2018年9月22日 (土)

三千二百九十四:ルール作りを考えてみて(追伸)

こんばんわ。
今日は、二つ目の記事です。

三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』の追伸記事です。

前段では、「憲法とか法律とかのルールそのものが、それほど重要なのか」という疑問の下にエッセイを書いてみました。

書き終えた後で、さらに続きを考えていたのですが、前段中の記事について新たに思いついたことがありました。

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大日本帝国憲法でも良いし、日本国憲法でも良いのですが、それらの憲法が制定された後に、なぜかわかりませんが、国を挙げての祝賀会が開かれているのに気が付きます。

小学校の教科書だったか、中学校の教科書だったかは忘れたのですが、憲法が制定された後、「それを祝う」という視点からか、どこかの数人の日本国民が万歳三唱をしている写真が掲載されていました。

学校の教科書でなくとも、どこかのテレビの歴史番組での戦後を語ったものの中で、何人かの日本国民が万歳三唱をしているシーンを、このブログの読者の方々も見た記憶があるかと思います。

無ければ、大日本帝国憲法の制定時のものでもかまいません。

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それらの写真や、シーンを見て以下の疑問を得たのですが、

  「万歳三唱を実行している何人かの日本人は心底から、それらの憲法制定を祝っているのだろうか?」

という疑問です。

その当時の役所の役人か、その当時の新聞社の社員達から呼びかけられて、彼等は万歳三唱を実行していたように、今現在の私には感じられるのです。

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なんとならば、かなりうまい組み合わせの元に、写真が撮影されているようです。
また、白黒フィルムの8ミリ動画で、あたかも、その場に居合わせた、万歳三唱を実行している、何人かの日本人が撮影されているように感じられるのです。

ちょうど、その場に、その当時の役所の役人か、その当時の新聞社の社員達が存在していて、うまいタイミングの下で、何人かの日本人の万歳三唱が撮影されているわけです。

憲法制定の祝賀会が開かれて、その祝賀会に、何人かの日本人が呼ばれた後、その当時の役所の役人が、その、何人かの日本人に以下のように呼びかけたのではないでしょうか。

  「やれ、我が国の憲法が制定されたので、今日は、めでたい日だ。あなたがたは日本人だ。だから無条件で、この憲法制定を祝った方が良いでしょう。従って、私が、あなたがたの万歳三唱を実行している光景を撮影して、その写真や動画を末永く、後世の日本に残したい。だから、あなたがたはカメラの前で、万歳三唱を実行して頂けないでしょうか?」

のような、役人の呼びかけがあったかもしれません。

この呼びかけによって、何人かの日本人も、

  「そうか。憲法が制定されて、私達は、それが、どのように私達に恩恵をもたらすかのシステムの構成を理解できないが、とにかく、考えるよりも先に、私達は、この憲法制定を祝った方が良いのではないだろうか。目の前にいる役所の職人の勧めのように」

という感じで、深くじっくりと考えた上での同意があって、つまり、何人かの日本人の心底なる祝いと幸福の気持ちによって、憲法制定時の万歳三唱を実行したようには、私には、あまり見受けないように感じるのですが、、、

この私の疑問を解消できるような新資料が出てくれば良いな、と感じています。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/_no1-824d.html


                                       坂本 誠

三千二百九十三:続・私達の本来の政治システムである「直接民主制」について

こんばんわ。

政治的な話題が続いていますので、続けて、政治的な話題をしてみます。
文末の『過去記事』にもあるように、時々、私は政治システムの一つである「直接民主制」の話題をしています。

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簡単に書いておきますと、民主主義政治システムの本来の姿が「直接民主制」と呼ばれているものです。
この「直接民主制」とは、「全ての国民が政治に参加して、話し合い、全ての国民によって、政治を決める」というものです。
これが本来の民主主義の政治なのです。

ところが、この民主主義政治は始まったのは、近代のヨーロッパとされていますが、その当時では、科学技術の発達がまだ足りなかったので、この「直接民主制」が実行できませんでした。
従って、当時、仕方なく、考え出されたのが、「代表民主主義」というシステムです。
これが、今現在、私達がよく見かけている、「何人かの議員を選んで、その議員を一定の場所に行ってもらって、代表者で話し合ってもらい、政治を決めてもらう」というものです。

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しかし、時代は進みました。

科学技術が進んだ結果、通信網が発達しました。
ですので、時々、私達が見かけるのですが、何とかアイドル・グループの、何とか総選挙というものが実施されているのを見かけることが出来ます。

つまり、インターネットを使用して、人々は遠距離にいる人とも会議が出来るし、全国的に一斉に投票出来る時代となりました。

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これらの文章を書いただけで、読者の方々も気づかれると思うのですが、何かのルール作成においても、インターネットを使用した投票システムによって、理論上、全ての国民の投票により、法律が作成できることがわかるでしょう。

また、日本の遠距離に離れた人とも、インターネットを使用したテレビ電話会議システムとでも呼ぶべきシステムによって、充分に、遠距離の人とも、また、多数の人間とも会議が出来ることが知られています。

つまり、理論上、民主主義政治システムの本来の姿である「直接民主制」が、実行可能な環境になったことがわかります。

従って、ある人々は同時に気付くでしょうが、日本の例で言うならば、衆議院や参議院が不要となります。
また、選挙管理委員会すらも不要となります。
会議そのものも、ネットのテレビ電話会議システムを使用すれば、それで足りるので、全国の巨大会議場を維持する必要も無くなるのに気が付くでしょう。
会議を行いたい人達ですらも、車を使ってまで、会議場に移動せず、自宅のパソコンを使えば、それで足りることに気が付くでしょう。

ですから、あっさり言ってしまえば、その「直接民主制」に反対したり、あるいは、現在の通信環境に反対する人々も出てくることでしょう。

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ですから、IT会社の方々が、私のこの記事を読むとするのならば、

  「坂本さん、大規模なIT投票システムが必要となるのではないでしょうか?」

という質問が出るかと思います。

私も以前は、そう思っていたのですが、実は、既に開発・配布済みであることに気が付きました。

それは、日本の各家庭のお茶の間に存在しているデジタル・テレビです。

デジタル・テレビは、双方向通信機能を備えていましたね(右の写真は自宅のテレビ、東芝『REGZA』のリモコン)。

P9220184

 

わかりやすく書きましょう。

年末の歌番組の一つである、NHKの『紅白歌合戦』で、例えば、「あなたは男の組が勝ったと思うのならば、白のボタンを。あるいは、女の組が勝ったと思うのならば、赤のボタンを押してください」という指示付きで、誘導された結果、そのボタンを押された結果が、ほとんど瞬時に、テレビ画面の上に出力されているのに気が付くと思います。

つまり、私達が以前、買わされたデジタル・テレビが、投票システムに早変わりすることがわかります。

わずかながらのカスタマイズが必要かもしれませんが、テレビの画面上に出ている司会者のような人が、上手い誘導を行えば、何のカスタマイズも無しに、無事に投票が終了するかもしれません。
当然ながら、「そのデジタル・テレビの双方向通信システムによって、何らかの法律を、ほぼ国民の全ての手によって決定することが出来る」と気付くでしょう。

あとは、「この各家庭に配布済みであるところの、このデジタル・テレビを使用して、いつ、直接民主制が開始されるだろうか」という時期的な問題が残されていることになります。

私達は、直接民主主義の到来する時代のために、過去、そのテレビが不要な方でも、デジタル・テレビを購入させられていたのかもしれません。

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結局、私達が見かけている「代表民主主義」というのは、全国民の意見の集計業務を実行しているシステムなのです。
ですから、コンピューターで、この集計業務を代行すれば、「直接民主主義が実行可能である」とわかるわけです。

また、これは巷で囁かれている噂の「AIが人間の政治意志を奪っている」というものでは無いことがわかるでしょう。
なんとならば、このコンピューターを使った「直接民主主義」システムというのは、全国民の意志の集計業務を行っているだけですので。

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また、巷で囁かれている話題の一つに、「AIが人間の仕事を奪う(代行する)」という、こちらの方は事実である、とわかるでしょう。

なぜならば、このコンピューターを使った投票による直接民主主義が実行されれば、今までに全国民の代表とされた選出者の業務も代行されてしまいますし、選挙管理委員会もそうだとわかりますね。
また、現行の政治システムに絡んだ様々な人も、その仕事を代行されてしまうことがわかるでしょう。

あっさりと書いてしまったのですが、オブラートにくるんで書いても仕方無いところでしょう。

なんとならば、このように、「ほぼ本来の民主主義政治であるところの、直接民主主義が実行可能となった科学の世界が到来した」と書いても、「それに反対する人もいるのではないでしょうか」と書いた方が、人々は、そちらの方が現実を把握しやすくなるからです。

正確に書くのならば、権力とかお金を好む人達によって、直接民主主義が反対されるため、本来の民主主義の実行が阻まれてしまう、というわけです。
正確に、正直に書いた方が、人の理解も得やすくなるし、また、真っ直ぐに前に進むこともできるでしょう。

また、このような状況になってくると、ベーシック・インカムの導入もあっても良いかと思います。

(あとは余談的に書くのですが、もし、直接民主主義システムが実行され始めたとしても、「新しいルールを作ろう。新しい決まり事を作ろう」と言ってくる人は少なくなるのではないのか、と私見では見ています。これの理由を以下に書きます。小学校のホームルームの時に、ある児童がいたと仮定して、その児童が、あまりにも、「あのルールを作ろう。このルールを作ろう」と言って来ると、その児童は他の児童達から煙たがられて、嫌われている筈です。それと同じ理由で、直接民主主義システムが実行され始めたとしても、あまりにも、「あのルールを作ろう。このルールを作ろう」と言って来る人は少ないのではないかと見ています。)


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/_no1-824d.html

『三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/post-6474.html

『三千五十七:民主主義と代議士の関係を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/post-714a.html


                                       坂本 誠

2018年9月21日 (金)

三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1

こんばんわ。

昨今、巷で話題を耳にする憲法とかルールの事を書いてみたいと思います。

「憲法」というのも、ルールの一種であることは言うまでもありません。
ですから、基本的には、私達の身近に見られる例を題材に挙げて考えることが出来ます。

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例えば、現在でも、小学校のホームルームの時間で、そのクラス内の決まり事を決めることがあるでしょうか。

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その「決まり事」もルールだと言えます。

そのホームルームの時間に誰かが、「私達のクラス内だと、私がこれから述べる何々のルールが必要になるかと思います」と発言して、クラス内でのルール作成を行おうとしていると仮定しましょう。

すると、そのクラス内の小学生の間で議論が交わされるでしょう。
例えば、ある生徒ならば、

  「私達は、そんなルールを必要だと思いません

というような反論も起こるでしょう。

しかし、そのルールを作成したい生徒としては、彼(あるいは彼女)が必要だからこそ、そのルールをクラス全員に認めてもらいたいことがわかります。

そして、ホームルームの時間内で、生徒達の会議の結果、「そのようなルールが私達のクラスに必要だとは思いません」という生徒が多数となれば、そのルールは却下されることになります。

さらに、「これそれのことをルールとしたい」として議題に挙げられたので、そのルールを作成したい側の生徒としては、

  「このルール作りの会議に長時間を取るわけにはいかないだろうから、これそれまでの時間に、多数決を取りたい」

と言ってくるかもしれません。

しかし、そのようなルールを欲しない生徒の側としては、

  「私達としては、そのようなルールを必要とは思わないので、時間を区切ってまで、早々と決める必要も無いと思います。ですから、このクラス内の全ての人が納得するまで、無期限で、議論を続けても良いのではないでしょうか?

という意見も出せるか思います。

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ですが、上の例をそのまま続けて、そのルールを作成したいために発案した、生徒の側からすれば、

  「ルール作りというものは非常に大事なものだから、時間を区切って(どこかの会議で見られるような強行採決のように)、私達はキチンと決めるべきなのです」

と言ってくるかもしれません。

ここで、私達は上に挙げた例え話から離れてみましょう。

そして、ここで一旦深呼吸して冷静になって、次の疑問を考えてみましょう。

  「私達はルールというものが非常に大事だと生まれた時から言われ続けてきたが、『ルールは非常に大事だ』という根拠は、どこから発生したのだろうか?

と。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2』に続く)


三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.1』の続き)

ここから、私達の現実に起こったことを、おさらいしてみましょう。
わかりやすく例として日本のことを挙げてみましょう。

現在の『日本国憲法』の前身である『大日本帝国憲法』は、多くの人が知るように、明治時代になって発布されました。

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それ以前の江戸時代以前には、憲法に相当するルールが、日本の人々に適用されていませんでした。

もちろん、飛鳥時代に聖徳太子が定めた『17条の憲法』ならば、ありましたが、この飛鳥時代というのは、この原稿を書いている現在(2018年)からみて、約1500年も前の時代のものでした。
その、約1500年もの時代の間、この『17条の憲法』は、人々の間で忘れられていたので、この『17条の憲法』の効力というのは、実は、有って無きが如しのようなものでした。
だからこそ、日本の戦国時代とか、武家政権が成り立っていたわけです。

ところが、明治政府が立って以来、その政府が欧米諸国のような政治スタイルを模倣することに決めた結果、欧米諸国のようなルール作りのシステムも模倣することになりました。

『憲法』という単語の英単語は『CONSTITUTION』と言います。
この『CONSTITUTION』という英単語は、「政体、機構、憲法、国憲」とされています(研究社、『新英和中辞典 三訂版』からの引用)。

明治時代が明けて、すぐの頃は、様々な外来語を日本語に当てる作業の時代も続きました。
ですから、明治時代初頭の頃の語学者達(福沢諭吉など)は、様々に見知らぬ英単語を、日本語に置き換えていきました。

その内の一つで、「『CONSTITUTION』という英単語をどう訳すか?」という問題も発生して来たと思います。

『law』という英単語も『法律』というものに定着させたことでしょう。
しかし、この『CONSTITUTION』という英単語を理解するのは、ちょっと難しかったと思います。

なぜならば、『CONSTITUTION』という英単語を、じっくりと調べると、「多くの法律の上位の存在」だとわかります。
ですから、『CONSTITUTION』という英単語を、『法律』という日本単語に置き換えるわけにはいきません。

ですから、「法律の上に存在する決まり事」という手合のルールを意味する日本の単語を持って来ないといけません。

なので、この手合いのルールを、日本史上から丹念に探し出してみると、「日本の飛鳥時代の政治家が提唱した『17条の憲法』等が、これに相当するのではないか?」となるでしょう。

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ですから、明治時代初頭の頃の語学者達は、『CONSTITUTION』という英単語を『憲法』という単語に当てたのではないかと、私は考えています。

そして、明治時代初頭の頃には、多くの日本人に忘れられており、適用も効力もなされていなかった、『17条の憲法』ですが、都合の良いことに、明治時代初頭の頃に、

  「憲法というルールを復活させよう」

という動きに、かなり有利に利用できることがわかるでしょう。

なぜならば、かなり昔の日本の政治家が提唱したルールである『17条の憲法』ですが、さらに都合の良いことに、それを提唱した聖徳太子は皇族の一人であった事実も有利に使用できるからです。
王政復古の号令をかけた明治政府としては。

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確かに、聖徳太子は、かなり人望の厚い政治家としても知られておりますので、彼の提唱した「『17条の憲法』が悪いものだ」とは言いません。

しかし、時の明治政府の役人達とすれば、約1500年もの間、忘れられていた「憲法というルールを復活させよう」と言うのだから、当時の多くの日本人達に、かなり強い説得力のある根拠を見せる必要があります。

「『17条の憲法』が悪いものだ」とは言いませんが、約1500年もの間、忘れられていた制度を復活させるには、このような、

  「約1500年も昔の人望の厚い政治家が提唱したルールだ。かつ、彼は皇族の一人であった」

と、当時の多くの日本人に説得混じりの発言を続ければ、それなりに多くの日本人達が、当時の『大日本帝国憲法』を受け入れたかもしれません。

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実際には、この手の「ルール」というものは、冒頭に挙げた小学校の例でもわかるように、「ルールというものは、全ての人が認めるからこそ、そのルールは効力を発揮できる」と私達にわかるわけです。

なので、『大日本帝国憲法』を制定した側の明治政府の役人達から見ると、

  「日本人全員が、この大日本帝国憲法に熱烈な支持をして、かつ、認めたのだ」

と、いかにも、大声で言う必要があります。

実際には、当時の大日本帝国憲法の制定に反対していた日本人も多いかもしれません。

例えば、義務教育であるところの小学校教育が始まったのですが、それらの小学校の生徒達は、「学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいた児童達もいたかもしれません。

これは、現在の小学校でも同じだとわかります。
現在の小学校の生徒達の内でも、「私達は学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいる児童達がいることが知られているからです。

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しかし、明治時代の当時の為政者達からすれば、何としてでも、「この大日本帝国憲法に、全ての日本人の熱烈なまでの支持と認可あり」と声高に言う必要があるので、何としてでも、それなりのものを、大いに多くの人々に見せる必要があります。

その結果が、例えば、当時の、大日本帝国憲法の制定による、国を挙げての祝い事とかセレモニーとか、あるいは、現在の憲法記念日と同じような、祝日の制定とかになるでしょうか。

憲法記念日を祝日として制定すると、それなりの多くの日本人は、

  「あ~、今日は休日だから、有難い。だからこそ、憲法記念日は大事なものであり、更には、その奥に位置している憲法とは非常に素晴らしいものだ」

という認識が、多くの日本人の心に植え付けられると思います。

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ですから、いかにも「憲法制定は、これは国を挙げての一大イベント(祝い事)だ」とか「だからこそ、国民の休日に位置づけされるぐらいの祝い事なのだ」と、全役所を挙げて、祝い事を見せていれば、かなり多くの人々が「憲法というルールは非常に大事なものなのだ」という認識を植え付けられることになります。

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また、それに合わせて、歴史の教科書とかに以下のような文章を載せるわけです。
「大日本帝国憲法が定められて、多くの日本人は幸福に思った」とか「大日本帝国憲法が定められた直後に、日本の各地で様々なイベントが行われて、多くの日本人は、それを祝った」とか。

こうしておくと、後世の日本人は、その教科書を読みますので、いかにも、その教科書を読んだ後世の日本人は「憲法というものは非常に大事なのだ」という認識を植え付けられることになります。

先に書いたことを再び書くのですが、義務教育であるところの小学校教育が始まったのですが、実際には、それらの小学校の生徒達は「学校なんかに行くのは嫌だ」と叫んでいた児童達もいたことでしょう。

こうなりますと、単に「大日本帝国憲法の制定に反対していた多くの日本人がいたのだ」となってくるでしょう。

ですから、私が思いますに、この点において、明治時代当初の為政者達の心理操作は、多くの日本人に対して、かなり成功を納めたのではないかと思います。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.3』に続く)


三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.3

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.2』の続き)

ですから、冒頭の小学校の例で書いたように、そのルールが適用される筈の側の一人一人の人間が、「私は、そのルールを重要なものとは思いませんよ」と述べただけで、もはや、そのルールが、そのグループの中で適用されることは、ほぼ不可能なことがわかります。

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ですから、冒頭の小学校の例で挙げた「私は、このルールを作成したい」と言ってきた小学生の人が、「ルールというものは、非常に大事なものなので、これそれまでの時間までに、時間厳守で、このルール作りに対する採決を取りたい」と言って来ても、そのルールを重要なものとは思わない人が、

  「私は、そのルールを必要とは思わないので、これそれまでの時間までに、時間厳守で、そのルールを制定しなくても良いと思いますよ。それこそ、無期限に至る時間を使ってまで、全てのクラス内の生徒達の納得のいくような決定をしても良いと思います」

と言えるでしょう。

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また、私が上に書いたように、以下のような疑問を自らの胸中にある心に問い続けるのも良いかと思います。

  「そのルールは、本当に大事なものだろうか?

等です。

ひょっとしたら、あなたの周囲の人とか、『巷で権威を持っている』とされている人が、やたらめったら、あなたに以下のことを行ってきたのではないでしょうか。

  「皆さん、このルールは私達にとって非常に大事なものなのです」

という発言等です。

Img7d9392d02664

 

私達は、ひょっとしたら、そのような人の発言に誘導されていないでしょうか。
私が上に書いた事も踏まえつつ、次のような疑問が、あなたの頭中に浮かんでこないでしょうか。

  「あなた自身(そのルールを作ろうとしている人)は、そのルール内容を必要とするかもしれないけれど、私達は、そのルールを必要とは思いません」

という疑問です。
この疑問が胸中に湧いて来たら、私が上に書いた事を踏まえつつも、そのルールの内容を自ら、御自身の手による熱心な調査と何回にもわたる熟慮によって、御自身の手による審査をすることを、私はお奨めしたくあります。

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このように、憲法というルールでさえも、別の視点から見ることが出来たと思います。
普段、私達は「憲法」というと「金科玉条のように、ひたすら、崇められるべきものである」という視点があるかもしれません。

しかし、ある別の視点から見ると「憲法そのものの存在自体が、疑問視すべきであり、あるいは、危ういものではないだろうか?」という疑問の視点を得ることが出来たと思います。

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.4』に続く)


三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.4

(『三千二百九十二:ルール作りを考えてみて_No.3』の続き)

話は変わりますが、誰でもが認めている暗黙のルールとでも呼ぶべきものもあります。
それは、例えば、「人を殴ってはいけない」というものでしょうか。
なぜならば、誰でもそうですが、自分の顔を殴られたら、どのような感情や苦痛が発生するかが、誰でもわかるからです。

つまり、このような手合いのルールというものは、私達の身体や基本的な構造に与えられているものだからです。
ですから、このような手合いのルールというものは、大自然や神が、あらかじめ定めたルールとも言えるようなものです。

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なぜならば、全ての人が、殴られた後、発生する感情や苦痛は同一のものなので、全ての人が納得できるのです。
「全ての人が納得できる」となると、その手の「人を殴ってはいけない」というルール自体も「全ての人が納得できる」となりますので、このような、あらかじめに、大自然や神のような存在が、定めたルールとも言えるようなものも存在する、ということもわかります。

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このように、大自然や神のような存在が、定めたルールというものは、全ての人が認めるからこそ、真のルールだと言えるでしょう。

しかし、私達の日常生活を見ていても気づくように、むやみやたらとルール作りが行われているのを見かけるでしょうが、そのルールに対して、洋の東西を問わず、時には自国の国会議事堂の前で、反対のデモ活動を行っている人々を、私達はしばしば見かけるわけです。

結局、それらのデモを行う人々からすれば、そのようなルールに反対しているわけですから、結局、「そのようなルールに反対していた人々がいた」ということだから、結局、そのルールが制定された後でも、「そのルールは無効であろう」と私達は言えるでしょう。
なんとなれば、上から書いているように、「ルールというものは、そのグループ内の全ての人が認めるからこそ、ルールとして適用・使用される」のですから。

にも関わらず、何らかのルールが制定された後、そのルールを作成したかった人が、「このルールは、全ての国民が認めているところの憲法に従って、制定された。だから、このルールは、結局は、全ての国民が一致団結して認めた、全ての国民の同意のあるルールなのだ」と、言っていることになるわけです。

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ある例え話を書いてみます。

ある米国の国民の一人が、次のように公言したと仮定しましょう。

  「私は、今後、アメリカ合衆国憲法を一切受け入れません」

と。

すると、米国内の全ての法律というのは、全て、アメリカ合衆国憲法の下に作られていますので(派生とも言います)、それを公言した、その米国の一人の国民には、全く、全てのアメリカ合衆国の法律が適用されないことになります。
彼には、米国に存在する全ての罰則が適用されませんが、それと同時に、アメリカ合衆国憲法の下に彼を保護しているところのルールをも適用されないことになります。

しかし、それにも関わらず、彼(あるいは彼女)が、上記のような公言を行ったと仮定しましょう。

すると、米国内の、ある官憲の人が、彼(あるいは彼女)の元に訪れて、少々重い表情をしながらも、低い声音で、以下のように言うかもしれません。

  「わかりました。あなたは今後、アメリカ人ではありません。しかし、現在のあなたは、国籍不明の不法滞在者となって、今現在の、あなたが私の目の前にいると言うことになります。ですので、国籍不明の不法滞在者の扱い自体が、様々な国で定められているので、それを使って、今から、私達は、あなたを保護しようと思います」

という感じで、話が進んでいくかと想定できます。

ですから、このような例え話を、あなたの頭に入れつつも、あなたの周囲の状況を、よく見まわして、様々な点において思慮深くなり、とりわけ大事な点としては、周囲の人々との調和と平和と愛の内に生活することを目指しつつも、熟慮と落ち着きがあり、調和ある行動を取ることも大事なこととなってくるのではないかと思います。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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三千百:私達の本来の政治システムである「直接民主制」について
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/03/post-6474.html

三千五十七:民主主義と代議士の関係を考えて
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/post-714a.html


 

                                       坂本 誠

2018年9月13日 (木)

三千二百九十一:お知らせ

こんばんわ。

現在、所用をこなしておりますので、しばらくの間、お休みさせて頂きます。

何卒、ご了承ください。



                                       坂本 誠

2018年9月11日 (火)

三千二百九十:心と翼

       心と翼

      心に翼を。
  
  

_2

 

                                       坂本 誠

2018年9月 9日 (日)

三千二百八十九:私の見かけたニュース_No.111

こんばんわ。

私の見かけたニュースを紹介させて下さい。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせて頂きました。

(以下、『YAHOO! JAPAN NEWS』、2018/09/07(金)記事より引用)
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●消えた796人の子どもたち、カトリック施設での虐待を明らかにしたアイルランドの郷土史家
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180907-00010000-clc_nytv-int

9/7(金) 11:31配信 The New York Times

(c)THE NEW YORK TIMES

何十年にもわたり、未婚の母と子のための施設の敷地内に、子どもたちの遺骨が放置されていた。
この施設の恐ろしい実体を明らかにしたのはアマチュアの郷土史家だった。

【翻訳編集】AFPBB News

(以下、上記記事中に紹介されていた動画中の女性の談話画面からの引用)
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『CHILDREN OF TUAM チュアムの子供達』

ビデオ中の一人の女性の談話。

「政府や教会に抗議してもムダです。レンガの壁をたたくようなものよ。」

_1

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(引用終わり)

(以下、新ブログ『光と輝き』からの上記記事に関すると思われる過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『四百三十:私の見かけたビデオについて_No.40』
●バチカンとフリ-メ-ソンリ- フェレ-司祭の証言
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no40-be76.html
http://www.youtube.com/watch?v=byCLsdh3J-s



『四百四十一:私の見かけたビデオについて_No.43』
●ローマ教皇ベネディクト16世はイルミナティだった?
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no43-ca41.html
http://www.youtube.com/watch?v=FhtzkNQebGo



『二千六百十六:私の見かけたニュース_No.64』
●プロジェクト・ルシファー
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/08/_no64-9510.html
http://mizu8882.blog.fc2.com/blog-entry-908.html
Shocking: Pope Francis says Jesus is not divine, just a man
http://youtu.be/cREBiH2QAkU

(上記記事より抜粋引用)
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◆カトリックの総本山バチカンで、神の代理人として仕えるローマ教皇が、驚天動地の発言をして騒ぎになっています。

◆とても教皇の発言とは思えないような内容で、敬虔な信者たちにとっては気絶するほどショッキングなものです。
何と教皇フランシスは「イエスは神でも何でもない、唯の男だ」と言っているのです。
これは、キリスト教原理主義の福音派の人々にとって青天の霹靂というより、原子爆弾を落とされたような衝撃を受けたのではないでしょうか。

◆この言葉だけでもショッキングなのに、あろうことか「イエスはサタン(ルシファー)の息子だ」と断言しているのです。
聖書も出鱈目、みんな嘘に騙されてきたのだとも言っています。

(、、、中略、、、)

先週、Peter Hans Kolvenbach(コルベンバック)という人物とある人物との会話を白龍会メンバーが盗聴録音した。

(写真あり)

201508141353096161

現在のコルベンバックの公式的な肩書きを言うならば、ローマ教イエズス会の元総長である。
しかし、その盗聴された会話の中で、今でも彼が実質的なヴァチカンの最高指導者であること、また同時に悪魔教の最高幹部であることを本人が認めている。

そして、自らを闇法王、もしくは地球の悪魔代理人と名乗るコルベンバックは、『我々が日本を地震兵器で攻撃する命令を下した』と話し、さらには『魔術を使って日本を海底に沈める』と発言している。
---------------
(引用終わり)

『百四十九:私の見かけたビデオについて_No.21』
●内部告発!(元アメリカ国家安全保障局) 『311大震災はアメリカとイスラエルの裏権力が核兵器を使った!』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/07/_no21-0943.html
https://www.youtube.com/watch?v=ZCEmFIMrRVE



(上記ビデオより抜粋して引用)
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◎リポーター:
「OK。ストゥクスネットについてはどうなのでしょうか?」
「なぜならストゥクスネットこそがイスラエルに起因するものだと思うのですが、違いますか?」
(※注あり。ストゥクスネット=コンピューターウィルスプログラム)

●ジム・ストーン:
「そうです。イスラエルがストゥクスネットと呼ばれるウィルスに取り組んでいます。」

「、、、(ストゥクスネットは)そして学んだのです。オペレーターが完全に燃料棒の温度を制御していることや、、、」
「それ(ストゥクスネット)を植え付けた会社はマグナBSP社と呼ばれています。
「私が言いたいのは・・・私は彼らにメールを送っていて、彼らが施設に埋め込んだ核兵器の写真も持っています。」
「彼らがした事とは、イスラエルで座って、彼らは津波を引き起こし、イスラエルで座って津波が原発を襲うのを待っていたんです。」
「、、、津波が起きて約40分後に起きた事は、彼らは発電機を停止させたのです。」

◎リポーター:
「そうですね。私もこの情報は知っています。、、、」
「、、、基本的にはそれ(311)はイスラエルの偽旗作戦なのでしょう?」

●ジム:
「そうです。これは偽旗作戦です。」

◎リポーター:
「、、、イスラエルが単独で行動したと思いますか?」
「わかるでしょう? こういうのは悲しい事なのですが、他の国も関わっていて、私達(米国)がほぼ関わっているようなのです。」

●ジム:
「私は沢山の報告書を持っています。それは米国海軍が核爆発の起きた日本海溝にいたというものです。」
----------------------
(引用終わり)

『四百三十六:私の見かけたビデオについて_No.42』
●真の影の権力者 イエズス会中枢部とバチカン内部
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no42-84e2.html
http://ameblo.jp/hidy0701/day-20120328.html
http://www.youtube.com/watch?v=jePMp9MFLKI



(上記ビデオより)
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バチカンはヒトラーと政教条約を結んだ。
1933年に彼が権力を持った年である。

私はイエズス会の命令からほとんど全てを学んだ。
この組織の良い部分は私の政党に取り入れた。
私はイエズス会からさらに多くを学んだ。
これからは、この地球上で階層的であるカトリック教会ほど壮大なものはないであろう。
ヒムラーの中に我々のロヨラのイグナチオを見る。
(アドルフ・ヒトラー)
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(引用終わり)

『八十一:私の見かけたビデオについて_No.15』
●エレン・グリーン・ヒックスインタビュー④
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/06/_no15-39cd.html
http://www.youtube.com/watch?v=__PDJHCxoDc



エレン・グリーン・ヒックス
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「バチカンでの小さな子供達を生贄に捧げる儀式を見てきています。」
「腹立たしい、地上で最も腹立たしい場所です。」
「最も邪悪で暗くて・・・地上で最も邪悪な場所です。」
「神はそこにいません。」
「神はその建物に入ったことはありません。」
「神は一度もその建物に入ったことがありません。」
「神は決してそこに入る事は無いでしょう。」
「神はその建物に無くなって欲しいのです。」
「生贄の儀式的な邪悪な・・・場所以外の何物でもありません。」
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(引用終わり)

『四百八十五:私の見かけた情報_No.5』
●バチカン悪魔組織、カトリック教の長年に渡る子供拷問&殺人について
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/_no5-5a96.html
http://mizu888.at.webry.info/201311/article_4.html

『四百五十四:私の見かけた情報_No.3』
●アメリカの驚くべき32の真実・・・・ほとんどの人は知らない。。。
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/10/_no3-b141.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51894924.html
http://nesaranews.blogspot.jp/2013/08/here-are-truthful-facts-most-people-do.html

(上記記事より引用)
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23.ローマ法王は、大陸の発見と征服に関する法に基づき、全世界を所有していると主張している。
24.ローマ法王は何百万人もの人々の大量虐殺と奴隷化を命令した。
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(引用終わり)

『二千六百九十七:News_No.589』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/10/news_no589-ca18.html
(以下、『日本や世界や宇宙の動向』様、2015/10/9記事より引用)
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●聖書はローマ・カトリック教会によって書き換えられました。
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51970277.html

(邦訳、『日本や世界や宇宙の動向』様)

http://beforeitsnews.com/prophecy/2015/10/original-scripture-was-modified-by-the-roman-catholic-church-2473608.html

(概要)
2015年10月6日付け

バチカンの地下室には、キリスト没後300年以上にわたり、カトリック教会が没収した(本物の)聖書原本、巻物、書物が大量に保管されています。
以降、カトリック教会は聖書原本を書き換え、新たな聖書を編集しました。
西暦325年に彼らが書き換えた聖書がニカイア会議にて認定され、397年8月のカルタゴ会議で、北アフリカのカルタゴ主教、西ローマ帝国の最初の皇帝、ローマ法王によって書き換えられた聖書が神の言葉として最終的に認められました。

以降、聖書は(とーま・カトリック教会によって)何千回も修正され書き直されてきました。
聖書は1000年以上にわたり次々に書き換えられてきたため、どのバージョンを読んでも、聖書原本とはかけ離れています。。

歴代ローマ法王やカトリック司教らは、神の言葉である聖書は絶対に信頼できるものであると信者に伝えてきました。
そのため、信者は聖書を神の言葉として絶対的に信じてきました。

ローマ帝国が聖書原本や古代の記録書を管理してきたため、今でもバチカンの地下室にそのまま残っています。
当時、聖書原本の内容や天地創造の真実を知っていた人たちは宗教裁判にて全員処刑されました。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

『六百四十三:私の見かけた情報_No.11』
●世界銀行の内部告発者カレン・ヒューズさんのインタビュー
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/12/_no11-dffa.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51909583.html
http://beforeitsnews.com/blogging-citizen-journalism/2013/12/karen-hudes-beforeitsnews-interview-exclusive-on-nibiru-israel-iran-a-return-of-the-rule-of-law-2449738.html
Exclusive Karen Hudes Before It's News Interview
https://www.youtube.com/watch?v=7p3F8r5i7EY



(以下、『日本や世界や宇宙の動向』様、2013/12/5記事より引用)
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さらにケムトレイルプロジェクトに多額の資金を提供し、世界中に噴霧させているのはイエズス会の銀行家集団です。

●イランとの合意について、非常にパワフルな組織(イエズス会の銀行集団)がメディアを支配し、アメリカの視聴者に偽の情報を流しています。
彼らはアメリカの視聴者がオルターナティブ・メディアにアクセスできないようにしています。

(、、、中略、、、)

実際に、世界の中央銀行には大量のゴールドが保管されています。
それらは世界中の人々のものです。
しかしイエズス会の銀行家集団はこのことを隠蔽しています。
彼らは世界中の人々を無知のままにしておきたいのです。
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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年9月 5日 (水)

三千二百八十八:私達の間のルールを考えて

こんばんわ。

今日は短いブログ記事となりました。

昨今、教育システム関係と社会システム関係の話題を続けています。

社会システムの側のルールによって、「あなた達は学校に行かねばならない」とされています。
そして、それらのルールは、「日本国民の総意に基づき」とあります。

ここに大きな問題があることに、人は気が付いてくると思います。
一緒によく考えてみましょう。

現代でも、子供達の中で、「私は勉強や学校が嫌いだから、学校に行きたくない」と主張する子供達がいるのに気が付きます。
しかし、私達の間での根本的なルールとされている、そのルールの方では、「あなた達は学校に行かねばならない」と書かれているわけです。
つまり、何らかの理由によって「学校に行きたくない」という、子供達が複数以上いるわけです。
ですから、そのルール内で定めている条文自体が、既に「日本国民の総意に基づ』いていない」という事実に人は気が付くでしょう。

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にも関わらず、そのルールが定められようとしている頃に、ある特定の人物等が、「私個人には、このような意向があり、それを、日本全ての人々に適用させたい、という意志がある」ということがあったことに気が付くでしょう。

さて、そして、そのルールを定めた際に、そのルール内に「日本国民の総意に基づき」という文面まで彫り込んでいるわけです。

別に、日本国憲法でなくても、それ以前の、大日本帝国憲法でも話は同じだとわかるでしょう。
明治時代になってすぐの日本の全ての小学生達が「『私達は学校に行かねばならない』という、総意があったわけではない」と誰でも気が付くでしょうから。

上記のような特定の人物達の意向が、彼等以外の全ての日本人に適用されるルールを作成するにあたって、「このルールは日本国民の総意に基づき」という文章まで、彫り込んでいたのだから、この事実に気が付いた人は、

  「こりゃー、大問題が寝とったぞ」

と心中でつぶやいたかと思います。

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わかりやすく書くのならば、小学校のホームルームの時間内での、そのクラス内の決まりごとを決める際の会議でしょう。

ある特定の、ガキ大将的な存在の小学生が、彼(あるいは彼女)の発案しているルール案を語り始めて、

  「このルールは、このクラス内に絶対に必要であり(正確には彼(あるいは彼女)しか欲していないのだけど)、かつ、このルールは、このクラス全員の小学生達の総意に基づいて、決定せられた」

と言っているのと同じ事ですから。

後は、そのクラスの中で、どのような騒ぎ事が起きるのか、という点に関しては、あなたがご自由に想像してください。

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最近、教育関係の話題が続いていましたので、例として教育関係の決まり事とされているものを挙げてみました。
あとは、このような視点で、私達の間で共通ルールとされている内容を詳細に、読者の方々が見ていけば、色々な事を発見できると思います。
もとより、これは日本国憲法に限らず、世界各国の憲法の中を探しても、同様のことは、かなり見つかると思います。

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今日は、短いブログ記事となりましたが、かえって、このような話題は短文で伝えた方が効果があるとも言われていますね。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百八十七:現在の教育システムと社会システムの絡みを考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/09/post-42ca.html

『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/08/_-15d5.html

『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/07/post-779b.html


                                       坂本 誠

2018年9月 3日 (月)

三千二百八十七:現在の教育システムと社会システムの絡みを考えて

こんばんわ。

三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』の続きのような記事です。
前回は、独白調で書いたのですが、今度は「です・ます調」で書いてみます。

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余談ですが、日本語には、このような文体のスタイルにも違いがあります。
その文体の違いによって、受ける雰囲気も違ってきます。
この「文体の違い」というのは、日本語独特のものではないでしょうか。
当の日本人だと、この文体の違いを趣深く味わうかもしれません。
しかし、日本語を習得中の外国人にとっては、よく日本人の聞く「なんて日本語は難しいんだ」の発言を促す原因の一つかも知れません。

これを考えていたら、長い記事となりますので、段を改めて書くかもしれません。

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本題に返ります。

8月から9月にかけての移り変わりの季節は、子供達にとって受難の季節であると、報道されていました。
子供達が夏休みの宿題を抱えて、学校に帰らないといけないからでしょうか。

20100817143537

 

三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』でも書いたように、宿題というのは断ることが出来ます。
それより以前に、学校の先生達が生徒達に対して宿題を出す方が奇妙なことだと気が付いた人もいることでしょう。
なんとならば、『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』でも書いたように、学校の先生達には、生徒達の放課後の時間を拘束できる権利を、当然ながら、持っていません。
ですので、生徒達の放課後の時間を拘束してしまう「宿題を与える」ということが、「してはいけないことではないのか」と気付き始めた人々もいることでしょう。

また、ここで、上の流れから新たなことに気が付いた人もいるでしょう。
というのも、現在、教壇に立っている、そのほとんどの人々が戦後生まれです。
ですので、戦前に生まれた人にも宿題を与えられた人々がいたかもしれませんが、現在、教壇に立たれている、そのほとんどの教師達も、子供時代に、学校の宿題を与えられたと思います。

ですから、現在、教壇に立たれている、そのほとんどの先生達も、「なぜ、その当時に、宿題を与えられるということを不思議に思ったり、疑問を感じなかったのか?」という、ちょっと大きめの疑問が湧いた人もいるかと思います。

この、新たな疑問について、この記事を進めていきたいと思います。

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私が思うことには、子供達が大人達から馬鹿にされていると思うのです。

例えば、子供は、生まれてから生活上の知識がありませんので、周囲の人から多くのことを学ぶことになります。
ですから、子供の頃は、学業などの吸収スピードは早いものです。

20100808132748

 

ですが、大人達の作成した教育システムに、子供達の疑問を生じさせぬよう、やたらめったら、スピードを上げて知識を詰め込まさせているように感じます。

例えば、私が子供の頃だと、小学校と中学校の2つの教育システムで、その社会科の時間に、「日本国憲法」の骨子を学ばされたでしょうか。
現在の、教育システムだと、どうなっているかわかりませんが。

私が子供の頃の社会科の時間に習った「日本国憲法」の時間に、例えば、

  「このルール『日本国憲法』に対して、疑問に思ったり、不備があるかと思われる点について、今から自由にディスカッション(議論)してみなさい」

というような、疑問提起等を誘われることはありませんでした。
現在の教育システム下でもそうではないでしょうか。

ですから、今現在、そのルールに対して、疑問に思ったり、不備があるかと思われる点について、ディスカッションに出されるかと想定される、疑問提起なりを以下に列挙してみることにします。

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  「そのルール中には、日本の子供達に対して、義務教育を行うとあります。『義務教育』とは聞こえが良いですが、『強制教育』と言い換えることは出来ないでしょうか?」

  「そのルール中の『義務教育』の発生理由とは何でしょうか? なぜ、『義務教育』という制度が必要とされたのでしょうか?」

  「そのルールの中に『このルールは、生まれてくる全ての日本人に与えられる』とあります。しかし、そのルールに反対となり、そのルールを捨てたい時には、どうしたら良いのでしょうか? 外国に行くとなると、それなりの費用が発生するので、外国に移住せずに、そのルールを捨てたいのですが、どうしたら良いのでしょうか?」

  「そのルールがセットされたのは、私が生まれる前です。私は、そのルール設定に際して、何の意見も言っていません。ですから、私の意見が全く反映されていないことも明らかです。それなのに、なぜ、そのルールが、強制的な感じで、生まれ来る全ての日本人に対して適用されるのでしょうか?」

  「仕方なくも、そのルールが、私達の間で『共通ルール』として採用されているようです。百歩譲って、それが私達の間での『共通ルール』だと妥協して受け入れたと仮定します。その上で、私達に出され続けている宿題について考えてみました。すると、学校の先生達が私達の放課後の時間を拘束できる権利が無いことに私達は気が付きました。それなのに、学校の先生達は、私達の放課後の時間を拘束してしまう宿題を出していることに気が付きます。これだと、世の多くの学校の先生(公務員)達は、憲法違反を実行していることになりはしないでしょうか?」

  「そのルールの中に書かれていることには『このルールは日本国民の総意に基づき適用される』というような文面があります。私が生まれてくる時に、そのルール設定がされていなかったのですが(それも問題の一つかと思いますが)、そのルール設定がなされた時代でも、日本には多くの日本人がいたことでしょう。そのルール設定の頃には、そのルールに対して反対の人々もいたことでしょう。それなのに、当時の反対者の人々に対して、最近しばしば見受けられるような国会での強行採決のように、そのルールが無理矢理セットされたと思います。その状態ですと、『日本国民の総意に基づき』という文面には、嘘があることになりはしないでしょうか?」

  「上の疑問の並びと同じなのですが、現代でも、そのルールに対して、反対の人々がいるのではないでしょうか? それでしたら、そのルール中の『日本国民の総意に基づき』という文面事体が、看板割れを現していることになりはしないでしょうか?」

、、、(以下、等々)

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まだ、学校の子供達が出してくると想定できるような疑問や、問題提起の文章を想定できるかと思いますが、ひとまず、ここで区切りを置いておきます。

要は、子供達がターゲットにされていると感じます。

20100808132708


「ターゲット」ですから、上の言葉を言い換えると、「子供達は狙われている」と言えるでしょうか。

子供達は、無批判で与えられるものを受け取ることが多いと思います。
その状態を逆用されていると思います。
ですから、義務教育システムの中で教えられる憲法内容の時間なども、怖そうな顔をした大きな体格を持った大人達である先生が、さらに厳しそうな目つきと恐持ての声を出しながら

  「今から教える、この憲法内容に、一切、疑問を持ったり、問題提起をしてはならない」

という感じで伝えられたら、子供達の心は大いに怯えてしまい、上記のような心の中で生じた疑問や問題事項を、一切、周囲の人に伝えることが出来なくなるのではないでしょうか。

暗黙の内に、多くの子供達に沈黙を強要されているように感じはしないでしょうか。

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/////////////////////////

また、「子供達がターゲットにされている」という言葉で思い出したのですが、これの一例が教育ビジネスだとわかると思います。

教育ビジネス側だと、子供達に、より多くの教材を買ってもらうようにしなくてはいけません。

ですから、そのためには、

  「子供達よ。あなたがたは無批判で勉強しなさい。学校の先生達も君達の親達も、皆、口をそろえて言うことには、『勉強すれば、その勉強がお前達の未来を救う』という、美辞麗句で、あなたがたに勉強を奨めているだろう。だから、あなたがたは無批判で勉強しなさい。そのためには、私が数多く作成している、これらの教材を大量に買いなさい(もっとも、あなたが今行っている勉強が、本当に、あなたの未来を救うかどうかは私は知らないが)。」

等のような学問の奨めを行いつつ、教材の売り込みをしているかもしれません。
あるいは、

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  「あなたが今行っている勉強は、あなたを幸せにしないかもしれないけれど、その勉強に見合った分だけの、お金を得られるかもしれないよ」

等のような奨めを行いつつ、教材の売り込みをしているかもしれません。

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上で想定している、教育ビジネス側だと、更に次のようなセリフを言うかもしれません。

  「私だって稼がないといけないからね。金が無いと生きていけないんだから。」

ここまで来ましたら、私の以前に書いた記事中の文章を再掲載して、つないだ方が良いと思いますので、再掲載します。

再掲載するブログ・サブタイトルは、『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』です。

(以下、『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』、2018/07/30(月)記事より抜粋して再掲載)
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そして、ちなみに、地球社会全体を支配したがっている人々からしたら、「地球上の全ての人間を、お金を使って、強制労働させることが出来る」と、彼等は気が付いていることでしょう。

なぜならば、生活資金を手に入れるためには、なんとしてでも、社会一般の職種に就かないといけないのですが、ある人が生活資金に困れば、その人は、その人がどんなに嫌いな仕事にでも就かないと、そのお金を手に入れられなくなるからです。

ですから、地球社会全体を支配したがっている人々ならば、「お金を使って、地球人を強制労働させ、つまり、我々の奴隷として、全地球人を使用することが出来る。なぜならば、我々は、全地球人に対し、『お金が無ければ生きていくことは出来ない』という恐怖感を与えることに成功したので、地球人は、そのお金を手に入れるためには、どんな嫌な仕事でも引き受けるに違いないのだから」と考えていることでしょう。

この、今、私が書いた「私達は、お金というツールを使用され、強制労働させられているのではないのだろうか?」という疑問は、読者の方々も、幼い頃に、幼子のようなまなざしを使って世間を見ていた頃、感じたことのある疑問ではないかと思います。

しかし、あなたの感じた、その素朴な疑問を口に出すには、あなたの周囲の人々を見回すと、お金を愛している人々がとても多いし、「お金に対する疑問を持つことは、タブーだ」という風潮や常識の前に、あなたの疑問は、あなたの口から出る前に、あなたの胸の中で消してしまったのではないでしょうか。

なぜならば、あなたが、その疑問を口に出すやいなや、周囲の人々が、あなたを冷たい目で見て、あなたを嫌いになるかもしれない、という、恐怖感が、あなたの心中に沸くと、その疑問を胸の中に引っ込めてしまいやすくなるからです。
------------------------------------------
(抜粋引用終わり)

結局、総合的に考えてみますと、現代社会システムと、お金を使った経済システムが、人間の神性やら美徳を汚して、職業倫理をも堕落せしめ、結果、子供達の知識吸収の際にしても、強制教育とか、お金で汚れた教育システムが蔓延する結果になってしまったと、私見では見ています。

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/08/_-15d5.html

『三千二百七十七:私達の仕事とお金というものを考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/07/post-779b.html


                                       坂本 誠

2018年8月29日 (水)

三千二百八十六:自らの願望達成を遂げようとしている人を見て(独白)

こんばんわ。

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ある人を見ていて気付くことがある。

その人は、自分の願望達成のためには、その人以外の人間が関係する必要がある。
だから、その人の願望達成が行われるためには、彼(あるいは彼女)は自分以外の人間を動かす必要がある。

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そして、彼の願望つまりはその人の幸福達成のため、彼以外の人間が動かされた後で、さらに、彼は自分以外の人間の同意や称賛を必要とする。

つまり、彼の願望や幸福を達成するためには、常に彼以外の周囲の人間が関係する必要がある。

その状態だと、彼(あるいは彼女)の願望と、彼以外の周囲の人間との合意も、幾つかのケースは存在するかもしれない。
だから、幾つかのケースで彼の幸福達成は行われるかもしれない。
しかしながら、私達も知るように、自分以外の人間の意向や考えは互いに違っていることの方が圧倒的に多い。

だから、彼の願望達成のため、彼が周囲の人を動かす際に、彼の願望から生じるお願い事を、彼の周囲の人間が快く承諾するというケースは、ほとんど無いことに気が付く。

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わかりやすく書くと、彼は周囲の人に向かって、頻繁に「私のために、あれをして欲しい。これをして欲しい」と、お願い事ばかりを叫んでいる。
しかし、上に書いた文章の流れからわかるように、ほとんどの場合は、彼の願望の方向と彼の周囲の人々の願望の方向は違っているのだから、彼(あるいは彼女)のお願い事というのは、実は、お願い事ではなく、彼の命令であることに私達は気が付いてくる。

また、上の話をじっくりと見てみると、お願い事をしていると思われる彼の願望や幸福というのは、彼以外の周囲の人々の存在無しでは確立できないことがわかる。
つまり、彼(あるいは彼女)は非常に依存精神の強い人だとわかる。

なぜならば、彼の周囲の人がいなければ、彼は全く自分の願望や幸福を作れないのだから、その願望や幸福を作るためには、非常に熱心なまでに、彼の幸福作成のために、周囲の人が頻繁に手を差し出さなければならないからだ。

要するに、彼の幸福作成のためには、周囲の人々の助力を大いに必要とする状態にある。

つまり、彼は自分の手で自分の幸福を作ろうとしない。

P8290144

 

だから、彼以外の周囲の人々に向かって、

  「あなたは(お前は)私の言うこと(命令)を聞け」

とか

  「私があなた方にお願いして(命じて)、お互いの共通目的となった私達の願望を互いに達成したのだから、お前達は、もっと私を賞賛しなさい(崇めなさい)」

等々のような命令とか本人に対する賞賛を彼が求める言動が多発するようになる。
(もちろん、私が上記のように想定したセリフ中の括弧(カッコ)の中の、単語の方が、彼の本音だと読者は理解するだろう。)

このように彼(あるいは彼女)の称賛欲求も著しく激しいことが私達にわかる。

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結局、このような彼を見てわかることには、これは支配というものであることがわかる。

支配というものは愛情から生じる欲求や行動では無い。
支配というものは愛情の枯渇状態から生じる、逆のベクトルを持ったマイナスの愛情行為と言える。

なんとならば、彼以外の周囲の人々からすれば、彼のお願い事を承諾したくないにも関わらず、彼は周囲の人々の気持ちも踏みにじり、ただひたすら、彼自身の願望を達成すべく、無理矢理周囲の人を動かすのだから。

つまり彼自身は「お願い事だ」とは言うものの、その実態は命令であり、つまりは周囲の人々に対する支配である。

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この状態で多くの人々は以下のことに気付くだろう。
つまり、彼のお願い事が、周囲の人々の苦痛を生じさせている。
だから、彼は自分の願望を達成させようとしていることが、周囲の人々の不幸感覚を発生させているのである。
だから、たいていの人は、

  「自分の幸福状態は達成されるかも知れないけれど、それによって、周囲の人々が不幸になるので、つまりは、自分自身も永遠に幸福とはならない。なぜならば、自分以外の周囲の人々には不快感がたまるのみであり、その多量の不快感が私に向かってやってくるからだ。だから、つまりは私の願望を達成させる、ということは、他ならぬ、私自身を不幸にする原因となるのだ」

と気が付き、周囲の人々を動かすことを止めるようになるかもしれない。

P7080146


しかし、ある人ならば、その気付きを得ることも無いかもしれない。

つまり、周囲の人々の意に反してまでも、自らの願望・幸福を遂げようとする行為は、周囲の人々との和の内に、願望や幸福が築かれない。

だから、その状態というのは、「願望達成状態」とか「幸福達成状態」と呼べるものでは無く、「不幸・苦痛の体現状態達成」と呼べるものだろう。

しかし、もちろん、気付きにくい人にとっては、自身の得られている環境が「不幸・苦痛の体現状態達成」と気付くことは無く、天真爛漫(てんしんらんまん)にも、「この状態は自らの願望達成状態だ」と自負・自画自賛しているかもしれない。

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上で見たように、依存的な精神徴候のある人というのは、結局、自分で自分の幸福を作ろうとしていない。

自分の幸福状態を作成するために、彼は、絶えず、彼の周囲の多くの人々の助力を、無理矢理、得ようとする。

この結果、彼(あるいは彼女)が、自身では「これはお願い事だ」と称している、そのお願い内容を語る際には、鋭い語調を持った命令口調の「お願い事」となっている。
つまりは、その「お願い事」というのは命令となっている。

だから、彼(あるいは彼女)の周囲の人々は、彼の命令に屈服している状態であり、彼の周囲の多くの人々は苦痛の精神状態を得ていることになる。

これが更に進むと、依存精神の強い彼(あるいは彼女)は、周囲の人々の気持ちを全く無視することが可能となり、それでも、彼は周囲の人々を彼の口のみで動かし続けていることになる。
そして、彼が言うことには、

  「私は多くの人々を命令(支配)によって動かすことが出来る」

だろう。

他の心理学の本なんかにも、「独裁者達や王様達の心理状態は、これである」と伝えていたものがあった。

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上の喩え話から私達の得られるであろう教訓を列挙してみよう。

まず、私達は依存(甘え)傾向の強まる方向に流れない方が良いだろう。
「依存傾向の強い人」というのは、つまり、自分の手で自分の幸福を作ろうとしていない。
絶えず、他人のちからを自らの方向へと流用して、彼(あるいは彼女)の幸福を作成しようとしているのだから、つまりは甘えている。

P7080144

 

だから、得られる教訓の一つとしては、「自分の幸福は自分の手で作ろう」というような当然のことである。

また、上の話の流れから、依存傾向が強まると、周囲の人々に対して支配的になることがわかる。
だから、「依存傾向を強める方向」というのは、「愛情から離れていく方向」だということがわかる。
当然ことながら、「依存傾向を強める方向」というのは、「支配に向かってののベクトル」だということがわかる。

上に挙げた心理学の本にも、「独裁者達や王様達の心理状態は幼稚なものであり、これが依存傾向や支配欲求を生じている」のようなことも書いてあった。

だから、「幼稚な方向に向かおう」というのも、止めた方が良いと思う。

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私のブログに、時々、イルミナティさん達やレプティリアンさん達が出てくる。
イルミさん達やレプさん達は、彼等を除く地球上の全人類を奴隷化したいと言っている。

だから、上の流れからわかるように、彼等の支配欲求よりも前に、彼等の巨大な依存傾向や、甚大なまでの愛情精神欠落状態が存在していることが私達にわかる。

私が上に挙げた喩え話とか、実例であるところのイルミさんやレプさんを見て考えるに、私達は出来るだけ依存傾向を避け、「出来るだけ自分の幸福は自分の手で作ろう」等のような教訓を得た方が良いと思う。

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「甘えの精神」というのは、言い換えると、周囲の人々の愛情を吸収していく精神状態のことであることがわかる。

これと反対に、「愛情の精神」というのは、言い換えると、周囲の人々の向かって自らの内臓せる愛情を放出・放散していく精神状態のことであることがわかる。

わかりやすい比喩を書くと、「甘えの精神」が中心の人々は宇宙の中の物質を無制限に吸い込み続けるブラック・ホールに似ている。
「愛情の精神」が中心の人々は自らの内から宇宙に向かってエネルギーを無限に供給し続ける太陽に似ている。

イルミさんやレプさんは、時折、「闇の者」と言われることがあることからも、彼等をして、「ブラック・ホールに似ている」という人も出てくると思う。

だから、私達が得られる教訓の一つとしては、「太陽のような人になろう」という言葉を、日々にお互いに、挨拶言葉のように交わし合うことかとも思ってしまう。


                                       坂本 誠

2018年8月28日 (火)

三千二百八十五: 追悼文

こんばんわ。

先日、平成三十年八月二十七日に、私のブログ記事『三千二百八十四:マクロス・デルタを見て』を掲載した後、夜半過ぎに、漫画家さくらももこさんの訃報を知りました。

なんとなく心に感じるものあり、今回の追悼の文を書きます。

現代日本に暮らす多くの日本人が漫画世代とアニメ世代と言われている通り、私も漫画世代とアニメ世代の一人です。
さくらももこさんのアニメがテレビのブラウン管を飾るようになった当時、私も日本の僻地で、さくらさんの単行本を購入したり、彼女原作のテレビ番組を鑑賞したものでした。

日本各地に笑顔を届け、そして、昨今では、全世界に向けて、笑顔を届ける、という作品を継続して生み出すに至っては、それなりの性向が無ければ、なかなか難しいものかとも思いを巡らしたりもします。

さくらさんの明るい性格が、日本の多くのお茶の間に届き、それが多くの人々の幸福へと昇華されていった、ということを思い出すに当たり、それ自体が、さくらさんの更なる喜びと明るさの一つになったかと思います。

さくらももこさんの天界旅立ちの報を知るに当たり、今、彼女の安らかなる御昇天・御冥福を祈らせて頂きます。


           平成三十年八月二十八日

                                       坂本 誠

2018年8月27日 (月)

三千二百八十四: マクロス・デルタを見て

こんばんわ。

以前から、私のブログ・カテゴリー内の『映画』中に、日本アニメのマクロス・シリーズの感想文を書いています。
前回までは、『マクロス・フロンティア』シリーズだったのですが、今回は、マクロス・⊿(デルタ)ものです。

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●:はじめに

あっさりと冒頭で書いてしまうのですが、本作も面白かったですね。 

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あまり内容に踏み込んだ感想文を書いても、どうかと思いますので、出来るだけ、本作品の内容に触れずに、外回り的なことを、今回のこの記事では書いてみたいと思います。

また、この記事中内で使用されている画像・歌詞は『マクロス・デルタ』より引用しています。

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大きく言えるのは、やはり、マクロス・シリーズの骨子がしっかりとしていることでしょう。

本来ならば、戦争もののドラマなのですが、音楽が非常に大きく関わってきます。
それがマクロス・シリーズの一番大きな特徴です。
ですから、戦争ものとはいっても、音楽のちからによって非常に和らげられます。
見ていて、あまりにも深刻になることはありません。
戦争内容もの自体が、美しい音楽で和らげられています。

それに一作一作のシリーズのドラマ内容が非常によく推考されていることがわかります。

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●:音楽ユニット『ワルキューレ』

今回のマクロス⊿で一番変わっていたと思ったのは、音楽でした。
『ワルキューレ』という音楽ユニットが出てきます。

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初代マクロス・シリーズより、音楽アニメとの融合が続いていますが、やはり、少しずつ設定やドラマ内容を変えていかないと、視聴者にも飽きが出て来てしまいますので、新作が発表される毎に新しい挑戦が行われていることがわかります。

思い起こせば、初代マクロス・シリーズより、この原稿を書いている現在で約35年が経過しているそうです。

なので、音楽的な内容とか、ドラマ的な内容なども、それぞれ変遷をたどっており、現在の時点で、全てのマクロス・シリーズを横に並べて私達が見ると、「あちらが良い」とか「こちらが良い」という風な評価の際に比較等も出て来てしまうことでしょう。

これは長い年月に渡って、その時に応じて制作され続けて来たので、内容にも違いがあるので仕方の無いところです。
ですので、このような長いシリーズともなれば、比較をしても仕方ない部分もあるので、一作一作を見て、「良かった」とか「面白かった」と語るだけの方が良いかと思います。

しかし、本作では、現実社会でも、アニメ内容に沿った音楽ユニットが作成され、大いに現実世界でも歌唱されているようです。

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ですので、本作では、かなり、音楽方面にちからが注がれたと感じました。

実際、このアニメ『マクロス⊿』を全く見ずとも、音楽ユニットが歌っている歌を聞くだけでも、充分に楽しめる構成になっています。
そう、音楽ユニット『ワルキューレ』の音楽と、アニメ『マクロス⊿』を完全に切り離して鑑賞することも可能です。

私達の現実社会でも、昨今、何とかアイドル・グループが幾つかあって、それらのアイドル・グループがテレビ等で歌ったり踊ったりしますので、それだけでも楽しめるのと同じです。

もちろん、作品アニメ『マクロス⊿』を見つつも、音楽ユニット『ワルキューレ』の音楽を鑑賞することは出来ますが、「音楽だけをひたすら干渉したい」と思われる方がいても、それが可能な作品となっています。

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●:ウィンダミア人の肉体器官の一つ『ルン』

また、本SF作品での新たなSF的な発明についても書いてみます。

主人公の敵方であるヒューマノイド型宇宙人にウィンダミア人がいます。
このウィンダミア人には、「ルン」という名の新器官が与えられています。

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「器官」というからには、地球人のように「目」であったり、「耳」であったり、その他の地球人の何らかの肉体諸器官と同じ「器官」を意味しています。
その、新たなSF的な発明である、新器官「ルン」は、ウィンダミア人の髪先にあります。
星形のような形であったり、ハート形をしているものもあります。

「その、肉体上の新器官『ルン』とは何をするのですか?」という問いが、番組を見ていない人からは発せられるでしょう。
この新器官「ルン」は、はっきりとは定められていないのですが、主にヒューマノイド型人の内部に秘められている心情を現す場合が多いようです。
例えば、地球人でしたら、内心では暗く落ち込んでいても、その場に居合わせている人々に嘘をつくために、表情を明るくしたり、あるいは偽の笑い顔をしたり、わざと明るい声で笑い話をすることも可能です。
ウィンダミア人もそれが可能ですが、彼等には「ルン」があります。
その「ルン」がウィンダミア人の心象を表現するため、幾ら外面を明るく取り繕っても、心の内部が暗ければ、そのルンが暗くなりますので、周囲の人々が、そのウィンダミア人を見て、「彼女(彼)は、今、外面では明るくしているが、内心では落ち込んでいる」とわかってしまうのです。

確かに、地球人でも似たようなことはあります。
幾ら外面上では明るくしていても、顔は真っ青だとか。
しかし、ウィンダミア人の場合は、新器官「ルン」があるので、そのような手合いの嘘がつけないことがわかります。

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また、この新器官「ルン」には、様々な機能があるようですが、どうも、ウィンダミア人そのものにも、その「ルン」の真価を知らないようです。

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この「ルン」によって、「風の流れを感じる」と、ウィンダミア人は知覚するわけです。

この場合の「風」とは、運命的な流れであったり、あるいは、全体的な雰囲気を感じたり、あるいは、敵の殺気とでもいうものです。

この「ルン」という新器官は、一説には、「太古の昔、多くの宇宙人を創造したプロトカルチャーによって、ウィンダミア人に与えられた」とされています。

このような地球人には存在しない器官「ルン」を通して、地球人とウィンダミア人の関わり合いが語られています。
これなども、「地球人には存在しない器官を所有している宇宙人と共に生活をした場合、どのような状況になるのか?」という疑問に対する一つの回答を本作では示しています。

このような「宇宙人の肉体上の、地球人には存在しない器官」を考えるというのは、多くの人々が未来を考える材料となると思います。

また、他のSF作品を見ても、そのような「宇宙人の肉体上の、地球人には存在しない器官」を考慮した作品は、あまり無いように見受けます。
ですので、今後のSF作品中においても、アイデアの源泉の一つとなり得ると思います。

これが、大きなところだったでしょうか。

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●:自分の思い出と終わりに

本作『マクロス⊿』は、2015年ぐらいから放映された番組です。

私なども「チラッ」と知っていたのですが、なぜか、やはり、テレビ放映時に、本作を見ず、本作終了後の今になって、DVDを借りて来て、一気呵成に見てしまう、という状況となりました。

「どうしてテレビシリーズを見なかったのか?」と私自身が自分に尋ねてみるのですが、やはり、「途中から見てしまうことになるので、長編ドラマだと、それを面白く感じないように思えるため」と説明できるでしょうか。

私の場合、マクロス・シリーズはそればかりが続いているようです。
初代『超時空要塞マクロス』も、『マクロス・フロンティア』も、いずれも、テレビ放映終了後のDVD等を一気視聴しています。

私の場合、マクロス・シリーズ鑑賞に際しては、今後も、全部、テレビ放映終了後の一気視聴専門パターンに終わるかもしれません。

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また、DVDレンタル・ショップで、『マクロス⊿』シリーズのDVDを借りたのですが、どんなDVDにも、その裏側には、その回の予告編のような、あらましを書いた文章があるものですが、それらを一切見ずに借りて視聴しました。

ですので、他のテレビ・アニメでもよく見かける『予告』というものを一切見ずに、最後まで視聴しました。

ですので、ある人などは、以下のように私に質問するかもしれません。

  「坂本さんは、どのようにして、それらの見たいビデオを選別しているのでしょうか?」

と。

上記の問いの答えですが、それは音楽です。
アニメのオープニング音楽動画を見ても、たいていは、そのアニメの内容まではわかりません。
しかし、それらのオープニング音楽動画や、幾つかの音楽を聞くだけで、

  「この作品は、借りて視聴するに値するのでは?」

と感じます。

そして、DVDレンタル・ショップで、それらのDVDを借りてくることになります。

借りて来て、それらのDVDを見て、初めて、そのドラマの内容などがわかってきます。

私の身の上では、マクロス・シリーズには、このような話題が多いですね。

初代マクロス・シリーズの『超時空要塞マクロス・愛 覚えていますか?』も、なんとなく友人に連れられて、映画館に。
『マクロス・フロンティア』も、『マクロス⊿』シリーズ同様に、その音楽を聞いていて、というものでした。

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このような思い出も思い出しながら、考えてみることには、「ひょっとしたら、私(坂本)の髪の先っぽには、ルンが付いているのではなかろうか?」と思いつつも、今、自身の髪先を見てみると、やはり、ルンはついていませんでした。

これは、ちょっとした冗談だったのですが、今回の記事では、当アニメ作品の主に外側を論じた感想文となりました。

また、機会があれば、当アニメ作品の感想文を書きたいと思います。

 

   あなたのフォールド・レセプターに御加護があらんことを。
   あなたのルンの輝きが、いや増さんことを。


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      マクロス⊿
      
   一度だけの恋なら

  歌手:ワルキューレ
  作詞:唐沢美帆、加藤裕介
  作曲:加藤裕介
  編曲:加藤裕介

   一度だけの恋なら 君の中で遊ぼう
   ワガママな キスをしよう 

    ひらひらと舞い散る この花を
    まだ 数え足りない 星空を
    全てが君のせいだと 涙こらえても
    誰にも言えない胸騒ぎ 

    (届け) 壊れるまで (届け) 羽ばたくまで
    (時の) 胸の奥に (果てに) 秘めた祈りを
    感じるまま 信じるまま 何もかも飛ばせ
    GYUN! GYUN! GYUN! 

   一度だけの恋なら 君の中で遊ぼう
   光より速くキスをしよう 待っててね
   忘れかけた体も ただ聞こえる心も
   夢の中のシガラミなんて 飛び越えて
   ほら 攫(さら)って 迫って このまま 

   イナズマが夜空を焦がすころ
   わたしの情熱も燃え上がる
   心と体はひとつ 思い知らされる
   言葉にならない焦燥感 

    (二人) めぐり逢えた (二人) 探し合えた
    (闇に) 空(くう)に咲いた (光る) 君の命火(いのちび)
    弾けるまま ひらめくまま ハート撃ち抜いて
    BANG! BANG! BANG! 

   二度とない激情を 君の夢で踊ろう
   宇宙(そら)より大きく抱き締めて ぎゅっとして
   見せかけの強さより 名ばかりの絆より
   同じ時を生き抜いてく 覚悟して
   ほら 奪って 縛って まだまだ 

    満ち足りた衝動を 離さないで
    君史上
    最速で捕まえに来て!! 

   一度だけの恋なら 君の中で遊ぼう
   光より速くキスをしよう 待っててね
   忘れかけた体も ただ聞こえる心も
   夢の中のシガラミなんて 飛び越えて
   ほら 攫(さら)って 迫って 

  二度とない激情を 君の夢で踊ろう
  宇宙(そら)より大きく抱き締めて ぎゅっとして
  見せかけの強さより 名ばかりの絆より
  同じ時を生き抜いてく 覚悟して
  ほら 奪って 縛って まだまだ 
   
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(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百七十二:「マクロス フロンティア」を見て_No.4』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/09/_no4-1243.html
(以下、マクロス フロンティア、『最終話 アナタノオト』より引用)
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●ランカ・リー:

「あの、シェリルさん、、、私、負けません! 歌も、恋も!」

Macross_7

◎シェリル・ノーム:

「うふ、、、受けて立つわ!」

●ランカ:

「シェリルさん、、、」

◎●シェリル&ランカ:

「ここから、始まるんだね!!!」

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Macross_last

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(引用終わり)

二千四百七十三:「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」を見て_No.8
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2015/05/_no8-641a.html
(以下、『超時空要塞マクロス 愛・覚えていますか?』より引用)
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Macross_6


●リン・ミンメイ:
「そんなもの、歌ったって、勝てる見込みなんか、ないじゃない!」
「それより、一緒にいて、、、輝、、、」
「どうせ死ぬなら、このまま、一緒にいたい、、、」

◆一条輝:
「ぼくらだけの問題じゃない。」
「マクロスに乗っている、みんなのために、、、」
            
●ミンメイ:
「そんなの関係ないじゃない!」
「どうして、世の中にいるのが、私達、二人っきりじゃないの!?」
「あなたとわたし、、、みんな、死んじゃえばいいのに!!」

   :
   :
   (中略)
   :
   :

Macross_5

◆輝:
「君はまだ歌が歌えるじゃないか。」

   :
   :
   (中略)
   :
   :

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●ミンメイ:
「私、歌うわ、、、思いっきり。」

Macross_8

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(引用終わり)


                                       坂本 誠

2018年8月23日 (木)

三千二百八十三: 苦労や困難を自ら望む人々を見て(独白)

以前のブログ記事では、独白調で書くことも多かった。
最近までは、「です・ます調」である丁寧表現で書くことが多かったのだけど、筆の走り具合から見て、独白調も良いように思えるので、これから独白調も増えるかもしれない。

世には、受難礼賛とか苦難礼賛と言われる行動がある。

私個人としては、受難礼賛とか苦難礼賛と呼ばれる行動を理解できないし、勧めることは出来ない。
この受難礼賛とか苦難礼賛の現れとして、副次的に「忍耐は素晴らしい」とか「苦労は買ってでもせよ」という風潮が生み出されているのに気が付く。

先に書いておくけど、確かに、受難礼賛とか苦難礼賛を望む人々がいるので、私はそれらの人々を止めるつもりは無い。
どんな人にも自由があるのだから、自分の信じたことを追求すれば良いと思う。
自分の信じたことを追求したら、納得できる何かが掴めるのだから。

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ただ、受難礼賛とか苦難礼賛の行動を行う人々や、「忍耐は素晴らしい」とか「苦労は買ってでもせよ」という人々の方針や心理を、申し訳ないけど、あまり理解することが出来ない。

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というのも、「忍耐とか苦労を所有しよう」という考えは、つまりは「不幸を所有しよう」という考えとほぼ同じ事だと言えるからだ。

「忍耐」とか「苦労」というのは、苦痛の一種である。
苦痛であるから、つまり、その「苦痛を所有する」ということになる。
よって、「苦痛を所有する」ということは、他ならぬ、「不幸を所有する」ということになるからである。

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私が間違っているかもしれないのだけど、多くの人間というのは、幸福を目指して生活していると思う。
ひょっとしたら、私が間違っていて、現実的には、「多くの人間は不幸を目指して生活している」という状況なのかもしれない。

ただ、私見では、多くの人間は幸福を目指して生活していると思う。

だが、上記の人々、つまり、受難礼賛とか苦難礼賛の人々や、「忍耐は素晴らしい」とか「苦労は買ってでもせよ」という人々は、自らの内部に、苦痛や抵抗を所有し続けるのだから、不幸を目指していると思う。

だから、その手の人々は、当然のことながら、不幸な人々になると思う。

私個人の正直な気持ちから言うと、私は幸福になりたい。

だから、基本的には、彼等を責めるわけではないのだけど、受難礼賛とか苦難礼賛の人々を理解できない。

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そこで、私なりに受難礼賛とか苦難礼賛の人々の、その苦痛を求める動機を考えてみた。

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「忍耐」とか「苦労」というのは、生きていて、何らかの我慢を求める何かが発生している状態である。
障害物競走のように、人生行路の上で、何かの障害に当たっている状態だろう。

そして、その障害を乗り越える際に、障害物競走で考えると、ジャンプ力が高まると思われる。
実際に、障害物競走をしていない人と、障害物競走を毎日行う人だと、後者の方が、はるかに高いジャンプ力を所有すると思われる。

なので、その障害物競走のランナーは、「自分は、人よりも高いジャンプ力を所有したい」という願いがあるとわかる。
その結果、自分の人生に、その障害を自ら与えるのだ。
その結果、ずっと、障害物競走を行えば、人よりも高いジャンプ力を所有できるかもしれない。

私見では、受難礼賛とか苦難礼賛の人々の、その苦痛を求める動機はここにあると思える。
自分自身に、「苦労」を与えれば、その苦労を乗り越える際に、何らかのちからを所有できるかもしれない。
「忍耐」というものにしても、全く同じ事が言えると思う。

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何らかの能力の向上が見込まれるのだけど、そのためには、永遠に自分に対する抵抗や苦痛を求め続けることにもなる。
結果、永遠の不幸を所有することにもなると思う。

それが更にエスカレートすれば、受難礼賛とか苦難礼賛を追求する人々になると思う。

受難礼賛とか苦難礼賛を追求する人になると、常に、自分自身に対して、自ら苦労する環境を与えたり、自らに困難事情を課せたりする。

有名な例で言うと、キリスト教の、中世などに見られる殉教者と言えようか。

映画や小説やドラマで見たところによると、その殉教者は以下のような行動を取るのだ。

  「主が十字架に架かって死んだぐらいだから、それにならって、私も十字架に架かろう」

というものだ。
そして、映画や小説やドラマ中の、殉教者は自分の願いが叶い、十字架にはりつけられて死んでしまう。

このような、受難礼賛とか苦難礼賛を求める人々というのを私が見て、、、残念だけど理解できない、、、。
しかし、私が上にも書いたように、どんな人にも自由があるので、そのような状況を追求しても良いとも言える。

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確かに、ある程度は、自分の能力向上のために、何らかの障害物や苦痛物を自らに与える時間とか機会を持っても良いかもしれない。
ただ、永遠に、その状況を求めるのはいかがなものかと思ってしまう。

「忍耐は素晴らしい」とか「苦労は買ってでもせよ」という考えの下に行動していると、やがてはエスカレートして受難礼賛とか苦難礼賛を追求するようになると思う。

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また、この手の「苦しみを求める」という人は、その何らかの苦しみや困難を乗り越える際に、身に付けるであろう能力獲得を目指す結果、上にも書いたように、常に自分自身に与えるための、困難状況を探し求めていることになる。

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その結果、常に常に、苦しみを所有していることにもなる。
それらの人々は、苦しみや困難を乗り越える際に、身に付けるであろう能力獲得を目指しているので、それらの人々は、その困難状況を得ていることになり、その状況をもって、「現在、私は幸福の状態にある」というかもしれない。

彼(あるいは彼女)の目指す目的の途中にあるからだ。

「苦しみや困難を得ている状態そのものが、私の幸福である」と言っていることになる。
つまり、「今現在、私は苦しみや困難を得ている」という状況を、彼(あるいは彼女)自身が知っていることが周囲の人々にはわかる。
つまり、その状態だと、彼は苦しみを得ている真っ最中なのだが、「それ自体が幸福でもある」とも言っていることになる。

読者である、あなたが彼の上の状態を見るに「これは矛盾している」と感じないだろうか。
「矛盾しているので、彼は永遠に幸福にならないだろう」と、あなたは感じないだろうか。

また、周囲にいる私達が、彼の姿を見て、「現在、彼(あるいは彼女)の状態は幸福なのか不幸なのか判別できない」と言わないだろうか。

しかし、何度も書いているように、人には自由があるので、彼がその状態を求める自由もあるのだから、周囲にいる私や、読者である、あなたが彼を止める権利は無いとも言える。

私や、あなたが言えるところでは「彼は永遠に幸福になれないだろう」とは言えるかもしれない。
少なくとも、彼(あるいは彼女)に対して、「苦しみを求めることは止めた方が良いのでは」と助言することは出来るかもしれない。

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冒頭にも書いているけれど、人間というのは、基本的には、幸福を求める存在だと思う。
もちろん、私がここで書いている幸福の状態とは、快楽主義とか享楽主義と呼ばれるものではない。

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また、今一つ言えるであろうことがある。
この手の「自ら困難を求める人」というのは、ある程度、人に騙されやすいと思う。

なぜならば、世に見かける幾つかの詐欺行為というのを思い浮かべながら、読んでほしいのだけど、何らかのことで、ある他人に騙されると、その騙された人というのは、ある程度の何らかの不幸状態を得ることになる。

しかし、その「自ら困難を求める人」というのは、元々、不幸環境を望んでいるのだから、騙されて何らかの不幸状況に陥ったとしても、彼にとっては、「私が求めるところの不幸環境を得ることが出来た」となるのだから、彼にとっては、その「騙された」という自体すら、彼(あるいは彼女)にとっては、幸福な出来事の一つとなってしまう。

外部にいる私が彼のその状況を見て、、、やはり、、、基本的には賛成したり、賛美することは、、、ちょっと出来ない、、、。

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「忍耐が肝心だ」とか「苦労は買ってでもせよ」という感じで、苦痛を美化するような美談の文章も多いけれど、この私のエッセイの視点から、今一度、それらの文章を見直しても良いのではないかと思う。

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この手の、受難礼賛とか苦難礼賛を求める人々に対して、何らかの形での、別のアプローチで、何らかの見解を出している人もいるかもしれない。

時間や機会があったら、その手の見解や文献や報告を読んで、別の見方が出来たり、より広い見方が出来るために、学習するかもしれない。

しかし、それをすることによって、受難礼賛とか苦難礼賛に対する私の視野や見解が広がったとしても、、、私が基本的に賛成すると言うことは、、、無いと思う。


                                       坂本 誠

2018年8月22日 (水)

三千二百八十二: 現在の教育制度を考えて_その1(独白)

このエッセイは、丁寧調である「です・ます」調ではなく、一人語りする時に私が使用している「独白調」を使います。

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余談になるのだけど、独白調を用いて書いていると素直な自分を語れるような気がするので、また、自分自身に語っているような気がするので、肩が凝らないような気がする。

やはり、エッセイに向いている文体とは独白調ではなかろうか。

余談はさておき、先日書いてみた『三千二百八十一:学校の宿題について_No.3』を、折に触れて、色々と考えていた。

あらすじとしては「学校の先生は生徒達の放課後の時間を拘束する権利が無いので、宿題を出すことが出来ない」というものだ。

あらためて、私達が考えてみると、実に納得できるあらすじだったと思う。

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というのも、このあらすじは、私達が落ち着いて、普段、見慣れたものを見直してみると、意外な事実や発見を掴むことがあるけれど、それと同じようなものだからだ。
つまり、「灯台下暗し」と言えるようなものであるのだけど、落ち着いて、じっくりと考えてみると、誰でもが、この手の事実に納得できる代物(しろもの)であるとわかる。

だから、これは「私が最初に気付いたから、最初に気付いた事に意味がある」という類のものでは無いことがわかる。

だから、このような内容のものは、私でなくても、いつの日か、他の誰かが気付き、他の誰かが少しずつ語り、自然と広まるものだ。
だから、このような内容のものが人の間で知れ渡るのは時間の問題であることがわかる。

(実を言うと、何らかの発見や発明も同じものだと、最近では知られている。科学的な発見や発明も、それを最初に発見や発明をした人が、もてはやされる風潮が私達の間であるけれど、どんな発見や発明も、時間が経てば、その最初の発見者や発明者でなくとも、他の誰かが、確実にその発見や発明をなすそうだ。だから、私見では、世に多くいる、『最初の発見者や発明者』も、あまり、世間で、もてはやされなくても良いと思っている。)

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このような内容のものは、実は、日頃から薄々と感じていたことである場合が多く、しかし、世間の風潮や慣れの問題によって、口に出せなかったりして、胸の中に隠蔽され続けたものである。

だから、世間でも人は多いのだから、「学校の先生は生徒達の放課後の時間を拘束する権利が無いので、宿題を出すことが出来ないのではなかろうか?」と、他の人も考えたことがあるのだけど、世の中や自分の周囲を見回すと、その疑問を口に出すことを怖く感じてしまうので、今まで、口に出せなかっただけのものだろう。

よって、いつの日か、誰かが気付いて、次第次第に広まるような内容のものだったのだ。

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この手の疑問に気付いた後には、「疑問」というよりも一つの問題となってしまうので、次に現れるものとしては、

  「この問題を、どう、解決したらよいだろうか?」

という更なる疑問が私達の胸に湧く。

それについて、日頃の生活をしつつも、徒然なるままに、頭の中で、つらつらと筆を運んでいた。

(『三千二百八十二: 現在の教育制度を考えて_その2(独白)』に続く)

三千二百八十二: 現在の教育制度を考えて_その2(独白)

(『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その1(独白)』の続き)

●1:先生の側が、学を望む生徒達のいる場所に行く

一つの解決方法として、考えられるのは、「先生の側が、学を望む生徒達のいる場所に行く」と言えるものだと思う。

江戸時代以前だと、義務教育が無かったにもかかわらず、寺子屋とか藩校の存在があった。
そこでは、学問的な知識の吸収を欲する子供達や青年達が集まって、知識吸収欲の求めるまま、自ら欲して、「先生」と呼ばれる先達の知識を学んでいた。
このように、「教育制度」というものが社会に存在しなくても、「学問が好きだ」という子供達は現れるものだ。
もちろん、「学問なんて嫌いだ」という子供達もいるだろう。

このように、いつの時代でも、どんな場所でも、「何らかのジャンルの知識を、痛切に手に入れたい」という子供達が一定数現れることが知られている。

そのような子供達が、自ら欲して訪ねる場所が、寺子屋とか藩校だったことがわかる。

このような寺子屋とか藩校に自ら訪ねてくる子供達は学びたくてしょうがないから、自ら、どんどん学ぶ。
(この段階だと、「学ぶ」という単語を使うのが不適切なぐらいである。「学ぶ」とか「勉強する」という単語は、額(ひたい)に、ねじり鉢巻きを締めて、こめかみから油汗を流しながらの、苦痛を感じながらの、知識を吸収している、という雰囲気があるのだから。だから、この状態での「学ぶ」という段階だと、『甘い空気を吸うが如くに、何の抵抗も無く、すらすらと、貪欲に知識を吸収している』状態だと言い換えれることだろう。)
だから、そのような場所の、そのような生徒達だと、高段に立っている先生の方が、口を酸っぱくしながらの「君達は、もっと勉強しなさい」という叱り言葉の一つも発する必要は一切無いことだろう。

つまり、このような場所だと、生徒達の側の需要と、先生の側の供給がピッタリとマッチしていることがわかる。
この場合、先生の側は「子供達に知識を教えたい」という需要もある。
だから、先生にとっては、需要も供給も、同時に満たされることになる。
また、無理に、生徒達を叱りつける必要も一切無い。
現代でも、このような学校が、おそらく幾つか残存していると思う。

P4160155

 

このような場所だと、そう、先生の側が生徒達に宿題すら出さずに済むことがわかる。
(ところが、この状態だと、もはや、生徒の側が、自ら関心のあるジャンルの知識を、自らどんどん吸収・解析・応用その他等を勝手に実行していくので、「そのような場所だと、教師というものの存在は一体必要だろうか?」という、更なる意見・疑問等が湧いて出てくることだろう。)

現代だと、塾のような場所でも、このような場所があると思われる。

そのような、生徒の側と先生の側の需要と供給のバランスの取れた場所に、先生が異動することが私の更なる疑問の解決方法の一つかと思われる。

どんな場所でも、需要と供給がピッタリとマッチしているような人々の集団というのは、問題を起こす事がほとんど無い。
なぜならば、需要と供給がピッタリとマッチすることによって、その集団の人心は安定するからだ。

(『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その3(独白)』に続く)

三千二百八十二: 現在の教育制度を考えて_その3(独白)

(『三千二百八十二:現在の教育制度を考えて_その2(独白)』の続き)

●2:ルールと言われているものの見直し

2つ目の解決方法として、考えられるのは、ルールと言われているものの見直しである。

「●1」からの流れで理解できるのだけど、「●1」の例の反例を挙げてみる。

世には、教育関係者の間で、「教育困難校」と言われる学校が存在しているそうだ。
巷で流れている娯楽映画の中にも、時折、その「教育困難校」と言われる学校の内部の光景が描かれていたりする。

わかりやすく書くと、そのような学校には不良生徒ばかりがいて、教壇の上にいる、先生の行おうとしている教育内容を吸収することを拒否する。

あっさりと書いてしまうと、そのような子供達というのは、勉強が好きでない。
だから、学校での勉学の知識吸収を拒否している。

要するに、私達の世間では、ルールとか世間の慣習を使って、「子供達よ。お前達は勉強しなくてはいけない存在なのだ。これは決まりなのだ。しかし、私自身は、深く、その決まりの理由や、そのルールの定められた理由までは知りはしないが」と、そのルールの作成理由までを深く考えずに、半分、脅迫しつつ、無理矢理、子供達に学を強いていることがわかる。

私達の間で、設けられているルールによって、子供達の義務教育(言葉を言い換えれば、強制教育だけど)が実施されているのだけど、上の例を見てもわかるように、私達の間で、しっかりと認識できることがある。
それは、

  「ルールというものでは、私達の心を拘束することは出来ない」

というものである。

たとえ、表面上、自分の身体や自分の身体の外部の何かを使って、表面上に設けられているルールに従ってはいても、ルールというものは人の心を拘束することは不可能なので、やがて、その心の奥底から湧き上がり、身体の外部へとにじみ出てくる、感情や思いが、自分の生活環境に出現してくることがわかる。

P4160148

 

だから、2つ目の解決方法として、考えられるのは、教育に関するルールそのものの見直しである。

結局、義務教育というものは言い換えてみると強制教育に過ぎないことがわかる。

どんな人でもそうだけど、人は強制というものを嫌う。
人が強制というものを嫌う結果、多くの人が義務教育を嫌うのは、誰でも理解出来ることだろう。
最近では、高校までも、ほとんどの人々が通うようになった結果、現実上は、ほぼ、高校教育までも義務教育のような存在となった。
だから、結構、多くの生徒達でも、まるで、義務教育であるかのように、仕方なく、高校に進学するため、嫌な思いをしつつも、勉学に励んでいる人々も多いことだろう。
これが現実だろう。

---------------------------------

この義務教育というのも、明治維新になってから、「教育勅語」という、お触れが出されて、「全ての国民に学であるところの一定の知識をつけさせよう」ということになった。

この明治政府の政府方針の屋台骨というのは、歴史を見てもわかるように、日本の西洋化だった。
この頃の世界の流れというのは、ヨーロッパ諸国がアフリカやアジアに進出して、それらの地域を強制的に占拠して、植民地化していった時代だった。
だから、明治政府の前の江戸幕府後期だと、「尊皇攘夷」論が流行った。
実際、日本も、ヨーロッパ諸国の圧力を受けていたから、歴史に「もし」という言葉が存在していたら、日本もヨーロッパ諸国の植民地と化して、奴隷扱いされていたかも知れない。
他の外国がそのような扱いを受けたように。

だから、明治政府が成り立った頃は、様々なドラマでも流されているけれど、「ヨーロッパ諸国のように、軍事的な列強諸国となって日本を守ろう」という方針が立った。
それが、明治時代の富国強兵策だった。
そして、日本をヨーロッパ諸国のような軍事的な列強諸国になるためには、どうしても、国民の多くがそれなりの知識や技術を持つことにより、軍事的に強力になったり、お金を使った経済により、強力な国家となる必要があった。

だから、明治時代の当初の流行語の一つとして「ヨーロッパ(西欧諸国)に追いつけ、追い越せ」というものがある。
今でも、現代に住む私達も、時折、その言葉を耳にする機会がある。

だから、教育方針もその方向で進められた。
要は、ヨーロッパ諸国の列強並みに、教育もそれ並みに、だ。

それらの結果、日本の富国強兵策は成功し続け、朝鮮半島を併合し、中国に進出し、ロシアにも打ち勝ったり、太平洋の島国の諸国にも進出した。

やがて、日本は戦争に負け、その戦争の負けた際に、根幹を成すとされているルールに修正が施された。
しかし、その修正されたルールにも、以前の根幹を成すとされているルールに採用されていた、教育方針が残されることとなった。
これが、現代の日本の教育方針となっている。

---------------------------------

明治時代からの教育方針が、そのまま残されているので、その教育方針に大まかな変更は無い。
だからこそ、私達の間で、教育上の競争が煽(あお)られている。

明治時代の頃の「ヨーロッパに追いつけ、追い越せ」の方針が残されているので、大きな感じだと、

  「さあ、あなた達は勉学上の競争に励みなさい。そして、諸外国の生徒達を、あたかも仮想の敵とみなして、その学んだ知識を使って、技術競争・経済競争を行いなさい。あなた達は、その技術競争・経済競争に打ち勝たないといけない。なぜならば、あなた達が、その技術競争・経済競争に敗北すれば、倒産した会社の元従業員達のように、経済的に飢えながら、みすぼらしい雰囲気をまといつつ、苦しみながら死ぬに違いないのだから」

というような、脅し交じりの雰囲気で競争を促されているのに気が付くだろう。

世間の新聞やテレビでも、時折、世界の諸外国の学校の生徒達とのテストの比較結果が伝えられて、その結果、

  「さあ、あなた達は、勉強上において、あれらの国々の生徒達に負けてはなりません。なぜならば、あなた達が、その競争の負ければ、倒産した会社の元(、、、以下、同上)」

要は、「私達は競争を煽られている」と気が付くだろう。

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したがって、ルールと言われているものの見直しが必要になってくると思う。

ルールそのものが見直されれば、教師側が、生徒側の放課後の時間は、拘束できない時間の筈なのに、その時間に「私の出した宿題を実施しなさい」と、強制的に出しているところの宿題に関する意義も、見直されることとなるだろう。
(ルールそのものを見直さずとも、充分に、この段階で、異常を感じるだろうけれど。なぜならば、これだと本来実施してはいけないことが実施されていることになるのだから。子供達に対するサービス残業のように。)

また、強制教育というものが無くなれば、何らかのジャンルの知識を吸収したい生徒だけとなるのだから、「●1」で書いたように、生徒の側と教師の側での需要と供給のバランスがマッチするので、宿題とか教育拒否の問題は無くなる可能性が出てくると思う。

私が言っているところの根幹とされているルールの見直しに関しては、現在、世間の間でも、様々に多くの人々に議論されている。
だから、この根幹とされているルールの見直しに関しては、まだ、意見を書けるものがあるのだけど、別件にもなってくるし、さらに長い書き足しとなってしまうので、次回以降の機会に、新たな題名を付けて、意見を書いてみたい。


(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千二百八十一:学校の宿題について_No.3』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2018/08/_no3-ae6b.html

『三千百三十三:学校の宿題について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/_no2-4ff2.html
(Wikipediaより抜粋引用)
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●宿題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E9%A1%8C

宿題(しゅくだい、英:homework, homework assignment)は、学校教育等において、教師が児童・生徒・学生に課する自己学習の課題のこと。 (、、、以下、省略)

最終更新 2018年7月30日 (月) 00:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

『三千百三十一:学校の宿題について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-0afd.html

『三千百二十七:学校のいじめ問題を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-9943.html


                                       坂本 誠

2018年8月18日 (土)

三千二百八十一: 学校の宿題について_No.3

こんばんわ。

三千百三十三:学校の宿題について_No.2』の続きです。

昨今、「学校の宿題の量が多過ぎて困る」という手合の話題を耳にする機会がありました。
これについて書いてみます。

文末の方に、過去記事を並べており、その過去記事中にも書いていることですが、「宿題」というものは、「量が多過ぎて困る」どころか、まず、学校側が生徒側に与えることが出来ない代物(しろもの)だと言うことが、私達にわかります。

というのも、ちょっと以下の疑問を考えてみましょう。
学校の先生が、生徒達の放課後の時間を拘束できる権利があるだろうか?」という疑問です。

この疑問には、誰もが同じ答えを返すことでしょうが、その疑問の答えとして、私達が言うことには、

  「学校の先生が、生徒達の放課後の時間を拘束できる権利なんて、持っている筈が無いじゃないか

でしょう。

ですが、それにも関わらず、学校の先生達が生徒達に言うことには、

  「あなた達は、放課後である自宅にいる時間に、私の出した宿題をやってこないといけない

となると、それは、生徒達の放課後の時間を拘束していることになるでしょう。

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これは、会社でも同じ事であって、会社側が従業員達の就業外の時間を使用することが出来ないのと同じです。

もし、会社側がそれを従業員達に強要するのならば、それはサービス残業と言われるものです。

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学校の先生が、生徒達の放課後の時間を拘束できない以上、「家で私の出した宿題や予習・復習をやって来なさい」とは言えないことに、人は気付くでしょう。

ですから、私達の社会で見かける宿題とか予習とか復習という行いは、「これは一つの慣習の下に行われている行動だ」と、私達は気が付くことでしょう。

なので、学校の生徒の側からだと、「先生の出した宿題や予習や復習を断ることが出来る」ということが私達に理解できます。

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ですから、私が冒頭で書いた、私の耳にした話題であるところの「学校の宿題の量が多過ぎて困る」という問題に至っては、まず「生徒の側は宿題を断ることが出来る」という視点で考えてみると、、、

う~ん、ちょっと、何と書いて良いか、こちらがわからないぐらいですね。

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私が下に並べた過去記事にも似たようなことを書いていますから、読まれたい方は、以下のURLをクリックして、該当記事にジャンプして読んでください。

(※追伸記事:これだったら、マズイことをしているのは、学校の先生の方だ、と言えないでしょうか。追伸記事を終わります。)

 

 

(以下、過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『三千百三十三:学校の宿題について_No.2』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/_no2-4ff2.html
(Wikipediaより抜粋引用)
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●宿題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E9%A1%8C

宿題(しゅくだい、英:homework, homework assignment)は、学校教育等において、教師が児童・生徒・学生に課する自己学習の課題のこと。 (、、、以下、省略)

最終更新 2018年7月30日 (月) 00:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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(引用終わり)

『三千百三十一:学校の宿題について』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-0afd.html

『三千百二十七:学校のいじめ問題を考えて』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/post-9943.html


                                       坂本 誠

2018年8月14日 (火)

三千二百八十: 私の見かけたニュース_No.110

こんばんわ。

久しぶりに私の見かけたニュースを紹介させて下さい。
私の気になった部分には、アンダーラインを引いたり、太字にさせて頂きました。

(以下、『朝日新聞』、2018/08/10(金)、第2面記事より引用)
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(●書籍広告部分より)

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P8110182_3

『驚くべきCIAの世論操作』
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(引用終わり)

(※筆者注:上記の写真は、私のPC内では、ちゃんと上下が正常なのですが、ブログにアップする際に、なぜかはわからないのですが、上下が90度回転した状態で、アップされます。どなたかが、いたずらをしているか、あるいは、ブログのエディタのバグなのかもしれませんね。ですので、この写真を見られる方は、御自身のPCにコピペして、その写真を90度回転させて、見て頂くことをお薦めします。)

(以下、『日本や世界や宇宙の動向』様、2018/08/10(金)記事より引用)
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●世界中に存在する児童虐殺工場
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52030414.html

(邦訳:『日本や世界や宇宙の動向』様)

http://beforeitsnews.com/v3/alternative/2018/3631032.html

(概要)
8月9日付け

アンクルサムの虐殺工場がアメリカ、テキサス州に存在します。
工場内の活動は活発に行われており、子供がメニューに載っており、食べられています。
被害者の女性がその実態をビデオで暴露しました。

・・・一体、心ある人間はどこにいるのか。
勇気ある人間はどこにいるのか。
多くの大人はみな善人面しているが、誰も人身売買の被害者の子どもたちを助ける善行はしていない。
皆さんの中に存在する神に助けを求めたい。
何千人もの子供たちが地下施設(虐殺工場)の檻の中に監禁され、飼育されている。
ヘンゼルとグレーテルのように子供たちは人身売買され工場に監禁されている。

皆さんは今すぐ愛する存在、優しい存在になってほしい。。
毎日、宇宙に向けて愛を送ってほしい。
皆さんのパワーで、奴隷、虐待、虐殺の被害にあっている世界中の子どもたちを救うことができると思う。
あなたが檻の中に閉じ込められたなら、私は兄弟としてあなたを助け出すだろう。
檻の中に監禁された子供たちもあなた方と同様に重要な存在だ。
子供たちに対してこのような恐ろしいことが行われているということは人間がいかに霊的に低いレベルにまで落ちてしまったかということである。・・・

被害者の女性は、何千人もの子供たちが工場で虐殺されていたのを目撃しました。

有色人種の子どもたちの料理がメニューに載っています。
そして特権階級の人々は料理された子どもたちの肉体を食べています。
子供たちは糞尿の中で生きたまま茹でられています。
加害者らは子供たちの肉体を2つに切断し、他の子どもたちにそれを食べさせています。

世界の皆さん、優しく、勇敢な我々の姉妹のケイティ・グローブスさんに愛を送ってくださってありがとう。
彼女は私が想像もつかないほどの辛い体験をしてきました。
それなのに、彼女は人間を様々な縛りから自由にさせようとしており、世界を良い方に変えようとしています。
彼女は多くのビデオを通して事実を明かにしています。
彼女は地球は神の惑星であり神が統轄していることを知っています。
ですから、神に反した現象は全て集団錯覚なのです。

皆さんは神に仕える者として神の惑星に生きています。
それに反する現象は全て錯覚です。
皆さんは愛情ある母なる大地に生きています。
それに反する現象は全て錯覚です。

我々の母(地球)は自分の皮膚の上で生きている全ての人々が他の人々や生き物を尊重することを望んでいます。

地球が3次元から5次元へ移行するプロセスは進行中です。
人間は、突然、錯覚から覚醒し、永遠の肉体を得て、自分たちが闇の存在でないことを知ることになります。
これは自分の陰性を自分の魂から切り離すことができる特別な機会なのです。
我々の魂はこれらの全てが真実であることを知っています。

TW: CIA Child Snuff Survivor Speaks Out
https://www.youtube.com/watch?v=Ng--1uY5Atc



CIAによる児童殺害産業の生存者、ケイティ・グローブスさんがビデオを通して明かした恐ろしい体験)

(概要)
私はケイティ・グローブスです。
児童虐殺工場の生存者です。
私は子供のころからアンクルサムの虐殺工場に監禁されていました。
今、テキサス州中部からこのビデオを流しています。

Tw_cia_child_snuff_survivor_speaks_


これから話す内容は私の過去の体験です。
現在、あの恐ろしい虐殺工場がどうなったかは分かりませんが、今でも工場は存在していると思います。
私はそこで拷問を受けたり薬物を与えられたりしたため、記憶がはっきりしていない部分もあります。
その工場はテキサス州中部のどこかにあったはずです。
当時、私はオースチンに住んでいましたが、オースチンから車で45分のところにある虐殺工場に連れていかれました。
工場の入り口は地上にありますが、他の殆どの部分は地下にありました。

児童虐殺工場がテキサス州に実在していると話しても誰も信じないでしょう。
しかし実際に政府高官や軍事的機関が工場内で児童虐殺を指揮しているのです。
彼らは軍事基地の地下施設で児童の大量虐殺を行っています。
そしてその様子を撮影し闇市でそのビデオをそのような趣味のある連中に販売しています。
残念ながら、これが事実です。
私が目にした事実です。
私は地下施設に初めて連れて行かれた時のことを覚えています。
私は檻に監禁され二度と外(地上)には出られないのではないかと思いました。
工場内で私が目撃したものは、虐殺されていた何千人もの子供たち(その大部分が有色人種の子どもたち)です。
有色人種の子どもたちは、アメリカを統治している白人至上主義の政府機関に系統的に狙われたのです。
この工場はアンクルサム虐殺工場と言うニックネームがついていました。
アンクルサムとはとてもフレンドリーなおじさんを示します。
しかしアンクルサムは、父親のように親しみやすい人物と思い込ませる米政府のプロパガンダなのです。
このような虐殺工場はテキサス州だけに存在するのではなく世界中に存在しています。
ただ、テキサス中のアンクルサム工場は他の工場とは異なり、コネのある人は何でも欲しいモノが適正価格で手に入ります。
私は、裕福な特権階級の白人女性が有色人種の子どもたちにメニューを注文しているのを目撃しました。
それは子どもを料理したメニューであり、お皿の上に料理した子供の肉体を乗せて運んで来させるのです。

なぜ私がそのような場所で生き残ったかというと、私の家系は組織犯罪に関与してきておりCIAと繋がりがあったからです。
私はこのような犯罪を繰り返すことが許された血統(犯罪組織のリーダー的存在)を引き継ぐものです。
そのため彼等は私を実験台として生かしておきました。
私は生きていることに感謝したいです。
しかし過去に受けてきた虐待から、今でも毎日トラウマ(病名は省略)に苦しんでいます。
今も、そこで虐待されながら生きている(私の仲間の)子どもたちがたくさんいると思います。
あの工場で目撃した最も残酷なこととは・・・子どもたちが生きたまま、ぐつぐつ沸騰した糞尿の中で茹でられていたことです。
加害者らは自らの性的○○の目的で、子どもたちの肉体を半分に切断し、他の子どもたちにその肉を食べさせていました。
このビデオをご覧になっている方々にお願いがあります。

このような事実を受けいれるのは非常に難しいと思いますが、このような場所で多くの子どもたちが日々苦しみながら生きているという事実を疑わないでください。
子どもたちは他の子どもたちが虐殺されたり、虐待を受けながら生きているのを目にしながら自分たちも苦しみながら生きているのです。
子供たちがそこで耐え抜いているのですから、このビデオをご覧になっている皆さんもこの事実に目を向け、このような恐ろしい犯罪がなくなるようにしてほしいと思います。

ただし、皆さんが工場を探し出し子供たちを救い出すことは期待していません。
そのようなことはできないと思います。
第三次世界大戦が起きても、彼ら(加害者ら)は地下施設に潜りこみ生き残ります。
実際に子供たちを救いだすことはできなくても、多くの人々にこのような犯罪が行われていることを知ってもらいたいのです。
また虐殺工場から逃げ出し生き残った子供たちに救いの手を差し伸べてください。
私と同じように彼等はトラウマに苦しんでいるためセラピストや医師を必要としています。
また弁護士も必要です。
子供たちの殆どが家族を失っています。
彼等は新しい家族に迎えられる必要があります。
被害者の子どもたちを救済すれば、彼等が集団で受けた精神的なダメージも緩和されるでしょう。
被害者の子どもたちが精神的に強くなれれば、そこで何が行われていたのかを証言することができるでしょう。
その結果、児童の人身売買、虐待、虐殺の実態が暴かれ、犯罪が阻止されるかもしれません。
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(引用終わり)


(以下、上記2つの記事を読んでいてふと思い出していた過去記事、関連記事、及び、参考文献)
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『二百八十五: 私の見かけたビデオについて_No.31』
●元CIAがブッシュの麻薬取引を証言 新世界秩序 ロスチャイルド #cia #nwo #rothschild
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/_no31-5174.html
http://www.youtube.com/watch?v=YX6UDDbxOVc



(※筆者注:なぜかはわかりませんが、上気動画は現在削除されています。ですので、私が見た時にとっておいた動画の写真を掲載しておきます。)

(抜粋引用、筆者の気になった部分にはアンダーラインを引いたり、太字にさせてもらっています)
●元CIA、チップ・テイタム:
------------------
「初めの頃は東南アジアで働き、1970年代半ばの環境でユーゴスラビア、チェコスロバキア、ルーマニアに移動しました。」

Photo


「1980年代の初期に国家安全保障会議の支配下で、黒いヘリコプターが軍事作戦で飛び回っているのを人々が知っている、ケンタッキー州のフォートキャンベルに基づいた160任務部隊に参加しました。」
「そこから私はホンジュラス、ニカラグア、CIAのパイロットが飛行するオリーノースのための特別作戦に入りました。」

「国家安全保障会議は麻薬を持ってきて、アメリカに送りました。」
「私達は単純に国内の軍事施設から麻薬を出して、ホンジュラスの指定された地域に送りました。」
「そして軍用機と民間航空機でアメリカに持ち込み、各地の子供達にばらまきました。」

「ジョージ・ブッシュはコカインのど真ん中に立っていました。」

「私はアメリカの人々のために働くために、22年間支払われてきたと信じています。」
「私は皆さんがアメリカの納税者として、この国で起こっていることを知る権利を持っていると信じています。」
「この情報であなたが何をするかは、完全にあなた次第です。この情報をどうするかは、完全にあなた次第です。」

「1986年から私がCIAを辞める1992年まで、アメリカ政府が行ってきた全ての事は、」
「一つの世界政府が国々を同盟するように設計されているのがわかります。疑いの余地はありません。それがCIAが行っていたことです。」

「、、、、なぜならCIAは、ロスチャイルド家やルーズヴェルト家の世界中のお金の巨大権力のために働くからです。」

「私自身は第3階級かもしれません。第3階級は新世界秩序においては市民とは考えられず、おそらく隠れた状態で生活している新世界秩序の敵とみなされるでしょう。、、、」

「そこに誰かいますか?」

◆字幕:
「1998年にチップが突然姿を消す前の最後のインタビューでした。」
「チップの拷問された遺体は、後に2007年にパナマの海岸に打ち上げられて見つかりました。」
------------------
(引用終わり)

『二百八十七:お知らせ_No.153』
●約10年前にディーグル博士が暴露したCIAの大量殺人計画
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/_no153-8588.html
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51897139.html
http://beforeitsnews.com/conspiracy-theories/2013/08/cia-to-murder-200-million-americans-the-elite-have-plans-for-martial-law-in-america-2453992.html

(上記記事より抜粋して引用)
-------------------
ディーグル博士の証言(概要):

CIAは米空軍機を利用して大量の麻薬を密輸しています(ディーグル博士自身が目撃しました)。
米空軍機はコロラド州のピーターソン空軍基地に麻薬を運びました。
また、ディーグル博士の友人ら(諜報部員)の情報によると、さらに、フロリダや他の港を経由して大量の麻薬がアメリカに密輸されているそうです。

CIAはアメリカ国内に核爆弾を投下しようとしています。
しかし実際に核爆弾で米国民を攻撃するには、最初に実戦配備の偽旗イベントを実行しなければなりません。
そして、そのイベントを各メディアが大々的に報道するのです。
-------------------
(引用終わり)

『三千五十二:私の見かけたニュース_No.92』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/01/_no92-76f1.html
(以下、『世界の裏側ニュース』様、2016/12/26記事より引用)
------------------------------------------
●ロシア大使殺害犯がCIAとクーデターに関連していたことが明らかに
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12232078408.html

ロシア大使殺害はイラク国内のCIA基地に関連していた
Russian Ambassador Murderer Tracked To CIA Base In Iraq
12月23日【Your News Wire】

暗殺されたロシアの在トルコ大使のアンドレイ・カルロフ(Andrey Karlov)氏は、イラク国内にあるアメリカのCIAの基地と関連していたとロシア当局者が確認した。
先週、プーチン大統領がカルロフ大使の暗殺事件に関し、18人に調査を命じた。
調査官らは、容疑者のメブリュト・メルト・アルトゥンタシュ(Mevlut Mert Altintas)氏がイラクのアルベール(Erbil)地区にあるCIAの拠点と関係があり、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領に対する7月のクーデター未遂事件とも関係していたことを示す強力な証拠を見つけたと話している。(、、、以下、省略)
-------------------
(引用終わり)

『二百九十七: 私の見かけたビデオについて_No.33』
●初めて実行員が暴露した、アメリカの国際陰謀・工作秘史
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/09/_no33-6b51.html
https://www.youtube.com/watch?v=BhfCgO0ItY8



公開日: 2011/01/19 

(上記ビデオより抜粋引用)
------------------
■字幕:
国家を征服しその国民を奴隷化するためには、二つの方法がある。一つは武力であり、もう一つは負債である。(John Adams 1735 - 1826)」
      :
     (中略)
      :
----- VENEZUELA 2002 -----

「、、、、エコノミック・ヒットマンの能力はこの間どんどん上がり続けましたがね・・・。、、、」

「ごく最近では1988年、ベネズエラでチャベスが大統領に勝利しました・・・、、、」

__2


      :
     (中略)
      :
「このクーデターの起こし方は、カーミット・ルーズベルトがイランで行ったやり方と同じものです。」
「民衆をお金で買収してデモ行進をさせ、暴動を起こさせます。」
「『チャベスがとても不人気だ』と思わせるようなことを言わせながら起こすのです。」
「2,3千人の人をテレビの前に集めれば、国中が反対していると思わせることが可能です。」
「そしてそこからは、マッシュルームのように増加していくのです。」
      :
     (中略)
      :
----- IRAQ 2003 -----
「エコノミック・ヒットマンはサダム・フセインを買収することが出来なかったのです。、、、」
「何と言っても、フセインは以前、CIAのエージェントでしたからね・・・」
「前イラク大統領の暗殺のために雇われていたのです・・・失敗しましたが。」
「だから彼は私達のやり方を熟知していたのです。」

------------------
(引用終わり)

『二百六十九:News_No.302』
●余命わずかの元CIA職員が語るエリア51と宇宙人 後編
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/08/news_no302-95d0.html
http://www.youtube.com/watch?v=-C0M0IduSXM

Cia

『五百十三:News_No.371』
●米CIAが自民党に秘密資金を提供していたことを認めた
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2013/11/news_no371-b0bc.html
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1987.html

(上記記事より引用)
---------------
米CIAが自民党に秘密資金を提供していたことを認めた
安倍晋三と自民党はCFR→CSISの書いた計画に沿って日本の売国政策を進めている

(共同通信 2006年7月19日)

【ワシントン18日共同】
米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にかけて、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るため、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者と、旧社会党右派を指すとみられる「左派穏健勢力」に秘密資金を提供、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。

同日刊行の国務省編さんの外交史料集に明記された。

同省の担当者は、
「日本政界への秘密工作を米政府として公式に認めたのは初めて」と共同通信に言明し た。

米ソ冷戦が本格化した当時、日本を反共の「とりで」にしようと、自民党への支援に加え、左派勢力を分断する露骨な内政干渉まで行った米秘密工作の実態が発覚。

日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる重要史実といえそうだ。
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(引用終わり)

『三千百三十五:私の見かけたニュース_No.101』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2017/06/_no101-8c97.html
(以下、『Gigazine』、2017/6/24記事より引用)
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●トム・クルーズが明るく麻薬・銃・マネーロンダリングに手を染めていく映画「American Made」予告編公開
http://gigazine.net/news/20170624-american-made/

(以下、上記記事より抜粋引用)
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実在する麻薬密売人をトム・クルーズが演じる映画「American Made」の予告編が公開されています。
2015年9月に映画のスタッフを乗せた航空機が撮影現場に激突し死傷者が出たことから映画の公開が遅れていましたが、2017年9月にいよいよ映画が公開予定。
予告編では軽快な音楽とともに麻薬&銃の密売やマネーロンダリングに手を染めるトム・クルーズの姿がコメディタッチで描かれています。

American Made - Official Trailer [HD] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AEBIJRAkujM



(、、、中略、、、)

ということで、これは実在した麻薬密売人であるバリー・シールの物語。

(、、、長い中略、、、)

_4

 

「銃に麻薬にマネーロンダリングまで?」と捜査官。

しかし、捜査官たちと会話していると……

嫌そうではあるものの、捜査官に自由を告げられます。

戸惑う周囲を置いてけぼりに軽い足取りでおうちに変えるバリー・シーン。
僕はCIA、DEA(麻薬取締局)、そしてパブロ・エスコバルのためにドラッグを密輸していた」というモノローグが流れるのでした。(、、、以下、省略)
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(引用終わり)

『二千百八十一:私の見かけたビデオについて_No.58』
http://hikari-to-kagayaki.blog.bbiq.jp/blog/2014/09/_no58-51b4.html
●CIAと悪魔崇拝について 元FBIロサンゼルス支部長テッド・ガンダーソン
http://www.youtube.com/watch?v=N1ilHi8K_3A



(※筆者注:現在、上記ビデオはなぜか削除されています。)


                                       坂本 誠

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