

ローマ帝国が聖書原本や古代の記録書を管理してきたため、今でもバチカンの地下室にそのまま残っています。
当時、聖書原本の内容や天地創造の真実を知っていた人たちは宗教裁判にて全員処刑されました。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

『六百四十三:私の見かけた情報_No.11』
●世界銀行の内部告発者カレン・ヒューズさんのインタビュー
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/12/_no11-dffa.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51909583.html
http://beforeitsnews.com/blogging-citizen-journalism/2013/12/karen-hudes-beforeitsnews-interview-exclusive-on-nibiru-israel-iran-a-return-of-the-rule-of-law-2449738.html
Exclusive Karen Hudes Before It's News Interview
https://www.youtube.com/watch?v=7p3F8r5i7EY



(以下、『日本や世界や宇宙の動向』様、2013/12/5記事より引用)
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さらにケムトレイルプロジェクトに多額の資金を提供し、世界中に噴霧させているのはイエズス会の銀行家集団です。

●イランとの合意について、非常にパワフルな組織(イエズス会の銀行集団)がメディアを支配し、アメリカの視聴者に偽の情報を流しています。
彼らはアメリカの視聴者がオルターナティブ・メディアにアクセスできないようにしています。

(、、、中略、、、)

実際に、世界の中央銀行には大量のゴールドが保管されています。
それらは世界中の人々のものです。
しかしイエズス会の銀行家集団はこのことを隠蔽しています。
彼らは世界中の人々を無知のままにしておきたいのです。
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年9月 5日 (水)

三千二百八十八:私達の間のルールを考えて

こんばんわ。

今日は短いブログ記事となりました。

昨今、教育システム関係と社会システム関係の話題を続けています。

社会システムの側のルールによって、「あなた達は学校に行かねばならない」とされています。
そして、それらのルールは、「日本国民の総意に基づき」とあります。

ここに大きな問題があることに、人は気が付いてくると思います。
一緒によく考えてみましょう。

現代でも、子供達の中で、「私は勉強や学校が嫌いだから、学校に行きたくない」と主張する子供達がいるのに気が付きます。
しかし、私達の間での根本的なルールとされている、そのルールの方では、「あなた達は学校に行かねばならない」と書かれているわけです。
つまり、何らかの理由によって「学校に行きたくない」という、子供達が複数以上いるわけです。
ですから、そのルール内で定めている条文自体が、既に「日本国民の総意に基づ』いていない」という事実に人は気が付くでしょう。

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にも関わらず、そのルールが定められようとしている頃に、ある特定の人物等が、「私個人には、このような意向があり、それを、日本全ての人々に適用させたい、という意志がある」ということがあったことに気が付くでしょう。

さて、そして、そのルールを定めた際に、そのルール内に「日本国民の総意に基づき」という文面まで彫り込んでいるわけです。

別に、日本国憲法でなくても、それ以前の、大日本帝国憲法でも話は同じだとわかるでしょう。
明治時代になってすぐの日本の全ての小学生達が「『私達は学校に行かねばならない』という、総意があったわけではない」と誰でも気が付くでしょうから。

上記のような特定の人物達の意向が、彼等以外の全ての日本人に適用されるルールを作成するにあたって、「このルールは日本国民の総意に基づき」という文章まで、彫り込んでいたのだから、この事実に気が付いた人は、

  「こりゃー、大問題が寝とったぞ」

と心中でつぶやいたかと思います。

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わかりやすく書くのならば、小学校のホームルームの時間内での、そのクラス内の決まりごとを決める際の会議でしょう。

ある特定の、ガキ大将的な存在の小学生が、彼(あるいは彼女)の発案しているルール案を語り始めて、

  「このルールは、このクラス内に絶対に必要であり(正確には彼(あるいは彼女)しか欲していないのだけど)、かつ、このルールは、このクラス全員の小学生達の総意に基づいて、決定せられた」

と言っているのと同じ事ですから。

後は、そのクラスの中で、どのような騒ぎ事が起きるのか、という点に関しては、あなたがご自由に想像してください。

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最近、教育関係の話題が続いていましたので、例として教育関係の決まり事とされているものを挙げてみました。
あとは、このような視点で、私達の間で共通ルールとされている内容を詳細に、読者の方々が見ていけば、色々な事を発見できると思います。
もとより、これは日本国憲法に限らず、世界各国の憲法の中を探しても、同様のことは、かなり見つかると思います。

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今日は、短いブログ記事となりましたが、かえって、このような話題は短文で伝えた方が効果があるとも言われていますね。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百八十七:現在の教育システムと社会システムの絡みを考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/post-42ca.html

『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/08/_-15d5.html

『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/07/post-779b.html


                                       坂本 誠

2018年9月 3日 (月)

三千二百八十七:現在の教育システムと社会システムの絡みを考えて

こんばんわ。

三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』の続きのような記事です。
前回は、独白調で書いたのですが、今度は「です・ます調」で書いてみます。

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余談ですが、日本語には、このような文体のスタイルにも違いがあります。
その文体の違いによって、受ける雰囲気も違ってきます。
この「文体の違い」というのは、日本語独特のものではないでしょうか。
当の日本人だと、この文体の違いを趣深く味わうかもしれません。
しかし、日本語を習得中の外国人にとっては、よく日本人の聞く「なんて日本語は難しいんだ」の発言を促す原因の一つかも知れません。

これを考えていたら、長い記事となりますので、段を改めて書くかもしれません。

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本題に返ります。

8月から9月にかけての移り変わりの季節は、子供達にとって受難の季節であると、報道されていました。
子供達が夏休みの宿題を抱えて、学校に帰らないといけないからでしょうか。

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三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』でも書いたように、宿題というのは断ることが出来ます。
それより以前に、学校の先生達が生徒達に対して宿題を出す方が奇妙なことだと気が付いた人もいることでしょう。
なんとならば、『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』でも書いたように、学校の先生達には、生徒達の放課後の時間を拘束できる権利を、当然ながら、持っていません。
ですので、生徒達の放課後の時間を拘束してしまう「宿題を与える」ということが、「してはいけないことではないのか」と気付き始めた人々もいることでしょう。

また、ここで、上の流れから新たなことに気が付いた人もいるでしょう。
というのも、現在、教壇に立っている、そのほとんどの人々が戦後生まれです。
ですので、戦前に生まれた人にも宿題を与えられた人々がいたかもしれませんが、現在、教壇に立たれている、そのほとんどの教師達も、子供時代に、学校の宿題を与えられたと思います。

ですから、現在、教壇に立たれている、そのほとんどの先生達も、「なぜ、その当時に、宿題を与えられるということを不思議に思ったり、疑問を感じなかったのか?」という、ちょっと大きめの疑問が湧いた人もいるかと思います。

この、新たな疑問について、この記事を進めていきたいと思います。

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私が思うことには、子供達が大人達から馬鹿にされていると思うのです。

例えば、子供は、生まれてから生活上の知識がありませんので、周囲の人から多くのことを学ぶことになります。
ですから、子供の頃は、学業などの吸収スピードは早いものです。

20100808132748

 

ですが、大人達の作成した教育システムに、子供達の疑問を生じさせぬよう、やたらめったら、スピードを上げて知識を詰め込まさせているように感じます。

例えば、私が子供の頃だと、小学校と中学校の2つの教育システムで、その社会科の時間に、「日本国憲法」の骨子を学ばされたでしょうか。
現在の、教育システムだと、どうなっているかわかりませんが。

私が子供の頃の社会科の時間に習った「日本国憲法」の時間に、例えば、

  「このルール『日本国憲法』に対して、疑問に思ったり、不備があるかと思われる点について、今から自由にディスカッション(議論)してみなさい」

というような、疑問提起等を誘われることはありませんでした。
現在の教育システム下でもそうではないでしょうか。

ですから、今現在、そのルールに対して、疑問に思ったり、不備があるかと思われる点について、ディスカッションに出されるかと想定される、疑問提起なりを以下に列挙してみることにします。

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  「そのルール中には、日本の子供達に対して、義務教育を行うとあります。『義務教育』とは聞こえが良いですが、『強制教育』と言い換えることは出来ないでしょうか?」

  「そのルール中の『義務教育』の発生理由とは何でしょうか? なぜ、『義務教育』という制度が必要とされたのでしょうか?」

  「そのルールの中に『このルールは、生まれてくる全ての日本人に与えられる』とあります。しかし、そのルールに反対となり、そのルールを捨てたい時には、どうしたら良いのでしょうか? 外国に行くとなると、それなりの費用が発生するので、外国に移住せずに、そのルールを捨てたいのですが、どうしたら良いのでしょうか?」

  「そのルールがセットされたのは、私が生まれる前です。私は、そのルール設定に際して、何の意見も言っていません。ですから、私の意見が全く反映されていないことも明らかです。それなのに、なぜ、そのルールが、強制的な感じで、生まれ来る全ての日本人に対して適用されるのでしょうか?」

  「仕方なくも、そのルールが、私達の間で『共通ルール』として採用されているようです。百歩譲って、それが私達の間での『共通ルール』だと妥協して受け入れたと仮定します。その上で、私達に出され続けている宿題について考えてみました。すると、学校の先生達が私達の放課後の時間を拘束できる権利が無いことに私達は気が付きました。それなのに、学校の先生達は、私達の放課後の時間を拘束してしまう宿題を出していることに気が付きます。これだと、世の多くの学校の先生(公務員)達は、憲法違反を実行していることになりはしないでしょうか?」

  「そのルールの中に書かれていることには『このルールは日本国民の総意に基づき適用される』というような文面があります。私が生まれてくる時に、そのルール設定がされていなかったのですが(それも問題の一つかと思いますが)、そのルール設定がなされた時代でも、日本には多くの日本人がいたことでしょう。そのルール設定の頃には、そのルールに対して反対の人々もいたことでしょう。それなのに、当時の反対者の人々に対して、最近しばしば見受けられるような国会での強行採決のように、そのルールが無理矢理セットされたと思います。その状態ですと、『日本国民の総意に基づき』という文面には、嘘があることになりはしないでしょうか?」

  「上の疑問の並びと同じなのですが、現代でも、そのルールに対して、反対の人々がいるのではないでしょうか? それでしたら、そのルール中の『日本国民の総意に基づき』という文面事体が、看板割れを現していることになりはしないでしょうか?」

、、、(以下、等々)

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まだ、学校の子供達が出してくると想定できるような疑問や、問題提起の文章を想定できるかと思いますが、ひとまず、ここで区切りを置いておきます。

要は、子供達がターゲットにされていると感じます。

20100808132708


「ターゲット」ですから、上の言葉を言い換えると、「子供達は狙われている」と言えるでしょうか。

子供達は、無批判で与えられるものを受け取ることが多いと思います。
その状態を逆用されていると思います。
ですから、義務教育システムの中で教えられる憲法内容の時間なども、怖そうな顔をした大きな体格を持った大人達である先生が、さらに厳しそうな目つきと恐持ての声を出しながら

  「今から教える、この憲法内容に、一切、疑問を持ったり、問題提起をしてはならない」

という感じで伝えられたら、子供達の心は大いに怯えてしまい、上記のような心の中で生じた疑問や問題事項を、一切、周囲の人に伝えることが出来なくなるのではないでしょうか。

暗黙の内に、多くの子供達に沈黙を強要されているように感じはしないでしょうか。

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また、「子供達がターゲットにされている」という言葉で思い出したのですが、これの一例が教育ビジネスだとわかると思います。

教育ビジネス側だと、子供達に、より多くの教材を買ってもらうようにしなくてはいけません。

ですから、そのためには、

  「子供達よ。あなたがたは無批判で勉強しなさい。学校の先生達も君達の親達も、皆、口をそろえて言うことには、『勉強すれば、その勉強がお前達の未来を救う』という、美辞麗句で、あなたがたに勉強を奨めているだろう。だから、あなたがたは無批判で勉強しなさい。そのためには、私が数多く作成している、これらの教材を大量に買いなさい(もっとも、あなたが今行っている勉強が、本当に、あなたの未来を救うかどうかは私は知らないが)。」

等のような学問の奨めを行いつつ、教材の売り込みをしているかもしれません。
あるいは、

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  「あなたが今行っている勉強は、あなたを幸せにしないかもしれないけれど、その勉強に見合った分だけの、お金を得られるかもしれないよ」

等のような奨めを行いつつ、教材の売り込みをしているかもしれません。

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上で想定している、教育ビジネス側だと、更に次のようなセリフを言うかもしれません。

  「私だって稼がないといけないからね。金が無いと生きていけないんだから。」

ここまで来ましたら、私の以前に書いた記事中の文章を再掲載して、つないだ方が良いと思いますので、再掲載します。

再掲載するブログ・サブタイトルは、『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』です。

(以下、『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』、2018/07/30(月)記事より抜粋して再掲載)
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そして、ちなみに、地球社会全体を支配したがっている人々からしたら、「地球上の全ての人間を、お金を使って、強制労働させることが出来る」と、彼等は気が付いていることでしょう。

なぜならば、生活資金を手に入れるためには、なんとしてでも、社会一般の職種に就かないといけないのですが、ある人が生活資金に困れば、その人は、その人がどんなに嫌いな仕事にでも就かないと、そのお金を手に入れられなくなるからです。

ですから、地球社会全体を支配したがっている人々ならば、「お金を使って、地球人を強制労働させ、つまり、我々の奴隷として、全地球人を使用することが出来る。なぜならば、我々は、全地球人に対し、『お金が無ければ生きていくことは出来ない』という恐怖感を与えることに成功したので、地球人は、そのお金を手に入れるためには、どんな嫌な仕事でも引き受けるに違いないのだから」と考えていることでしょう。

この、今、私が書いた「私達は、お金というツールを使用され、強制労働させられているのではないのだろうか?」という疑問は、読者の方々も、幼い頃に、幼子のようなまなざしを使って世間を見ていた頃、感じたことのある疑問ではないかと思います。

しかし、あなたの感じた、その素朴な疑問を口に出すには、あなたの周囲の人々を見回すと、お金を愛している人々がとても多いし、「お金に対する疑問を持つことは、タブーだ」という風潮や常識の前に、あなたの疑問は、あなたの口から出る前に、あなたの胸の中で消してしまったのではないでしょうか。

なぜならば、あなたが、その疑問を口に出すやいなや、周囲の人々が、あなたを冷たい目で見て、あなたを嫌いになるかもしれない、という、恐怖感が、あなたの心中に沸くと、その疑問を胸の中に引っ込めてしまいやすくなるからです。
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(抜粋引用終わり)

結局、総合的に考えてみますと、現代社会システムと、お金を使った経済システムが、人間の神性やら美徳を汚して、職業倫理をも堕落せしめ、結果、子供達の知識吸収の際にしても、強制教育とか、お金で汚れた教育システムが蔓延する結果になってしまったと、私見では見ています。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/08/_-15d5.html

『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/07/post-779b.html


                                       坂本 誠

2018年8月29日 (水)

三千二百八十六:自らの願望達成を遂げようとしている人を見て(独白)

こんばんわ。

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ある人を見ていて気付くことがある。

その人は、自分の願望達成のためには、その人以外の人間が関係する必要がある。
だから、その人の願望達成が行われるためには、彼(あるいは彼女)は自分以外の人間を動かす必要がある。

P9080147


そして、彼の願望つまりはその人の幸福達成のため、彼以外の人間が動かされた後で、さらに、彼は自分以外の人間の同意や称賛を必要とする。

つまり、彼の願望や幸福を達成するためには、常に彼以外の周囲の人間が関係する必要がある。

その状態だと、彼(あるいは彼女)の願望と、彼以外の周囲の人間との合意も、幾つかのケースは存在するかもしれない。
だから、幾つかのケースで彼の幸福達成は行われるかもしれない。
しかしながら、私達も知るように、自分以外の人間の意向や考えは互いに違っていることの方が圧倒的に多い。

だから、彼の願望達成のため、彼が周囲の人を動かす際に、彼の願望から生じるお願い事を、彼の周囲の人間が快く承諾するというケースは、ほとんど無いことに気が付く。

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わかりやすく書くと、彼は周囲の人に向かって、頻繁に「私のために、あれをして欲しい。これをして欲しい」と、お願い事ばかりを叫んでいる。
しかし、上に書いた文章の流れからわかるように、ほとんどの場合は、彼の願望の方向と彼の周囲の人々の願望の方向は違っているのだから、彼(あるいは彼女)のお願い事というのは、実は、お願い事ではなく、彼の命令であることに私達は気が付いてくる。

また、上の話をじっくりと見てみると、お願い事をしていると思われる彼の願望や幸福というのは、彼以外の周囲の人々の存在無しでは確立できないことがわかる。
つまり、彼(あるいは彼女)は非常に依存精神の強い人だとわかる。

なぜならば、彼の周囲の人がいなければ、彼は全く自分の願望や幸福を作れないのだから、その願望や幸福を作るためには、非常に熱心なまでに、彼の幸福作成のために、周囲の人が頻繁に手を差し出さなければならないからだ。

要するに、彼の幸福作成のためには、周囲の人々の助力を大いに必要とする状態にある。

つまり、彼は自分の手で自分の幸福を作ろうとしない。

P8290144

 

だから、彼以外の周囲の人々に向かって、

  「あなたは(お前は)私の言うこと(命令)を聞け」

とか

  「私があなた方にお願いして(命じて)、お互いの共通目的となった私達の願望を互いに達成したのだから、お前達は、もっと私を賞賛しなさい(崇めなさい)」

等々のような命令とか本人に対する賞賛を彼が求める言動が多発するようになる。
(もちろん、私が上記のように想定したセリフ中の括弧(カッコ)の中の、単語の方が、彼の本音だと読者は理解するだろう。)

このように彼(あるいは彼女)の称賛欲求も著しく激しいことが私達にわかる。

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結局、このような彼を見てわかることには、これは支配というものであることがわかる。

支配というものは愛情から生じる欲求や行動では無い。
支配というものは愛情の枯渇状態から生じる、逆のベクトルを持ったマイナスの愛情行為と言える。

なんとならば、彼以外の周囲の人々からすれば、彼のお願い事を承諾したくないにも関わらず、彼は周囲の人々の気持ちも踏みにじり、ただひたすら、彼自身の願望を達成すべく、無理矢理周囲の人を動かすのだから。

つまり彼自身は「お願い事だ」とは言うものの、その実態は命令であり、つまりは周囲の人々に対する支配である。

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この状態で多くの人々は以下のことに気付くだろう。
つまり、彼のお願い事が、周囲の人々の苦痛を生じさせている。
だから、彼は自分の願望を達成させようとしていることが、周囲の人々の不幸感覚を発生させているのである。
だから、たいていの人は、

  「自分の幸福状態は達成されるかも知れないけれど、それによって、周囲の人々が不幸になるので、つまりは、自分自身も永遠に幸福とはならない。なぜならば、自分以外の周囲の人々には不快感がたまるのみであり、その多量の不快感が私に向かってやってくるからだ。だから、つまりは私の願望を達成させる、ということは、他ならぬ、私自身を不幸にする原因となるのだ」

と気が付き、周囲の人々を動かすことを止めるようになるかもしれない。

P7080146


しかし、ある人ならば、その気付きを得ることも無いかもしれない。

つまり、周囲の人々の意に反してまでも、自らの願望・幸福を遂げようとする行為は、周囲の人々との和の内に、願望や幸福が築かれない。

だから、その状態というのは、「願望達成状態」とか「幸福達成状態」と呼べるものでは無く、「不幸・苦痛の体現状態達成」と呼べるものだろう。

しかし、もちろん、気付きにくい人にとっては、自身の得られている環境が「不幸・苦痛の体現状態達成」と気付くことは無く、天真爛漫(てんしんらんまん)にも、「この状態は自らの願望達成状態だ」と自負・自画自賛しているかもしれない。

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上で見たように、依存的な精神徴候のある人というのは、結局、自分で自分の幸福を作ろうとしていない。

自分の幸福状態を作成するために、彼は、絶えず、彼の周囲の多くの人々の助力を、無理矢理、得ようとする。

この結果、彼(あるいは彼女)が、自身では「これはお願い事だ」と称している、そのお願い内容を語る際には、鋭い語調を持った命令口調の「お願い事」となっている。
つまりは、その「お願い事」というのは命令となっている。

だから、彼(あるいは彼女)の周囲の人々は、彼の命令に屈服している状態であり、彼の周囲の多くの人々は苦痛の精神状態を得ていることになる。

これが更に進むと、依存精神の強い彼(あるいは彼女)は、周囲の人々の気持ちを全く無視することが可能となり、それでも、彼は周囲の人々を彼の口のみで動かし続けていることになる。
そして、彼が言うことには、

  「私は多くの人々を命令(支配)によって動かすことが出来る」

だろう。

他の心理学の本なんかにも、「独裁者達や王様達の心理状態は、これである」と伝えていたものがあった。

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上の喩え話から私達の得られるであろう教訓を列挙してみよう。

まず、私達は依存(甘え)傾向の強まる方向に流れない方が良いだろう。
「依存傾向の強い人」というのは、つまり、自分の手で自分の幸福を作ろうとしていない。
絶えず、他人のちからを自らの方向へと流用して、彼(あるいは彼女)の幸福を作成しようとしているのだから、つまりは甘えている。

P7080144

 

だから、得られる教訓の一つとしては、「自分の幸福は自分の手で作ろう」というような当然のことである。

また、上の話の流れから、依存傾向が強まると、周囲の人々に対して支配的になることがわかる。
だから、「依存傾向を強める方向」というのは、「愛情から離れていく方向」だということがわかる。
当然ことながら、「依存傾向を強める方向」というのは、「支配に向かってののベクトル」だということがわかる。

上に挙げた心理学の本にも、「独裁者達や王様達の心理状態は幼稚なものであり、これが依存傾向や支配欲求を生じている」のようなことも書いてあった。

だから、「幼稚な方向に向かおう」というのも、止めた方が良いと思う。

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私のブログに、時々、イルミナティさん達やレプティリアンさん達が出てくる。
イルミさん達やレプさん達は、彼等を除く地球上の全人類を奴隷化したいと言っている。

だから、上の流れからわかるように、彼等の支配欲求よりも前に、彼等の巨大な依存傾向や、甚大なまでの愛情精神欠落状態が存在していることが私達にわかる。

私が上に挙げた喩え話とか、実例であるところのイルミさんやレプさんを見て考えるに、私達は出来るだけ依存傾向を避け、「出来るだけ自分の幸福は自分の手で作ろう」等のような教訓を得た方が良いと思う。

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「甘えの精神」というのは、言い換えると、周囲の人々の愛情を吸収していく精神状態のことであることがわかる。

これと反対に、「愛情の精神」というのは、言い換えると、周囲の人々の向かって自らの内臓せる愛情を放出・放散していく精神状態のことであることがわかる。

わかりやすい比喩を書くと、「甘えの精神」が中心の人々は宇宙の中の物質を無制限に吸い込み続けるブラック・ホールに似ている。
「愛情の精神」が中心の人々は自らの内から宇宙に向かってエネルギーを無限に供給し続ける太陽に似ている。

イルミさんやレプさんは、時折、「闇の者」と言われることがあることからも、彼等をして、「ブラック・ホールに似ている」という人も出てくると思う。

だから、私達が得られる教訓の一つとしては、「太陽のような人になろう」という言葉を、日々にお互いに、挨拶言葉のように交わし合うことかとも思ってしまう。


                                       坂本 誠

2018年8月28日 (火)

三千二百八十五: 追悼文

こんばんわ。

先日、平成三十年八月二十七日に、私のブログ記事『三千二百八十四:マクロス・デルタを見て』を掲載した後、夜半過ぎに、漫画家さくらももこさんの訃報を知りました。

なんとなく心に感じるものあり、今回の追悼の文を書きます。

現代日本に暮らす多くの日本人が漫画世代とアニメ世代と言われている通り、私も漫画世代とアニメ世代の一人です。
さくらももこさんのアニメがテレビのブラウン管を飾るようになった当時、私も日本の僻地で、さくらさんの単行本を購入したり、彼女原作のテレビ番組を鑑賞したものでした。

日本各地に笑顔を届け、そして、昨今では、全世界に向けて、笑顔を届ける、という作品を継続して生み出すに至っては、それなりの性向が無ければ、なかなか難しいものかとも思いを巡らしたりもします。

さくらさんの明るい性格が、日本の多くのお茶の間に届き、それが多くの人々の幸福へと昇華されていった、ということを思い出すに当たり、それ自体が、さくらさんの更なる喜びと明るさの一つになったかと思います。

さくらももこさんの天界旅立ちの報を知るに当たり、今、彼女の安らかなる御昇天・御冥福を祈らせて頂きます。


           平成三十年八月二十八日

                                       坂本 誠

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